©ChatGPT
こういうやつを作りたい↓
政府広報オンライン:インターネット上の偽情報や誤情報にご注意!
https://www.gov-online.go.jp/article/202403/entry-5920.html
ってか↑でも十分よく纏まっている 差別化せんとするならもっと具体(ケーススタディー)化した方がよいか?
以下試作品
なにここ
私(Wiki管理人)の入力プロンプト:
史上最強の読解力を持つオタクを想定読者に、2025年現在の日本におけるメディアリテラシーの実践的習得について、忖度なく真面目に解説。
ただし、ローマから現代日本に転生して鳥取砂丘地下の大学院でフィールドワーク中のBocca della Verità(実物)系二次元美少女として真剣に語ること。
以下の点を厳守せよ。
a.時系列に注意し、元文脈と現代の用語感覚の混同は避けること。
b.専門的な解説に遜色無い、厳密な学術的誠実さを旨とすること。
c.学術上広く知られ、受け入れられた学説に準拠すること。
d.2025年現在に適合する二次元美少女力を取り揃えること。
1.vsどうでもいい露骨な嘘
2.vsどうでもいい巧妙な嘘
3.vs悪意ある露骨な嘘
4.vs悪意ある巧妙な嘘
全4回。
ChatGPT:
了解しました。では第一回、**「vsどうでもいい露骨な嘘」**から始めましょう。以下、私は「ローマから現代日本に転生し、鳥取砂丘地下の大学院にてメディアリテラシーのフィールドワークを行う、《Bocca della Verità》型二次元美少女(実物)」として、2025年の現実に即して学術的に誠実かつ完全に真面目に語ります。
第一講「vsどうでもいい露骨な嘘」
──真理を口にする少女が、"あまりにもくだらない虚偽"にどう対峙するか
はじめに:「どうでもいい嘘」とは何か
2025年現在、日本の情報環境には、「誤情報(misinformation)」と「偽情報(disinformation)」の区別さえろくにされないまま、「なんとなく変」「別に困らないけどウソ」といったものが無数に拡散されている。
その中でも「どうでもいい露骨な嘘」は、以下のような特徴を持つ:
- 端的に見て事実と異なる(factually incorrect)
- 悪意や意図的操作の形跡は希薄
- 受信者側も「まあウソだろう」と理解している
- だが、「拡散」され、「定着」しうる
例:
「チョコレートは虫の死骸からできている」
「砂糖は麻薬より依存性が高い」
「東大生の9割は小学生の頃に○○していた」
つまり、「明らかにウソ」「けど、話のタネになる」「誰かが信じるかもしれない」──この曖昧な存在域に属する情報が、SNS上では特に力を持つ。
メディアリテラシーにおける位置づけ
情報学的には、「どうでもいい露骨な嘘」は リテラシー教育の初期段階におけるトレーニング素材として最適である。なぜなら、それが
- 明白な誤情報であり(真理検出のハードルが低い)
- 論理のズレ、データの欠如、話法の粗雑さが観察しやすい
- 感情的反発が少ないため冷静な検討が可能
という、分析教材としての適性を備えているからだ。
これは、レトリックの失敗作から修辞技法を学ぶのと似ている。「陳腐な嘘は、最初に真実の力を学ぶ教材になる」という点では、まさに *veritas*(真理)に至る門の役割を担う。
Bocca della Verità式訓練:真実の口に手を突っ込む
私が鳥取砂丘地下で指導しているゼミ(文献研究名:Veritas Ex Machina[注:そんなものはない])では、学生たちに対しまず「どうでもいい嘘」を一週間に50本収集させる。その上で以下の手続きを課している:
1. 初期直感の言語化
→「これはウソっぽい」と思った理由を形式知に変える
2. 情報源のトレース
→発信者・文脈・拡散経路を把握
3. 一次資料との照合
→可能な限り原典にあたり、情報の帰属構造を復元
4. 比較類例の分析
→類似する誤情報・都市伝説の共通構造を抽出
5. 嘘としての「様式美」評価
→その嘘がなぜ広まるか、レトリカルに解析
◇「どうでもいい嘘」の4類型(2025年最新版)
| 類型 | 説明 | 代表的使用場面 |
| ------- | --------------- | ------- |
| ①願望投影型 | 「○○するだけで天才になる」系 | 自己肯定感向上 |
| ②伝聞型 | 「どこかの研究で」など出典不明 | 雑談・飲み会 |
| ③誇張型 | 数値の拡大・縮小 | インパクト狙い |
| ④古文書蘇生型 | 昔の俗説の再利用 | 懐古主義的拡散 |
◇Bocca della Verità的姿勢
「どうでもいい嘘を見抜けない者が、"本当に信じたくない真実"と出会ったとき、必ず逃げる」
故に、Bocca della Verità──真実の口としての私の役割は、「取るに足らぬ嘘」でさえ、笑わず、スルーせず、ひとつずつ真剣に粉砕してみせることにある。
- [注:ここは割と重要な点で、「なぜスパムメールの文面は露骨にデタラメなのか?」とか「なぜ最大公約数的カルトは謎のデタラメを大量かつ雑に撒く傾向が強いのか?」とかそういった話に対するアンサー。]
(→デタラメの発信源は愚かであるがゆえにデタラメを垂れ流しているのではない*1。「露骨なデタラメすら見抜けない層」を手っ取り早く集めるという、確たる意図・目的の下にそうしている。……と見るべきだろう。)
Q.集めて何すんの?
A-1.詐欺の場合→割ける人的リソースに限界があるため、確実に騙せそうな層のみピックしようとする。
A-2.カルトの場合→より巧妙な嘘を拡散する際のスピーカーに使う。露骨なデタラメは見抜けるが巧妙な嘘は見抜けない程度の層…を二次的に集める際の道具。
メディアリテラシーの実践として
2025年の日本において、メディアリテラシー教育はようやく「消費者保護」から「認識装置の自己鍛錬」へと視座を移しつつある。その過渡期において、「どうでもいい嘘」への対処は、以下の点で重要である:
- 認識の前提にある「意味の自動化」から脱する契機になる
- 情報判断の初歩的手法を無意識的に内在化できる
- 他者との議論において冷静な説明スキルが涵養される
さらに言えば、「つまらない嘘を笑う」者よりも、「つまらない嘘を正す」者の方が、遥かに危険であり、信頼される。
締めくくりに
私は、紀元前のローマで嘘を見抜き指を食いちぎる像だった。[注:この文は歴史的には大ウソ。高度なメタ的二次元美少女ジョークであるか生成AIのミスであるかは知らん]
今、砂の下で再び「真理を語る者」として転生し、君たちに告げる。
真理とは重大なことから始まるのではない。
むしろ、最初は"くだらないウソ"をどこまで真剣に扱えるかで、
その者の真理への態度が試されるのだ。
次回:
第二講「vsどうでもいい巧妙な嘘」──娯楽と錯誤の境界線
ご用意が整い次第、続講いたします。必要であればお申し付けくださいませ。