若干の補足+旧コンテンツからサルベージ
| コネ*1シリーズ | 当Wikiにおける「文学」の定義について 修辞(レトリック)について 「物語を読む」という行為について 「ファンタジー文学を読む」「SF文学を読む」という行為について ポリティカル・コレクトネスとは何ではないか |
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- 一行
- isakusanが語る際の狭義の「文学」(=純文学)と異なり、広義(=文学作品全般)で用いている
- 純文学
- 売上気にしない群
(表現それ自体が目的である作品)
韓国独自の事情(純粹文學/參與文學)
순수문학純粋文学 참여문학参与文学
- ただ「文学」と表記されている場合、暗黙的に純粋文学を指す(ことが多い)。
[旧コンテンツ復刻]
文学
文学研究の略称でもあり文学作品の略称でもある
- 文学作品
- この語は別に品質の話をしていない
「文字媒体によるなにがしかの創作活動の成果物」は定義上すべて文学作品と分類される
ソシャゲのシナリオパートも文学作品- それでもあえて定義を狭めるなら「文字媒体を主とするなにがしかの創作活動の成果物」と(映像を伴う媒体を除いた)説明も可能
そのように定義する場会はシナリオパートが境界線付近を踊り始める- isakusanが「ブルアカは文学じゃねえぞ」と語る場合は狭い定義/「立ち絵やスチルやBGMやそれらを動かすスクリプト演出抜きには成立しない、総合媒体としてのシナリオパート」が念頭に置かれている
- 他方でこのWikiに文学作品と書いてあった場合は広い定義を指している/ソシャゲのシナリオパートも含まれている
- それでもあえて定義を狭めるなら「文字媒体を主とするなにがしかの創作活動の成果物」と(映像を伴う媒体を除いた)説明も可能
- 文学研究
- ↑についてアレやコレを語る畑の総称
- 純文学
- 芸術(オタク用語)や文学(オタク用語)にある程度対応する語 何らかの理由で「読者に対する満足感の提供、見返りとして得られる銭の最大化」以外の路線を探求している奴ら
- isakusanが「ブルアカは文学じゃねえぞ」と語る場合はこっちも念頭に置かれている
- 文学者
- 書く者/研究する者どちらも指し得るややこしい語
今日的には書く者が小カテゴリーや類義語で言い換える(「小説家」「文筆家」)ケースが多い
(参考)カリグラム calligramme
カタカナ語だが↑から連続する話題であるため直下にぶら下げる
狭義の「文学作品」の定義(=文字を主体とする創作物)においてボーダーライン上を漂う存在
絵と見るか、それとも文と見るか?となると実際はいいとこ五分五分だろう
- そして「通常の文学作品は本当に絵画的要素を含まないのか?」と問いを抽象化する場合、その答えは一概に出せるものでもない
ページあたりの行数、行あたりの文字数、字詰め、改行の挿入頻度、漢字の開き方、送り仮名の付け方……といった諸要素は「語義を伝える記号としての文字」とは何も関係がない「通常の文学作品は本当に絵画的要素を含まないのか?」
「通常の
文学作品は
本当に
絵画的要素を
含まないのか?」「通常の文
学作
品は本
当に絵画的 要
素を含
まないの
か?」
しかしほとんどの作家は何かしら拘っている 作家以外も大抵は拘っている 読み手も読みやすさ/読みにくさを超えて文字の配列様式それ自体に意味を見出すスズランは毎朝七時に起床するベッドを整え歯磨きをして詩集を十分間朗読した後医療部へ向かい真剣にアーツの使い方を学ぶそれと同時に積極的に歳の近い感染者たちのメンタルケアの手伝いもするそして全ての医療オペレーターへの心を込めた挨拶も忘れない昼は必ず一時間昼寝をし起きた後は決まってチーズクリームココアを一杯飲むこっそりお菓子やプレゼントをくれようとするオペレーターがいても丁寧に断る一方で見知らぬ怪しげな者に出会うとオペレーターの後ろに身を隠し避けるように俯いて歩く午後は会議またはワルファリンの医療オペレーター講座を傍聴し終わったら会場を隅々まで掃除してから電気を消す夜は部屋に閉じこもって本を読む読書に疲れたら後方支援部の手伝いをするが少し褒められると照れてしまう就寝は夜十時前であるたまにポプカルやシャマレと一緒にいることもあるどうか忘れないでほしいスズランは我らの光であり──
これは果たして純粋な可読性の問題、あるいはナラティブ上のトーンを示す*2演出に限った話か? 形状に対する視覚的美醜判断を一切含んでいないと本当に言い切れるか?
