と銘打ったけどすまん実質ヴァージニア・ウルフが軸のページ
いつものインタビュー
https://news.denfaminicogamer.jp/interview/240628b_jp/3
そして、私にはひとつ、切なる願いがあります。それはキャラクターを人[原文:人間]として扱って[原文:待遇して]ほしいということ。
データは情報です。キャラクターは生きた存在です。
キャラクターとは、人間が投影された存在なのです。キャラクターとはわれわれ自身の反映であり、われわれはキャラクターの経験する物語を通じてわれわれ自身の人生を反芻できる。
だからこそ、『ブルアカ』では人間の持っている美点も欠点もすべてひっくるめて反映させようとしました。マーケティング的にはリスキーな選択ですが、挑む価値のある試みだと思いました。
解釈①:オタク一般の治安の悪さに角の立たない言い方で苦言を呈している
余裕で通る解釈。
- 特に韓国のブルーアーカイブ市場はウ……が不在だったつごうプ……ネ民が直接流入しており、[ここにキラキラした感じの形容]層の合流が前倒しになった影響で日本のコミュニティ史より早く治安崩壊していた。
解釈②:超カジュアルにspontaneityの話をしている
絶対違う気がするけど、論理上の可能性として一応置いておこう。
- spontaneityとは何ぞや
- 編集や演出の意図をすり抜けて侵入する現実の力。
(偶然の出来事の記録)
主に実写映像論が「リアリズムのなんたるか?」を論じるさい使っている、それなりにテクニカルな専門用語。
自生性/自発性等の訳語もある/そんなに定着していない。- 生放送がゆえ誘発されてしまう即興的事象
- 政治家の演説シーン撮っていたはずがうっかりクーデターや暗殺の現場撮っちゃったとか(狭義の放送事故)
- 編集意図をすり抜けて残る偶発的事象
- 「鑑賞中は気付かなかったけどよく見たら背景に無関係な事件映ってね?」みたいな副次的事象の記録
- 似てるようで異なる:contingency(偶発性)
- 「ファンタジー実写ドラマなのにうっかり背景にスタバの紙コップ残ってた事故」みたいなやつ(広義の放送事故)
意図の外には違いないけど、別に出来事[イベント]ではないため分けて語られる。 - spontaneity?
- ドキュメンタリーのインタビュー映像観てたら語り手がいきなり泣き崩れた!?
- ホンマに予想外のイベントだったけど好都合なので編集に含めた例
- 真正性authenticity=ホンマっぽさの演出として利用
(映像を取捨選択する過程で人の作意こそ入る。けどまあ事実撮影段階におけるホンマっぽさの発露には違いない例) - …やらせだった例
- 実は事前に示し合わせていたり、スタッフ側が強引にトラウマへ誘導していたり
- これはメディア倫理の問題でもある。今日的にはBPOの出番
- 比喩的な流用
- といった細かい話は実写映像以外にとってそんなに関係無いので、
「キャラ動かしてる最中にうっかり筆が乗って脚本の予定を外れちゃったけど、まあ面白そうだし、キャラが自分で動いてるライブ感あるし、いっそこのまま進めちゃおう」みたいな予定外プロセス全般に借用される……こともある。この用法においては別に専門用語ではない。
- 絶対違う気がする
- 文脈上キャラクターと現実の人間との相互作用の話をしているためspontaneityは関係ない。
解釈③:二次元美少女文化圏からヴァージニア・ウルフへ真剣に回答している
isakusanの守備範囲からして私は絶対こっちだと思う。
なぜって二次元美少女×人文科学(現代思想)における最大の難題の一つだから。
- isakusanの守備範囲
- 魔法図書館キュラレに名前の引用が見られる。
「人文科学や隣接分野で文学や隣接分野を学んだ人々」の知識には、確実にヴァージニア・ウルフが入っている。
英文学としても重要人物だし、フェミニズム文学史においては最重要人物の一人だから。
But this is woman in fiction.
But this is woman in fiction.
