長門

Last-modified: 2024-04-27 (土) 16:42:22

長門は、大日本帝国海軍の戦艦。長門型戦艦の一番艦。
太平洋戦争などを通して長い期間の間、日本の主戦力として活躍した。
1946年1月19日にロサンゼルス航空支援を行う機動部隊の護衛中に飛来したアメリカ海軍航空部隊の攻撃によって第3砲塔が誘爆し大破。後にサンフランシスコで応急処置後ハワイにて簡易修理中に終戦を迎えた。

概要

性能諸元

改装前

第三次改装後

戦時改装

最終時(終戦時)

艦歴

太平洋戦争

終戦間際

1946年1月19日に第二機動艦隊にてロサンゼルス航空支援中に、アメリカ海軍航空部隊のAD-1が投下した2,000ポンド爆弾(900kg爆弾)が、第3砲塔付近の甲板を貫通し誘爆したことによって大破。

年表

1946年1月19日 - 第二機動艦隊にてロサンゼルス航空支援中に大破。
     1月20日 - 長門及び第三防空戦隊第71駆逐隊とともに艦隊より分離しサンフランシスコへ移動。
     1月29日 - 艦隊より分離した長門らはサンフランシスコとに到着し、応急処置の開始。
     2月7日 - 応急処置及び帰国準備の完了
     2月9日 - 長門はハワイに向けて単艦で出港
     2月20日 - ハワイ真珠湾基地に到着・補給及び簡易修理を開始。
     3月3日 - ハワイより出港。横須賀に向かう。
     3月15日 - 横須賀に到着し第5ドックにて修復作業の開始。
     7月30日 - 基本的な修復が完了し、呉にて第3砲塔への砲塔搭載へ出向。
     8月3日 - 呉海軍工廠に到着・第3砲塔の搭載を開始。
     8月9日 - 長門の修復作業が終了。
     8月12日 - 東京にて講和会議が開催されているため護衛に東京湾へ向かう。
     8月15日 - 東京湾に到着後9時間後に講和条約が締結され、終戦を迎える。