- 1941年に大日本帝国とソビエト連邦の間に結ばれた条約。第二次世界大戦末期の1945年8月にソビエト連邦の満洲国への侵攻とともに破棄された。
- 2023年7月のパ・リーグにおける北海道日本ハムファイターズと福岡ソフトバンクホークスの大型連敗を指す言葉。
本項では2.について解説する。
両チームの大型連敗
福岡ソフトバンクホークス
前年の歴史的V逸を受けてオフに特大補強を行ったソフトバンクは、開幕からオリックス・ロッテと三つ巴の首位争いを繰り広げ、7月2日には首位を奪還し貯金を15まで伸ばしていた。
しかし、その後急激に失速。7月6日の日本ハム戦を最後に全く勝てなくなり、オールスター前最後の3カード全てで3タテを食らう惨状で9連敗。後半戦最初のロッテとの3連戦にも3タテを喫したことで連敗は12にまで膨れ上がった*1。
15あった貯金は3まで減り、首位のオリックスとは8ゲームの差を付けられたのに加えて4位・楽天の猛追*2もあって13ゲーム差あった楽天とのゲーム差も3.5まで縮められてしまいAクラスすら危うい状況にまで追い込まれてしまった。
特に連敗期間中のうち9試合連続2得点以下という深刻な貧打に陥ってしまった。
なお12連敗目となった7月24日のロッテ戦には王貞治球団会長が敵地のZOZOマリンスタジアムに駆けつけていた。
ソフトバンクの1点リードで迎えた9回ウラに守護神ロベルト・オスナが登板。ベンチの野手達も勝ちを確信した表情であったのだが、2死1塁の場面で代打・角中勝也から逆転サヨナラ2ランを被弾*3。結果的に王会長の前で12連敗を見せつける最悪の展開となってしまった。
12連敗を喫するのは南海時代の1969年*4以来54年ぶりで、引き分けを挟まないものだと史上初の屈辱である。
北海道日本ハムファイターズ
エスコンフィールドへの本拠地移転初年度となるこの年は開幕こそ最下位に低迷したが、その後は持ち直して6月時点では4位。3位・ロッテとのゲーム差はまだ離れていたが、一時は借金を3まで減らし今後の勢い次第では借金完済、Aクラス入りもあり得る位置につけていた。
しかしこちらも急失速。7月4日のソフトバンク戦を最後に勝てなくなり、オールスター前の時点で10連敗。この連敗期間の間に7試合連続で1点差負けという珍記録も生まれた。
後半戦最初の2試合にも敗北したことで、1984年*5以来39年ぶりの12連敗となってしまい、最少で4だった借金が17まで膨れ上がり一気に最下位に逆戻り。最終的に連敗数は13まで伸びた。
日ソ中立条約
同じタイミングで大型連敗に突入*6した両チームだったが、両者が最後に勝利した7月4日から6日のカードが福岡PayPayドームで行われたソフトバンク対日本ハム戦であったことが分かり、冒頭の1.にならい両者の惨状は「日ソ中立条約」と呼称されるようになった。
日本ハム | 日付 | ソフトバンク | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
連敗 | 結果 | 相手 | 相手 | 結果 | 連敗 | |||
○ | 10-3 | 福岡 | 7/4 | ハム | 3-10 | ● | ||
1 | ● | 1-5 | 7/5 | 5-1 | ○ | |||
2 | ● | 3-4 | 7/6 | 4-3 | ○ | |||
- | 7/7 | 楽天 | 5-6 | ● | 1 | |||
3 | ● | 2-3 | 千葉 | 7/8 | 1-8 | ● | 2 | |
4 | ● | 2-3 | 7/9 | 1-5 | ● | 3 | ||
- | 7/10 | 西武 | 1-2 | ● | 4 | |||
5 | ● | 2-3 | 楽天 | 7/11 | - | |||
6 | ● | 3-4 | 7/12 | 西武 | 2-4 | ● | 5 | |
7 | ● | 2-3 | 7/13 | 2-4 | ● | 6 | ||
- | 7/14 | - | ||||||
8 | ● | 0-1x | 西武 | 7/15 | オリ | 2-3 | ● | 7 |
9 | ● | 0-2 | 7/16 | 1-2 | ● | 8 | ||
10 | ● | 2-7 | 7/17 | 0-3 | ● | 9 | ||
(オールスター休み) | ||||||||
11 | ● | 4-5x | オリ | 7/22 | 千葉 | 2-5 | ● | 10 |
12 | ● | 5-7 | 7/23 | 3-4x | ● | 11 | ||
- | 7/24 | 1-2x | ● | 12 | ||||
13 | ● | 1-3 | 楽天 | 7/25 | オリ | 5-0 | ○ | - |
- | ○ | 3-2 | 7/26 |
その後
ソフトバンクは25日のオリックス戦(京セラドーム大阪)で有原航平が移籍後初完封勝利を飾り、柳田悠岐らも大活躍。山本由伸を攻略して連敗を12でストップ、史実通りソが裏切る形で中立条約が正式に破棄となった。
一方で日本ハムは楽天に敗れ連敗が13になり球団ワーストまであと1敗と迫るも、翌26日の楽天戦(楽天モバイルパーク宮城)で追いつかれた直後に再度リードしそのまま3-2で勝利。こちらも長い連敗トンネルから脱した。
ソフトバンクは連敗脱出後も波に乗れない*7戦いが続き、ついに8月26日の敗戦で最大15あった貯金が消滅。その後は5割近辺でほぼ停滞し、9月に大失速したロッテ、猛追を見せた楽天との間でCS争いを繰り広げることになった。9月18日に優勝の可能性が消滅。CSには何とか滑り込めた*8ものの、最終成績は貯金2*9の3位でフィニッシュ。優勝したオリックスとは15.5ゲーム差がついた。
日本ハムはある程度持ち直し、8月は月間2位につけて西武を抜き最下位脱出を果たした。しかし9月になると再び失速、最下位に逆戻り。9月24日に5年連続Bクラス、2年連続パリーグ全球団負け越しが確定、9月27日には48年ぶりとなる2年連続の最下位が確定した。
余談
- ソフトバンクの近藤健介は前年オフに日本ハムからFAで移籍したため、「移籍してもしなくても12連敗する未来だった」とネタにされた*10。また、上述した7月24日の試合では勝利を目前にした安堵から一転、まさかの逆転2ランによるサヨナラ負けの結末に呆然とする近藤の表情がテレビカメラに映し出された(詳細はリンク先参照)。
- 1.からひっかけて、ソフトバンクの藤本博史監督が当時のソ連の最高指導者だったヨシフ・スターリンとヒゲ面つながりで「顔が似てきた」とも言われるようになった。
(参考)
- 7月23日の敗戦時には新庄剛志監督(ノーコメント)、藤本監督「今日はええやろ」と揃って試合後会見を拒否。一部では日ソ共同宣言とも称される。*11
- 楽天と西武はこの期間に大型連勝している*12が、共に6試合がソフトバンク戦と日本ハム戦である。