老害

Last-modified: 2021-03-06 (土) 10:52:28
  1. 高齢者の蔑称。
    もちろん全ての高齢者がこう呼ばれるわけではなく、自分の考えに固執して他人の意見に耳を傾けない、事あるごとに若年層の批判をする、隙あらば自分語りに走って自分を大きく見せようとする等の特徴により線引きされている。
  2. 組織が高齢化しても若返りが行われない状態のこと。こちらが本来の意味である。
  3. 成績が下降したにも関わらず、一軍の試合にベテラン選手のこと。2.の意味合いと近似している。また二軍で若手の出場機会を奪う30歳台の一軍半の選手も指す。

ここでは主に野球ファンから1の意味で老害扱いされ、ヘイトの多い廣岡達朗*1について扱う。

廣岡の実績

1953年に早大から読売ジャイアンツに入団した廣岡は1年目から遊撃のレギュラーとして定着。打率.314、15本塁打、67打点をマークして新人王とベストナインに輝いた。打撃は尻すぼみだったが*2、当時のNPBでは大阪(阪神)タイガース・吉田義男*3と一、二を争う遊撃の守備職人として名を馳せた。

1966年に引退した後はアメリカに渡り野球を学ぶと、広島とヤクルトでコーチ、ヤクルトと西武の監督を歴任。規律を絶対とした徹底的な「管理野球*4で有名であり、夜遊びや過度な飲酒を禁止し、結果監督として指揮を取ったチームはどちらもリーグ制覇および日本一を達成している。「万全のコンディションでプレーするためには当然のこと」と称してタンパク質偏重だったアスリート食一新の先鞭をつけ*5、当時敬遠されていたウェイトトレーニングを導入するなど現在主流となっているフィジカル管理の風習の先駆けとも言える改革も行っている*6。また渡米時に見て衝撃を受けたという、先発投手のローテーションシステムをNPBに導入した張本人であるという事実は老害認定されがちな昨今でも無視できない実績である。結果としても山本浩二衣笠祥雄らを見出し広島第一次黄金期の礎を築いたこと、田淵幸一の再生、金森栄治や工藤公康の登用、巨人戦ありきだったプロ野球中継にパ・リーグが取り上げられるキッカケを作り当時不人気だったパリーグ振興の一役を買った功績*7もあるため、少なくとも指導者として残している実績は紛れもなく一流と言える。また尾花高夫や若松勉、松沼博久、中村勝広等、信奉者も多い。


廣岡の問題点

しかしその一方、廣岡の特徴である管理野球は当時からファン受けは悪かった。加えて好き嫌いが激しい*8上に毒舌家でもあるため川上哲治*9・上田利治*10・東尾修*11江夏豊*12野村克也*13豊田泰光*14をはじめとした敵も非常に多く、また森祇晶(昌彦)根本陸夫等、元々親しかった人間とも袂を別つケースが多い。
特に森は廣岡の現役時代一番の親友であり、ヤクルト・西武時代は監督と参謀としてチームに貢献したものの、関係が悪化した1984年オフをもってコーチを退任。1985年の監督交代*15を機に関係がさらに悪化。1998年オフ、森に巨人監督就任の話が持ち上がった際に廣岡は「森は華がないからダメ」と酷評*16している。2016年に■■が不祥事で逮捕された際には「育てられない指導者」として森の責任を問う寄稿を行っている*17
また根本は廣岡を広島のコーチと西武の監督に誘った張本人だが西武時代末期にはすっかり不仲になっていた。1985年日本シリーズの前に阪神の監督だった吉田義男に対して「うちは勝つ気がないらしい」などと軽口を叩いたことが原因で監督をクビになったと廣岡は回顧している。

1994年にロッテでNPB初のGMに就任した際は、ボビー・バレンタイン監督や伊良部秀輝、フリオ・フランコ、エリック・ヒルマン等主力選手とことごとく対立した挙句に放逐*18。併せて後任監督に早大の後輩である元大洋監督の江尻亮を据えたことでファンの怒りを買い*19、96年にチームが5位に終わった事でGMを解任させられた*20。ロッテファンからは「90年代後半~00年代前半における低迷の元凶」とされ未だに絶許扱いを受けている。また、監督として入ったヤクルトや西武でもフロントと対立*21*22し、上記の通りチームを優勝・日本一に導きながら広島を除くチームで契約を全うすることができなかった。

