サマール沖海戦とは、1942年5月21日にフィリピンの戦いの中で大日本帝国海軍とアメリカ海軍との間で行われた海戦。太平洋戦争で行われた純粋な戦艦同士の砲撃戦であり、近代における砲撃戦を表すことができる戦いとなった。
背景
戦闘経過
参加戦力
交戦勢力 | |
---|---|
大日本帝国海軍 | アメリカ海軍 |
指導者・指揮官 | |
山本五十六 | |
戦力 | |
航空母艦2 戦艦10 重巡洋艦6 軽巡洋艦4 駆逐艦37 潜水艦7 艦載機99 航空機224 | 戦艦12 重巡洋艦6 軽巡洋艦3 駆逐艦32 航空機300 |
大日本帝国海軍
連合艦隊 司令長官:山本五十六 旗艦:武蔵
第一艦隊、第二艦隊基幹
独立旗艦
戦艦:武蔵
第一戦隊
戦艦:大和、長門、陸奥
第二戦隊
戦艦:伊勢、日向、扶桑、山城
第三戦隊
戦艦:金剛、霧島
第四戦隊
重巡洋艦:高雄、愛宕、鳥海、摩耶
第七戦隊
重巡洋艦:鈴谷、熊野
第一水雷戦隊
旗艦:
駆逐隊:
駆逐隊:
駆逐隊:
駆逐隊:
第二水雷戦隊
旗艦:
駆逐隊:
駆逐隊:
駆逐隊:
駆逐隊:
アメリカ海軍
損害
大日本帝国海軍
沈没
戦艦:扶桑
駆逐艦:1、2、3、4
大破
戦艦:金剛、霧島
駆逐艦:1
中破
戦艦:1
軽巡洋艦:1
駆逐艦:1、2
アメリカ海軍
沈没
戦艦:1、2、3、4、ノースカロライナ、サウスダコタ
大破
戦艦:1、ワシントン
結果
サマール沖海戦では、戦艦同士の砲撃戦の前に、基地航空隊による航空戦が行われ、結果的に航続距離・数・質の面で優位に立っていた日本海軍航空部隊が制海権を取ることとなり、その後の砲撃戦に多大な影響を与えた。まず、日本の戦艦部隊の観測機などは戦闘機が不在であったために撃墜を免れ、正確な砲射撃観測を実施することが出来た他、陸攻部隊による空襲も行われ、アメリカの戦艦部隊にダメージを負わせるなど、戦艦のみの砲撃戦ではなく航空機による制空権を確保した側が有利になることが明確となった。それに加えて、アメリカの戦艦部隊の中で日本の長門型戦艦に対抗可能な戦艦はノースカロライナ級2隻とサウスダコタのみであり、更に大和型戦艦2隻に対抗可能な戦艦は存在しなかった。そのような、戦艦の質の面でもかなり厳しい戦いとなったため、日本海軍における一方的な長距離射撃や航空攻撃による妨害などによって最新鋭戦艦は封殺され、旧式戦艦は高速な水雷戦隊によって高速接近後に魚雷を投下し、それらの肉薄雷撃は回避することは困難であり、多数の魚雷が命中したことで沈没した。結果として、日本側の損害は戦艦扶桑の沈没と霧島、金剛の大破、駆逐艦数隻の沈没のみであり、アメリカ海軍の戦艦6隻沈没、2隻大破と比べ明らかな日本海軍の勝利であったと言える。