横浜ベイスターズ及びその暗黒期(特に親会社がTBSだった時代*1)を指す言葉。
経緯 
2008年の交流戦にて横浜は負けを重ね、交流戦の勝利数が当時広島東洋カープのエースであったコルビー・ルイスと並んだ挙句に抜かれてしまう。好調なルイスと悲惨な横浜(ベイス)の成績を比較して嘲笑された事が由来である。
最終的にルイス5勝、ベイス6勝となり、辛うじて横浜が勝利数で上回ることができた。
ルイスとベイス、何故差がついたか、慢心、環境の違い
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/livebase/1213434787/(過去ログ)
1 :どうですか解説の名無しさん:2008/06/14(土) 18:13:07.94 ID:qFI6CBBp
交流戦成績
ルイス 防2.10 4勝0敗 勝率1.000
ベイス 防5.84 3勝15敗 勝率0.167
その後 
2009年は横浜6勝でダルビッシュ有(日本ハム)他3名が4勝、2010年は横浜6勝で和田毅(ソフトバンク)が5勝と辛うじて上回る結果。以降も低空飛行を続けるが2014年には13勝で12チーム中5位。ようやく苦手意識を払拭できたと思われたが…
翌2015年は3勝14敗1分、勝率.176という交流戦史上最低勝率を打ち立て、黒田博樹(広島)・菊池雄星(西武)の3勝に並ばれる結果となった。
ベイス交流戦成績 
TBS時代からDeNA中畑政権までを記す。
年 | 試合数 | 勝 | 負 | 分 | 勝率 | 順位 | 備考 |
2005 | 36 | 19 | 17 | .528 | 6位 | 交流戦初年度。 | |
2006 | 36 | 15 | 21 | .417 | 10位 | ||
2007 | 24 | 14 | 9 | 1 | .609 | 3位 | 試合数が24に削減された。 |
2008 | 24 | 6 | 18 | .250 | 最下位 | ベイス誕生(上述)。 | |
2009 | 24 | 6 | 18 | .250 | 最下位 | 交流戦史上初のセ・リーグ勝ち越し年*2。 | |
2010 | 24 | 6 | 18 | .250 | 最下位 | 交流戦Aクラスをパ・リーグが独占。交流戦史上ワーストタイの3年連続最下位。 | |
2011 | 24 | 7 | 13 | 4 | .350 | 11位 | |
2012 | 24 | 9 | 14 | 1 | .391 | 10位 | |
2013 | 24 | 7 | 17 | .292 | 最下位 | ||
2014 | 24 | 13 | 11 | .542 | 5位 | ||
2015 | 18 | 3 | 14 | 1 | .176 | 最下位 | 試合数が18に削減された。 |
余談 
- 1991~92年に日本ハムファイターズにビル・ベイスという選手が在籍していたが、なんJでベイスという単語を見かけたとしてもまず彼の事ではない。
- ベイスたんという漫画はあまりにも有名だがタイトルの由来がこのなんJ用語であるかは明らかになっていない。ただ、その漫画がベイスという言葉を外へ持ち出したことに怒るDeNAファンがかなり多いというのは間違いない。
- 2017年3月、DeNAは球団事務所やオフィシャルグッズショップ、スポーツバー、ジム、ギャラリーなどを置く野球関連の複合施設「The BAYS(ザ・ベイス)」
を日本大通りにオープンさせている。
- ベイスという単語が指すのは球団の成績ぐらいで、フロントおよび現場がどれだけ惨憺な有様かを伝える場合は内川語録や社会人として当たり前が出来ない選手のエピソード、駒田の暴露記事が主に使われる。
- 現在は単に「ベイスターズ」を略した呼称として使われることも増えている。また「ゲイスターズ」が拡散してからは蔑称としてこちらが主流になりつつある。しかし現在でも「ベイス」を蔑称と捉えるファンも多く存在するため、使用には注意が必要である。
暗黒ベイスの出来事でリーグと首脳陣組んだ 
一部リーグ
1(遊)聖域と化したショート石川*3
2(左)契約更改でゴネた挙句チームの意識の低さを批判した坂元弥太郎が直後に西武へトレードで飛ばされる *4
3(三)村田の愛車に生卵が投げつけられる *5
