即戦力外ドラフト

Last-modified: 2021-09-18 (土) 12:24:19

即戦力*1を評して取った選手が尽く地雷でまともに使い物にならなかったドラフトのこと。
主に2014年の中日ドラゴンズのドラフトに対する評価を指す。
なお、下記の所属球団はすべて指名当時のものである。

概要

2014年の中日は、主力の高齢化が進む一方で、若手は伸び悩んでいたことから、ドラフトで即戦力重視の方針を示し、山﨑康晃(亜細亜大)の1位指名が有力視されていた。
しかし、当日になって方針転換、ドラフト1位で野村亮介*2(三菱日立パワーシステムズ)を単独指名。野村はどちらかといえば素材型*3であり、しかも山崎を最初に指名していれば一本釣り出来たために疑問の声が上がったが、最終的に社会人の有力野手4人を獲得した当時GMの落合博満の手腕を評価する声もあり、この時点では賛否両論だった。また小関順二氏がヤクルトと共に指名に軸を感じられないと酷評したことで、逆に成功ドラフトを確信した中日ファンも少なくなかったのだが…

 

そして迎えた2015年、中日ファンの期待は裏切られることになる。ドラ1の野村は新人年の春季キャンプでいきなり右肩痛を発症、中継ぎとしてわずか3試合登板のみ、その後は一軍での登板すらなく3年で戦力外通告を受けプロの世界を去ることとなってしまった。
一方でDeNAに入団した山﨑は1年目から守護神に抜擢され新人王に輝く。その後も不調な年こそあれど、消耗の激しい中継ぎ・抑えとしてプロ入りから6年で343試合に登板する鉄腕ぶりで、2018年に最多セーブを獲得、2019年にはNPB史上15人目、史上最年少・最速タイで150セーブを記録し2年連続の最多セーブを獲得するなど大活躍している。

高校生主体のドラフトがチームの長期的な視野に基づいているのに対して、大卒・社会人主体のドラフトは短期的にチーム力を上げることを目的としているため、短期間で結果を残すことが求められる*4。しかし結果が出なかった場合は伸びしろを見込めないまま選手枠を食いつぶす存在でしかなくなり、そのため比較的早い時期に戦力外を通告されるケースが多い。
10人近い本指名選手に高校生が一人もいないという指名にも拘らず野村が3年で戦力外、さらに他の選手も後述の通り「戦力」とは言いがたい状況が続き、一部の選手を除いてかなり早いペースでチームを去っていったためにこの呼称が生まれた。
とはいえ、2014年ドラフトは全体を見ても大卒、社会人が不作の年であった。この年1年目から「即戦力」として活躍できたと言えるのは投手なら山崎の他に有原航平(当時日本ハム)、高木勇人(当時巨人)、野手を含めても中村奨吾(ロッテ)、野間峻祥(広島)、西野真弘(オリックス)らの名前が挙がる程度であった。即戦力路線で指名を行った球団にとっては難しいドラフトだったのかもしれない。


現在

最終更新:2021年シーズン開幕後(4/5)

順位名前守備位置一軍出場契約状況年齢
1野村亮介投手3試合2017年限りで戦力外27
2浜田智博投手1試合2016年に育成落ち、2020年限りで戦力外28
3友永翔太外野手34試合2019年限りで戦力外30
4石川駿内野手31試合2020年限りで戦力外30
5加藤匠馬捕手126試合現役。2021年途中にロッテへトレード移籍。28
6井領雅貴外野手183試合現役。31
7遠藤一星外野手*5293試合現役。32
8山本雅士投手3試合2018年限りで戦力外26
9金子丈投手11試合2017年限りで戦力外28

※育成指名もあったがここでは割愛する。

即戦力を期待されながら、谷繁元信森繁和体制の2018年まで誰一人として一軍でまともに活躍できず*6、この年の出世頭の遠藤ですら守備難を理由に激戦区の外野手に転向してからはさらに出場機会が激減。
なお、彼らの入団当初の二軍打撃コーチは殆ど実績を残していない上にかつて森岡良介とのトラブルで無能扱いされていた高柳秀樹(元南海)1人しかいなかったことから育成ミスとする意見も存在する。

