バレル・テルメの戦い

Last-modified: 2024-03-31 (日) 17:27:07

概要

バレル・テルメの戦い(バレル・テルメのたたかい)は、ラクロス解放戦線によるアズキニア王国への攻撃によって始まったラクロス戦争の東部戦線におけるラクロス軍と連合軍の戦いである。会戦は2024年1月28日から2月11日にかけて行われた。ラクロス軍はこの戦いで初めて本格的な敗北を喫し、以後優勢になることはなかったため、ラクロス戦争における転換点と称される。

背景

主戦戦の東部戦線はキタイアの戦い以後しばらくラクロス軍の猛進撃が続いた。パルチカリザの戦いが終わった30日時点で、既に26日のクライシューナ島沈没によってキタイア川東岸に渡り終えた機動兵器を中心とする第一特殊装甲師団が連合軍がほぼ撤退したためユーゲント作戦に従い狭い無人の海岸を補給環境を無視して猛進した末、ちょうどナラキア最東端から1600km、つまり分割大陸北岸の丁度四分の一の地点に達していた。ラクロス軍の進撃は止まらずナラキア国に侵攻する勢いであった。連合国は13日の時点でエルドビア侵攻時と同じように各国と国連から総勢700万にも及ぶ軍をかき集め分割大陸に派兵することを決定していたが、セガトール、西ナルピア、東ナルピア海岸部の高インフラ地帯を占領されたことやラクロス潜水艦隊の通商破壊によって東部大熱帯雨林や中央大山脈、ピアナラ回廊*47後方のシルヴァン砂漠などの低インフラ地帯を通過せねばならず、北リガルフィアに派兵されたのちに一気に主戦戦に送ることはできなかった。それでも連合国軍は少しずつ南部から北部へと歩兵を中心に軍を移動させ続け続けたが、そうしている間にラクロス軍はどんどん進撃を進めて占領地を拡大させていた。