4(右)内川語録
5(一)TBSの番組の都合で、バッティングセンターで自主練習していたノリさんを急遽獲得する*6
6(二)6番セカンド内藤*7
7(捕)2番手捕手の鶴岡をシーズン中にトレードで放出した挙句、オフに正捕手の相川までもFA流出する。苦肉の策で阪神からFA宣言していた野口を急遽獲得する事態に
8(中)シーズン終盤に芽が出てきた若手投手陣が翌年に全員経験値リセットされる*8
9(投)山本省吾が前半戦だけで11敗をマークし尾花高夫監督*9から「使った俺が悪い」と言われる*10
1(中)センター下園*11
2(遊)左のワンポイントで出てくるのが防御率7点台の加藤と10点台の篠原*12*13
3(ニ)3番セカンド渡辺直人*14
4(一)「全力プレー」「全力疾走」というプロとして当たり前の単語がチームの売りのように連呼され地元TVKのCMにもフレーズが使われる
5(右)交流戦で3年連続6勝18敗
6(投)先発オーダー書き間違え事件*15
7(三)大枚をはたいて獲得したヒューズ特選隊*16が全滅し全員オフに解雇
8(捕)大型補強した選手のほとんどが2年~3年で放出される
9(左)TBS上層部が尾花の要望していたトレードを勝手に断ったり、相談もせずに勝手にトレードする。尾花が解任後にそのことを愚痴る
1(右)内川が試合前の練習に来たら誰もいなかった為、相手チームの練習に混ぜて貰っていた
2(二)ビハインドですらマシンガン継投が毎日発生する
3(左)3番レフト森笠*17
4(投)横浜ベイスターズとしての最終戦で石川内野手痛恨のエラー→ 山口が長野に代打逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれ敗北*18
5(一)外野手として獲得したジョンソンが内野しか守れなかったため、内川をレフトにコンバートする羽目になる*19
6(三)TBSのインフラ整備があまりにも不十分すぎて、引き継ごうとしたDeNA経営陣が愕然とする*20
7(中)松本啓二朗がファンサービスの悪さから二軍監督だった白井一幸に激怒される
8(遊)村田が監督室で寝そべる
9(捕)当時ドラフト8位で指名された古村がセカンド中村紀洋の試合を見に来て罵声の酷さに不安を感じる
1(遊)2009年8月の魔の二週間*21
2(右)リーチ、帰国
3(一)FAで獲得した野口と橋本の両捕手が劣化と怪我でろくに出場しないまま2年で解雇
4(中)ピッチャーの寺原相手にワンポイントで真田*22
5(ニ)5番セカンド中村紀洋*23
6(左)大西宏明が石川や筒香を連日連れまわして遊びブログの記事にする等、素行の問題で3割を打ちながら解雇
7(捕)喜田と一緒に二軍で遊んでいた黒羽根が白井に激怒され特訓コース入り
8(三)開幕オーダーにルーキーの松本・山崎が名を連ねる*24
9(投)1回に8点を取る猛攻を見せ最大9点リードしていたにも関わらず同点に追いつかれ引き分け*25
1(右)真田が手術明けにもかかわらずマシンガン継投で酷使されて壊れ、メジャー挑戦を理由にチームを去る*26
2(遊)2年目の吉原*27が酷使され続けた結果見事なまでに壊れて再起不能に陥り2年後解雇される
3(三)加地球団社長*28が「優勝しなければベイブリッジから飛び込み」宣言し横浜国際港から注意される
4(左)大家が同一カードに2回先発し1回8失点、4回6失点と連続で大炎上 *29
5(投)違反球で中日に5回4失点だった来日初先発のゴンザレスのコメント「今日は最高のピッチングでした」*30
6(中)功労者のほとんどが球団と折り合いが合わず引退勧告を断り出ていく、まともに引退できたのは鈴木尚と木塚くらい*31 *32
7(一)制限選手扱いとなったリーチの代わりに再雇用されたランドルフが僅か1か月で解雇
8(捕)細山田、黒羽根、武山、新沼のどんぐり正捕手争い *33
9(二)はませんの住民が精神崩壊を起こしエア日本シリーズ実況を始める*34*35
1(左)ぶっちぎりの最下位に陥るとフロントが2年契約中の島田ヘッドコーチ*36に「責任を取って辞めろ」と迫り「分かりました、でもこんなことしてたら誰も来なくなりますよ?」と島田が呆れ果てながら警告すると「ありがとうございます!頑張ります!」と謎の返答をする