与田体制で起用法に変化

与田剛体制になった2019年は一転して、加藤は中日捕手陣では最多の92試合に出場。遠藤はスタメンこそ少ないものの一度も抹消される事なく1年間一軍帯同*7。井領もソイロ・アルモンテの不振や平田良介の一時離脱などで一軍に食い込み、8月に故障離脱するまでは月間MVPの候補に挙がるほどの活躍を見せた。また、石川は一軍出場こそ少なかったもののファームで打率・打点の2冠となった。
期待されていた「即戦力」としては誰一人機能しなかったものの加藤ら一部の選手は遅まきながらプロの水に馴染んだ。ここにきて同年のドラフトは「グロ」「暗黒ドラフト」といった汚名をようやく返上したと言える。

ただ、翌2020年遠藤・井領は揃って打率2割前後に低迷し、代走・守備要員の座も武田健吾らに奪われてしまう。石川は度重なる怪我と高年齢(当時30歳)が影響したのか同年限りで戦力外通告を受けることとなった。
また、加藤匠馬は出番に恵まれず*8、2021年シーズン中にロッテ・加藤翔平とトレードされた*9

当該のドラフトで指名され現在チームに残っている現役選手は遠藤・井領の2人のみとなっている。総括すると前述のような最悪の評価こそ免れたものの、お世辞にも成功とは言い難く、「同年のヤクルト(後述)よりはマシ」といった評価に留まっているのが現状である。


類似例

なお下記に示す出場試合数は全て指名球団在籍時のもののみである。

元祖・即戦力外ドラフト(1994年中日)

元祖・即戦力外ドラフト(1994年中日)
あの「10.8決戦」*10で敗れ、惜しくも優勝を逃した中日はこの年、即戦力の好投手として名高かった金森隆浩*11と山田洋(逆指名)の2人を上位で指名し、3位以降も5位の三輪敬司*12を除いて全員即戦力(大学・社会人)という指名を行った。また、金森*13以外は全員地元の東海地方にゆかりのある選手*14という地元志向ドラフトでもあった。
しかし1位の金森は翌1996年にわずか2試合登板したのみで、プロ初先発(にして最後の一軍登板)となった同年10月9日のシーズン最終戦(甲子園での阪神戦)ではなんと初回に2発の満塁ホームランを被弾*17するという凄惨な有様で、それ以降は二軍ですら鳴かず飛ばずに終わり、チームが優勝を果たした1999年限りでひっそりと引退。最下位指名の大西崇之(2005年まで在籍)は一軍戦力として2度のリーグ優勝(1999年・2004年)に貢献したものの、それ以外の面々(5人)は直近の優勝(1999年)にすら貢献できず*18実質7年で中日から全滅する結果となった。

順位名前守備位置一軍出場契約状況
1金森隆浩投手2試合1997年限りで戦力外、1998年は台湾球界の統一ライオンズでプレー。
1999年に中日に復帰するものの同年限りで現役引退。
2山田洋*19投手27試合2001年途中にトレードで横浜に移籍*20、2005年限りで引退。
3山田広二*21内野手19試合故障のため1998年限りで戦力外
1999年は球団職員として過ごし、故障が癒えた2000年に現役復帰するも同年限りで引退。
4原田政彦内野手
外野手
37試合故障のため1996年シーズン途中に自由契約。故障が癒えた1997年に支配下復帰。
2001年途中に金銭トレードで日本ハムに移籍、2002年限りで引退。
5三輪敬司捕手なし*222001年限りで戦力外
6大西崇之*23外野手703試合2005年オフに金銭トレードで巨人に移籍、2006年限りで引退。

真・地獄ドラフト(1995年阪神)

真・地獄ドラフト(1995年阪神)
指名経緯や残した成績などを含めれば、前年の中日がマシに見えるほど酷く、阪神史上最悪のドラフトと言われ未だに悪名高い。1月に発生した阪神大震災の影響もあり球団経営に消極的だった*24時期だけに4人しか指名しなかった上に全員社会人という育成放棄上等の安直すぎるドラフト戦略を取った。この年は、翌年のアトランタ五輪を控え有力即戦力選手が軒並み指名凍結されていた*25ため特に社会人は最初から不作*26が予想されており、むしろ注目が集まったのは福留孝介斉藤和巳をはじめとする高校生だった。それにも拘わらず支離滅裂な即戦力志向のドラフト指名を敢行*27した球団の行為に対して、阪神ファンもマスコミもさすがに呆れたが、実際に新人年の舩木を除いてほとんど戦力にならず、ファンの懸念通り、戦力補強も世代交代も出来ずという当時の阪神を象徴する無残な結果に終わる。このドラフトが阪神ファンに根深いトラウマを与えたことは6年後の4位赤星、ハア?や21年後の大山重複しろ!、23年後の地獄ドラフトが叩かれた時に比較対象にされたことからも伺い知れる。

