ベイス

Last-modified: 2021-08-21 (土) 19:45:37

ベイスターズ及びその暗黒期(特にTBS時代)を指す言葉。


経緯

誕生の由来は2008年の交流戦にて横浜が負けを重ね、交流戦の勝利数が当時広島東洋カープのエースであったコルビー・ルイスと並んだ挙げ句に抜かれ、ルイスと横浜の成績を比較して嘲笑された事であり、「ルイス」との対比で「ベイス」の蔑称が誕生した。

最終的にルイス5勝、横浜6勝となり、辛うじて横浜が勝利数で上回ることができた。

 

ルイスとベイス、何故差がついたか、慢心、環境の違い
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/livebase/1213434787/(過去ログ)

1 :どうですか解説の名無しさん:2008/06/14(土) 18:13:07.94 ID:qFI6CBBp
交流戦成績
ルイス 防2.10 4勝0敗 勝率1.000
ベイス 防5.84 3勝15敗 勝率0.167


その後

2009年は横浜6勝でダルビッシュ有(日本ハム)他3名が4勝、2010年は横浜6勝で和田毅(ソフトバンク)が5勝と辛うじて上回る結果だったが、2011年以降は7・9・7・13勝と成果を上げる。

 

しかし試合数が18に減少した2015年には3勝14敗1分、勝率.176という交流戦史上最低勝率を打ち立て、黒田博樹(広島)・菊池雄星(西武)の3勝に並ぶ結果となった。


ベイス交流戦成績

TBS時代からDeNA中畑政権までを記す。

勝率順位・備考
20051917.5286位、交流戦初年度、試合数36
20061521.41710位
20071491.6093位、交流戦試合数を24に削減
2008618.250最下位、ベイス誕生
2009618.250最下位、交流戦史上初のセリーグ勝ち越し年*1
2010618.250最下位、交流戦Aクラスをパリーグが独占
20117134.35011位
20129141.39110位
2013717.292最下位
20141311.5425位
20153141.176最下位、交流戦試合数を18に削減


余談

  • 1991~92年は日本ハムファイターズにビル・ベイスという選手が在籍していたが、なんJでベイスという単語を見かけたところで彼の話題はまず出てこない
  • ベイスたんという漫画はあまりにも有名だがタイトルの由来がこのなんJ用語であるかは明らかになっていない。ただ、その漫画がベイスという言葉を外へ持ち出したことに怒るDeNAファンがかなり多いというのは間違いない。
  • さらに2017年3月、DeNAは球団事務所など野球関連の複合施設「The BAYS(ザ・ベイス)」をオープンさせている。
  • 現在は単に「ベイスターズ」を略した呼称として使われることも増えている。また「ゲイスターズ」が拡散してからは蔑称としてこちらが主流になりつつある。しかし現在でも蔑称と捉えるファンも多く存在するため、使用には注意が必要である。

暗黒ベイスの出来事でリーグと首脳陣組んだ

長くなるので折り畳み

一部リーグ

1(遊)聖域と化したショート石川*2
2(左)契約更改でゴネた挙句チームの意識の低さを批判した弥太郎が直後に西武へトレードで飛ばされる *3
3(三)村田の愛車に生卵が投げつけられる *4
4(右)内川語録
5(一)TBSの番組の都合で急遽バッセンで待機してたノリさんを獲得する
6(二)6番セカンド内藤*5
7(捕)2番手捕手の鶴岡をシーズン中にトレード放出したにも拘わらずオフに正捕手の相川もFA流出し急遽、阪神からFAしていた野口を獲得
8(中)終盤に出てきた若手投手陣が翌年になったら全員リセットされる*6
9(投)山本省吾が前半戦だけで11敗をマーク尾花高夫監督から「使った俺が悪い」と言われる*7


1(中)センター下園という悪夢のオーダーが連日並ぶ*8
2(遊)左のワンポイントで出てくるのが防御率7点台の加藤と10点台の篠原*9*10
3(ニ)3番セカンド渡辺直人*11
4(一)「全力プレー」「全力疾走」というプロとして当たり前の単語がチームの売りのように連呼され地元TVKのCMにもフレーズが使われる
5(右) 交流戦で3年連続6勝18敗
6(投)先発オーダー書き間違え事件*12
7(三)それなりの大金叩いて獲得したヒューズ特選隊*13が全滅し全員オフに解雇
8(捕)大型補強した選手のほとんどが2年~3年で放出される
9(左)TBS上層部が尾花の要望しているトレードを勝手に断ったり相談もせずに勝手にトレードしてることが起こり尾花が解任後に愚痴る


