OBの押し付け合い

Last-modified: 2025-04-19 (土) 23:55:46

犯罪や反道徳的行為等が原因で印象の悪い元プロ野球選手がどの球団のOBかを巡って行われる不毛な議論のこと*1

本項では、議論に挙がることが特に多い広澤克実*2とデーブ大久保(大久保博元)について解説する。


広澤克実とは

1984年にドラフト1位でヤクルト・日本ハム・西武の3球団競合の末ヤクルトに入団*3し、1994年オフにFAで巨人へ*4、1999年オフに阪神に移籍。怪我に強い強打者で所属するすべての球団で4番を含む中軸を担い、特に巨人と阪神の双方で4番を務めたのは広澤が唯一。
引退後2007年からは阪神でコーチを務めたが、翌2008年のVやねん!の責任を取ってオフに辞任した。

その後は解説者として活動しているが、『行くな!行くな!越えるな!』『松山の悲劇』『インハイに…インハイに…』などひどい展開の試合で解説しているイメージが強い上、サンテレビなど阪神贔屓の放送席で他球団の贔屓をすることも多く、阪神ファンからの評判は芳しくない。阪神ファンの中には解説に広澤がいないかを確認している人もいるほど*5
ただし広澤本人は犯罪や反道徳的行為といった問題行動は起こしておらず、人格面にもこれといった問題もない。そもそもそんな試合展開をしてしまっているのは球団ひいては選手側であるため*6、広澤への悪印象はあくまで解説に限った話であり、コーチとしての評価が悪かったり*7、仕事をサボっただけでなく盗撮で逮捕されたOB*8も居た阪神OBの中ではむしろ比較的マシな方だといえる。


デーブ大久保とは

1984年にドラフト1位で西武に入団*9。強打の捕手として「中西太以来の逸材」と期待されたが伊東勤が不動の正捕手として君臨しており、守備面で太刀打ちできなかったことから出番に恵まれず1992年に中尾孝義とのトレードで巨人へ移籍。巨人では持ち前の強打でブレイクし準レギュラーを獲得、1994年の日本一にも貢献した*10
現役引退後は長らく解説者を務め、渡辺久信のオファーを受け、2008年に古巣・西武の打撃コーチに就任。チームを4年ぶり・13度目の日本一へと導き、編成部員を経て二軍打撃コーチに就任。2015年には楽天の監督に就任している。

その一方で、コーチとの確執をきっかけに現役を引退する*11など当時からトラブルが多く、解説者・評論家としても選手に暴言を吐くだけに留まらず時代錯誤な発言*1220世紀のベストナイン企画に自分の名前を書くなどの問題行動に加え、巨人時代の後輩である元木大介などへのパワーハラスメントに近い行為、西武コーチ時代の菊池雄星への暴行疑惑で裁判沙汰に発展*13したり、楽天監督時代フロントの現場介入を許したりした影響で野球ファンからの評価は芳しくない。

現場からの評判もよろしくないようで、

  • 西武時代に仕えた森祇晶監督には「要領いいだけで中身がない人間」と酷評される*14
  • 巨人移籍後、石毛博史とは名コンビと呼ばれた一方で、桑田真澄とは不仲でバッテリーを組めなかった*15
  • 2011年オフに横浜ベイスターズを買収したDeNAが工藤公康の監督招聘を画策した際、工藤に西武時代の後輩である大久保のヘッドコーチ就任を要求されたことで、監督招聘そのものが破談になった。
    また楽天監督辞任後、巨人でコーチと選手の関係であった中畑清がDeNAコーチとして大久保入閣を要請したところ、フロント(特に同じ巨人OBでもある高田繫GMが強く反対したという)に拒否された*16
  • 第三次原政権最終年の2023年には原辰徳に招聘され打撃コーチとして巨人に入閣するも、2年連続Bクラスの責任を取り原共々退任。翌2024年の春季キャンプに野球解説者として行くも、球団からグラウンド立入禁止を言い渡される

など、数々の噂が存在する。


なんJでの扱い

なんJでは彼らがどの球団のOBかを巡って各球団のファンの間で議論される。この時「自軍のOB」だと主張してくる者はほとんどなく、例えば広澤の場合はヤクルトファンはFAで移籍していった先である巨人の、巨人ファンは最終所属であり引退後関西メインで活動していることから阪神の*17、阪神ファンは全盛期を過ごしたヤクルトのOBだとそれぞれ主張することが多い。

彼らに関するスレタイには「○○OB」と書かれることが多く、所有権をめぐる議論を加速させている。


関連項目



Tag: なんJ ヤクルト 巨人 阪神 西武 楽天


*1 但し、複数球団に在籍歴のある人物に限る。1球団一筋の人物の場合は存在自体抹消されるのが一般的である。
*2 本名および1995年までの登録名は「広沢克己」、96年から98年までは「広沢克」。読みは同じ。
*3 ちなみに3位は後に審判に転向する柳田浩一。クジを外した日本ハムは河野博文を指名したが、西武が指名したのがデーブ大久保。
*4 球団幹部から「君の時代は終わった」と言われたことにより喧嘩別れの形でFA退団したため、現在もヤクルトOBを名乗れないでいる。その証左として、2019年に行われたヤクルト50周年OB戦にも、当時楽天GMの石井一久、ソフトバンクコーチの飯田哲也などのように他球団所属でないにもかかわらずその姿はなかった。
*5 加えて解説がうざいという理由で実況民に嫌われている節もある。
*6 インハイに…インハイに…に至っては端的に言えば「広澤は解説として敵チームの選手の特徴を正しく分析した上で危惧していたものの、危惧していた事を選手がまんまとやらかしてしまい最悪の結果になった」というものであるため、広澤の落ち度は皆無である。
*7 ただし広澤がコーチを務めていた2007年の阪神は打率も得点もリーグワーストであり、彼もコーチとしての能力に疑問符が付けられていた。
*8 逮捕当時スコアラーだった山脇光治。結果は不起訴。
*9 前述通り広澤のハズレ1位。ちなみに2位は田辺徳雄で、この年の西武はたった3人だけの指名であった。
*10 現役最終年の1995年にはFA移籍してきた広沢とチームメイトだった。ちなみに広沢とは「茨城県出身」という共通点もある。
*11 大久保と確執があったコーチは山倉和博とされている。
*12 特に後述の菊池雄星に加えて近本光司佐々木朗希など。佐々木の件で白井一行に対して「昭和の審判」と褒めている。
*13 この影響もあって、2010年シーズン途中にコーチ職から解任された。
*14 大久保本人も森が嫌いだったようで、「俺は清原の前の年のドラフト1位なのに、減量しろとばかりしか言われなかった」と語り、自身を巨人OBと位置づけている。一方、後年に「監督は選手をやる気にさせないといけないから、選手に好かれるようではダメで、楽天の監督を経験して、森の偉大さがわかった」と言っていた。
*15 現に大久保の巨人一軍打撃コーチ就任と同時に一軍投手コーチだった桑田は(投手陣不振の責任を取る形もあるが)巡回コーチのファーム総監督に配置転換となっている。
*16 いずれもDeNAがフロント主導のチームという事情がある。前者はフロント主導のチームを目指すDeNAと現場主導を志す工藤とで主導権を争った結果でもある。また工藤は他にも鹿取義隆・達川光男の入閣を要求している。後者に関しても、高田が既に他へオファーを出しているなら断るのも当然の対応である。
*17 一方、1992年の阪神に止めを刺したのが他ならぬ広澤だったために古参の阪神ファンの中には未だに拒絶反応を抱くファンも少なくない。
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