人文科学カテゴリー逆流所
あるいはこう。
これからの「倫理」の話をしよう。
人文科学的現代倫理の見地として「常に対話が最重要であるとは限らない」という話。
- もしもこの言葉が変化球に聞こえたならば、日々振るう無自覚の権力勾配を自覚せねばならない(このページのゴール)。
「肉体の限界は克服できない」
ディベート(討論会)の理想形
- ディベート
- はいじゃあ賛成派と反対派に分かれて、それぞれ交互に主張・反論・再反論してくださいね。
- 立場交換
- 仮に命じられたなら、あなたの立場を相手の側にスイッチ(交換)し、相手の論点を正確に模倣し、再現して主張できる。
- この水準。本来あるべきスタート地点はここ。
相対する集団がいかなる枠組みで何を主張しているのか聞き、
内心の賛同非賛同はどうあれ、論理展開を正確に模倣できるほど高度に理解し、
その上で己が支持する声にて反駁する。 - でも、そんなのアカデミックな理想形に過ぎない。私は日常生活で一度も見たことがない。
- わざと「愚かな敵」になりすまそうとして失敗している迷惑行為はSNSとかで山ほど見る。
下手をするとなりすましのなりすましのなりすましくらいまでbotとAiでネットワーク作れてしまうし、私でも思い付くアイデアごとき世論誘導試みる奴らがやらせていないわけないから匿名を信じちゃいけないし、匿名への不信によって相対的に信用を高める非匿名インフルエンサーもなおさら信じちゃいけない。 - じゃあ何を信じろというのか?と問うかもしれない。実は人間は何も信じなくてもよい。ってか多角的に比較検討する思考リソースの余裕が無いなら下手に何かを信じるべきではない。カモられるな。
- わざと「愚かな敵」になりすまそうとして失敗している迷惑行為はSNSとかで山ほど見る。
- この水準。本来あるべきスタート地点はここ。
ディベートの限界
いつでも成り立つわけではない
先に挙げた理想的な言説比較環境は、
- すべての参加者が対等に真摯な態度で揃う
- すべての参加者が対等に情報を揃える
- すべての参加者に対等な環境を揃える
ここまでやってはじめて成り立つもの。
これらへの違反とは何か。
すべきではない:態度の不均衡。
実は、「真摯な態度」は「常に話し合いに応じる態度」を意味しない。
むしろ差別や不平等が関係するとき、倫理的に一切応じるべきでないケースが多々生じる。
悪意を目的とする討論の要求、真面目に討論する気が無い討論の要求。
- デマを利用する相手
- 議論の体で差別を浴びせる/拡散する相手
- 嫌がらせや屁理屈(trolling)に走る相手
- 「合法な範囲でハラスメントしてはいけないのか?」とか
「差別ではなく区別してはいけないのか?」とか
「違法ではないのだから妄想で侵犯してはいけないのか?」といった討論への参加を"される側"に要求する態度は、それ自体が悪意の発露であり、はじめから討論の前提を満たしていない。 - ヘイトスピーチ発信源を対等な討論の場に招いてはいけない倫理上の理由。
- 「合法な範囲でハラスメントしてはいけないのか?」とか
もう一歩踏み込んで書く?
「相手の気持ちを考えよう」は対話成立を目指すうえでの必要条件の一つでしかなく、常に双方向であるとも限らない。
しなくてもよい:
相手が自覚の下に悪意を持っていると決まったわけではないが、不均衡や差別や勘違いに気付いていないらしい場合。
→相手が単に前提を共有していないようなので、話せばわかるかもしれない。
情報の不均衡。
- 社会構造に温存された差別
- 根が深すぎて「善良なひと」でも気付けない、気付きにくいトピック。
- 数年前まで少女相手の児童婚が合法だった国で、改正以前はあんまりグロさに気付かれておらず擁護論も多数出たとか。
- 統計や定説に否定される素朴な(誤)認識
- 本来なら討論にはなり得ないトピックに対して討論を求められた場合。
- 相手の誤解や無知に由来するだけかもしれないし、誠実に対応すれば伝わるかもしれない。
でも、対応しなくてもいい。
なぜか。
本当に知らないのか、それとも悪意が潜んでいる(嫌がらせで無意味に消耗させようとしている)のか、他人には区別できない。
十分に大きな影響力を持つ(誤解だった場合に正すメリットが十分にある)相手なら対応してもいい。
そうでもない相手の討論要求にまで際限なく応じるとき、時間・体力・気力の負担はどこまでも膨らんでしまう。対応しなくてもいい。あるいは個別レッスン代を請求せよ。どうせ即逃げるぞ。- 私の観測範囲内では選択的夫婦別姓実現を求めて声上げてる人々がよく被害に遭っている。私も小学校中学年くらいからはよ改正しろと言っている筋金入りの自由化支持者であるためホンマなら並んで声を上げたいけど、すまんああいう奴ら相手にすんのは無理。
- 私の観測範囲内では選択的夫婦別姓実現を求めて声上げてる人々がよく被害に遭っている。私も小学校中学年くらいからはよ改正しろと言っている筋金入りの自由化支持者であるためホンマなら並んで声を上げたいけど、すまんああいう奴ら相手にすんのは無理。
