1926年3月のヴァージニア・ウルフ。
ル=グウィンが"The Wave in the Mind"にて引用していた史料でもある。
前置き
- Vita Sackville-West
- 当時ヴァージニア・ウルフと親密な関係にあった女性
- 親密な関係
- オープンマリッジを前提とした恋愛関係とも呼ばれる。
- 1926年3月
- "A Room of One's Own"の数年前。
本文
引用は冒頭から二段落分。(私がテキトーに分割)
TO V. SACKVILLE-WEST
52 Tavistock Square, London, W.C.1
16th March 1926
I have been meaning every day to write something—such millions of things strike me to write to you about—and never did, and now have only scraps and splinters of time, damn it all—We are rather rushed—But, dearest Vita, why not take quinine, and sleep under mosquitoe nets? I could have told you about fever: do tell me if you are all right again (a vain question: time has spun a whole circle since you had fever off the Coast of Baluchistan)
私は毎日何かを書こうと思っていました――あなたに書きたいことが山ほど浮かぶのに――結局書かず、そして今や時の欠片と破片しか残っていません、ああもう――私たちはどうにも時間に追われてばかり――でも、最愛のヴィタ、キニーネを飲んで、蚊帳の下で眠らないんですか? 発熱のことなら私が教えられたのに。どうか教えて、あなたはもう平気なんですか?(むなしい問いですね――あなたがバルチスタン沖で熱を出してから、時はすでに一巡りしてしまったのだから)
Much to my relief, Lady Sackville wrote and told me you had arrived: also she asks me to go and see her, to talk about you, I suppose. "I know you are very fond of Vita"; but I haven't the courage, without you.
幸いにもレディ・サックヴィルが手紙をくださり、あなたの到着を知らせてくれました。彼女は私に会いにきてほしいとも仰っていました。あなたの話をするため、おそらくですが。「あなたのヴィタへの親愛は存じておりますから」と。けれど、とてもそんな勇気など出せません、あなたなしでは。
Last Saturday night I found a letter from you in the box: then another: What luck! I thought; then a third; incredible!, I thought; then a fourth: But Vita is having a joke, I thought, profoundly distrusting you—Yet they were all genuine letters.
先週の土曜日の夜、あなたからの手紙を郵便受けで見つけました。それからもう一通。なんたる幸運!と思いました。それから三通目。信じがたき素晴しさ!と思いました。そして四通目。でもヴィタの冗談だろうと、あなたを深々疑い――でもそれらすべてが本物の手紙でした。
I have spelt them out every word, four times, I daresay. They do yield more on suction; they are very curious in that way. Is it that I am, as Ly Sackville says, very fond of you: are you, like a good writer, a very careful picker of words? (Oh look here: your book of travels. May we have it? Please say yes, for the autumn.)
一字一句を四度は読み返したかと思います。吸うほどに多くを収穫できます*1――不思議なことですよね。私が、リィ・サックヴィル*2が仰るように、あなたをとても好いているからでしょうか。あなたが優れた作家のように、言葉を注意深く選ぶ人だからでしょうか。
(あら、そうだ――あなたの旅行記の本。いただけませんか? どうか「はい」と言ってくださいな、秋に出すために。)
I like your letters I was saying, when overcome by the usual Hogarth Press spasm. And I would write a draft if I could, of my letters; and so tidy them and compact them; and ten years ago I did write drafts, when I was in my letter writing days, but now, never. Indeed, these are the first letters I have written since I was married.
私は「あなたの手紙が好きです」と言っていたのに、例のホガース・プレス特有の発作に襲われてしまいました。
もしもできることなら、手紙の下書きを書いて、それを整え、まとめたいのです。十年前、手紙を書いていた頃は、確かに下書きをしていたのですが。今ではもう、まったくしません。じっさい、これは結婚して以来、初めて書く手紙なのです。
As for the mot juste, you are quite wrong. Style is a very simple matter; it is all rhythm. Once you get that, you can't use the wrong words. But on the other hand here am I sitting after half the morning, crammed with ideas, and visions, and so on, and can't dislodge them, for lack of the right rhythm.
「的確な表現」について言うと、あなたはいたく間違っていますわ。文体というのはとても単純な問題で、すべてはリズムです。一度掴んでしまえば、間違った言葉を使うことなどできません。けれども一方では、私はこうして午前の半分を座って過ごし、アイデアやビジョン詰めでありながらも、それらを外に追い出すことができないのです。正しいリズムを欠いているせいで。
Now this is very profound, what rhythm is, and goes far deeper than words. A sight, an emotion, creates this wave in the mind, long before it makes words to fit it; and in writing (such is my present belief) one has to recapture this, and set this working (which has nothing apparently to do with words) and then, as it breaks and tumbles in the mind, it makes words to fit it: But no doubt I shall think differently next year.