2(中)最終盤まで防御率リーグ5位以内をキープしたルーキー加賀が後半戦1勝もできず、最終成績は3勝12敗 防御率3.66*37
3(右)2010年最終戦終了後にナインの不甲斐なさをずっと見てきた加地球団社長がぶち切れる
4(一)膿を出す為に生え抜きの選手をトレードや戦力外で放出するも、代わりに来た選手が次々とチームの雰囲気に飲み込まれる
5(三)あまりにも先発が足りないので中継ぎを務めていたハミルトンが急遽ローテに回される
6(遊)石井裕也が露骨なまでにぶくぶくに太る*38
7(捕)細山田のリードと下園の選球眼がポジ要素*39
8(ニ)山崎が「打てば三振守ればエラー」を体現し1試合3エラー達成
9(投)史上初の3年連続90敗を達成*40
二部リーグ
1(中)島田ヘッドコーチによる井手の過剰な優遇起用*41
2(二)ワン・イーゼン(王溢正)、チェン・ウェイ(陳瑋)、チェン・グァンユウ(陳冠宇)、ワン・ジンチャオ(王靖超)らの謎の中国台湾助っ人軍団*42
3(一)ハーパーがショートゴロを放ち巨人・坂本がエラーでボールを零したにも関わらず鈍足過ぎてアウトになる*43
4(右)吉村が毎年のようにコーチに直々指導されるもすぐにフォームを変えて迷走を繰り返す
5(左)新外国人のチアソン*44が一軍はおろか二軍ですら1試合も投げず消える、唯一投げたオープン戦でもボークを連発
6(三)ゾウのグリン
7(遊)武山がDeNAへの身売りを聞いて「ゲーム好き」をアピールするも直後のファン感謝祭中にトレードで西武に飛ばされる*45
8(捕)FA入団した橋本があまりのチームの惨状に「移籍したのは間違いだった」とまで言い放つ*46
9(投)2011年チーム最多勝が高崎と三浦の5勝
1(遊)石川が罵声の酷さから試合中に耳栓をする
2(左)下園がOP戦でフェンスに激突し長期離脱*47
3(二)渡辺直人がチームのバスに乗れず置いてきぼりを食らいタクシーでキャンプ地まで向かう*48
4(一)スレッジが1人で3HR7打点を荒稼ぎしながら敗北*49
5(中)本拠地最終戦で中日の優勝が決まった為、毎年恒例の二次会も早川の引退セレモニーも行われず終了 *50
6(三)2011年開幕戦、同点の7回にリリーフ登板した大沼が二死二三塁の大ピンチを招いて降板しながらさも仕事をしたかのように上機嫌でハイタッチする*51
7(捕)野口が盗塁も刺せずパスボールを繰り返しルーキーの細山田に立場を奪われる*52
8(右)桑原外野手、開幕一軍入り*53
9(投)ルーキーの大原が開幕二軍スタートだったにも関わらずマシンガン継投の餌食となり、当時の新人最多登板記録を更新する*54
1(右)試合中にベンチに座っている選手がほとんど存在せず、がら空きのベンチの様子が映し出されることは日常茶飯事
2(左)代走で登場しては勝手に自滅する野中
3(三)チーム随一の実力者だった寺原が怪我の多さから尾花に呆れられトレード放出される*55
4(遊)LIXILが球団買収に名乗りを上げるも、何故かハマスタや横浜市長が横槍を入れ始め買収から撤退する*56
5(一)8回まで無失点に抑え完封勝利目前の高崎が9回に走者を1人出しただけで交代され、マシンガン継投入り*57
6(中)投手をスタメンに入れる偵察行為をシーズン中何度も行い大抵出てくるのが打率1割台の大西*58
7(二)カスティーヨの満塁場面の成績が12打数0安打(打率.000)打点0四死球0併殺2
8(捕)尾花が眞下の才能に見込みを持って直々にフォーム改造するも、TBS身売りに伴い解任される。尾花を失った眞下は迷走を続け一軍に戻ることなく引退
9(投)三浦が開幕直前のOP戦で被本塁打8、失点14の大炎上をやらかし目が死ぬ*59
1(遊)機動力野球をテーマに掲げ石川、渡辺直人、森本の3人でスーパーカートリオの再来と謳われるも3人でわずかシーズン19盗塁、チーム全体でも31盗塁で盗塁成功率58.5%*60
2(三)村田があまりの勝負弱さに一時期名前を言ってはいけない人扱いされる
3(捕)武山が挨拶代わりと言わんばかりに開幕から14打席連続無安打を記録、シーズン全体でマルチ安打が僅か1回のみ*61
4(左)西武からFA宣言した細川亨*62を獲得する為高級中華料理屋で交渉を行いフルコースをご馳走するもあっさり逃げられる*63