- WIKIWIKIは(管理)ユーザー保護施策として「質問するふり」ハラス(=シーライオニング行為)を規約違反代表に挙げている。
やたら管理者保護を強調しているし、たぶんこれ管理ユーザー=若い女性と分かった途端に粘着してくるおじさん被害からのWiki閉鎖とか積み重なった果実じゃないかな。運営推奨滅。シーライオニング行為は禁止されています。これは、礼儀正しさを装って、相手に執拗に質問や反論を繰り返し、相手を精神的に疲弊させる行為です。 WIKIの管理者に対して頻繁に行われることがあり、管理者はボランティアとして活動しているため、こうした行為は大きな負担となります。
⚠管理者や他の利用者を困らせる行為は、迷惑行為として禁止されています。 健全なコミュニケーションを心がけましょう。- この文を読んでいる人間がおじさんに属する自認の場合「おい唐突におじさん差別を始めるな」とか思ったかもしれない。
「これは差別ではなく区別である」
または「不特定多数に向けた言説であり人格攻撃ではない」
または「今のは不良なおじさんに向けた非難であり良いおじさんに向けた攻撃ではない」
または「値踏みに暴力性は無い」
といった言説の是非を一通り問うことで、なんとまあしっかりページに連動する。何の話か分からなかった人は二つ前のセクション読み直し。
- この文を読んでいる人間がおじさんに属する自認の場合「おい唐突におじさん差別を始めるな」とか思ったかもしれない。
主張機会の不均衡。
母語話者と非・母語話者で持ち時間を平等にしても公平性が保証されないとか。
その他様々な環境の不均衡。
よく見るとモデレーターが微妙に中立ではないとか参加者や聴衆の性質がちょっと偏りすぎているとか、何らかの専門用語で表されて然るべき人権問題でも権力構造の中で名前が与えられず争点化できないとか、公平な討論環境を破壊するかもしれないあらゆる変数。
→ディベート拒否は条件次第で正当化されうる。
「討論一般」の構造的限界:
あなたが「敵」の話を理解していない/理解できない/理解する気がない/そもそも聞く気がないとき、言説を介した理想的ディベートは絶対に成立しません。逆もまた然り。
「倫理上の懸念や環境の不均衡を理由に"言説に隠れた暴力"との相対を拒む人権」なる観点を忘れてはいけない。
何か。意を異にする個人や集団の一方が議論の場から逃げているように見えるとき、本当に不誠実な態度を取っているのはどちらの側であるのか。
常々よく考えねばならない、特に議論を迫る側は。
といった話が認識として共有されているSNSをとんと見掛けない。
投稿フォームのデフォルト文にあなたには議論を拒む権利がありますと書きやがれ。PvPで人類を疲弊させるな。
ここまで入門編。
性と身体をめぐる問題
もっとローカルな事情。
「性表現と規制論」の限界
身体の限界は克服できない
私にせよあなたにせよ生の身体を持ち、真に逃れられるわけではない。
精神の限界も克服できない
「ある社会集団の内側でのみ共有される感覚」が身体性に由来しているとき、「別の社会集団」は真の意味でそれを理解し得ない。
身体性embodimentに由来する不均衡も克服できない。
妙に雰囲気が明朗なこのページに書くには長引きすぎるからまたの機会に。
ページタイトルにキーワード書いておいたからAIに質問してね。私には聞くな。
どうしようもないものはどうしようもない
自身の性ではない性の身体/精神感覚は、真の意味では分かりえない。
あなたが「敵」の話を理解していない/理解できない/理解する気がない/そもそも聞く気がないとき、言説を介した理想的ディベートは絶対に成立しません。逆もまた然り。
まだよく分からん?
私はオタクに甘いので着眼点を持ち込む。
性表現とわいせつ規制論が論理上交錯するとき、対話機会を求める心理的動機は一方にとってどの程度、もう一方にとってはどの程度だろうか?
これで分からなければページタイトルからやり直し。
まだ分からん?
視る性欲と視るなの嫌悪を並べるとき、
どちらが実在の概念だろうか。
どちらが不特定多数へのお気持ちだろうか。
「話を聞いてくれ」と「もういいからあっち行ってくれ」双方の対立は勾配として均衡だろうか、それとも不均衡だろうか。あるいはケースバイケースだろうか。
あるいはまた、対立集団との対話の開始はどちらにより大きな譲歩を課すだろうか。
あるいは、もっと簡潔な権威が欲しい人ならこう。
「身体的嫌悪に基づく不快」と「創造性に基づく快」を並べ、後者をより高次と肯定したJ.S.ミルの論は、160年経過した今もって規制論争からの防御に有効だろうか。
……本気で「敵」との対話可能性を検討するなら、「相手の気持ちを考えよう」よりさらに手前の準備段階がこの辺。
- なんで手前か。
何を言いたいのかよく分かったし、ここまでもう十分見てきたじゃないかとか思っただろうか。これらはどれも無機質な学術的視座に基づく論理パズルとしての吟味や検討であって、あなたはまだ「敵」のお気持ちを考え始めてもいないから。