1(右)内川が試合前の練習に来たら誰も来てなかった為相手チームの練習に混ぜて貰ってた
2(二)ビハインドですらマシンガン継投が毎日発生する
3(左)3番レフト森笠*14
4(投)横浜ベイスターズとしての最終戦で石川内野手痛恨のエラー山口が長野に代打逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれ敗北*15
5(一)外野手として獲得したジョンソンが内野しか守れなかった*16
6(三)TBSのインフラ整備があまりにも不十分すぎて身売り後やってきたDeNA経営陣が愕然とする*17
7(中)松本啓二郎がファンサービスの悪さから二軍監督だった白井一幸に激怒される
8(遊) 村田が監督室で寝そべる
9(捕)当時ドラフト8位で指名された古村がセカンド中村紀洋の試合を見に来て罵声の酷さに不安を感じる


1(遊)2009年8月の魔の二週間*18
2(右)リーチ、帰国
3(一)FAで来た野口と橋本が劣化と怪我でろくに出場しないまま2年で解雇
4(中)ピッチャーの寺原相手にワンポイントで真田*19
5(ニ)5番セカンド中村紀洋*20
6(左)大西が石川や筒香を連日連れまわして遊びブログの記事にする等の素行の問題で3割打ちながら解雇
7(捕)喜田と一緒に二軍で遊んでた黒羽根が白井に激怒され特訓コース入り
8(三)開幕オーダーにルーキーの松本・山崎が名を連ねる*21
9(投)1回に8点を取る猛攻を見せ最大9点リードしていたにも関わらず同点に追いつかれ引き分け*22


1(右)真田が手術明けにも拘わらずマシンガン継投で酷使されて壊れ遂にメジャー挑戦を理由にチームから出ていく*23
2(遊)2年目の吉原が酷使され続けた結果見事なまでに壊れて再起不能に陥り2年後解雇される
3(三)加地球団社長*24が「優勝しなければベイブリッジから飛び込み」宣言し横浜国際港から注意される
4(左)大家が同一カードに2回先発し1回8失点、4回6失点と連続で大炎上 *25
5(投)違反球で中日に5回4失点だった来日初先発のゴンザレスのコメント「今日は最高のピッチングでした*26
6(中)功労者のほとんどが球団と折り合いが合わず引退勧告を断り出ていく、まともに引退できたのは鈴木尚と木塚くらい*27 *28
7(一)制限選手扱いとなったリーチの代わりに再雇用されたランドルフ僅か1か月で解雇
8(捕)細山田、黒羽根、武山、新沼のどんぐり正捕手争い *29
9(二)はませんの住民が精神崩壊を起こしエア日本シリーズ実況を始める*30


1(左)ぶっちぎりの最下位に陥るとフロントが2年契約中の島田ヘッドコーチ*31に「責任を取って辞めろ」と迫り「分かりました、でもこんなことしてたら誰も来なくなりますよ?」と島田が呆れ果てながら警告すると「ありがとうございます!頑張ります!」と謎の返答をする
2(中)最終盤まで防御率リーグ5位以内をキープした加賀が後半戦1勝もできず最終成績3勝12敗防御率3.66
3(右)2010年最終戦終了後にナインの不甲斐なさをずっと見てきた加地球団社長がぶち切れる
4(一)膿を出す為に生え抜きの選手をトレードや戦力外で放出すると代わりに来た選手が次々とチームの雰囲気に飲み込まれる
5(三)あまりにも先発が足りないので中継ぎをやってたハミルトンが急遽ローテに回される
6(遊)石井裕也が露骨なまでにぶくぶくに太る
7(捕)細山田のリードと下園の選球眼がポジ要素*32
8(ニ)山崎が「打てば三振守ればエラー」を体現し1試合3エラー達成
9(投)史上初の3年連続90敗を達成*33

