神のお告げ

Last-modified: 2021-01-26 (火) 23:52:33

マイク・グリーンウェル(元阪神)のこと。

概要

1996年、タイガースは前年に発生した阪神大震災の影響に加え「暗黒時代」と形容される球団の慢性的な弱さ、フロントの杜撰さ*1もあり観客動員数が大幅に落ち込み、サントリーへの身売り話*2も土壇場で破談してしまうなど、崖っぷちに追い込まれていた。何しろ関西のスポーツ新聞の一面は前年からパ・リーグ連覇を達成し、同年は日本一になったオリックス・ブルーウェーブだった日が多く、阪神は関西マスコミからも見放されつつあった。

そこでてこ入れのため、1996年オフには西武からFAした大物獲得に動く。「電鉄本社の重い金庫の扉」を開け、当時の吉田義男監督も「ユニフォームの縦縞を横縞にしてでも」と獲得に熱い思いをその大物に伝えるも結果的に巨人にさらわれてしまう。そのため、その資金を使ってボストン・レッドソックスで活躍し「ボストンの英雄」とまで呼ばれていたグリーンウェルの獲得を計画し、上述の大物を失った西武に加え、近鉄も含めた三つ巴の争奪戦を展開。一時は西武と契約する寸前だったが、阪神は大枚をはたいて逆転する形で獲得に成功する。

まず、阪神はグリーンウェルのために家賃150万円の高級マンションを提供するも、グリーンウェルは「狭い」と苦情。大物に機嫌を損ねられては困る阪神は2部屋を借り、壁を取っ払う工事を行なった結果家賃300万円+工事費用を負担する羽目に。さらに、当時6文字しか表示できなかった甲子園の電光掲示板もグリーンウェルのために改良*3することとなった。
しかし、翌1997年は2月1日のキャンプ開始には間に合ったものの2月11日には牧場と遊園地経営を理由にキャンプを離脱*4。当初はオープン戦には帰ってくる予定だったものの腰痛と背部痛を理由に再来日は遅れに遅れ、ようやく来日したのは4月30日。その後5月の2試合で活躍はするも「日本にはゴルフをしに来ただけ」とさえ言われたほど練習態度は不真面目、打撃は本塁打三振四球よりも併殺が多い低打率ノーパワーあへ単ゲッツーマシン*5右翼守備はお粗末かつ弱肩*6という有り様で攻守で阪神ファンを失望させつつあった。そして出場7試合目で自打球により骨折。その後「野球をやめろという神のお告げ」と迷言を残して電撃退団。吉田監督は「嵐のごとくやって来て嵐のごとく去っていった、つむじ風のような男」と評した。また、試合に出た時期から「GreenWellじゃなくてGoldenWeekだ」ともいわれる。

余談

当時の阪神らしいお粗末な顛末として未だネタにされる。実は阪神や獲得を狙っていた西武・近鉄だけでなく、第二次星野仙一政権時代の中日も獲得を検討していたが、性格難や不真面目さを米国の野球関係者から忠告され取り止めた経緯があった。またグリーンウェル自身も1996年限りでレッドソックスを退団し実質引退同然の身であった。

さらに、当時のグリーンウェルの代理人であるジョー・スローバーが1995年にダイエーに在籍するも多数の問題行動を起こし途中退団したケビン・ミッチェル*7を担当していた言わば札付きの人物*8であり、それが余計に話をややこしくしていた*9。皮肉にも、レオ・ゴメス(中日)*10ドミンゴ・マルティネス(西武)*11フィル・クラーク(近鉄)*12と、グリーンウェルの獲得を見送った(or獲得に失敗した)中日・西武・近鉄は同年オフ、(グリーンウェルの大外れに泣かされることになった阪神とは対照的に)ことごとく当たり外人を引き当てた。

この一件もあり、阪神は「ケチな上に金の使い方を知らない」「外国人を見る目がない」と揶揄されるようになる。またビザ取得などの関係で来日が遅れたり、故障などでキャンプやオープン戦、シーズン開幕に間に合わなかったりする外国人選手は「グリーンウェルの再来*13」を懸念されることも。

なお、これを機に阪神は新外国人を取る場合には実力よりもまず性格を重視するようになった模様。実際、あまり活躍しなかったケビン・メンチウィリン・ロサリオボーア軍ネタでイジられたジャスティン・ボーアなどは性格が良いことで知られている。

