時折、こどもたちのことがうらやましくなる。
大人になってからノーバディになった者と
大人になる前にノーバディになった者では、
何か根本的な違いがあるのかもしれない。
大人になれば、これまで生きた分だけ
賭けて失うものも多い。
だが、こどもなら大胆な勝負にも出られる。
しかし、こどもは「人生はギャンブルだ。」
などとは思わないだろう。
筆者はルクソード。
- こどもたち、とはロクサスとシオンのこと。
- 「大胆な勝負」というワードを見ると、彼から見ればまだまだ若手であるアクセルが何かしら暗躍していることも気にかけていた……のかもしれない。
- KHIIFMでは、アクセルの消滅時に「彼は存在しない物を賭け──おそらくは勝ったのだ」と言うシーンがある。
- この日の前後は、ロクサスが失いたくないものについて悩んだり、愛について探求しだしたり、ロクサスが心というものに強い反応を示し、積極的にノーバディらしからぬアクションを起こしはじめた頃である。そんなロクサスを遠目に見て、このレポートを書いたのだろうか。
- 後発作品から鑑みるにこの時期のロクサスに心が芽生え始めているのは明白であり、そんなロクサスが「うらやましくなる」…つまり、ルクソードは自分に無いものをロクサスが掴み始めている事を感じ取り、羨望しているようだ。
自分が「それ」を手にする事などできないと、諦めの念を抱いているような内容にも見える。なるほどこのようなレポートを残す男なら器としても都合が良いのだろう。- とはいえ、それは彼が羨望や諦念という感情、心を抱いているという証左になっている。それに、彼がうらやましく思っているのは心の芽生えではなく大きな勝負に出られる「こどもたち」の行動力ではないだろうか。
- とはいえ、この頃のロクサス、シオン、アクセルはまだ「大きな勝負」を起こす段階には入っていない。ルクソードはこの後の彼らの展開を見越していたのだろうか。