二部リーグ

1(中)島田ヘッドコーチによる井手の過剰優遇起用*34
2(二)ワンイーゼン、チェンウェイ、チェングァンユ、ワンジンチャオの謎の中国台湾助っ人軍団*35
3(一)ハーパーがショートゴロを放ち巨人・坂本エラーでボールを零したにも関わらず鈍足過ぎてアウトになる*36
4(右)吉村毎年のようにコーチに直々指導されるもすぐにフォームを変えて迷走を繰り返す
5(左)新外国人のチアソンが一軍はおろか二軍ですら1試合も投げず消える、唯一投げたオープン戦でもボークを連発
6(三)ゾウのグリン
7(遊)武山がDeNAへの身売りを聞いて「ゲーム好き」をアピールするも直後のファン感謝祭中にトレードで飛ばされる*37
8(捕)FA入団した橋本があまりのチームの惨状に「移籍したのは間違いだった」とまで言い放つ*38
9(投)2011年チーム最多勝が高崎三浦の5勝


1(遊)石川が罵声の酷さから試合中に耳栓をし始める
2(左)下園がOP戦でフェンスに激突し長期離脱*39
3(二)渡辺直人がチームのバスに乗れず置いてきぼりになりタクシーでキャンプ地まで向かう*40
4(一)スレッジが1人で3HR7打点を荒稼ぎしながら敗北*41
5(中)本拠地最終戦で中日の優勝が決まった為毎年恒例の二次会も早川の引退セレモニーも行われず終了 *42
6(三)大沼が開幕試合に登板し二死二三塁の大ピンチを招いて降板しながら仕事したかのように上機嫌でハイタッチする*43
7(捕)野口が盗塁も刺せずパスボールを繰り返しルーキーの細山田に立場を奪われる*44
8(右)桑原外野手開幕一軍*45
9(投)大原が開幕二軍スタートだったにも関わらずマシンガン継投で当時の新人歴代最多登板記録を更新*46


1(右)試合中にベンチに座ってる選手がほとんど存在せずがら空きのベンチの様子が映し出されるのが日常茶飯事
2(左)代走で登場しては勝手に自滅する野中
3(三)チーム随一の実力者だった寺原が怪我の多さから尾花に呆れられトレード放出される*47
4(遊)リクシルが球団買収に名前を挙げるも何故かハマスタや横浜市長が横槍を入れ始め買収から撤退する*48
5(一)8回まで無失点に抑え完封勝利目前の高崎が9回に走者を1人出しただけで降板、マシンガン継投入り*49
6(中)投手をスタメンに入れる偵察行為をシーズン中何度も行い大抵出てくるのが打率1割台の大西*50
7(二)カスティーヨの満塁場面の成績 12打数0安打打点0四死球0併殺2
8(捕)尾花が眞下の才能に見込みを持って直々にフォーム改造するも契約中に身売りで解任され眞下は迷走を続け一軍に戻ることなく引退
9(投)三浦が開幕直前のOP戦で被本塁打8、失点14の大炎上をやらかし目が死ぬ*51


1(遊)機動力野球をテーマに掲げ石川、渡辺直人、森本の3人でスーパーカートリオの再来と謳われるも3人でシーズン19盗塁、チーム全体でも31盗塁で盗塁成功率58.5%*52
2(三)村田があまりの勝負弱さに一時期名前を言ってはいけない人扱いされる
3(捕)武山が挨拶代わりと言わんばかりに開幕から14打席連続無安打を記録、シーズン全体でマルチ安打が僅か1回のみ*53
4(左)細川を獲得する為高級中華料理屋で交渉を行いフルコースをご馳走するもあっさり逃げられる*54
5(中)森本が「劇団ひちょり」のメンバーを募集するも震災の影響で延期され自身の成績も相まってなかったことになる
6(二)大原のサインミスに対して細山田が激怒する*55
7(一)入団会見を済ませたノリさんが二軍の練習に合流し挨拶するもベテランの三浦が笑顔で迎える以外は全員神妙な顔をする*56
8(右)新沼が人望と性格と顔の良さだけで選手会長就任*57
9(投)尾花最大の功績と思われてた中継ぎ陣と高崎は違反球で確変起こしてただけだった