順位名前守備位置一軍出場契約状況
1舩木聖士投手84試合2002年限りで戦力外、ロッテに移籍し2004年限りで引退。
2中ノ瀬幸泰投手14試合1999年限りで戦力外
3林純次投手17試合1997年限りで戦力外
4曽我部直樹外野手19試合2003年限りで戦力外、ロッテに移籍し2005年限りで引退。

東北復興ドラフト(2011年ヤクルト)

東北復興ドラフト(2011年ヤクルト)
地方創生ドラフトとも呼ばれる。殆どの選手が使い物にならず、比屋根や古野、徳山はある程度出場機会を得たものの比屋根はやらかしが多く、古野と徳山は故障に苦しんだ*28ために長期定着はできず、8年でNPBから全滅した。

順位名前守備位置一軍出場契約状況
1川上竜平*29外野手なし*302016年限りで戦力外
2木谷良平投手52試合2016年限りで戦力外
3比屋根渉外野手361試合2018年限りで戦力外
4太田裕哉投手なし2013年限りで戦力外
5中根佑二投手なし*312013年オフに育成落ちし、支配下に復帰しないまま2015年限りで戦力外
6古野正人投手62試合2018年限りで戦力外
育成1徳山武陽*32投手54試合2017年限りで戦力外
育成2金伏ウーゴ投手2試合2015年限りで戦力外、その後は巨人→BC栃木。

真・即戦力外ドラフト(2014年ヤクルト)

真・即戦力外ドラフト(2014年ヤクルト)
同年の中日と同様に即戦力重視の指名を行ったが、たった3年でドラフト1位含む5人+育成1人が戦力外。残る2人も2019年に山川、2020年に風張が戦力外となり、前述の2011年をも上回る6年という早さでヤクルトから全滅した。
失敗という言葉すら生温い悲惨さで、同年の中日のドラフト指名選手を軽く超える本物の即戦力外ドラフトとなり、ここまで活躍できない選手を取りまくった松田慎司*33(山川・原・中島の担当)や岡林洋一*34(寺田・中元の担当)らスカウト陣には、当然ながら批判が集中することとなった。
なお、2009年からスカウトとなり、先述の2011年ドラフトにも関与*35した八重樫幸雄は2017年・2019年・2020年のヤクルトが暗黒期のベイスすら超える悲惨な成績で終えたことの一因として、2016年をもって退団した現在もなお槍玉に挙げられているが、このドラフトで担当したのは最も在籍年数が長く、なおかつヤクルト退団後も唯一NPBで再就職できた風張だけだった。

順位名前守備位置一軍出場契約状況
1竹下真吾*36投手1試合2017年限りで戦力外
2風張蓮投手77試合2020年限りで戦力外、DeNAに移籍。
3山川晃司捕手*37なし2019年限りで戦力外、現在はBC富山。
4寺田哲也投手3試合2016年限りで戦力外
5中元勇作投手なし2016年限りで戦力外
6土肥寛昌投手8試合2017年限りで戦力外
7原泉外野手なし2017年限りで戦力外
育成1中島彰吾投手5試合2017年限りで戦力外

2014年楽天ドラフト

2014年楽天ドラフト
シーズン最下位に終わったこの年、通常ドラフトで7人指名。1位2位では素材型の高卒投手を指名し、3位以下を大卒・社会人・独立リーグ出身の即戦力で固めたもののほとんど戦力にならず、僅か6年で3位以下の5人全員が戦力外となった。
2014年ドラフトの目玉と目されていた安樂も高校時代の酷使の影響や故障続きで6年目の2020年になって中継ぎとしてやっと頭角を現すまでは期待されたほどの結果を長らく出せず、小野も二軍の帝王のまま鈴木大地の人的補償でロッテへ移籍し移籍した2020年だけで楽天時代(39)を上回る40試合に登板と、上記2球団に劣らない酷さになる可能性がある。
ちなみに6位と7位の加藤、伊東は楽天のお膝元である宮城県の社会人チーム出身である。前年の2013年ドラフトでも下位で地元枠の選手を数名獲得しているがまともに戦力になった選手はおらず、これに懲りたのか以降地元枠の選手を下位指名で獲得したのは2017年の西巻賢二、2020年の入江大樹のみに留まっている。

