大田泰示が日本ハム移籍後に好調を保っていた理由についての一つの仮説。
概要
- 巨人時代 (2009-2016年)
2008年ドラフトで読売ジャイアンツから1位指名を受け、東海大相模高から1位入団*1。原辰徳監督の母校の後輩という縁もあり、松井秀喜の背番号55を与えられる、選手寮にて松井や坂本勇人が使用した出世部屋を宛てがわれる、原直々の打撃指導を受ける*2などの厚遇を受け、大きな期待をかけられていた。しかし一軍に定着出来るような結果は残せず、2013年のオフには背番号55も剥奪される。結局8年間で規定到達ゼロ、通算打率.229、9本塁打、40打点という成績に終わり、2016年オフに大田・公文克彦⇔吉川光夫・石川慎吾のトレードで北海道日本ハムに移籍した。
- 日本ハム時代 (2017-2021年)
移籍後わずか3ヶ月で9本塁打を放ち、巨人時代8年間の通算本塁打数に並ぶ。規定打席にも初めて到達し、移籍初年度でいずれも当時の自己最高となる打率.258、15本塁打、46打点を記録。
翌年以降も安定した成績を残し、2018・2019年オールスターにプラスワン投票で選出される*3、2019年6月9日にNPB史上35人目となる全球団本塁打を達成*4する等、巨人時代とはまるで別人のような活躍を見せた。
原因の考察
常勝軍団であることを求められる巨人と、若手が伸び伸びとプレイできる日ハムの環境の差を挙げる意見が目立っていた折、北海道のローカル情報番組である『みんなのテレビ』にて「一枚で環境の変化を的確に表した画像」が紹介される。巨人側の大田は強面で威圧的な4人のOBに包囲されて窮屈そうに練習していたのに対し、日ハム側の大田は満面の笑みの森本稀哲*5に見守られながら朗らかに練習しており、テロップで「怖いOBが来なくなった」と書かれていたことから、「森本は怖くないOB」「サンキューひちょり」などと称されるようになる。
この画像が貼られた際は「ひちょりニコニコでワロタ」とレスするのがある種のお決まりになっている。
大田本人も「日ハムではのびのび野球がやれている」と語っており、この説の信憑性が有力になっている。
なお、2021年オフに大田はノンテンダーとなりDeNAへ移籍、2024年までプレーしたが、森本はDeNAのOBでもある*6ため引き続き「怖くないOB」となった。
怖くないOBが大集合
2017年、飯山裕志の引退セレモニーにて、飯山の登場曲『勇次』(長渕剛)を歌うOB一同。
左から岩本勉→建山義紀→稲田直人→森本稀哲。
巨人、怖いOBの排除に乗り出す
大田の移籍後の活躍が契機となったのか、2018年オフの原辰徳*7の監督復帰から、巨人も怖いOBと距離を置く施策を取り出した模様。
巨人の異変 東京ドーム食堂へのOBの出入り禁止に
https://www.news-postseven.com/archives/20191116_1484991.html?DETAIL
5年ぶりのリーグ優勝を果たすも日本シリーズではソフトバンクを相手に無残な4連敗に終わった原巨人。課題は数多いが、違った視点から巨人の問題を指摘するのは、V9時代前半のエース・中村稔*8氏(81)だ。
中村氏は「今の巨人はOBの意見に耳を傾けない空気がある」と言う。
「東京ドームに視察に行った時、食堂でメシを食っていたら、副代表が来て“今年からここにはOBの方は入れなくなったんです”と頭を下げてきた。以前はこの食堂で、私が気づいた現役選手の異変を本人に伝えていたのに、それができなくなった。
メルセデス(25)の膝が割れることや、菅野のフォロースルーが足りないこと、宮國(椋丞、27)の投球フォームのバランスなど、今シーズンは指摘できなかった修正点があった。OBの声が届かないもどかしさはありますね」
なお2023年、原が監督を退任し、阿部慎之助が監督に就任してから再びOBの出入りが解禁された模様。