1(中)身売りが決まったTBSが置き土産と言わんばかりにドラフトで高卒選手乱獲し枠を埋める
2(二)江尻がマシンガン継投と連投で酷使されては二軍落ちを繰り返す*58
3(一)移籍する前後にチームのことをボロクソ言い続けた内川に対してOP戦及び交流戦でブーイングの嵐が起こるもボコボコに打ち込まれる
4(三)初回にチャンスを作っても村田が三振併殺内野フライでぶち壊し0点に終わるのが毎試合恒例
5(右)2000年代に入ってから身売りまでの間規定到達した生え抜き投手が三浦吉見加賀高崎の4名のみ
6(捕)阿斗里が先発した試合全てで敗北し0勝7敗*59
7(投)社会人野球を経由して現役復帰を果たした杉原がプロ初登板するも緊張のあまりサインミスと四球連発して捕手の橋本からは呆れられ尾花からも見捨てられ速攻で二軍落ち*60
8(左)内野外野共に絶望的な駒不足に陥りフェニックスリーグに引退表明した早川を派遣したりブランドンをライトで起用する *61
9(遊)アニメミルキィホームズとコラボを行い声優達が試合前にOP曲と始球式を披露しスタンドではオタクが狂喜乱舞する中横浜巨人の両軍が苦笑する様子が放送される*62


1(二)試合中にもベンチ裏でタバコを吸ってるのが当たり前だった為尾花は「ベンチにいて応援しろ」と初歩のことから教えなければならなかった
2(遊)尾花が解任された途端元の木阿弥でDeNA初年度キャンプでは中畑が声を上げるも選手達は挨拶もできなかった為挨拶の仕方から教えられた
3(左)矢野の引退試合で逆転3ランを打った村田が石川と一緒にベンチで爆笑する
4(捕)勝負する前から絶望しかない真田対坂本の元チームメイト対決*63
5(中)どの年もまともに投げられる投手がほとんどいない為寺原や加賀がチームの都合で先発と中継ぎ抑えを行ったり来たりさせられる
6(三)トレードで来た喜田が僅か1年で解雇*64
7(右)石川が盗塁王争い中に足の故障をして離脱、以降まともに盗塁できなくなる*65
8(一)一輝*66がノリさん入団後も長期間一軍に居残るも試合に出れるのは大量ビハインドの終盤程度
9(投)身売りが決定した2011年時点で近年10年中8度の最下位、4年連続最下位、勝率5割以上0回を達成*67*68

独立リーグ代表

1(二)2010年ファン感謝祭で「馬を英語で何というか」というクイズに対して藤田は「トニー」と答え石川は「藤田さん、違います!ポニーですよ!」とボケにボケを重ねる
2(中)ローテを守り抜いたのがトレードやドラフトで獲得した新戦力組のみで既存の生え抜き選手が誰1人としてローテに入れなかった
3(左)用具係に転身した入来祐作に対して若手選手がジュースを買ってこいとパシリにすることが平然と起こり入来は内心激高しながら言うことを聞いていた*69
4(遊)功労者の石井琢朗を追い出した挙げ句、その年以降石井琢朗の移籍先のカープからカモにされるようになる *70
5(一)コーチとしてチームに戻ってきた駒田が選手に対して「僕の話を聞いてくれるか」とアドバイスをしようとしたところ「嫌です」と断られ言葉を失った
6(右)大西が二軍落ちした際に「ようわからんけど二軍に落ちました」と監督批判とも取れる発言をブログでぶちまける
7(右)桑原外野手が二軍のコーチから虐めを受けてるという疑惑が週刊誌に取り上げられたことに対して白井二軍監督と桑原外野手がブログで否定することが起きる
8(三)村田が中心選手にも関わらず円陣を組む際にやる気をなさそうにして波留に激怒される
9(投)チーム再編の切り札として元ロッテの黒木にコーチオファーを出すも断られ黒木はその後日本ハムのコーチに就任する

米国の米リーグ代表

1(中)チームを変える為にやってきた森本がキャンプで張り切りすぎて早々にダウンする
2(遊)石川がSASUKEに出演しファーストステージで早々に脱落*71
3(右)チームのシーズン勝率が内川の打率を下回る*72
4(三)中日監督だった落合が「優勝争いしてる時は横浜と戦うのが一番嫌だった」と答える 理由は「皆横浜相手なら絶対勝てると勝手に星勘定をし始めるせいで落とせないから*73
5(一)楽天時代のルイーズに打たれた逆転場外ホームランの球がハマスタ付近で販売されてたブラジャーのワゴンに直撃し周囲にブラジャーが舞い散る事件が起きた*74
6(二)村田が新入団してきたノリさんに「うちは厳しいですよ、全力疾走できますか?」と質問し「おう、できるぞ!」と小学生のようなやりとりを本当にする
7(左)TBS時代の新外国人がほとんど外れて丸々3年間チームに在籍したのがクルーンと育成前提で獲得したワンイーゼンの2人のみ *75
8(投)中日吉見が12球団の選手でベストナインを作る企画を行ったが横浜からは誰も該当者がいなかった為「横浜いねえw」と馬鹿にした挙げ句苦肉の策でFA移籍済みの村田を選出する
9(捕)入団してきた選手や出て行った選手だけでなく外部の解説者やOBからもチームの意識の低さに苦言を呈される

