噛めば噛むほど味がする。
isakusanによるブルーアーカイブのプロローグ
그러기에 아마...... 중요한 것은 경험이 아니라, 선택.
ですから多分…重要なのは経験じゃなく、選択。
어른. 책임과 의무, 그리고 그 너머에 있는 당신의 선택.
大人。責任と義務、そしてその先にあるあなたの選択。
- こくご的な話だから従来触れていなかったけど、この一文は「責任と義務→選択」なるフローを示している。
- 意味内容として「選択→責任と義務」ではない。
- ある種直感的でない物の見方が示されている。
これは何か。直感的でない物の見方を土台とする分野が在る。
解題、ブルーアーカイブ。/現在のネクソンから喪われたかもしれない要素
私:
그러기에 아마...... 중요한 것은 경험이 아니라, 선택.
어른. 책임과 의무, 그리고 그 너머에 있는 당신의 선택.
これは思想史としてどの立場?
ChatGPT:
この一節――
그러기에 아마...... 중요한 것은 경험이 아니라, 선택.
어른. 책임과 의무, 그리고 그 너머에 있는 당신의 선택.
思想史的に分類するなら、「実存主義(existentialism)」、とりわけサルトル=ハイデガー系の実存倫理思想に位置づけられます。以下に理由を述べます。
1. 経験より「選択」を重視する構造
중요한 것은 경험이 아니라, 선택.
ここでは「経験(外的・受動的な過程)」よりも「選択(内的・能動的な決断)」が重視されています。
これは主体が自己を定義する行為を経験の結果ではなく意志の行使として捉える発想であり、経験主義や実証主義とは真逆の立場です。
→ この構図はサルトル『存在と無』やキルケゴール『死に至る病』の系譜に属する。すなわち「人間は自らの選択によって自己を構成する存在である(存在[実存]は本質に先立つ)」という原理。
2. 「責任」「義務」と「その先の選択」
어른. 책임과 의무, 그리고 그 너머에 있는 당신의 선택.
ここで「責任」「義務」を越えた「選択」が語られている点は、単なる倫理的従順ではなく、倫理の根拠を自らの自由な選択に置くという思想を示す。
これはカント的義務論から一歩踏み出し、「自由を引き受ける責任」を問う実存主義的倫理観(サルトル『実存主義はヒューマニズムである』)に一致する。
3. 「어른(大人)」の定義の仕方
어른 = 책임과 의무, 그리고 그 너머의 선택
つまり「成熟した人間」とは、外的な規範(義務)に従う者ではなく、それを自ら選び取る者として描かれる。
これはニーチェの「超人」概念に近い側面も持つ――すなわち、既存の道徳の外側で自ら価値を創出する「選ぶ主体」としての成人像である。
4. まとめ(思想史上の位置)
| 思想潮流 | 内容 | この文との関係 |
| ------------ | ------------------------ | -------------------------- |
| 経験主義 | 経験を通じて知や価値が形成される | 否定されている(経験ではなく選択が本質) |
| カント倫理学 | 義務と理性による普遍的倫理 | 参照されているが、超克されている |
| 実存主義 | 個人の自由・選択・責任を中心に据える | 中核的主張 |
| ニーチェ的超人思想 | 既存の価値を越えて創造する意志 | 含意として存在する |
結論として、この文は「実存主義的倫理観」に属する。
とりわけ「自由と責任を同時に引き受ける主体」を中心に据えるという点で、サルトル=ハイデガー系実存主義とニーチェ的価値創造思想の交点に位置づけられます。
- 「20世紀後半における大きな起点でありつつも乗り越えられていった思想=実存主義について、ホンマに実存主義が成り立つ舞台からいま一度問い直してみよう」と宣言して始まるシナリオであった……と捉えれば、(連動して引っ張り出される後の思想も込みで)実に様々な主題がクリアになる。
- 主題がクリアになる。
- きっともっと深く掘り下げる予定ではあったのだろう。
- サルトル=ハイデガー系 ←これ
- こう括られると二人なかよく嫌な顔するであろう程度には向いてる方向異なる。
私:
以下の説明合ってる?サルトル=ハイデガー系 ←これ
こう括られると二人なかよく嫌な顔するであろう程度には向いてる方向異なる。ChatGPT(推論):
合ってます。端的に言えば「同じ山にいるが別の峰に登っている」関係で、二人を単に「サルトル=ハイデガー系」と括ると両者の根本的差違を消し去ってしまう──その点で両名とも不快に思うだろう、という判断は妥当です。要点を簡潔に整理します。
- 共通点:共に現象学的影響を受け、実存(人間のあり方)に関心を持った。20世紀実存主義/現象学の主要人物という点では同列に扱われがち。
