第一次マリアナ沖海戦

Last-modified: 2024-03-09 (土) 22:55:16

第一次マリアナ沖海戦とは、1941年11月19日に大日本帝国海軍とアメリカ海軍の空母部隊との間で行われた、世界初の空母決戦である。

概要

背景

日米の対立構造が深刻化し、日米交渉において1941年9月4日の中華民国降伏移行、日米双方の意見の一致が不可能に近くなり、同月26日にはアメリカ側から「ハル・ノート」が手交された。それに対して、日本側からは到底受け入れることができない内容でありそれに対する回答を10月9日に行うとして、一時的に会談は中止された。しかし、日本の東条内閣は「対米宣戦布告」もしくは「戦争決意の下に日米交渉妥結に努める」の2案を提出した。そして、ハル・ノートの受け入れは許容できないとして代わりの妥協案3案をもって回答した。しかし、その3案は全て認められず結局妥協案は受け入れられることはなかった。そして、10月23日の第59回大本営政府連絡会議にて東条内閣と統帥部は9月6日の第6回御前会議決定を白紙還元し、国策遂行要領の再検討を開始する。そして、10月27日に対米宣戦布告は避けられず、それに伴って英蘭に対しての戦争準備を行うこととなった。10月29日に日米交渉は決裂状態となりアメリカ側から交渉は打ち切られた。その後、開戦予定日を12月8日として決定し、海戦に向けて準備を進めた。しかし、11月12日にアメリカ合衆国が大日本帝国に対して宣戦布告したことにより、太平洋戦争が幕を開けた。それにより、日本海軍が当初予定していた空母機動部隊による真珠湾攻撃作戦の準備を取りやめ、出撃準備にかかった。そして、同日の午後2時にアメリカ海軍空母艦載機によってトラック島とサイパン島が空襲を受けた。

戦闘経過

参加戦力

交戦勢力
大日本帝国海軍アメリカ海軍
指導者・指揮官
戦力
航空母艦6
戦艦2
重巡洋艦2
軽巡洋艦1
駆逐艦12
艦載機399
航空母艦6
重巡洋艦10
軽巡洋艦1
駆逐艦18
艦載機450

大日本帝国海軍

第一航空艦隊 旗艦:赤城 司令長官:南雲忠一中将(第一航空戦隊司令官兼任)

第一航空戦隊 旗艦:赤城
空母:赤城(零戦二一型×21機、九九式艦爆一一型×18機、九七式艦攻一二型×27機 計66機)
   加賀(零戦二一型×21機、九九式艦爆一一型×27機、九七式艦攻一二型×27機 計75機)

第二航空戦隊 旗艦:蒼龍 司令官:山口多聞少将
空母:蒼龍(零戦二一型×21機、九九式艦爆一一型×18機、九七式艦攻一二型×18機 計57機)
   飛龍(零戦二一型×21機、九九式艦爆一一型×18機、九七式艦攻一二型×18機 計57機)

第五航空戦隊 旗艦:翔鶴 司令官:原忠一少将
空母:翔鶴(零戦二一型×18機、九九式艦爆一一型×27機、九七式艦攻一二型×27機 計72機)
   瑞鶴(零戦二一型×18機、九九式艦爆一一型×27機、九七式艦攻一二型×27機 計72機)

第三戦隊
戦艦:比叡、霧島

第八戦隊
重巡:利根、筑摩

アメリカ海軍

アメリカ太平洋艦隊航空戦闘部隊 旗艦:エンタープライズ 司令官:ウィリアム・ハルゼー中将(第二空母戦隊司令官兼任)

第1空母戦隊 旗艦:サラトガ 司令官:オーブリー・フィッチ少将
空母:サラトガ
   レキシントン

第2空母戦隊 旗艦:エンタープライズ
空母:エンタープライズ
   ヨークタウン

第3空母戦隊 旗艦
空母:ホーネット
   ワスプ

損害

大日本帝国海軍

沈没

空母:赤城、加賀、飛龍

中破

空母:翔鶴

喪失

艦載機:零戦79機、九九式艦爆98機、九七式艦攻108機 計285機
航空機搭乗員:102名

アメリカ海軍

沈没

空母:レキシントン

大破

空母:ホーネット(後に潜水艦によって沈没)

中破

空母:エンタープライズ

喪失

艦載機:F4F127機、SBD102機、SBF143機 計372機
航空機搭乗員:288名