審判団

本塁 開幕前恒例の元プロ野球選手による順位予想で横浜OBも混じる中満場一致で横浜最下位と予想される
一塁 yahooスポーツで試合前にどちらのチームが勝つかユーザーに投票させる企画があったが毎試合のように横浜は負けると多数決で予想された
二塁 オフのオールスタースポーツフェスティバルで各球団が主力選手を輩出する中フロントが出演させたのが山口稲田佐藤の3人で全くと言って良い程画面に映されなかった
三塁 オールスターに出場したのが山口ただ1人でファン投票からは誰も選ばれない年があった*76

一軍監督・コーチ陣

監督 震災で開幕が延期になった関係*77で調整として村田渡辺直人森本石川山本省吾武山ら一軍のフルメンバーを二軍戦に出して西武の二軍相手に完敗する*78
ヘッドコーチ 生え抜きのベテランが頼りない為トレードで移籍してきた清水直や渡辺直人らに若手選手が集う 
打撃コーチ 練習時間になっても選手が誰も来なかった為コーチがグラウンドでひなたぼっこしていた
投手コーチ マウンドに上がる前のヤクルト先発の館山に3ランを打たれる*79
内野守備走塁コーチ 練習中にサッカーで遊んでいる選手を見てトレードで移籍してきたばかりの渡辺直人が呆れる
外野守備走塁コーチ 内川が怠慢走塁してトリプルプレー成立*80
バッテリーコーチ 消えたレフト事件
巡回コーチ 自分の出番が終わるとベンチ裏に帰ってゲームをしている選手が大勢いた

二軍監督・コーチ陣

二軍監督 新外国人のジェイジェイがいつの間にか二軍のキャプテンに就任していた
二軍打撃コーチ 古木ベンチで喫煙
二軍投手コーチ 二軍から昇格した若手が炎上し登録抹消、代わりに上がってきた若手も炎上を繰り返してローテが回っていた
二軍内野守備走塁コーチ 石川が結果が追いつかないとすぐにふて腐れる為村田森本新沼がお目付役になっていた
二軍外野守備走塁コーチ 当たり前のように牽制に引っかかる下園
二軍バッテリーコーチ リードが悪いと評された武山で5連敗後リードが良いと評された細山田で5連勝したかと思いきやそのまま6連敗した
育成コーチ キャンプでスパイクを履かずに練習する選手がいた

その他

フロント 最下位を独走する中シーズン途中に就任した田代監督代行に「来季も監督をして欲しい」と選手が要望を出すもフロントが出した条件が「最終勝率を5割まで戻せ」だった為当然達成できず解任される
本拠地球場 横浜スタジアムの運営が球場の使用料の他にチケット代等の収益までほとんど持って行く為仮に毎日満員でも横浜フロントは赤字になることが報道された*81
球場施設 球場のトイレがあまりに劣悪で汚かった為身売り後に真っ先に取りかかったのがトイレ改修だった
練習設備 石川がエラーした試合後に守備練習をしようとしたが雨天時に守備練習ができる設備すらなかった為打撃練習をしていた
応援団 夏に入る頃には最下位を独走している為ハマスタ開催では入場者が15000人を切るのは当たり前で外野はほとんどが空席だった *82