5(中)森本が「劇団ひちょり」のメンバーを募集するも震災の影響で延期され、自身の成績も相まってなかったことになる
6(二)大原のサインミスに対して細山田が激怒する*64
7(一)入団会見を済ませたノリさんが二軍の練習に合流し挨拶するもベテランの三浦が笑顔で迎える以外は全員神妙な顔をする*65
8(右)新沼が人望と性格と顔の良さだけで選手会長就任*66
9(投)尾花最大の功績と思われていた中継ぎ陣及び高崎が違反球時代終了後のシーズン(2013年以降)に成績が急落する
1(中)身売りが決まったTBSが置き土産と言わんばかりにドラフトで高卒選手を乱獲し枠を埋める
2(二)江尻がマシンガン継投と連投で酷使されては二軍落ちを繰り返す*67
3(一)移籍する前後にチームのことをボロクソ言い続けた内川に対してOP戦及び交流戦でブーイングの嵐が起こるもボコボコに打ち込まれる
4(三)初回にチャンスを作っても村田が三振・併殺・内野フライでぶち壊し0点に終わるのが毎試合恒例
5(右)2000年代に入ってから身売りまでの間に規定到達した生え抜き投手が三浦、吉見、加賀、高崎の4名のみ
6(捕)阿斗里が先発した試合全てで敗北し0勝7敗*68
7(投)社会人野球を経由して現役復帰を果たした杉原洋*69がプロ初登板*70 するも緊張のあまりサインミスと四球を連発して2.1回を3失点で降板。捕手の橋本から呆れられ、尾花からも見捨てられ速攻で二軍落ち
8(左)内野外野共に絶望的な駒不足に陥り、引退表明した早川をフェニックスリーグに派遣したり投手のブランドンをライトで起用する羽目に *71
9(遊)アニメミルキィホームズのとコラボにて声優達が試合前にOP曲と始球式を披露しスタンドではオタクが狂喜乱舞する中、横浜巨人の両軍が苦笑する様子が放送される*72
1(二)試合中ですらベンチ裏でタバコを吸っているのが当たり前だった為、尾花は「ベンチにいて応援しろ」と初歩的なことから教えなければならなかった
2(遊)上記の指導もむなしく尾花が解任された途端元の木阿弥で、DeNA初年度キャンプでは中畑が声を上げるも選手達は挨拶もできなかった為挨拶の仕方から教えられた
3(左)矢野の引退試合で逆転3ランを打った村田が石川と一緒にベンチで爆笑する
4(捕)勝負する前から絶望しかない真田対坂本の元チームメイト対決*73
5(中)どの年もまともに投げられる投手がほとんどいない為、寺原や加賀がチームの都合で先発と中継ぎ抑えを行ったり来たりさせられる
6(三)トレードで来た喜田が僅か1年で解雇*74
7(右)石川が盗塁王争い中に足を故障して離脱、以降まともに盗塁できなくなる*75
8(一)一輝*76がノリさん入団後も長期間一軍に居残るも出場するのは大量ビハインドの終盤程度
9(投)身売りが決定した2011年時点で近年10年中8度の最下位、4年連続最下位、勝率5割以上0回を達成*77*78
独立リーグ代表
1(二)2010年ファン感謝祭で「馬を英語で何というか」というクイズに対して藤田は「トニー」と答え石川は「藤田さん、違います!ポニーですよ!」とボケにボケを重ねる*79
2(中)ローテを守り抜いたのがトレードやドラフトで獲得した新戦力組のみで、既存の生え抜き選手が誰1人としてローテに入れなかった
3(左)用具係に転身した入来祐作*80に対して若手選手がジュースを買ってこいとパシリにすることが平然と起こり、入来は内心激高しながら言うことを聞いていた*81
4(遊)功労者の石井琢朗を追い出した挙句、その年以降石井の移籍先のカープからカモにされるようになる*82
5(一)コーチとしてチームに戻ってきた駒田が選手に対して「僕の話を聞いてくれるか」とアドバイスをしようとしたところ「嫌です」と断られ絶句
6(右)大西が二軍落ちした際に「ようわからんけど二軍に落ちました」と監督批判とも取れる発言をブログでぶちまける
7(右)桑原外野手が二軍のコーチから虐めを受けているという疑惑が週刊誌に取り上げられ、本人と白井二軍監督がブログで否定する事態に
8(三)村田が中心選手にも関わらず円陣を組む際にやる気を見せずコーチの波留に激怒される
9(投)チーム再編の切り札として元ロッテの黒木にコーチオファーを出すも断られ、黒木はその後日本ハムのコーチに就任する
米国の米リーグ代表
1(中)チームを変える為にやってきた森本がキャンプで張り切りすぎて早々にダウンする
