鳴尾浜量産型投手

Last-modified: 2019-11-29 (金) 12:23:20

グヘ達」にもなれない阪神版「僕達」な投手たちのこと。
ちなみに鳴尾浜とは阪神の二軍本拠地球場の阪神鳴尾浜球場のことである。

概要 Edit

2000年代以降の阪神投手陣で一軍定着出来なかった投手たちには総じて球速球質変化球のキレ・スタミナなど全てが平均的で小さくまとまりきった傾向が強く、伸び代や魅力に薄く最後は頭打ちになって消えた投手が多かったためこの用語が生まれた。
現在では総じて一軍半の壁を破れない投手たちを指すようになっている。

この用法から発展し一軍半の壁を破れない阪神の打者陣に対しても「鳴尾浜量産型打者」*1と呼ばれるようになった。
また以前阪神に所属していた投手が現球団で不甲斐ないピッチングをしたり阪神相手に爆発した時には相手球団ファンから「鳴尾浜量産型」呼ばわりされたりすることもある。

暗黒時代の阪神投手陣 Edit

話は暗黒時代に遡る。当時の阪神はドラフトでのクジ運の悪さもだがそれ以前に目玉選手から指名をお断りされること*2が多かったこともあるが「取りやすい選手(他球団なら良くておまけ指名か最初から見向きもしない選手)しか取らない」と揶揄されるような状態だったために選手層もお察し状態となった。

当時の暗黒投手陣の多くは

  • 球速は良くて最速130km/h台後半
  • 決め球は無く変化球の精度も低い
  • 基本的にノーコンで四球連発
  • 中途半端なコントロールがあれば逆にバッピ化して大量失点
  • 投球術にも見るべきものはなくただ逃げているだけ
  • スタミナは5回投げ切れば万々歳

といった有り様であり他球団なら一軍以前に整理対象とまで言われた。

もっとも最初は通用した選手でもそれ以降は体力の無さから来る故障もしくは「阪神病」とも揶揄される慢心や油断からパフォーマンスが低下、さらには他球団に研究され頭打ちになって消えていくなどの状況の繰り返しで暗黒時代の原因の一つになる。

こういった経緯があったため鳴尾浜量産型でもポテンシャル的には暗黒時代の投手陣よりマシと言われたりする。

余談 Edit

1994年に尼崎の阪神浜田球場から移転してきたものの施設が陳腐化したために2015年ごろから二軍本拠地移転を検討していた阪神だったが大物駅の近くに移転し西宮から尼崎に戻ることになる模様。なおソースはサンスポ

関連項目 Edit





*1 江越大賀陽川尚将中谷将大など。また大山悠輔高山俊も絶不調時に言われたりする。
*2 90年の小池秀郎(元近鉄→中日→近鉄→楽天)、91年の田口壮(元オリックスブルーウエーブ→MLB→オリックスバファローズ)など。