マイク・グリーンウェル(元阪神)のこと。
概要 
1996年、タイガースは前年に発生した阪神大震災の影響に加え「暗黒時代」と形容される球団の慢性的な弱さ、フロントの杜撰さ*1もあり観客動員数が大幅に落ち込み、サントリーへの身売り話*2も土壇場で破談してしまうなど、崖っぷちに追い込まれていた。何しろ関西のスポーツ新聞の一面は前年からパ・リーグ連覇を達成し、同年は日本一になったオリックス・ブルーウェーブだった日が多く、阪神は関西マスコミからも見放されつつあった。
そこでてこ入れのため、1996年オフには西武からFAした大物獲得に動く。「電鉄本社の重い金庫の扉」を開け、当時の吉田義男監督も「ユニフォームの縦縞を横縞にしてでも」と獲得に熱い思いをその大物に伝えるも結果的に巨人にさらわれてしまう。そのため、その資金を使ってボストン・レッドソックスで活躍し「ボストンの英雄」とまで呼ばれていたグリーンウェルの獲得を計画し、上述の大物を失った西武に加え、近鉄も含めた三つ巴の争奪戦を展開。一時は西武と契約する寸前だったが、阪神は大枚をはたいて逆転する形で獲得に成功する。
まず、阪神はグリーンウェルのために家賃150万円の高級マンションを提供するも、グリーンウェルは「狭い」と苦情。大物に機嫌を損ねられては困る阪神は2部屋を借り、壁を取っ払う工事を行なった結果家賃300万円+工事費用を負担する羽目に。さらに、当時6文字しか表示できなかった甲子園の電光掲示板もグリーンウェルのために改良*3することとなった。
しかし、翌1997年は2月1日のキャンプ開始には間に合ったものの2月11日には牧場と遊園地経営を理由にキャンプを離脱*4。当初はオープン戦には帰ってくる予定だったものの腰痛と背部痛を理由に再来日は遅れに遅れ、ようやく来日したのは4月30日。その後5月の2試合で活躍はするも「日本にはゴルフをしに来ただけ」とさえ言われたほど練習態度は不真面目、打撃は本塁打三振四球よりも併殺が多い低打率ノーパワーあへ単ゲッツーマシン*5、右翼守備はお粗末かつ弱肩*6という有り様で攻守で阪神ファンを失望させつつあった。そして出場7試合目で自打球により骨折。その後「野球をやめろという神のお告げ」と迷言を残して電撃退団。吉田監督は「嵐のごとくやって来て嵐のごとく去っていった、つむじ風のような男」と評した。また、試合に出た時期から「GreenWellじゃなくてGoldenWeekだ」ともいわれる。
余談 
当時の阪神らしいお粗末な顛末として未だネタにされる。実は阪神や獲得を狙っていた西武・近鉄だけでなく、第二次星野仙一政権時代の中日も獲得を検討していたが、性格難や不真面目さを米国の野球関係者から忠告され取り止めた経緯があった。またグリーンウェル自身も1996年限りでレッドソックスを退団し実質引退同然の身であった。
さらに、当時のグリーンウェルの代理人であるジョー・スローバーが1995年にダイエーに在籍するも多数の問題行動を起こし途中退団したケビン・ミッチェル*7を担当していた言わば札付きの人物*8であり、それが余計に話をややこしくしていた*9。皮肉にも、レオ・ゴメス(中日)*10、ドミンゴ・マルティネス(西武)*11、フィル・クラーク(近鉄)*12と、グリーンウェルの獲得を見送った(or獲得に失敗した)中日・西武・近鉄は同年オフ、(グリーンウェルの大外れに泣かされることになった阪神とは対照的に)ことごとく当たり外人を引き当てた。
この一件もあり、阪神は「ケチな上に金の使い方を知らない」「外国人を見る目がない」と揶揄されるようになる。またビザ取得などの関係で来日が遅れたり、故障などでキャンプやオープン戦、シーズン開幕に間に合わなかったりする外国人選手は「グリーンウェルの再来*13」を懸念されることも。
なお、これを機に阪神は新外国人を取る場合には実力よりもまず性格を重視するようになった模様。実際、あまり活躍しなかったケビン・メンチやウィリン・ロサリオ、ボーア軍ネタでイジられたジャスティン・ボーアなどは性格が良いことで知られている。
日本では「1試合2570万円男*14」と呼ばれ、未だに阪神ばかりかNPBファンからは絶許扱いだが、米国では名選手としてリスペクトを受けレッドソックス殿堂入りしている。
ちなみに、年俸についてはその4割を返上することで決着している。
1997年の阪神は3年ぶりの最下位脱出を果たすも最下位中日とは3ゲーム差の5位に終わった。
本人による解説 
2019年7月7日放映のフジテレビ系列『ジャンクSPORTS』にグリーンウェル本人がインタビュー出演。「契約金のすべてを返す」とオーナーに打診したところ、「正直ないい人だ」と言う事でお咎めなしになったと語った。