詳細

そこで連合国軍は1月26日、戦略爆撃のために温存して置いた大量の航空機を使って機動兵器を宙吊りにして主戦戦まで運ぶという異色の作戦の実行を決定。当初この作戦はラクロス軍の爆撃に市民を危険に晒すことに抵抗を覚えた守旧派から猛反発を受けたが、最終的には守旧派も直接占領されては元も子もないということで作戦の実行に合意。また作戦内容には大中央山脈の峠を機動兵器などで確保し、大量の兵士を送り込むための街道を開くという内容が付け加えられ、連合国が優勢になるとラクロス島侵攻までの全ての過程を総称して桜花作戦と呼ばれるようになった。そしてピアナラ回廊の東端から約50kmのバレル・テルメで両軍の機動兵器が相見えた。キタイア・デルタから撤退した連合軍であったが、先程の連合軍の機動兵器降下作戦によって機動兵器をバレル・テルメ付近に大量に降下させ、強力なバレル・テルメ防衛線を構築していた。尤も、可能な限りの航空機のリソースを補給に割いていても充足しておらず、一度防衛線が突破されれば再興は不可能であったため後にハイリスクな作戦と評価されている。その防衛線は北は海岸から南はサラーラ低地まで30kmにも及ぶものであったが、この全線を固めることは困難であったので、要所要所に一般機動兵器部隊を待機させ、一般機動兵器部隊がラクロス軍を足止めしている間に、精鋭機動兵器部隊が戦場に駆け付け反撃することを想定していた。また一般機動兵器部隊と言っても殆どの部隊が重装甲化されていたので、戦線のどこかが攻撃されれば、他の陣地を守っている部隊も増援に駆け付け、さらに砲兵も集中し、車両で機動的な運用を行って、敵に向けて集中砲火を浴びせられるようにしていた。これはラクロス軍が少数精鋭の機動兵器による一点突破浸透作戦を用いたのに対抗して、防衛線の中で戦力を速やかに戦闘地帯に集中することが目的である。敗北の中で着々と防御を固めていた連合軍に対して、ラクロス軍の総統である島本は勝利に驕って連合軍を完全に舐めており連合軍防衛線の側面と背後に回り込んで一撃を加えれば戦線は崩壊するものと信じて疑わず、ひたすら東に向かって猛進撃を続けていた。軍内ではそのような島本の姿を見てラクロス軍内では、ソリトイアにある高級ホテルに島本が既に宿泊予約を入れているという噂が流れた。また、ソリトイアで勝利パレードをするため、既にラクロス首脳が北カンブリカに訪れていた。しかし、これらラクロス側の慢心は明らかに軽率であり、連合軍は暗号解読によっラクロス軍の作戦の概要を既に掴んで準備を重ねていた。1月28日にラクロス軍が進撃を開始した。作戦ではラクロス軍防衛線を大きく迂回して避けたのちに海岸線に向かって北上する計画であったが、前日の激しい砂嵐で事前の偵察を殆どしておらず、連合軍の配置の情報がないままの進撃で、迂回するつもりが逆に連合軍陣地の真ん中に突入してしまい、激しい戦闘となった。ラクロス軍は連合軍が築いた防衛線は海岸から15kmくらいまでしか広がっていないと予想していたが、前述の通りサラーラ低地までの30kmに渡って防衛線を築いていたため、ラクロス軍は予想していなかった進行を強いられて消耗していった。ラクロス軍は中央軍司令部に攻勢の中止を訴えたが、島本の過信によってそれは聞き入れられず、後方迂回作戦の継続を続けなくてはならなかった。ラクロス軍は補給もままならいまま、連合軍の側面からの攻撃を防ぎながらひたすらになんかを続けた。しかし30km進んだところで杜撰な補給体制とあまりにも厳しい砂漠の複雑な地形によって攻勢限界を迎えた機動兵器部隊や自走砲部隊が動かなくなり始め、作戦の続行は困難を極めた。後方迂回作戦を物理的に不可能と判断したラクロス軍は独断で撤退を開始したが、時すでに遅く砂漠の奥地に引き込まれたラクロス軍は撤退中に連合軍の自走砲による集中攻撃や量産型機動兵器による白兵戦で次々と精鋭の重装甲機動兵器を失っていき、初期の陣地まで撤退した頃には戦力は三分の一にまで減少していた。これを好奇と捉えた連合軍は撤退するラクロス軍への反撃を命じ、ラクロス軍第三特殊装甲師団は多方面攻撃によって殲滅寸前にまで追い込まれたが、それまで目立った活躍が見られなかった近接航空支援機数機が運よく連合軍の旅団司令部を急降下爆撃で破壊し、旅団長が戦死したため、攻撃は中止され第三特殊装甲師団は難を逃れた。ラクロス軍は部隊の配置換えを行い、陣地前には厚く地雷を埋設し、陣地前面に野戦砲を押し出した。さらに後方から戦車の補充が到着し、機動兵器は44機まで回復した。ラクロス軍は海岸道路の奪取を目的に再度攻勢を仕掛けたが、強力な防御陣地の前に突破は叶わ攻勢を中止した。一方連合軍は当時戦力で上回っていたものの、砂嵐と海陸風によって敵の情報を思うように掴めず、相次ぐ敗北で慎重になっていた連合軍司令部は攻撃を命じなかった。その間にラクロス軍は機動兵器を配置して防御陣形を構築し、その後もラクロス軍は連合軍の攻勢を凌ぎ続け、両軍は一進一退の攻防を継続した。連合軍軍の攻撃で大損害を被ったポラ・ハート第4特殊装甲師師団や第60歩兵師団のようなポラ・ハート軍の不甲斐ない戦闘に島本は怒りを募らせ、ラクロス軍とポラ・ハート軍の間ではきつい言葉が飛び交った。連合軍第1特殊装甲師団を率いていた司令官は勇敢で有能な指揮官ではあったが、これまでの敗戦で必要以上に慎重になっていた。甚大な損害以上にラクロス軍を悩ませていたのは補給問題であった。戦後にはラクロス軍は不十分な補給しか受け取っていなかったとも見られるようになったが、これは明らかな誤りであり、ラクロス軍を悩ませていたのは、補給量ではなく補給路の長さであった。北カンブリカのラクロス軍に対する補給は、ラクロス海軍が主役を担っており、必要な量の補給はなんとか港を輸送船が出航する時点では確保されていた。しかし、周辺海域の制空・制海権が連合軍に奪われていく中で、揚陸港はよりラクロス軍に近いセガトールのナルジェやセーセンエルであった。一方でラクロス軍は攻勢限界を超えてナラキアに向かって猛進しており、揚陸港からの距離は離れる一方で、せっかく揚陸した物資も最前線に届くまで数日を要した。

