犯罪や反道徳的行為等が原因で印象の悪い元プロ野球選手がどの球団のOBかを巡って行われる不毛な議論のこと*1。
本項では、議論に挙がることが特に多い広澤克実*2とデーブ大久保(大久保博元)について解説する。
広澤克実
とは 
1984年にドラフト1位でヤクルト・日本ハム・西武の3球団競合の末ヤクルトに入団*3し、1994年オフにFAで巨人へ、1999年オフに阪神に移籍。怪我に強い強打者で所属するすべての球団で4番を含む中軸を担い、特に巨人と阪神の双方で4番を務めたのは広澤が唯一。
引退後2007年からは阪神でコーチを務めたが、翌2008年のVやねん!の責任を取ってオフに辞任した。
その後は解説者として活動しているが、『行くな!行くな!越えるな!』『松山の悲劇』『インハイに…インハイに…』などひどい展開の試合で解説しているイメージが強い上、サンテレビなど阪神贔屓の放送席で他球団の贔屓をすることも多く、阪神ファンからの評判は芳しくない。阪神ファンの中には解説に広澤がいないかを確認している人もいるほど*4。
ただし広澤本人は犯罪や反道徳的行為といった問題行動は起こしておらず、人格面にもこれといった問題もない。そもそもそんな試合展開をしてしまっているのは球団ひいては選手側であるため*5、広澤への悪印象はあくまで解説に限った話であり、コーチとしての評価が悪かったり、仕事をサボっただけでなく盗撮で逮捕されたOBも居た阪神OBの中ではむしろ比較的マシな方だといえる。
デーブ大久保
とは 
1984年にドラフト1位で西武に入団*6。強打の捕手として「中西太以来の逸材」と期待されたが伊東勤が不動の正捕手として君臨しており、守備面で太刀打ちできなかったことから出番に恵まれず1992年に中尾孝義とのトレードで巨人へ移籍。巨人では持ち前の強打でブレイクし準レギュラーを獲得、1994年の日本一にも貢献した*7。
現役引退後は渡辺久信のオファーを受け、2008年に古巣・西武の打撃コーチに就任。チームを4年ぶり・13度目の日本一へと導いている。
その一方で、コーチとの確執をきっかけに現役を引退するなど当時からトラブルが多く、解説者・評論家としても選手に暴言を吐く*8だけに留まらず時代錯誤な発言*9、20世紀のベストナイン企画に自分の名前を書くなどの問題行動に加え、西武コーチ時代の菊池雄星への暴行事件で裁判沙汰に発展*10したり、楽天監督時代にフロントの現場介入を許したりした影響で野球ファンからの評価は芳しくない。
現場からの評判もよろしくないようで、
- 西武時代に仕えた森祇晶には「要領いいだけで中身がない人間」と酷評される。
- 巨人移籍後、石毛博史とは名コンビと呼ばれた一方で、桑田真澄とは不仲でバッテリーを組めなかった*11。
- 2011年オフに横浜ベイスターズを買収したDeNAが工藤公康の監督招聘を画策した際、工藤に西武時代の後輩である大久保のヘッドコーチ就任を要求されたことで、監督招聘そのものが破談になった*12。
- 楽天監督辞任後、巨人でコーチと選手の関係であった中畑清がDeNAコーチとして大久保入閣を要請したところ、フロント(特に同じ巨人OBでもある高田繫GMが強く反対したという)に拒否された*13。
など、数々の噂が存在する。
なんJでの扱い 
なんJでは彼らが現役時代に所属したどの球団のOBかを巡って3球団のファンの間で議論される。「自軍のOB」と主張してくることはほとんどなく、例えば広澤の場合、ヤクルトファンはFAで移籍していった先である巨人の、巨人ファンは最終所属である阪神の、阪神ファンは全盛期を過ごしたヤクルトのOB*14だとそれぞれ主張することが多い。
彼らに関するスレタイには「○○OB」と書かれることが多く、所有権をめぐる議論を加速させている。