明石型工作艦

Last-modified: 2024-01-18 (木) 22:43:59

明石型工作艦とは、大日本帝国海軍の工作艦の艦級。アメリカ海軍の工作艦「メデューサ」並みの修理能力を持つ特務艦として建造された。
同型艦は「明石」「三原」「桃取」の3隻。

概要

特徴

明石

明石は②計画建造が計画され、専従艦種として建造されたため、艦内に17ある工場には海軍工廠にすら配備していないドイツ製工作機械など最新の114台が設置されていた。そのため修理能力は非常に優れ、連合艦隊の平時年間修理量35万工数の約40%を処理できる計算であり、文字通り「移動する海軍工廠」であり、あらゆる修理工事が可能だった。

船体は平甲板型として艦内の工場面積を稼ぐと共に、上甲板に構造物をなるべく置かず、露天作業場の面積を確保した。 上甲板に設置された作業用の電動デリック(クレーン)は、前部マストに10トン1台、艦橋後壁の両舷に5トン1台ずつ、後部マストに揚艇用を兼ねて10トン1台、中央部右舷に23トン1台の計5台を配置した。 また艦内の工場にも第1機械工場に3トン天井クレーン、第1鋳造工場に5トン天井クレーン、鍛冶および鈑金工場に3トンジブクレーンがそれぞれ1台設置された。 煙突は2本あり、後部は主機であるディーゼル機関の排気用の消音器2本と補助缶煙突1本を1つにまとめたもの、前部は艦内各工場からの排気用だった。

自衛用の武装として、艦首尾甲板に12.7cm連装高角砲各1基計4門を装備、その他に艦橋直後のシェルター甲板上に25mm連装機銃を左右1基ずつ装備した。

明石には艦自体の乗員のほか、工作に従事する工作部員(造船科員、機関科員、海軍技師)も乗艦していた。

三原、桃取

三原、桃取は④計画で建造され、明石の兵装増強した設計となっている。そして、ドイツ製工作機械が手に入らなくなると、明石に搭載されていた工作機械をコピーした国産の工作機械を搭載した。そのため、信頼性などにおいて劣る部分がでていたが明石と同等の修理能力を持った。また、ほとんどの設計が明石と共通化されている中で、三原と桃取には電探装備が搭載され、水中聴音機と探信儀、対水上電探を搭載した。これに加えて、爆雷投下軌条を2基設置し、爆雷60個を搭載することができるようになったことで、潜水艦への対抗策を多少ではあるがほじすることになった。

自衛用武装には艦首尾甲板に12.7cm連装高角砲各1基計4門に加えて、40mm連装機関砲が艦橋横の甲板を出っ張らせた形で両減各1基計4門と、25mm単装機銃を6基搭載した。

三原と桃取は。明石と同様に艦自体の乗員のほか、工作に従事する工作部員(造船科員、機関科員、海軍技師)も乗艦していた。

性能諸元

要目

基準排水量:9,000t
満載排水量:11,000t
全長:158.5m
最大幅:20.56m
深さ:14.0m
吃水:6.29m

兵装

明石

  • 四十口径八九式十二糎七連装高角砲×2基4門
  • 九六式二十五粍連装機銃×2基4挺

三原・桃取

  • 四十口径八九式十二糎七連装高角砲×2基4門
  • 零式四十粍連装高射機関砲×2基4門
  • 九六式二十五粍単装機銃×6基6挺

工場設備

工場総面積:約2,236㎡
工作機械:160機

デリック

  • 5tデリック×2台
  • 10tデリック×2台
  • 23tデリック×1台

同型艦

艦番艦名仮称艦番号造船所起工進水竣工除籍最期
1番艦明石
(あかし)
第1工作艦佐世保海軍工廠1937年
1月18日
1938年
6月29日
1939年
7月31日
19年
月日
解体
2番艦三原
(みはら)
第104号艦三菱横浜造船所1940年
4月21日
1941年
5月8日
1942年
6月9日
1944年
4月10日
戦没
3番艦桃取
(ももとり)
第105号艦佐世保海軍工廠1940年
5月16日
1941年
6月28日
1942年
7月31日
19年
月日
解体