順位予想でOB含む全員から最下位予想


ちなみに実際の結果は巨人中日ヤクルト阪神広島横浜

身売り寸前のスタンドの様子

関連項目


*1 2回目は2021年
*2 マルハ時代に紀田彰一(94年ドラフト1位)の処遇を巡り横浜高校との関係が冷えていたこと、TBSになってから初の横浜高校出身者の指名となったためか積極起用を求められたのではないか、と推測される。ただ、これにより石川が同世代の野手の出世頭となったため、一長一短である。
*3 そのトレードでやってきたのが大沼幸二である。
*4 2011年、ホーム最終戦で中日の優勝を見届けた後の出来事。この一件が村田のFA移籍につながる要因のひとつとされている。
*5 2011年10月11日に発生。この日は内藤の1失策を含む4失策の大守乱で大敗を喫している。なお内藤は本職は外野で、内野を守ることはあっても一塁か三塁だった。
*6 これに関してはDeNAになった現在も発生しているため、一種の風土病として見られることも。
*7 11敗目を喫した後中継ぎに転向、その後は勝ち負け付かず。
*8 このオーダーの起こりの時期(2009年頃)はレフト内川、ライト吉村と強打者が並んでおり、守備難であるのにも関わらず消去法でセンターに着くことになった。
*9 ここでいう加藤とは、加藤康介のこと。また、当該成績は2010年のもの
*10 両者共、他球団(加藤はオリックス、篠原はソフトバンク)を戦力外になってから横浜にやってきており、何故戦力外になったかを身をもって知らされる結果となった。なお、加藤はこの年限りで再び戦力外通告を受けるが、阪神に移籍後に活躍した。
*11 渡辺の本職はショート。実際に野村克也が尾花に「何故渡辺をショートで使わないのか?」と質問したところ、尾花は笑って誤魔化したという話がある。
*12 2009年9月5日、対中日戦で発生。ランドルフを翌日先発予定のグリンと書き間違えた。仕方なくグリンを先発させ、井端弘和を打ち取った後本来先発だったランドルフと交代している。試合はランドルフの好投(救援投手としては最多となる15奪三振の快投)もあり準完封勝利。なお翌日
*13 2008年の新外国人、トラビス・ヒューズ、マイク・ウッド、デーブ・ウィリアムス、ラリー・ビクビー、J.J.ファーマニアック(ジェイジェイ)の5人のこと。漫画『ドラゴンボール』に登場する「ギニュー特戦隊」の捩り。
*14 2009年、内川が離脱した際の代役で登場。
*15 なお、翌年は東京ドームで未勝利に終わり、翌々年も東京ドームでの初戦を落とし、3年越しの東京ドーム12連敗(この試合の前の東京ドーム戦も負けた)を喫することとなる。
*16 なお、この問題は内川をレフトにコンバートすることで解決した。ちなみに、同年限りで自由契約となっているが、その理由は成績不振に加えて外野が守れないからとフロントに言われたからである。
*17 まず会社組織作りから始めなければならない(IT企業のDeNAがベイスターズ球団のあまりの非ITぶりに愕然としていた、「横浜DeNAベイスターズITビフォーアフター」と検索すると当時の状況がよくわかる。)状態だったという。また、チーム戦略等の資料の引き継ぎもなし(しかも、後に最初から資料を作ってなかったことが判明)だった。
*18 8月13日~25日まで内野手が毎試合エラーを記録したため
*19 2011年6月14日、対オリックス戦で発生。スクイズを警戒して左の山本省吾から右投手に変えた継投策で、実際真田は仕事を果たした。なお試合
*20 中村の本来のポジションはサードやファーストだが、守備力自体は決して低い訳ではなく近鉄時代は2001年日本シリーズなど何度かショートを守った経験もある。しかしセカンドを守っていた藤田と石川が揃って怪我をした影響で、アメリカ時代以来のセカンド起用となった。この試合は1失策こそ記録したもののそれなりに好守も見せており、また本人も「行けるところならなんでもやります」と前向きな姿勢だった。
*21 2009年のこと。なお、横浜で開幕オーダーに複数名のルーキーが名を連ねるのはまだ川崎球場を本拠地としていた1959年以来50年ぶりの出来事である。
*22 2011年8月17日、対ヤクルト戦のこと。横浜ファンの野次として有名な「横浜高校よりも弱い」はこの試合ともいわれている。
*23 結局、契約には至らず古巣・巨人に復帰している。なおその後。ちなみに、2008年途中に真田とトレードされた相手であった鶴岡は同年FAで横浜に出戻っており、両者が出戻りする形となった。のち鶴岡は阪神に移籍し活躍する。