老害扱いされる原因

ここに出てきた球界の功労者たちも2010年代以降、大沢・川上・中村・上田・星野・金田・野村の順にこの世を去る。しかし、90歳に迫っている廣岡は尚も週刊ベースボールを中心に野球評論家として精力的に活動しているのだが……。

など、現代プロ野球からかけ離れた持論や時代錯誤かつ的外れな主張を展開することが多く、近年の野球ファンからは過去の実績を上回るヘイトを集めている*32のが現状である。

監督退任から時間が経過しているという事情はあれど、一部では論者に広岡が出ただけでそっ閉じ案件扱いされる等、実績十分な人物にも関わらず日刊ゲンダイ夕刊フジのタブロイド記者と同レベルの扱いを受けてしまっている。

廣岡本人の反応

なお当の廣岡自身も「老害」と呼ばれていることを把握しているらしく当然ながら強い不快感を表明しているが、なんJではこの記事の内容こそ老害の象徴とバッサリ断じられた。
さらにいえば他ならない廣岡自身も生前の川上を老害扱いしていた*33ので、下記の発言もブーメランと言える。

【悲報】広岡達朗さん(86)「『老害』なんて品のない言葉を使うな!OBをもっとリスペクトしろ!
http://itest.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1545478797/

人間というのは、年を取れば取るほど損得勘定が消え、考え方が純粋になってくる。その考えは間違っていないと自信を持って言える。
にもかかわらず、日本人というのは目上の人間を年寄り扱いして、まともに言うことを聞こうとしない。「老害」という言葉で片付けてしまう。
いつから日本人はこんなに品のない言葉を使うようになったのか。
長く生きてきた人間には必ず、それだけの矜持がある。何を言いたいかというと、球団もOBに対するリスペクトを持てということだ。
巨人なら水原茂さん、川上哲治さんたちの残した財産を大事にすべきなのだ。

ソース:週刊ベースボールオンライン 廣岡達朗コラム「病気になって初めて分かる食生活の間違い」
※有料記事なので注意。

金本知憲*34さんもバッサリ

金本知憲 講演会で阪神&大物OBを公開処刑(3)「名球界の大先輩も容赦なく口撃」 | アサ芸プラス

「あとはね、(現役時代、阪神キャンプに臨時コーチとして来ていた)広岡達朗さんですか。僕、20分説教されましてね。僕が肩を痛めてたんですね、キャンプで」
そう話すと、アニキは広岡氏とのやり取りを再現してくれたのだが、これが実に振るっている。
「金本君、スナップスローをやってみなさい」
外野手はスナップスローを使わないうえ、肩をかばってのスローイングをするしかなかった
「それはスナップじゃないんだよ」
「わかってますよ。どうしても肩が思わしくなくて」
「ふーん、そうなんだ。大変だねぇ。スナップやってごらん」
「いや、だからちょっと肩痛いんで‥‥」
「キミは何でこうやって投げるんだ?」
「あの、肩が‥‥」
「でもね、そんな投げ方してたら長く野球できないよ。もっと力を抜いて、体を使って。やってごらん」
広岡氏の「指導」は打撃にも及ぶ。
「何でキミはこうやって打つんだ。もっとこうやってこれで‥‥ダメでしょ。そんなんでよく打てるね。長く野球やりたいだろ。キミ、年いくつ?」
「42歳です」
「おぉ‥‥。けっこう長くやってるんだねぇ‥‥」
 アニキはこれを次のように「総括」した。
「これホントの話なの。人の話、聞かないんですよ。アンタ、生涯打率2割4分か5分やろ(実際は2割4分)*35。で、(長く野球をやれと言う)広岡達朗を調べると、35歳ぐらいで引退してるんですよ。ああいう年の取り方はよくないですね。若い人は絶対に耳を傾けないですよ
球界のご意見番たる重鎮も、真っ二つに斬られてしまったのだ。

