1001

Last-modified: 2020-01-30 (木) 17:01:21

かつて中日ドラゴンズで投手として活躍、引退後は中日・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルス・日本代表の監督を歴任し、2015年からは楽天野球団の副会長を務めた星野仙一(故人・2018年1月4日、70歳で死去)のこと。
仙一→せんいち→1001と読めることに由来し、類義語として1003*1がある。

概要 Edit

岡山県出身。倉敷商業高→明治大で活躍。1968年のドラフトで巨人から指名の約束を受けていながら袖にされ、中日に入団*2。この経緯から巨人戦では闘志むき出しで戦い「巨人キラー」と持て囃された。1982年、リーグ制覇を手土産に引退。現役通算146勝。また生涯打率が.205と打撃にも優れていた*3。田淵幸一、山本浩二は大学時代のライバル・同期で親友*4
立浪和義山本昌広赤星憲広を抜擢するなど若手登用や選手のタイプに合わせて接し方を変え能力を伸ばす*5など選手の人心掌握に長け、中日で2度・阪神と楽天で各1度のリーグ制覇、楽天では日本一を達成。選手より監督としての事績が大きい人物である。
一方で、好成績を残せるのはオーナーに大金を出させて大補強をしている*6からで監督としての能力は高くないとの指摘もあれば、いろいろと評価の分かれる人物でもある。

例えば阪神・楽天の前任監督である野村克也は「采配は評価に値しないが、もしフロントを動かすのも監督の仕事であるならば、現代の名監督は星野ということになるのだろうか」と評している*7
野村によると、NPBの監督の歴史は「心の時代」「頭の時代」「金の時代」に分けられるという。
当初は真面目に練習をする選手も少なかったから、選手の心を動かして本気にさせる親分肌の監督が実績を残すことができた。
みんなが真面目に練習をやる時代になると、心では差がつかなくなり、頭を使って相手の裏をかく野球をやる監督が実績を残せるようになった。
やがてどの球団もデータを活用し、基本戦術を使いこなせるようになった現代では、もはや頭でも差はつかず、いかに金で才能のある選手を補強するかが監督に求められるようになった。

そんな各時代を象徴する名監督が鶴岡・野村・星野ということである。なんJでも概ねこのような歴史観で星野を位置づけた上で、それが監督の仕事として評価されるべきか否かで議論が分かれていると言えよう。
現場采配の監督、人事やフロントを動かすゼネラルマネージャー(総監督)という考え方もあるが、星野は意外にもゼネラルマネージャーに就任したことは無かった*8が、フロントとしての事績もある。
なんJでも星野在任中はたびたび強烈な信者*9とアンチがレスバトルを繰り広げていた。

余談 Edit

5ちゃんねるにおいては、レス数が1000に到達したスレッドは書き込めなくなり過去スレ化する。書き込みができなくなったことを知らせるレス番は「1001」である。
また、スレが1000まで到達することは「完走」と呼ばれる。

なお星野仙一氏は野球人生を見事に完走した模様。

心からご冥福をお祈りします。


関連項目 Edit


*1 ニックネームである「仙さん」の連想。ちなみに、先輩からは「仙ちゃん」と呼ばれていた。
*2 田淵幸一・平松政次・清原和博山崎武司新庄剛志らにも類似の話がある。
*3 2リーグ制以降で打率2割を超すピッチャーは星野と桑田真澄の2名だけ。
*4 親密さを象徴する逸話として、中日、阪神、広島のどれかが直接対決するときは互いの自宅で前泊していたという。本来であれば、作戦が漏れるなど機密上好ましくない行動といえる。
*5 阪神監督時代に野球エリートであった今岡誠には甘く接し、反骨心が強かった赤星には厳しく接して両者の能力を伸ばし、2003年シーズンにおける1、2番コンビを構築したことが有名。
*6 中日時代には落合博満、阪神時代には金本知憲などを補強している。
*7 なお、星野を後任の阪神監督に推薦したのは、フロントを動かして補強させなければこのチームを建て直すことはできないと悟った野村自身である。
*8 監督退任後、阪神では「シニアディレクター」、楽天では「シニアアドバイザー」のち球団副会長の地位にあった。
*9 代表例としてはタレントで中日の先輩である板東英二、大学の先輩で悪名高きスポーツライターの工藤健策、巨人の元オーナー・渡辺恒雄など。その他在籍したチーム全てでスポンサーには人気絶大だった。