"A Room of One's Own"(1929)
第一波フェミニズム(女性参政権獲得運動)が結実したところに現れた、「フィクションの中に女性はいなかった」という(同時代の文学界的には)衝撃的指摘。
「表象における女性自身の不在」とか言えば学術的にそれらしくなる。学術的な説明読んでも本当は意味無いけどね。
- 神話含めた過去の名作に「いる」のは男性作家によって男目線で再現された女ばかりであり、同時代の女性ではない。
- 近代付近に至って小説発表を許される時代に辿り着いた有名な女性作家たちですら、男の目線に許される範囲内で動く女しか書けなかった。
[規範意識の内面化/よりフェミニズム的に言えば家父長制への隷従] - ところが現代に至ってようやく変化の兆しが表れている。
って話を1928年末のヴァージニア・ウルフが女子大生らに講演している体。
- "変化の兆し"として「私空間における女性同士の性愛描写」が挙げられる程度には当時の社会規範と今日のそれは異なる。
- この「性愛描写」は今日的に想像されるような激しさを持たない点に注意。
もっと絞ろうか。--"Chloe liked Olivia..." Do not start. Do not blush. Let us admit in the privacy of our own society that these things sometimes happen. Sometimes women do like women.
これ。Chloe liked Olivia...
これが1928年当時の女子大生ないし1929年当時の女性たちにとっては「違法ではないが非規範的な描写」だった。
- この「性愛描写」は今日的に想像されるような激しさを持たない点に注意。
- あくまで20世紀初頭における英文学圏観測範囲内のローカル講義であるため、他地域の例外*1まではカバーされていない。
woman(不可算名詞)
ここ誤読注意
そして100年経った。
今日的にはもう「究極の問い!」とまでは言えない。
論点も限られる。私的空間の描写に向けられる読者の目線であったり、気付けないくらい内面化されたジェンダーであったり…といった今日的観点はまだ現れていない。
ヴァージニア・ウルフは『第二の性』の出現を見ることがなかったから。
- しかしこの批判
が刺さる作家は今日でも大勢いるため、依然として最重要な問いかけの一つではある。But this is woman in fiction.
- やれやれ。
まあ村上春樹は別に「俺は本物の女性書いてるつもりだが?」とはそもそも思ってないだろうけど。どちらかといえば読者層が不審。
- やれやれ。
フィクション内に宿る家父長制的偏見の何が悪いか。現実とフィクションの区別がつかない層によって現実の女性に同様のロールを強いるモデルに使われたりするから。
- ここは二次元美少女より実写のフィクション→現実へのロール要求逆流が深刻。
- *ぎたくないんだけど。←こういうやつ。
やっと二次元美少女文化圏にかかる範囲の話
課題:最低限度の主体性の不在
今日的には「二次元美少女のリアリズム」とか「二次元美少女の非・人間性」とか「二次元美少女キャラクターの主体性や自律性の不在」とか理解すれば、オタク文化圏内の論題として何の話かすぐ分かることだろう。
- ⬛⬛くん♡⬛⬛クン♡⬛⬛君♡⬛⬛様♡⬛さま♪
- ブルーアーカイブってかisakusan的には、バレンタインイベントで普通に距離感置いた義理チョコだらけだったあたりがこのレイヤーに対する単純回答だろう/とりあえずハーレムを作るゲームではない。
じゃあワカモはどうなんだとか思うだろうけど「一切の脚本的理由なき顔見て即時一目惚れ」は一周回って通る回答。- 二次元美少女文化圏内の通常文法として
「二次元美少女が何か抱えている解決不可能な悩みを解決してもらったり絶体絶命の危機から助けてもらったので好きになっちゃうじゃないのよぉっ!」
報酬系としての惚れテンプレートが存在し、これ家父長制的世界観ね、なぜなろう系ヒロインは初手で危ないところを助けられるのか、しかし実のところ特に何とも思っていない相手に助けてもらったからと言って- 手癖で貼ったリンク先の子はツンデレ記号×新興宗教2世ネグレクト被害者というプ……ネらしからぬ背景持ちだったので実は必ずしも好きになっちゃう型ではない。とっくに好きになっちゃってたけど抑圧されきった規範の中でここプリコネ論じゃないからまた今度ね
話を戻そう。