順位名前守備位置一軍出場契約状況
1安樂智大投手64試合現役
2小野郁投手39試合現役。2019年オフに人的補償でロッテに移籍
3福田将儀外野手112試合2017年限りで戦力外
4ルシアノ・フェルナンド*38外野手72試合2018年オフに育成落ち、2019年に支配下復帰するも2020年限りで戦力外
5入野貴大投手30試合2018年限りで戦力外
6加藤正志投手10試合2016年限りで戦力外
7伊東亮大外野手8試合2017年限りで戦力外


関連項目


*1 主に大卒、社会人選手のことを指す。
*2 先発型ということもありリリーフ型と目していた山﨑より眼鏡に叶ったとされる。
*3 高卒後大学を経ずに社会人となった場合はドラフト指名可能になる社会人3年目に満21歳となる。この場合は、一般的な大卒年齢である満22歳を下回っているため、しばしば素材型社会人とみなされることがあり、野村のケースはこれに当てはまる。
*4 例えば1996年のダイエーは全員即戦力指名だったが、井口忠仁(資仁)松中信彦柴原洋などを輩出し、その後の優勝の礎となっている。
*5 入団時は内野手。
*6 このドラフトの前後の年に入った選手(2013年組の又吉克樹祖父江大輔、2015年組の木下拓哉阿部寿樹福敬登)が一軍に定着していることも、即戦力外ドラフトと揶揄されることに拍車をかけた。
*7 主にアルモンテ、ダヤン・ビシエド、福田永将の代走や左翼への守備固めが多く、平田の故障や大島洋平の休養時には右翼や中堅も守った。
*8 正捕手に打撃型かつ加藤と同じ強肩の木下拓哉が定着したことに加え、同じく打撃が売りのアリエル・マルティネスの台頭や故障で長らくリハビリを行っていた桂依央利の復調、さらに郡司裕也や石橋康太ら若手捕手も頭角を表しており、打力が劣る上に壁性能のなさ、強肩の割に盗塁阻止率が低いこと、かつ若手とは言えない年齢である加藤の出番は減っていた。
*9 トレードはロッテ側から打診されたもの。当時のロッテは捕手に怪我人が続出していたことに加え、リーグ最下位の盗塁阻止率を記録していたこともあり、強肩の加藤匠馬に目を付けたとされている。一方の中日も平田らの不振で即戦力の外野手が補強ポイントの一つだった。
*10 NPB史上初、レギュラーシーズン最終戦時点で勝率が同率首位のチーム同士の直接対決で文字通り勝利した方が優勝という双方負けられない試合となった一戦のこと。結果は当時のエース格である槙原寛己・斎藤雅樹桑田真澄をつぎ込んだ巨人が勝利し、優勝を飾った。また惜しくも敗れた中日も、来季の契約をしない方針だった高木守道監督について、後半戦での驚異の追い上げぶりを評価して留任させるに至った。
*11 金森は紀田彰一(横浜高校→横浜)の外れ1位として指名されたが、実は彼と西口文也(立正大学→西武3位)のどちらを指名するか迷った挙句に彼を選んだ経緯がある。「即戦力の投手2人(後に片方のみプロで活躍)で迷った挙句、後に活躍する方ではなくハズレの方を選んでしまった」という点ではまさに20年後の2014年ドラフトと瓜二つである。
*12 愛工大名電高校出身。
*13 和歌山県出身。
*14 2位の山田洋は岐阜県大垣市、3位の山田広は愛知県大府市*15、4位の原田は愛知県刈谷市*16、5位の三輪は愛知県幡豆郡一色町(現:西尾市)の出身。6位の大西は大阪府東大阪市出身だが、指名された時点では静岡県に本拠地を置くヤオハンジャパン硬式野球部に所属していた。
*15 槙原寛己の出身地。
*16 赤星憲広の出身地。
*17 1本目は無死満塁で新庄剛志から、2本目は1死満塁で塩谷和彦(この本塁打がプロ初本塁打)から。取ったアウトは、この2人の間に桧山進次郎から三振を奪ったのみで、案の定星野監督の逆鱗に触れ、「これを記念に消えてなくなれ」とコメントされてしまった