*24 加地隆雄。2009年10月から横浜ベイスターズ球団社長に就任、身売り後の2011年12月に球団社長を辞任し、横浜DeNAベイスターズ球団会長(非役員)に就任。1年後持病の為に退任し、2015年1月に病死。
*25 2010年8月6日、8月8日の対ヤクルト戦のこと。それぞれ1回8失点と4回4失点で、いずれも大家が敗戦責任投手となった。
*26 2011年6月28日、対中日戦のこと。試合自体は味方の大量援護もあり勝利している。なおその後
*27 当時は引退勧告を蹴って出て行った場合は横浜OBを名乗れない雰囲気すらあった。なお、DeNAになってからはそういった雰囲気がなくなり、「出戻り」で横浜OBを名乗る者も出てくるようになり、石井琢朗や谷繁元信のように他球団に移籍したが横浜スタジアムで引退試合が行われた選手もいる。他方、金城龍彦のように現役続行を希望して出て行くものも相変わらずいる。
*28 ここには記載されていないが、川村丈夫も引退試合を行った。また、横山道哉もまともに引退したが、引退試合は本人が辞退した。
*29 なお、DeNAになって久しい今でも正捕手で固定はできておらず、複数の捕手で回している体制をとっている。
*30 2010年の日本シリーズ第7戦での出来事。中日の選手を横浜の選手に読み替えることであたかも横浜が日本シリーズに出ているかのような感覚になれたとか。なお、ノリで始めた割には狂気的な団結力を発揮したようだ。
*31 ちなみに、島田誠ヘッドコーチは尾花監督が連れてきたコーチである。
*32 特に下園の選球眼は「ゾノアイ」と称された。また、この選球眼から繰り出される高い出塁率を生かすために1番での起用が多かった。
*33 ちなみに、4年連続90敗のかかった2011年は90敗は免れたものの、その理由は3時間半ルール(9回以降で3時間半を超えている場合は新しいイニングに入らない)の影響で引き分けが増えたから。
*34 井手が島田のダイエー時代の教え子であることがその要因とも。
*35 いずれも育成目的で入団。チェングァンユ(チェン・グァンユウ)だけはDeNA戦力外後もロッテに移籍し2020年まで日本で投げ続けたが、それ以外は言わずもがな。
*36 こうなるのは本人が鈍足であることに加えて、振り抜いた上に一旦動きが止まりその後走り出すという本人の動きのクセによるところが大きい。フェンス直撃の単打(これが二塁打にならないと実況に言われた程)など、この手の話は枚挙に暇がない。
*37 代わりに西武から獲得したのが後藤武敏
*38 2010年オフの話。その後、チームの意識改革を求めたが本人の成績も相まり聞き入れてもらえなかった。なお翌年は一軍出場なしに終わり、その年限りで戦力外通告を受けたのだが、本人の怪我に加えてこの一件も遠因だったのではと言われている。
*39 東日本大震災が発生した3月11日の出来事
*40 2011年の春季キャンプでの出来事
*41 2011年4月13日、対中日戦のこと
*42 この最終戦の二次会は全選手の応援歌をメドレー方式で演奏するもので、多くの球団で実施している。
*43 後を継いだ佐藤祥万が三振に打ち取り何とかピンチを乗り切った。
*44 これは野口自身の劣化に加えて、春季キャンプ終盤に右肩腱の断裂を球団側に隠してシーズンに臨んでしまったことが原因とされている。なお、野口が怪我を隠して出場したのは「僕が出ないと試合に勝てないと思ったから」とのこと。
*45 なお、桑原外野手は開幕一軍入りした2011年の一軍出場は僅か1試合に終わり同年限りで戦力外通告を受けている。
*46 1リーグ制時代まで遡っても最多登板タイ記録である。
*47 高宮和也と共にオリックスへ。やってきたのは喜田剛と山本省吾。
*48 本拠地の新潟や静岡への移転をリクシル側が打ち出したため。とはいえDeNA買収後の経緯を思えば怪我の功名だったと言える。
*49 2011年9月19日のこと。ちなみに、この日は6月29日以来81日ぶりの連勝がかかっていた。
*50 特に大矢監督は重度の左右病であることが知られている。また、大西は不調になると対左専用になってしまう。なお、偵察オーダー自体は田代監督代行も行っていたが、金城が出てくるなど多少はマシだった模様。
*51 2010年3月20日、対巨人戦のこと。
*52 ちなみに元祖スーパーカートリオの高木豊、屋鋪要、加藤博一の3人は最盛期に3人で計148盗塁(チーム全体で188盗塁、12球団で1位だった)を記録している。
*53 2011年の記録
*54 2010年オフの話。当の細川はソフトバンクに移籍。
