1001

Last-modified: 2021-02-19 (金) 20:23:50

かつて中日ドラゴンズで投手として活躍、引退後は中日・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルス・日本代表の監督を歴任し、2015年からは楽天野球団の副会長を務めた星野仙一(故人・2018年1月4日、70歳で死去)のこと。

概要

仙一→せんいち→1001と読めることに由来し、類義語として1003*1がある。

人物評

岡山県出身。倉敷商業高→明治大で活躍。1968年のドラフトで巨人から指名の約束を受けていながら袖にされ、中日に入団*2。この経緯から巨人戦では闘志むき出しで戦い「巨人キラー」と持て囃された。1982年、リーグ制覇を手土産に引退。現役通算146勝。また生涯打率が.205と打撃にも優れていた*3。田淵幸一、山本浩二は大学時代のライバル・同期で親友*4
立浪和義山本昌広赤星憲広を抜擢する若手登用、選手のタイプに合わせて接し方を変え能力を伸ばす*5*6*7など選手の人心掌握に長け、中日で2度・阪神と楽天で各1度のリーグ制覇、楽天では日本一を達成。判定に不服の時は疾風の様にベンチを飛び出し、恐ろしい剣幕で抗議するシーンを度々放映されるなど選手より監督としての事績が大きい人物である。
一方で、好成績を残せるのはオーナーに大金を出させて大補強をしている*8からで監督としての能力は高くないとの指摘もあれば、逆らえない立場の選手に対して頻繁に度を超えた暴行を加えていた事が当時の選手の口から語られる*9など、いろいろと評価の分かれる人物でもある。

例えば阪神・楽天の前任監督である野村克也は「采配は評価に値しないが、もしフロントを動かすのも監督の仕事であるならば、現代の名監督は星野ということになるのだろうか」と評している*10
野村によると、NPBの監督の歴史は「心の時代」「頭の時代」「金の時代」に分けられるという。
当初は真面目に練習をする選手も少なかったから、選手の「心」を動かして本気にさせる親分肌の監督が実績を残すことができた(代表格は鶴岡一人)。
みんなが真面目に練習をやる時代になると、心では差がつかなくなり、「頭」を使って相手の裏をかく野球をやる監督が実績を残せるようになった。
やがてどの球団もデータを活用し、基本戦術を使いこなせるようになった現代では、もはや頭でも差はつかず、いかに「金」で才能のある選手を補強するかが監督に求められるようになった。

そんな各時代を象徴する名監督が鶴岡・野村・星野ということである。なんJでも概ねこのような歴史観で星野を位置づけた上で、それが監督の仕事として評価されるべきか否かで議論が分かれていると言えよう。

現場采配の監督、人事やフロントを動かすゼネラルマネージャー(総監督)という役割分担の考え方とは逆で、星野の場合は中日監督時代以降一貫して人事権を掌握し積極的なトレードを展開していた。*11*12
なんJでも星野在任中はたびたび強烈な信者*13とアンチがレスバトルを繰り広げていた。


余談

5ちゃんねるにおいては、レス数が1000に到達したスレッドは書き込めなくなり過去スレ化する。書き込みができなくなったことを知らせるレス番は「1001」である。
また、スレが1000まで到達することは「完走」と呼ばれる。


2020年6月には阪神のリリーフ陣に故障・不調者が続出し開幕から最下位を爆走。19日のレギュラーシーズン開幕*14から月末までの10試合すべてで失点、チームの中継ぎ全体で防御率10.01を叩き出すという全盛期俺達をも超越した成績を残している。

関連項目


*1 ニックネームである「仙さん」の連想。ちなみに、先輩からは「仙ちゃん」と呼ばれていた。
*2 田淵幸一・平松政次■■■■山崎武司新庄剛志らにも類似の話がある。
*3 2リーグ制分立以降で「通算100勝、打率2割以上」のピッチャーは星野と桑田真澄の2名だけ。
*4 親密さを象徴する逸話として、中日、阪神、広島のどれかが直接対決するときは互いの自宅で前泊していたという。本来であれば作戦が漏れるなど機密上好ましくない行動といえるが、三者とも名門大から鳴り物入りして入ったスター選手であり黙認状態だったという。
*5 中日監督時代は弟を事故で失った郭源治に「弟が見ているぞ」と励まし、山本昌、前田幸長といった叱られるとへこむタイプに手を出さず、我慢強い中村武志に鉄拳制裁を下し綱紀粛正を度々行っていた。生贄同然の扱いだった中村だが、のち矢野燿大鈴木郁洋といった有望な若手捕手が入団しても正捕手の座は中村を優先し続けた。
*6 阪神監督時代には野球エリートであった今岡誠には甘く接し、反骨心が強かった赤星には厳しく接して両者の能力を伸ばし、2003年シーズンにおける1、2番コンビを構築したことが有名。ちなみに前任の野村は今岡との確執が響いて成績を伸ばせなかった。
*7 楽天監督時代はマギーとジョーンズ曰く「ホシノは怖い人と聞いていたが、会ってみると気さくで接しやすい人だった」と述べ逝去時には追悼コメントを出している。また塩見貴洋の獲得を主導し、楽天でも釜田佳直、岡島豪郎を登用した。
*8 中日時代には落合博満、阪神時代には金本知憲などを補強している。
*9 前述と重複するが標的とされたのが中日監督時代の正捕手・中村武志で、試合中ボコボコにされ顔が腫れてマスクを被れず途中交代になった、涙を浮かべてマスクを被り打席に入った相手選手から同情・心配された、星野に呼び出された時にマスクを被って監督室に現れたなど中村へのかわいがりエピソードは多い。ただし選手の奥さんを味方にすることを欠かさないため、既婚の選手は殴らなかった。
*10 なお星野を後任の阪神監督に推薦したのは、フロントを動かして補強させなければこのチームを建て直すことはできないと悟った野村自身である。
*11 西本聖、前田幸長、関川浩一、下柳剛など成功例は多いが人事面では周囲との衝突が多く、中日監督時代に放出した鳥越裕介に公共の電波上で誹謗されたり、阪神監督時代初年度に選手20人も戦力外を出した時には球団のみならずスポンサーにも撤回を求められたりしている。ただし後者に関しては本来はクビレベルの選手を残そうとさせるなど、在阪タニマチの横暴の実態があり、星野だけでなく野村克也も苦言を呈したが彼らでさえどうにも出来ず現在でも問題になっている。
*12 交流戦導入以降シーズン中に正規と異なる限定ユニフォーム着用が増えたが、星野は1998年に「日曜のホームゲーム限定」のサンデーユニフォームを早くから取り入れていた。しかし着用時の成績の悪さ(3勝9敗)に加え、母校である明大のユニ(白地に青紫)に酷似していたことで「チームの私物化」と批判され1年限りで廃止に追い込まれている。
*13 代表例としてはタレントで中日の先輩である板東英二、大学の先輩で悪名高きスポーツライターの工藤健策、巨人の元オーナー・渡邉恒雄など。その他在籍したチーム全てでスポンサーには人気絶大だった。
*14 当初は3月20日の開幕を予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受け3カ月遅れでの開幕となった。