巨人はロッテより弱い

Last-modified: 2026-07-11 (土) 17:14:56

1989年の日本シリーズで当時近鉄の加藤哲郎が発言した……ことにされた言葉。
加藤が直接このような表現を発言したわけではないが、実際にテレビカメラの前で行ったあまりにも強気過ぎるヒーローインタビューの印象と、直後のベンチ裏の囲み取材時のマスコミ記者からの誘導尋問もあり加藤本人の発言と見なされた*1。

由来

1989年、平成最初の日本シリーズはセ・パ両リーグをそれぞれ制覇した読売ジャイアンツと近鉄バファローズの組み合わせとなった。事前の予想では巨人が有利との声が多かったが、第1戦から第3戦まで近鉄が勝利していきなり王手をかけた。

そして第3戦で6回1/3を投げ無失点で勝ち投手となった加藤は試合後、ヒーローインタビューで

  • 「とりあえずフォアボールだけ出さなかったらね。まあ打たれそうな気しなかったんで。たいしたことなかったですね。」
  • 「今日寝坊したんですよ。まったく緊張感は無かったですね。」
  • 「別になんてことはなかったですね。」
  • 「もちろんシーズンの方がよっぽどしんどかったですからね、相手も強いし*2。」

といった挑発的な発言を連発し、更にベンチ裏での囲み取材で記者から
「実際のところ、どうなん?打線は?(この年パ・リーグ最下位の)ロッテより弱いんちゃうの?」
と質問され

  • 「ピッチャーはスゴイけど、打線はアカンなぁ」
  • 「どっちが怖いか言うたら、ロッテのほうやな」

と答えた。
それらがメディアに「巨人はロッテより弱い」という表現で報道され、これを見た巨人軍が奮起。その後巨人が3連勝でタイに持ち込むと、第7戦は再び先発登板した加藤を攻略し*3見事に逆転の日本一を果たした。そして近鉄は2004年の球団消滅まで一度も日本一になることができなかった。

……というやや複雑な経緯から生まれた出来事であり、「相手を挑発すると、その相手から痛いしっぺ返しを食うことになる」という例として取り上げられることも多く、教訓的エピソードとして今も語り継がれている*4。

本当にロッテより弱かった巨人

近鉄が歴史に幕を閉じた翌年、2005年からは交流戦が始まった。最初の2年間でロッテが巨人に11勝1敗*5と圧倒したことから、ネタ半分で「『巨人はロッテより弱い』は予言だった」と話題になった。
その後も、交流戦で戦力差を推し量りやすくなった現在では、巨人がロッテもしくはロッテより下位のパ球団に負け越すと、思い出したように「巨人はロッテより弱い」とネタにされている*6。

順位だけ見れば巨人とロッテの交流戦成績はおおむね五分であるものの、直接対決の成績では伝統的にロッテが強い。2026年交流戦終了時点でも巨人から見て32勝40敗5分*7で、巨人にとっては消滅球団を含む全対戦球団の中でロッテが唯一の公式戦負け越しである。

余談

この騒動より前の日本シリーズでも、同様に「選手による相手を挑発するような言動」は複数度起こっている。

1986年・広島東洋カープ

「(西武打線は)迫力がない」「(西武を怒らせませんかね?という問いに対し)大丈夫です」

加藤の一件の3年前、1986年の日本シリーズにて1分け後3連勝した広島東洋カープ・津田恒美(故人)が発言。
ところがこの発言の次戦、発言者である津田が投手の工藤公康にサヨナラ打を浴びて敗戦*8すると流れが一変。その後勢いづいた西武に一気に押し切られ4連敗を喫し日本一を逃した。

余談だが、この日本シリーズが2024年終了時点で唯一第8戦までもつれた日本シリーズとなっている。

1985年・阪神タイガース

「(西武打線は)元気がなかった。今日に限って言えばヤクルト(同年セ・リーグ最下位)*9の方が怖かった」

津田の発言の前年、1985年の日本シリーズ第1戦で西武を完封して勝利投手となった阪神・池田親興が発言。
加藤のケースとは異なりこちらは明らかに「西武はヤクルトより弱い」というニュアンスである。しかし阪神はこの後も勝ち進み日本一に輝いたため、この発言は加藤と違い問題発言化せず、むしろシリーズ前は西武有利の予想が多かった点から「それぐらい強気だったからこそ低い下馬評を覆して日本一になれた」とも言われたりした。