日本では「1試合2570万円男*14」と呼ばれ、未だに阪神ばかりかNPBファンからは絶許扱いだが、米国では名選手としてリスペクトを受けレッドソックス殿堂入りしている。

ちなみに、年俸についてはその4割を返上することで決着している。

1997年の阪神は3年ぶりの最下位脱出を果たすも最下位中日とは3ゲーム差の5位に終わった。

本人による解説

2019年7月7日放映のフジテレビ系列『ジャンクSPORTS』にグリーンウェル本人がインタビュー出演。「契約金のすべてを返す」とオーナーに打診したところ、「正直ないい人だ」と言う事でお咎めなしになったと語った。

関連項目


*1 中村勝広・藤田平両監督の更迭劇、95年ドラフトの大失敗など。
*2 オーナー・久万俊二郎が直々に佐治敬三(サントリー社長)へ持ち掛けたとされる。ただ、1980年代以前から甲子園球場の公式のビールはずっとアサヒビールであり、21世紀に入ってキリンビールが販売されるようになったが、未だにサントリービールは発売されていない。
*3 この改良が後年のランディ・メッセンジャー入団の時に役立った。
*4 「キャンプを途中離脱してよい」ということは契約条件に入っていた
*5 打率.231、長打率.346、OPS.656。MLB時代から三振よりも四球の方が多く(364三振に対して460四球、三振率は.0705)、NPBでも29打席で0三振と、比較的三振の少ないバッターだった。反面、7試合で4併殺をマークし併殺率は異次元の.137(29-4)だった。
*6 久慈照嘉には「送球がチェンジアップ」と評され晩年の金本知憲並みだった。もっとも阪神入団の段階で肩の手術歴・死球による親指の負傷歴・膝の慢性的負傷などがあり既に身体はボロボロだったという。
*7 水泳帽の悪魔ことトニー・ミッチェルの従兄弟。シンシナティ・レッズ所属時には仮病を使う事でも知られ、かの1994年-1995年のMLBストライキの余波でブームとなっていたNPB移籍の波に乗ってダイエーがロクに精査もせず入団にGOサインを出して入団。ダイエー時代に初打席満塁本塁打を打つも程なくして故障再発、無断帰国2度で解雇され、ランディ・バースからもダイエー球団に苦言を呈された。
*8 近鉄はスローバーが代理人であることに二の足を踏みグリーンウェルの獲得から手を引いていた。
*9 上述のマンションの件はむしろスローバーの意向が大きかったとも言われている。
*10 中日は1996年オフにダネル・コールズを解雇し、コールズに代わる新外国人としてゴメスを獲得した。中日は同年以降広いナゴヤドームを本拠地としたことで本塁打が激減したが、ゴメスはその広さを苦とせず在籍6年間(1997年~2002年)に30本塁打を2回記録(1997年・1999年)。両年ともセ・リーグのベストナイン(三塁手)を獲得し、特に1999年には打率.297・36本塁打・109打点・OPSは.959と好成績を残し、中日のリーグ優勝に貢献した。逆に阪神に入団したコールズは成績を残せなかった。
*11 1996年オフに巨人へFA移籍した清原和博の代役として入団すると2年連続で30本塁打を記録しリーグ2連覇に貢献したが守備力がネックとなりこの年限りで退団。翌年シーズン途中に巨人へ加入すると清原との併用で常時出場とはならなかったが結果を残し、2000年の日本一に貢献した。
*12 元メジャーリーガーでヤクルトでもプレーしたジェラルド・クラークの弟。近鉄には1997年~2000年に在籍し、1年目前半は適応に苦しむが、日本野球に慣れてきた後半に爆発してイチローとの首位打者争いを繰り広げた。翌1998年は打率.320・31本塁打・114打点(OPSは.971でパ・リーグ1位)と好成績を残し、1999年まで3年連続でベストナイン(1997・1998年は一塁手、1999年は指名打者)に選出された。
*13 マウロ・ゴメスジェフリー・マルテなどが言われた。特にゴメスはグリーンウェルとイニシャルも同じことからネタにされた。
*14 後に「1球3077万円男」が誕生
*15 97年当時の登録名は「金村暁」。
*15 この発言をした当時日本ハムの金村曉*15は後に阪神でプレーすることになる(グリーンウェルが阪神に在籍していた当時は日本ハム所属で、「絶許」発言があった時も日本ハム所属だった)。