関連項目


*1 メディアではもっぱら新字体の「広岡」と表記される事が多いが、週刊ベースボールにて自らが連載するコラムなどでは「廣岡」を自称しているのでこの項目でもそれに倣う。
*2 ただし当時は投高打低の時代であり、遊撃手としてはかなり高い長打力があったという指摘もある。参考
*3 85年の日シリでは監督としても廣岡率いる西武と戦っている。なお廣岡は吉田の守備の華麗さ、吉田は廣岡を監督としての手腕についてそれぞれ白旗を上げている。もっとも吉田も阪神の派閥争いもあってファンからは老害扱いされやすい。
*4 廣岡の地元・広島県呉市は旧帝国海軍の軍港拠点であり、その軍隊から着想されたものという。
*5 ヤクルト監督時代はチャーリー・マニエルに魔法瓶一杯のスッポンスープをプレゼントするなど自分が良いと思ったものは積極的に奨める一方で若松勉など食事量の少なさに耐えられずこっそりおにぎりなどを食べて凌いでいた選手も多かった。当時日本ハムファイターズ監督だった大沢啓二には(親会社の日本ハムが精肉系の企業ということもあり)「葉っぱばかり食っているヤギさんチーム」と揶揄されていた。
*6 当時の選手はオフシーズンは全く運動しないのが普通だった。
*7 いしいひさいちの野球漫画『がんばれ!!タブチくん!!』のヒロオカ(CV:羽佐間道夫)のモデルである。冷酷かつ陰湿という悪者扱いに最初は激怒したが、のちに同作のファンになったという。作者のいしいもヒロオカをお気に入りのキャラクターとしており、廣岡をテンプレ化した登場人物が複数いる。
*8 特に、二岡智宏など朝鮮人の血のない広島県出身者や、斎藤佑樹ら早大関係者、監督時代の門下生は他の人に比べて甘い。
*9 川上の現役末期から関係は悪化していたが、川上が監督になってから本盗作戦を巡りさらに関係は悪化し廣岡は引退。その後もずっと不仲のままだった。ただし廣岡の指導者適性は見抜いており、監督が多いV9戦士の中でも川上が指導者として評価しているのは廣岡・森・藤田元司だけである。
*10 広島コーチ時代、廣岡と同僚になるのを嫌い広島を出た。のち阪急の監督として1978年日シリで廣岡率いるヤクルトと戦うが、大杉勝男のホームランをファールと主張し1時間19分も試合が中断されるトラブルが起こっている。
*11 1985年に故障でオールスター明けからずっと休んだことで不興を買った。東尾曰く「100%思い通りにならないと気が済まない人」と廣岡を評している。
*12 前述通りアスリート食改革を果たした廣岡だったが、選手に玄米食を強いる一方で自身は肉や酒の過剰摂取が原因とされる痛風を患っており、そのことを江夏に指摘されて激怒。以降江夏を冷遇し現役引退に追いやっている。通算200セーブ、3000奪三振の大記録を目前にしながらの引退はファンにいたく惜しまれ、自身の不養生を棚に上げたこの仕打ちは大顰蹙を買った。もっとも江夏本人は廣岡の野球観を高く評価しており、「人間としては問題があっても、野球という面では教えられることが多かったし、素晴らしい指導者」と評しており、一方の廣岡も江夏を「投げることに関しては素晴らしかったし、何といっても抜群に頭がいい」と高評価している。下記の星野の巨人監督就任問題の際は江夏も「阪神に籍を置きながら巨人に売り込みを行っていた」と、廣岡同様に星野の行動を非難している。
*13 廣岡は野村の評価が低い一方、野村は廣岡には好意的評価をすることが多い。
*14 元西鉄→国鉄。野村と逆で豊田は廣岡を嫌っているが、廣岡は豊田を高く評価している。豊田も「昔は良かった」発言が多い。
*15 しかも阪神との日本シリーズ中に交代をマスコミにすっぱ抜かれ敗北し、NPB史上唯一の阪神に日本シリーズで負けた監督という不名誉になってしまった。
*16 この時、廣岡同様に森と非常に不仲である長嶋茂雄は森の名前が出たことに強い不快感を抱いたという。結局長嶋が続投となり2000年には日本シリーズで王貞治率いるダイエーと対峙。また、森の横浜監督就任時にも懐疑論を展開していたが、この時は谷繁元信の流出やTBSの悪政も相まって廣岡の予見通り横浜はチーム崩壊。森の名声は地に墜ち、森は今尚横浜ファンから絶許扱いされている。
*17 これについては森と仲の良い野村克也も批判していた。しかし堤義明オーナーが過度に■■を甘やかしていた趣旨の記事が出回ったこと、肝心な■■本人が「森さんは厳しかった」と反論していること、後年にも堤は松坂大輔の不祥事揉み消しを図った類似ケースもあることから、廣岡・野村の指摘は情報不足かつ的外れと言える。