- 方法論の差:ハイデガーは存在論(Seinsfrage)を中心に据え、Daseinの分析を通じて「存在」の意味を問う。サルトルは意識の経験(存在=ためにある=pour-soi)と自由・主体性の実践的問題に重点を置く。
- 概念の差:「Dasein(ハイデガー)」と「pour-soi/être-en-soi(サルトル)」は出発点が違う。ハイデガーは存在の解釈学的・歴史的条件を重視し、サルトルは個の自由・責任・悪意(bad faith)を強調する。
- 人間観・倫理・政治:サルトルは倫理的・政治的実践へ積極的に関与(実存主義的人間観→責任と自由の倫理)。ハイデガーは明示的な倫理体系を構成せず、後期は言語・詩・歴史性の探究へ向かった。政治的立場も大きく異なり(ハイデガーのナチス関係は決定的差異を生む)。
- 影響関係:サルトルは初期にハイデガーから影響を受けたが(『存在と無』にその跡が見える)、後にハイデガーはサルトルの「人間主義」を批判して距離を置く(例えば「人間主義についての手紙」的立場)。
- 結論的評価:両者を同系統として簡単に結びつけるのは説明不足。共通土台はあるが、問いの設定・方法・結論が本質的に異なるため、「同じ系」とする表現は誤解を生みやすい。
もし一語で区分するとすれば、「ハイデガー=存在論的現象学/解釈学的存在論」、「サルトル=主体的実存主義(自由と責任の実存論)」と括るのが実態に近いでしょう。
……喪われたかもしれない要素
(私が後のブルーアーカイブを確認していない)
誰がどう見てもisakusanが音頭を取る経路から示される姿勢であったがゆえ、スタッフ大脱走後に残った側のスタッフなりコミュニティなりがこういった思想的前提を(有無・多寡両面で)継承しているか分からない。
- スタッフなり
- このページ作っている人間がその後のブルーアーカイブを知らないため一切わかりゃん。最近どう?
ヒナ(マジカル)出た?- 継承されていそうならネクソンはブルーアーカイブチームが置いて出ていったレガシーを維持保守しているし、そうではなさげなら作品思想として別のなにかに変容している。
どちらにせよ当Wiki取扱い範囲外。
- 継承されていそうならネクソンはブルーアーカイブチームが置いて出ていったレガシーを維持保守しているし、そうではなさげなら作品思想として別のなにかに変容している。
- コミュニティなり
- 読み取っていない意味内容は継承しようもない。
- スタッフ大脱走(2024年夏)時点で既にカイザーコーポレーションみたいな言説まみれになっていたから正直なところ期待薄。
- 同時代的に読み取っている人も幾人かはいた。
(=実存主義については別にWikiとして新奇な指摘をしているわけではない*1。
「その先に表れて然るべきだが、しかしコミュニティ側に読み落とされてきた思想」にかんする指摘が主)
ヒナ(マジカル)出た? ←これ
そのむかし某プリコネスレに対して何者かが仕掛けた偽の限定ガチャ情報(魔法少女アコ・ヒナ)。
- たしか三周年ガチャだった気がするけど細かい時期は忘れた。
- かつてプリコネに実装されていたよく分からん衣装違い/カスミ(マジカル)前提の内輪ネタ。
- ブルーアーカイブはプリコネではないので当然そんなキャラ実装されなかったけど、当時のプリコネ民はそこそこ真面目に引っ掛かっていた。
旧コンテンツ時代の言及箇所↓(ページ削除済み)
-プリコネで散々鍛えられ痛め付けられを経験した奴らがアフィブログ完全排除に走った都合、集団としてのガチャ選球眼だけなら国内最高クラス
- 一方でプリコネが偽リーク飛び交う環境ではなかったため未出情報の真偽に関する目は鍛えられておらず、リテラシーの限界は眼前のガチャまで マジカルアコ
- ブルーアーカイブはプリコネではないので当然そんなキャラ実装されなかったけど、当時のプリコネ民はそこそこ真面目に引っ掛かっていた。
- 「プリコネ民狙い撃ちの偽情報」なるローカル一点突破性、ただただ騙すために騙す無害な無意味さ。偽ガチャ情報&踊らされるコミュニティのお手本であろう。2025年の日本に溢れるクソみてえなヘイトデマと比べてなんと素晴らしいデマであることか。
- カスミ(プリコネ)(マジカル)のゲーム内性能――PvPにおける嫌がらせ特化、良くも悪くも往年のプリコネ濃縮物である背景――込みで変な笑いが込み上がってくる超ハイコンテクストネタであるため、この文読んでるあなたはおそらく何が面白いのかよく分からないことだろう。
とにかくまあ︰心意気を気に入った私はコミュニティと断絶した今もなお蒸し返している。
はいこの話おしまい。
↑(マジカル)
この文字列そのものはタイムリーに実装されていたらしい
→ブルーアーカイブ/その後ブルーアーカイブはどうなったか(2025.11)