さて。この話、リズムのなんたるかとは、じつに深遠です。それは言葉よりはるか深きところにあるのです。ある光景、感情が、心のうちに波を起こす。それにふさわしい言葉を形作るより、ずっと前に。そして、書くという行為の中で(これは私の現時点の信念ですが)人はこの波をもう一度とらえ、動かさねばならない(言葉とは何の関係もなく)。そうして波が心の中で砕け渦巻くうちに、ふさわしい言葉を生み出すのです。
――でも、きっと来年には違った考えを抱いていることでしょう。
Then there's my character (you see how egotistic I am, for I answer only questions that are about myself) I agree about the lack of jolly vulgarity. But then think how I was brought up! No school; mooning about alone among my father's books; never any chance to pick up all that goes on in schools—throwing balls; ragging: slang; vulgarity; scenes; jealousies—only rages with my half brothers, and being walked off my legs round the Serpentine by my father. This is an excuse: I am often conscious of the lack of jolly vulgarity but did Proust pass that way? Did you? Can you chaff a table of officers?
それから私の気質についてですが(ほら、どれほどエゴイスティックかおわかりでしょう。私は自分についての問いにしか答えないのです)、陽気な俗らしさの欠如については同意します。でも考えてみてください、私がどんなふうに育ったか! 通学なし、父の書物に囲まれひとりぼんやり。学校で行われているはずのこと――ボール投げ、悪ふざけ、スラング、下品な冗談、口論、嫉妬――すべて学ぶ機会いっさい無し。ただ異母兄たちとの大喧嘩*3、あとは父に連れられてサーペンタインのまわりを歩かされるばかり。
これは言い訳です︰私は陽気な俗らしさの欠如をしばしば意識しています、でもプルーストはそんな道を通ったでしょうか? あなたはどう? 士官たちの卓を軽口で冷やかしたりできますか?
︙
- 手紙はまだまだ続く(ここまでで1/3くらい)けど、あとはだいたい同時代的な私信/引用おしまい。
補足
引用部末尾
社交性不足に対する一種の言い訳(冗談半分)で家庭環境/階級の話を持ち出しているセクション。
- ヴァージニア・ウルフの父親(サー・レスリー・スティーヴン)はナイト持ち=ジェントリーのてっぺん付近=貴族を除いた最上層に属していた。
- ジェントリー gently
- 地主、荘園領主、地方の名士
爵位持ちの世襲貴族でこそないが庶民目線では雲の上。
gentlemenな層。
Can you chaff a table of officers?
士官らに絡みに行く女性、すなわちジェントリーの中でもそれほど身分が高くない層。(こういった意識は、『高慢と偏見』のようなジェントリー目線のフィクションにおいては重要な前提となる)
- 上の階級から見て品が無く映る振る舞いの典型例。
- 「当時の各階層において、世間が受け入れうる女性のロール・バリエーションはきわめて限られていた」と解説してもよいだろう。
1920年フィルターおよび階級フィルターを外すなら、「いや確かに私は性根として陰気だけど、もっと社交的な陽キャになれっていわれてもテニサー入ってそうな尻軽な態度とかはちょっと…」みたいな話に向かう手前で止めている。
すなわち上流階級ジョーク。
(相手の父親は男爵=貴族の家系)
文体
ゆえにもっと育ち良さそうな訳文の方が正確性は高まる。
しかし私が上品レベル不足であるためそういった日本語を再現できない。
(参考)商業和訳
『ファンタジーと言葉』前文、青木由紀子訳(2006)
適切な言葉についてだけど、あなたのおっしゃっているのはまちがい。文体なんてとても簡単なことよ。文体って全部リズムなの。いったんリズムをつかんだら、間違った言葉なんて使いようがないの。それはそうなんだけど、もう午前中も半ばを過ぎたというのに、わたしはここにこうしてすわり、アイディアもヴィジョンも頭にいっぱいつまっているのにそれを外に出すことができないわけ。正しいリズムがつかめないから。今言ったことはとても深いことなの、リズムが何かってこと、そしてリズムは言葉よりはるかに深いところにある。ある光景、ある感情が心のなかにこの波をつくりだすの。それにふさわしい文章を作るよりはるか以前に。そして書くことで(というのがわたしの目下のところの信念なんだけど)人はこれをもう一度つかまえて、動き出させて(この動きは一見したところ言葉とは何の関係もなく見えるの)、それからようやくこの波が心のなかで打ち寄せては砕け、逆巻くにつれて、それに合った文章を作っていくの。でも、たぶん、また来年は違うことを考えているんでしょうけど。
せっかくだし比較。
§1
| 原文 | As for the mot juste, you are quite wrong. Style is a very simple matter; it is all rhythm. Once you get that, you can't use the wrong words. |