*18 特にバレンタインとは戦術などで激しく対立、95年にチームが2位になってもバレンタインの手腕を評価しなかった。一方伊良部とヒルマンに関しては、伊良部はMLB挑戦するもトラブルメーカーと化し、ヒルマンは巨人移籍後に選手生命にかかわるレベルの重傷が発覚したため、全てが間違いだったとは言い切れない。
*19 江尻は大洋一筋かつロッテと全く無縁だったため、人気の高かったバレンタインの解任の反動もあってロッテファンからはまったくと言ってよいほど歓迎されなかった。就任当初から「廣岡の傀儡」と目され、ファン感謝デーでは「廣岡リモコン江尻死ね。」と皮肉を込めた過激な垂れ幕が掲げられるほどだったという。結局成績不振や廣岡の解任も重なり、わずか一年で辞任した。
*20 この年のロッテは序盤から低迷、新規外国人選手は全員1年で退団、江尻もシーズン途中で入院するなど散々な年だった。
*21 映画『がんばれ!!タブチくん!!』にもヤクルトフロントと揉めて途中で監督を辞めた時のエピソードがある。前述のいしいひさいちはヤクルトファンであり書きやすかったと推定される。
*22 広岡が来る前に「巨人には勝たなくて良い」と発言、ロッテから(事前に噂されていた巨人ではなく)中日にトレードされた落合博満を信子夫人共々公共の場で誹謗中傷するなど、同業他社のオーナーらしくないあからさまな巨人贔屓が目立った。
*22 ヤクルトでは大の巨人ファンである創業者・松園尚巳*22が広岡に「優勝すると巨人ファンの不買運動が起こるから優勝しないでほしい」と言って揉めたため、広岡だけが悪いとは一概には言えない。その後、ヤクルトは野村克也が来るまで10年連続Bクラスの長い暗黒時代を迎えることになる。
*24 金田正一と一緒に視察に訪れた際、内海が金田のことを「」と言い間違えたことや「300勝くらいした人」と金田の実績を知らなかったためで、間違えられた金田が激高している廣岡を宥めるという有様だったという。もっとも内海は巨人OBの内海五十雄氏を祖父に持つ上にオリックス入りを蹴ってまで巨人入団に固執した経緯があり、また単純に大先輩の名前を間違えるのは社会人としても非常識と言えるため、不勉強を説教されるのも当然と言える。
*25 もっとも星野は現役時代に巨人に所属しておらず逆に巨人には闘志むき出しで戦うイメージが強かったことで廣岡ら巨人OBに敵視されていたことや、当時の肩書きが巨人最大のライバルチームである阪神の前監督にしてSD(シニアディレクター)だったことに起因する。
*26 内海の件も併せ廣岡の攻めの指導・干渉は過度のOB介入であり、後に大田泰示を流出させる遠因に繋がった。
*27 前述通り二岡は廣岡と同じ広島県出身(県北東部の三次市)ということもあってか廣岡からの評価は高く、二岡からポジションを奪う格好で台頭した坂本を快く思っていないとされる。もっとも二岡は早熟型でケガが多かった上に不祥事を起こした経緯からすると当然と言える。他方、落合博満は中日監督退任後「二岡が穴だった」と明かしている。
*28 1985年の日シリの下馬評は圧倒的に西武有利だったが、先述のスキャンダルに加えバースの活躍もあり西武は阪神に敗北。このことを廣岡はずっと根に持っていたとされる。
*29 この廣岡の意見はロッテ時代の部下だった愛甲猛や小宮山悟に酷評されているが、阪神一筋の純血路線を手離した鳥谷の決断を残念がる声もある。
*30 ただしCSについては「カネありきの興行」と忌諱されることも多く、落合博満なども否定的な立場をとっている。
*31 一方で「まだ一軍で投げるレベルではない若い堀岡を起用した方に責任がある」とも述べている他、野手の投手起用そのものは否定しておらず、他の主張に比べれば比較的中立とも言える。
*32 サンデーモーニング」でおなじみ張本勲氏や球速180km/h発言等大言壮語が激しい故・金田正一氏等が一種の老害芸として受け入れられているのとは対照的と言える。
*33 前述と一部重複するが現役時代、川上の守備に業を煮やし「あんな下手くそなファーストがいて野球ができるか!」と怒りをぶちまけたエピソードは有名。ちなみに川上は守備に就いている時でも打撃のそぶりをしていたり、後逸したボールを全く取りに行こうとしないなどあからさまに守備ではやる気がなく、千葉茂も苦言を呈していた。
*34 ただしその金本自身も阪神監督時代の「藤浪の161球」の件などから時代錯誤扱いされる。
*35 金本の生涯打率は2割8分5厘