*18 1999年は金森・原田・三輪の3人は一軍出場なし、山田洋はわずか3試合の登板のみに終わり、山田広に至っては怪我で支配下登録を外れている有様だった。
*19 1996年の登録名は「ヒロ山田」、2001年からは「山田博士」。1996年に登録名を変更したのは、当時はドラフト同期の山田広(「広二山田」)だけでなく、山田和利(同年限りで引退)、山田喜久夫(登録名「キク山田」)と、山田姓の選手が4人在籍していたことや、イチローの活躍を受けて球界で変わった登録名が流行していたことが理由であった。
*20 山田&種田仁⇔波留敏夫(横浜)の2対1のトレード。
*21 1996年の登録名は「広二山田」。
*22 引退後はブルペン捕手に転向。身長185cm、体重85kgと恰幅が良く、ユニフォームの汎用性が高いためか、井端(2005年9月27日:横浜戦)、トニ・ブランコ(2009年5月31日:交流戦のソフトバンク戦)、高橋聡文(2010年3月7日:オリックスとのオープン戦)と、それぞれビジターユニフォームを忘れた選手たちが、代わりに三輪のユニフォームを借りて試合に出場している。
*23 1998年8月21日の横浜戦では9回表に代打で出場し大魔神・佐々木主浩から佐々木がその年で唯一の被本塁打である同点2ランを放った。実況パワフルプロ野球6でもシナリオでこの場面が収録されている。なおド
*24 甲子園や鳴尾浜も被害を受けたが、本業の鉄道事業の被害がその比ではなく親会社の業績が大きく揺らいだため、久万俊二郎オーナー(当時)自らがサントリーへ球団売却を打診するほどだった。
*25 当時はアマチュア選手しかオリンピックへ出場できなかった。プロ選手の参加が認められたのは2000年シドニー五輪以降、現在のようにプロ選手中心のチーム構成になったのは2004年アテネ五輪以降。
*26 一応、他球団を見渡すと仁志敏久(巨人2位)をはじめ薮田安彦(ロッテ2位)・大友進(西武2位)など、NPBで成功した社会人は何人かいる。
*27 野村克也によると、この時代の阪神には「指名選手が入団すると担当スカウトにボーナスが支給される」仕組みがあり、そのためスカウトが「ボーナス欲しさに他球団が見向きもしない=確実に獲れる選手ばかりリストアップしていた」という。
*28 徳山は中継ぎ要員として2015年の優勝に貢献したものの、翌年に国指定の難病・黄色靱帯骨化症を患ったこともあって実質的に選手生命を絶たれてしまった。
*29 高橋周平(中日)の外れ1位。
*30 なお2021年現在、セリーグのドラフト1位指名野手で唯一一軍出場なしで引退した選手となっている。
*31 二軍でも登板なしだったためプロ入り後一球も投げていないことになる。
*32 現在はヤクルトの球団職員
*33 元日本ハム→ダイエー→ヤクルト。最も関西地区担当時代は山田哲人、九州地区担当になってからは村上宗隆を担当するなど、スカウトとしての実績が全くないわけではない。
*34 元ヤクルト。コーチを経て2005年から中四国担当スカウト。このドラフト以外では三輪正義・藤井亮太・古賀優大などを発掘しそれなりの成果を上げているが、3人ともトップクラスの選手とは言い難いためかその手腕を疑問視されることも多い。
*35 本指名選手のうち4人が自らが担当する東北地方のチームに在籍していた(1位川上が八戸学院光星高校、3位比屋根と4位太田が日本製紙石巻、5位中根が東北福祉大学)。当然ながら、なんJなどでは指名に実力以外を優先した点があったと見なされ、批判されている。また、翌年のドラフトの藤浪晋太郎の外れ1位で静岡県のヤマハに在籍していた石山泰稚が東北地方(秋田県)出身というだけで地雷扱いされた
*36 安樂智大(楽天)の外れ1位。
*37 2019年に投手に転向。
*38 ブラジル国籍だが日本の高校、大学を経ているため日本人扱い。自身は日系4世。