2(遊)石川がSASUKEに出演しファーストステージで早々に脱落*83
3(右)チームのシーズン勝率(.338)が内川の打率(.378)を下回る*84
4(三)中日監督だった落合が「優勝争いしてる時は横浜と戦うのが一番嫌だった」と答える。理由は「皆横浜相手なら絶対勝てると勝手に星勘定をし始めるせいで落とせないから」*85
5(一)楽天時代のルイーズに打たれた逆転場外ホームランの球がハマスタ付近で販売されてたブラジャーのワゴンに直撃し周囲にブラジャーが舞い散る事件が起きた*86
6(二)村田が新入団してきたノリさんに「うちは厳しいですよ、全力疾走できますか?」と質問し「おう、できるぞ!」と小学生のようなやりとりを本当にする
7(左)TBS時代の新外国人はほとんど外れという惨状。3年以上チームに在籍したのがクルーンと王溢正*87の2人のみ *88
8(投)中日吉見が12球団の選手でベストナインを作る企画を行った際、横浜からは誰も該当者がいなかった為「横浜いねえw」と馬鹿にした挙句苦肉の策でFA移籍済みの村田を選出する
9(捕)入団した選手や出ていった選手だけでなく外部の解説者やOBからもチームの意識の低さに苦言を呈される
一軍監督・コーチ陣
監督 震災で開幕が延期になった関係*90で調整として一軍のフルメンバーを二軍戦に出して西武の二軍相手に完敗する*91
ヘッドコーチ 生え抜きのベテランが頼りない為トレードで移籍してきた清水直や渡辺直人らに若手選手が集う
打撃コーチ 練習時間になっても選手が誰も来なかった為、コーチがグラウンドでひなたぼっこをしていた
投手コーチ 初回のマウンドに上がる前に打席が回ってきたヤクルト先発の館山に3ランを打たれる*92
内野守備走塁コーチ 練習中にサッカーで遊んでいる選手を見てトレードで移籍してきたばかりの渡辺直人が呆れる
外野守備走塁コーチ 内川の怠慢走塁によりトリプルプレー成立*93
バッテリーコーチ 消えたレフト事件
巡回コーチ 自分の出番が終わるとベンチ裏に帰ってゲームをしている選手が大勢いた
二軍監督・コーチ陣
二軍監督 新外国人のジェイジェイがいつの間にか二軍のキャプテンに就任していた
二軍打撃コーチ 古木、ベンチで喫煙
二軍投手コーチ 二軍から昇格した若手が炎上し登録抹消、代わりに上がってきた若手も炎上を繰り返すことでローテが回っていた
二軍内野守備走塁コーチ 石川が結果が出ないとすぐにふて腐れる為、村田、森本、新沼らがお目付役になっていた
二軍外野守備走塁コーチ 当たり前のように牽制に引っかかる下園
二軍バッテリーコーチ リードが悪いと評された武山で5連敗後、リードが良いと評された細山田で5連勝したかと思いきやそのまま6連敗した
育成コーチ キャンプでスパイクを履かずに練習する選手がいた
その他
フロント 最下位を独走する中シーズン途中に就任した田代監督代行に「来季も監督をして欲しい」と選手が要望を出すも、フロントが出した条件が「最終勝率を5割まで戻せ」だった為当然達成できず*94解任される*95
本拠地球場 横浜スタジアムの運営*96が球場の使用料のみならずチケット代等の収益までほとんど持っていく為、仮に毎日満員でも横浜フロントは赤字になることが報道された*97
球場施設 球場のトイレがあまりに劣悪で汚かった為身売り後に真っ先に取りかかったのがトイレ改修だった
練習設備 石川がエラーした試合後に守備練習をしようとしたが、雨天時に守備練習ができる設備すらなかった為打撃練習をしていた
応援団 夏に入る頃には最下位を独走している為本拠地ハマスタ開催では入場者が15000人を切るのは当たり前で、外野はほとんどが空席だった
順位予想でOB含む全員から最下位予想 
実際の結果は巨人⇒中日⇒ヤクルト⇒阪神⇒広島⇒横浜。下段の川又米利(元中日)が全チーム的中を達成した。
身売り寸前のスタンドの様子 
loading...
当時からのファンによると、試合開始直前に行ってもチケットが買えてどこでも座れたとのこと。あろうことか、外野席で横になって観戦していたファンもいたとか。
恐ろしいことに、客入りの望める7月~8月の夏休み期間中ですらこのような有様で、阪神や巨人などの人気チームとの試合の場合は相手チームのファンの方が多かったということも。