*55 この一件が原因でDeNAになって以降、干され続けることになる。牛丼も参照。
*56 三浦と中村は同じ1973年(昭和48年)生まれの関西の公立校出身(それぞれ奈良県・高田商業高と大阪府・渋谷高)でドラフト同期。この世代は「プロ野球48年会」など仲がいいことで知られる。
*57 2011年就任。2012年に引退するまで務めた。なお、余程人望と性格と顔が良かったのか、一軍での貢献度に反して引退試合が組まれた。
*58 当時、はませんに江尻カレンダーなるものが作られる程だった。
*59 2010年の成績。なお、阿斗里がプロ初勝利を挙げるのは親会社がDeNAになった後の2013年のことである。
*60 2010年7月21日のこと。なお、これが杉原のプロ生活唯一の一軍登板となった。
*61 なお投手を野手として二軍戦に出場させることは、現在でも東京ヤクルトスワローズを中心に他球団でも起こっている。
*62 2011年5月1日のこと。ミルキィホームズの舞台が横浜だったことに由来するコラボで、この当時としては異色の企画。ゴールデンウィークにほど近かったことや、コアな層をターゲットとした作品でファンが押しかけたため、観客数は21,000人と当時の横浜としては破格の観客動員数を記録。
*63 結果は、.500(16-8)、2二塁打4HR(サヨナラ2本)。さらに言うとサヨナラでない2HRのうちの1本は2009年9月2日の9回に打たれた同点2ラン。これにより三浦の勝利投手の権利が消滅。勝っていれば三浦にとって巨人戦4年ぶりの勝利投手となるところであった。
*64 但し喜田は一軍出場がなかったため、致し方ないところも。
*65 2010年のこと。結局、広島の梵英心が盗塁王に輝いている。
*66 嶋村一輝。桑原謙太朗、野中信吾とのトレードでオリックスからやってきた。
*67 最下位じゃない年は2005年(3位)、2007年(4位)。この2年でさえ借金1である。
*68 余談だが完全最下位は達成していない。オープン戦最下位は2004年(西武と同率)、2011年の2年のみ、二軍に至ってはTBS時代に一度も最下位になったことがない。
*69 この一件があったせいか、後にソフトバンク三軍コーチに就任した入来はこの時の若手の1人である北方悠誠を周りに聞こえるような大声で怒鳴りつけたという話がある。
*70 石井が移籍したのは2008年オフ。横浜は2008年~2014年まで7年連続で広島に負け越していた。なお、優勝争いに加われるようになった2015年以降は再び広島に勝ち越すことも増えてきた。
*71 第24回大会(2010年元日放送回)のこと。ちなみに10年後、横浜高校の1学年先輩である荒波翔が挑戦するも、同じくファーストステージで早々に脱落している。
*72 2008年のこと。横浜の勝率.338、同年最多安打および首位打者に輝いた内川は.378。ちなみにこれが内川のキャリアハイである。
*73 なお、落合政権時代(もっと言えば、TBSベイスターズ時代)に中日が横浜に負け越したのは2007年のみ。皮肉にもこの年は2位に終わるも、CSでの巨人相手の下克上の末、53年ぶり2度目の日本一を達成している。
*74 2010年6月5日のこと。なお、この場外ホームランがルイーズの来日1号であった。
*75 クルーン以外での唯一の当たりとも言えるタイロン・ウッズは契約更改の時に揉めて横浜を2年で退団。それ以外はほとんど外れという惨状であった。
*76 2010年のこと。なお、ファン投票や選手間投票で特定のチームの選手が誰も選ばれないこと自体は比較的起こる出来事である。
*77 オープン戦が全て中止になったことも影響している。
*78 2011年のイースタンリーグ開幕戦のこと。なお翌日もフルメンバーで臨んだが僅差で敗れた。
*79 2010年8月7日、対ヤクルト戦のこと。なお、1回表に投手が本塁打を打つのは22年ぶりのこと。ちなみに、この前後がいずれも大家が先発し炎上した試合で、26年ぶりの3試合連続2桁失点、リーグ新記録となる3試合で55被安打を喫している。
*80 2010年10月2日、対巨人戦のこと。
*81 これがTBSがベイスターズを手放すことになった赤字の最大の要因である。とはいえハマスタの奴隷契約は前親会社のマルハが絡んでいるため、一概にTBSのせいとは言えない。他方、TBSはTBSで不良債権で無駄金を使い赤字を拡大させた所もある。
*82 当時からのファンによると、試合開始直前に行ってもチケットが買えてどこでも座れたとのこと。あろうことか、外野席で横になって観戦していたファンもいたとか。