1001

Last-modified: 2023-12-24 (日) 03:24:33
  1. スレッドが1000レスまで完走した際に自動的に投稿されるレス。
  2. かつて中日ドラゴンズで投手として活躍、引退後は中日・阪神・日本代表・楽天の監督を歴任し、2015年からは楽天野球団の副会長を務めた星野仙一*1の別称。

1.の概要

2chが1スレにつき原則1000レスまでとなってからは、1000レス目が書き込まれた直後に自動でこのレス(1001)及び寄付を募るレス(1002)が追記され、そのスレが過去ログに送られる。末端で極端にレスが集中しない限り利用者が1001を投稿することはできないが、あたかも利用者の書き込みのような体裁となっておりきちんとレス番も振られている*2

現在は全板で共通の文章だが、2017年までは板ごとに文章を決められるシステムであり、主要な板ではAAを用いるなど工夫を凝らしたメッセージが見られた。一方なんJの1001はささやかで、以下の2行だけが使われていた。

このスレッドは一線を越えました。
もう書けないので、新しい線を引いてください。

2.の概要

仙一→せんいち→1001と読めることに由来し、類義語として1003*3がある。

なんJはもとより世間でも評価が分かれる人物で、特に生前の監督在任中はたびたび強烈な信者*4とアンチ*5レスバトルを繰り広げていた。

ドラフト会議で巨人入りを反故にされて以降*6生涯にわたり「打倒巨人」を掲げており、星野の対巨人への飽くなき闘志は世間に強い印象を残した。


監督時代の主な功罪

  • 若手登用に長け、立浪和義山本昌広赤星憲広など星野が見出した人材は多い。
  • アメとムチを巧みに使い分け、選手のタイプに合わせて接し方を変え能力を伸ばす*7など人心掌握に長ける一方で、我慢強いとされる選手*8に対する度を超えた暴行*9が問題となる。
  • 「闘将星野」として誤審には退場も辞さない姿勢で激しく抗議*10し、乱闘の際には率先して出撃する屈指の武闘派*11*12
  • 人事権を掌握するとともに積極的なトレードを展開し成功させる一方で*13、強権的な手法により周囲と衝突することも多い*14。また、アロンゾ・パウエルに新庄剛志中村紀洋のように一度自身の不興を買った選手に関しては総じて手厳しく、星野が何らかの形で所属している球団への入団や在籍は絶望的であった*15
  • 情に厚く試合でミスを犯した選手には翌日の試合等でリベンジの機会を与え成長を促した反面、不調選手の見極めが重要となる短期決戦は不得手で*16、2008年の北京五輪で惨敗した際は言い訳に終始した敗戦の弁のみならず、直後に行われたWBC代表監督続投を根回ししたことで世間から非難を浴びる。
  • 楽天時代の2013年、球団を史上初のリーグ優勝および日本一*17に導くも、前者の試合において審判買収を疑われる。
  • 引き抜きたい選手の家族と関係者を徹底的に囲って引き抜く手腕には定評があった。*18



関連項目



Tag: 中日 阪神 楽天


*1 2018年1月4日、すい臓がんのため70歳で逝去。なお、彼が楽天監督時代につけていた背番号「77」は星野の死後に(楽天の)永久欠番となった。
*2 利用者の書き込みが1001を超えた場合(滅多に無いが)は1002以上になる。
*3 ニックネームである「仙さん」の連想。ただしこの呼び方が2chで定着したのは阪神の監督に就任して以降で、中日監督時代は1001、仙一、星野がCM出演していたセンロック(胃腸薬)などの呼び方が主流だった。ちなみに、先輩からは「仙ちゃん」と呼ばれていた。
*4 代表例としてはタレントで中日の先輩である板東英二、大学の先輩で悪名高きスポーツライターの工藤健策、巨人の元オーナー・渡邉恒雄など。その他在籍したチーム全てでスポンサーには人気絶大でパフォーマンスが上手く親会社には理想的なキャラだったことから、落合政権時でも星野の復帰を待望する声が多かった。
*5 代表例として阪神、楽天の前任であり、2008年の星野バッシングの発起者となった野村克也、中日時代に星野の鉄拳制裁や懲罰制に反発した落合博満2008年北京オリンピックで星野の采配を批判したイチロー、落合信者であり鉄拳制裁に否定的な落語家の立川志らくなど。
*6 星野以外にも、巨人絡みのドラフト指名に翻弄された例として田淵幸一・平松政次清原和博山崎武司新庄剛志らが挙げられる。
*7 特に阪神時代の2003年シーズンにおいて、野球エリートであった今岡誠には早々に二塁のポジションを与えることを明言するなど優遇し、逆に反骨心が強かった赤星憲広にはその気もないのに浜中治のセンターコンバートを仄めかすなど厳しく接して両者の能力を伸ばし、1、2番コンビを構築したことが有名。逆に前任の野村は今岡との確執が響いて成績を伸ばせなかった。
*8 代表例として、中日時代の正捕手・中村武志が挙げられる。試合中ボコボコにされ顔が腫れてマスクを被れず途中交代になる、涙を浮かべてマスクを被り打席に入った相手選手から同情・心配される、星野に呼び出された時にマスクを被って監督室に現れるなど話題に事欠かなかった。ただし中日監督在任中は中村を不動のレギュラーとして用い続けた。
*9 中日時代1期目には立浪落合以外の殆どの選手が鉄拳制裁を受けたとも。ただし、阪神監督就任以降は暴力行為を封印するなど時代に合わせてやり方を緩和している。
*10 例として、中日時代4番レオ・ゴメスの明らかなホームランをフェア(→2塁刺殺)としたジャッジをホームラン判定に覆えさせる(1998年6月18日対巨人戦)など。
*11 中日時代には立浪山本昌曰く「乱闘の際にベンチから飛び出さないと罰金」と言うルールが存在したとされ、乱闘要員をベンチ入りさせることもあった。また自らもジャンパイアにブチギレて審判に蹴りを入れるなど血の気が非常に多かった。
*12 現役時代、前出ドラフトの経緯から巨人戦では特に敵意剥き出しで、巨人に負けると特に機嫌が悪かったという。ただし2005年オフに巨人監督候補に浮上したこともある。
*13 例として、西本聖、前田幸長、関川浩一下柳剛など。
*14 例として、中日時代に放出した鳥越裕介に公共の電波上で誹謗されたり、母校・明治大学のものに酷似したユニフォームを中日の限定ユニとして使用させたり、阪神時代初年度に選手20人も戦力外を出した時には球団のみならずスポンサー、タニマチにも撤回を求められたりしている。
*15 新庄については中日監督時代に阪神からFA宣言した新庄に声をかけたものの、当の本人から「名古屋の街が好きではない」と断られたことが遠因とされる。中村については当該項目を参照。パウエルについては1997年に選手への暴行に抗議されたことが遠因とされる。もっともパウエルが批判したのは暴力に対してのみであり、それ以外については好意的であった。
*16 監督を経験した3球団全てで通算4度のリーグ制覇を経験するも、楽天時代の監督16年目まで一度も日本一を経験していなかったことが引き合いに出されることが多かった。
*17 なお、この日本シリーズの対戦相手は星野が生涯にわたり打倒する夢を抱いてきたあの読売ジャイアンツ(監督は原辰徳)だった。
*18 今江敏晃と仙台出身の岸孝之と嫁が東北出身の鈴木大地の説得、浅村栄斗の当時恋人及び家族の囲い込みと嫁候補の楽天の番組への引き抜きで噂は生前から長年されていた。