- 手癖で貼ったリンク先の子はツンデレ記号×新興宗教2世ネグレクト被害者というプ……ネらしからぬ背景持ちだったので実は必ずしも好きになっちゃう型ではない。とっくに好きになっちゃってたけど抑圧されきった規範の中でここプリコネ論じゃないからまた今度ね
- 二次元美少女文化圏内の通常文法として
課題:一般向け作品における不在
それだけではない。実写映像だろうと一般向けCMだろうと、脚本の下で動くキャラクターである限りこの問題からは逃れられない。
- 露骨にプ……ネみたいな描写じゃない場合でも、たとえば大衆向けにヒット作を飛ばし続ける超有名監督これ名前出して大丈夫?のアニメ映画に描かれる女性がエアプ丸出しだったりするやつも同様。
- 一般向けアニメCMも同様。巻き込まれるのが面倒なので黙っていたけど、やや前にSNS上で繰り広げられていたカップうどんか何かのアニメCM内女性描写、人文科学的にはフェミニズム側の批判が完全に正しい。
批判が正しいというか本来的に批判が正しいかどうかのフレームではない。- 規範意識の内面化の話を書いたすぐ下の記述読んで「いや作ってるの女性アニメーターだから~」とか思った奴はいなかったものと期待する。
- 批判有効性と規制妥当性はまた違うところに線があるため、批判を受けた側が誠実な返答を試みる限りにおいて批判有効=規制妥当とはならない。
- このWikiは二次元美少女文化圏ド真ん中の淀みなのでほとんど二次元美少女の話をするけど、性産業vsフェミニズムの観点においては"フィクション"からの逆流現象がより深刻。気持ち悪い話はいくらでも出てくる。
キャラクターとは、人間が投影された存在なのです。キャラクターとはわれわれ自身の反映であり、われわれはキャラクターの経験する物語を通じてわれわれ自身の人生を反芻できる。
この辺まではisakusanが回答提出済み。
- ブルーアーカイブ原作…へ現実からアクセスする「われわれ」が作品内外の前提として特定ジェンダーに絞り込まれてはいない話、忘れていた場合はこの機会に思い出すこと。
- ブルーアーカイブ原作のシナリオは作品構造上必ずしも男性向けゲームではない。
商業的なフィードバックとしてそうであるだけ。 - まあ人間を描くと決心して常に上手く実践できるかどうかはまた別の話なので、時にはノノミのダンベルのようなよく分からない話も生まれる。(物理パワーっぷりをしれっと示すことでまあそんなもんかと思わせつつ「実はあいつらキヴォトス内でも普通にトップクラスでした」という二転三転させる読みにはなっていたし、単独のエピソードとして謎過ぎても世界全体の導入として意味は一応あった。)
でも人間を描くと決心しないよりは成功率が高まるはず。
- ブルーアーカイブ原作のシナリオは作品構造上必ずしも男性向けゲームではない。
課題:現実のジェンダーロール規範における不在
それだけではない。アナウンサーなど規範意識の下で固定的ロールを求められる現実の職業においてもこの問題からは逃れられない。
- なぜ女性アナウンサーは微笑まねばならないか。「お前ら全員プ……ネ!」と叫んで吐いてはいけないか。
- ここはオタク[家父長制]がフェミニズム[male gaze]との衝突点だと思ってる場所。
課題:日常生活における不在
それだけではない。その辺の一般人から伸びる目だろうとこの問題からは逃れられない。
- ここがオタク[家父長制]vsフェミニズム[male gaze]の真の衝突点。
理論面に出発点を見た時点で前提環境がだいぶズレている。
このページはまだ男性オタクの岸から見たフェミニズムの話でしかない。
- 男性オタク
- 実はこのページ内の想定読者たる「オタク」は完全に男性(生物学的男性・性自認男性)限定で絞り込まれている。
「その辺の男性であるオタクがうっかり迷い込んで読んだとして、コメント欄が面倒なことになるリスク皆無と仮定できる程度の当たり障りない内容」までフェミニズム解像度が希釈されている。
なんで絞ったか。このページに書いてある知識は、男性以外にとってほぼ意味が無い。 - ほぼ
- ヴァージニア・ウルフを知らなかった人がヴァージニア・ウルフを知る程度の意味内容だけはある。
人文科学カテゴリー注意書きの再掲。
読んでも分かった気になってはいけない。
カテゴリー内関連ページ含めた内容を余さず頭に叩き込んだとして、あなたはまだ何も分かっていない。
- この段階において、あなたの推定解像度は鼻で笑われるか面倒だからテキトーに対応されるかの二択。
- 知識の問題ではない。
- 生物学的性どうこうの問題でもないし、性自認どうこうの問題でもない(どちらも無関係ではない)。