1976年・阪急ブレーブス

「ロッテや近鉄だって、うちと3連戦したら一つは勝つ」

1976年の日本シリーズで阪急が巨人を相手に初戦から3連勝した際、阪急の福本豊が発言。
Aクラスだったロッテはともかく、当時前期後期制だったパで前期5位・後期4位と低迷し、阪急が18勝6敗2分と得意にしていた近鉄を引き合いに出された*10ことで巨人ファンは激怒、発言を耳にした王貞治も立腹したとされる。その後巨人が3連勝し返してシリーズは第7戦にもつれ込んだが、最後は足立光宏の完投勝利で阪急が日本一に輝いた。
シリーズ全体としては名勝負と評されており、福本の発言より足立が第7戦の試合中の心境を振り返った「騒げ、もっと騒げ、たかが野球じゃないか」のセリフの方が語られることが多い。

なお当時の新聞では、福本は第4戦で敗戦した後にもロッカールームでチームメイトを鼓舞するため「近鉄だって4つもやればウチに1つは勝つんだから」と同様の発言をしたと報じられている。

また、35年後の日本シリーズでも1989年当時近鉄戦士だった人物の不用意な挑発発言が盛大な負けフラグとなった悲惨な出来事があり、Twitterで加藤本人が苦言を呈す事態が発生した。


関連項目

Tag: 巨人 ロッテ 近鉄 ソフトバンク ポストシーズン フラグ・ジンクス


*1 しかし、それに近い過激な発言は行っており、当時チームメイトだった阿波野秀幸は「そういうようなことは言ってますよ」と証言している。
*2 この年は近鉄・オリックス・西武による優勝争いが10月中旬まで続き、近鉄が最後に首位に立った時点で残り2試合、次に行われた2日後のダイエー戦で優勝を決め、加藤はその試合に中1日で先発(つまり連投、結果は6回1/3・1失点)と言う状況だった上、全日程終了時は3位と0.5ゲーム差という大混戦だったため、必ずしも誇張ではない。
*3 2回に駒田徳広が加藤から先制弾を放った際、三塁ベースを回ったところで「バーカ!!」と言い放ったエピソードが残っている。
*4 しかし後年このエピソードが語られる時は「加藤本人は直接この発言をしたわけではない」という部分が省略されてしまうことが少なくなく、加藤にさらなる風評被害が及ぶ原因となっている。
*5 交流戦は最初の2年間のみ各球団ホーム・ビジターで3試合ずつの計6試合を行っていた。
*6 一例として2019年の日本シリーズでは巨人がソフトバンクにスイープを喫し、なおかつこの年のソフトバンクがロッテに相性が悪かったため三段論法的にネタにされていた。
*7 交流戦前に唯一巨人とロッテが直接対決した1970年の日本シリーズでは、4勝1敗でロッテを下しV6を果たした。が、この成績を含めても36勝41敗5分であり、やはり勝ち越せていない。
*8 ちなみに、日本シリーズのパリーグ主催の試合で指名打者制を用いなかったのはこの試合が最後である(翌年よりパリーグ主催試合は指名打者制で行われるように変更)。
*9 この年のヤクルトは開幕からずっと最下位のままで、チーム打率もリーグ最下位だったが、この年の規定打席到達者5人のうち3割打者が3人もいた。
*10 前期後期ともにパ最下位は太平洋クラブだったが、阪急との対戦成績は8勝16敗2分なので、近鉄よりは勝てている。後に福本は「(V9時代に)巨人には日本シリーズで何度も負けている。弱いと言うつもりはなかった」「ロッテは投手力があって怖いチームだった」と弁解しているが、近鉄についての意図は不明である。