|---|---|
| 青木訳 | 適切な言葉についてだけど、あなたのおっしゃっているのはまちがい。文体なんてとても簡単なことよ。文体って全部リズムなの。いったんリズムをつかんだら、間違った言葉なんて使いようがないの。 |
| プリ*4訳 | 「的確な表現」について言うと、あなたはいたく間違っていますわ。文体というのはとても単純な問題で、すべてはリズムです。一度掴んでしまえば、間違った言葉を使うことなどできません。 |
- you are quite wrong. の直球っぷりにおいてどう上品レベル保つか。
- matterの処理は英→日翻訳の困りどころ。
§2
| 原文 | But on the other hand here am I sitting after half the morning, crammed with ideas, and visions, and so on, and can't dislodge them, for lack of the right rhythm. |
|---|---|
| 青木訳 | それはそうなんだけど、もう午前中も半ばを過ぎたというのに、わたしはここにこうしてすわり、アイディアもヴィジョンも頭にいっぱいつまっているのにそれを外に出すことができないわけ。正しいリズムがつかめないから。 |
| プリ訳 | けれども一方では、私はこうして午前の半分を座って過ごし、アイデアやビジョン詰めでありながらも、それらを外に追い出すことができないのです。正しいリズムを欠いているせいで。 |
- But on the other hand here am I sitting after half the morningの処理がカギ。
§3
| 原文 | Now this is very profound, what rhythm is, and goes far deeper than words. A sight, an emotion, creates this wave in the mind, long before it makes words to fit it; |
|---|---|
| 青木訳 | 今言ったことはとても深いことなの、リズムが何かってこと、そしてリズムは言葉よりはるかに深いところにある。ある光景、ある感情が心のなかにこの波をつくりだすの。それにふさわしい文章を作るよりはるか以前に。 |
| プリ訳 | さて。この話、リズムのなんたるかとは、じつに深遠です。それは言葉よりはるか深きところにあるのです。ある光景、感情が、心のうちに波を起こす。それにふさわしい言葉を形作るより、ずっと前に。 |
- wordsの訳し分けを採用するかどうかで判断が割れた。
§4
| 原文 | and in writing (such is my present belief) one has to recapture this, and set this working (which has nothing apparently to do with words) and then, as it breaks and tumbles in the mind, it makes words to fit it: |
|---|---|
| 青木訳 | そして書くことで(というのがわたしの目下のところの信念なんだけど)人はこれをもう一度つかまえて、動き出させて(この動きは一見したところ言葉とは何の関係もなく見えるの)、それからようやくこの波が心のなかで打ち寄せては砕け、逆巻くにつれて、それに合った文章を作っていくの。 |
| プリ訳 | そして、書くという行為の中で(これは私の現時点の信念ですが)人はこの波をもう一度とらえ、動かさねばならない(言葉とは何の関係もなく)。そうして波が心の中で砕け渦巻くうちに、ふさわしい言葉を生み出すのです。―― |
- present
- 代名詞(開くかどうか)
- (which has nothing apparently to do with words)を私は圧縮した。
§5
| 原文 | But no doubt I shall think differently next year. |
|---|---|
| 青木訳 | でも、たぶん、また来年は違うことを考えているんでしょうけど。 |
| プリ訳 | でも、きっと来年には違った考えを抱いていることでしょう。 |
- no doubt I shallなのでここは私の方が素直。
- あるいは「どうせ来年には~」とか。*5
- 素直。
- 1926年イギリス英語上流階級基準だと標準訳の優先順が変動するパターンもあり得る。
(頭の中までは知らない:)残る用例では運命としてのきっと~なるだろう。相当くらい=現代より婉曲的。- (運命とか天命とか宿命としての)きっと~なる。
文体の選択
ヴァージニア・ウルフは1882年生まれだから、この手紙書いた時点[1926.03]では満年齢44歳。
私はそういった背景を考慮するの忘れていたけどある程度落ち着いたトーンを採用した。
他方で親密な相手への書簡=ナンボか緩ます判断も道理と言えよう。
リザルト
2006年の日本に機械翻訳はなかったはず(物理的にはあったかもしれない/少なくともろくな品質の機械翻訳はなかったはず)。
他方で私は原文の下にGoogle翻訳とChatGPT訳並べて吟味&手入れした。
- 初手から訳文を揃えつつ、ある程度張り合える水準まで現代人を引率してくれる(してしまう)テクノロジーの権は凄まじい。