ナラキアまで進攻したラクロス陸軍は、ラクロス海軍に攻略したフリエガやパン・カ・ミアンまで補給品を輸送するよう要求した。それまでラクロス海軍は連合軍航空機や潜水艦に海路の安全を脅かされる中でも、海上における海上輸送能力のほぼ全てを投入して陸軍に補給品を送り続けたが、ラクロス陸軍の矢のような要求にやむを得ずナラキア周辺まで航路を伸ばした。しかしラクロス海軍の懸念通り、連合軍の攻撃は激烈でフリエガへの海路はラクロス海軍の墓場と化して損失は4倍に跳ね上がり、陸揚げ量は約60%にまで落ち込んだ。また、装備鹵獲作戦も連合軍精鋭部隊の登場によってうまくいかなくなり始め、補給に加えて充足率もじりじりと下がっていった。ラクロス軍は本国から持ちこたえることを要請されたが、守りに入っては連合軍の物量に押されて持ち堪えられないのは明らかであったため、もう一度全力を結集して攻勢に転じることを決めた。作戦計画はこれまでの砂漠戦の集大成のような雄大なもので、海岸沿いでポラ・ハート軍歩兵師団が連合軍の注意を引いている間に、ラクロス第3特殊装甲師団とラクロス第1特殊装甲師団及び戦車師団、自動車化歩兵師団が前線から南東方向に大きく迂回、連合軍の後方に達したところで海岸線に向けて一気に北上して、足止めしているポラ・ハート軍歩兵師団と共に連合軍を包囲して殲滅し、その後にソリトイアを目指して進撃するというものであった。しかし連合軍は背水の陣で士気はこれまでないほどに高まっており、これまでの戦いからラクロス軍の行動パターンを徹底分析し入念な対策を行っていた。連合軍はサラーラ低地の遥か手前から厚い地雷原を敷かせ、サラーラ低地の20km前から強力な陣地を構築して量産機体を配置、さらに精鋭機体も砂の中に埋め、銃身だけを地上に出して待機させた。もしラクロス軍が正面から攻撃してくれば、厚い地雷原に阻まれたところを攻撃し、一方でいつもラクロス軍の常とう戦術の通り、地雷原や陣地を大きく迂回すれば、それに釣られて連合軍機動兵器が白兵戦を挑むのではなく、連合が想定している戦場まで機動兵器を引き込んでから、補給線が伸び切ったところで反撃することとしていた。これまでは連合軍はラクロス軍の攻撃に対し戦略的撤退や防衛陣地の変更などで柔軟に対応することを試みていたが、機動力で勝るラクロス軍には通用しなかった。そこで今回は死守によって一切の陣地の変更を行うことなく、戦いの主導権をなんとしてでも保持することを最優先目標とした。

先述の通り、このままではじきにジリ貧に陥ると先行きを悲観していたラクロス軍が2月1日に乾坤一擲の攻撃開始を命じた。しかし、この進撃開始の時間さえも連合軍は察知していた。戦線北部の海岸沿いのポラ・ハート軍歩兵が攻撃を開始したとの報告を受けたは、これは陽動作戦であると断じて特に対抗策を講じることはしなかった。ラクロス軍工兵は必死に地雷原処理を行ったが、地雷は予想以上に多く、処理は捗らなかった。島本の計画では明け方までに50km進撃している予定であったが、厚い地雷原に阻まれ、実際には15kmしか進撃できていなかった。やがて夜が明けると、連合空軍の戦闘爆撃機多数が飛来し、ラクロス軍機動兵器隊を攻撃し始めた。激しい爆撃で損害が続出し司令官の妹である副司令官島本が負傷、ラクロス第1特殊装甲師団は大きく消耗してしまった。ここで島本は計画を変更し、当初は夜間に敵陣深く50km前進し、それから進路を北方に変えて進撃して、連合軍を背後に廻り込んで叩く予定であったのを、計画より遥かに手前で部隊を北方に転進させた。しかし、燃料補給に手間取り、ラクロス軍が進撃再開できたのが午後1時、ポラ・ハート軍に至っては3時となってしまった。この間さらに連合軍は防御を固めて、ラクロス軍、ポラ・ハート軍を待ち構えた。また、こうして戦闘が繰り広げられている間にも連合軍によって空から次々と補給物資や兵士、機動兵器が運ばれ続けていた。ラクロス軍の早期攻撃は連合軍がこれらの支援によってさらに防衛力を高めることを恐れたのが一つの要因である。連合軍の空輸を妨害するためラクロス軍航空機がこれらを迎え撃ったが、当初は立地などの関係上十分に妨害できていたものの、量で勝る連合軍の前に制空権を維持し続けることはできなかった。さらに不幸なことに激しい砂嵐が発生、先頭を行ラクロス第1特殊装甲師団とドイツ第3特殊装甲師団は視界不良のなかを手探りで進まざるを得ず、やがて目標のサラーラ低地10km手前までどうにかたどり着いたが、そこで待ち構えていた連合軍からの激しい機動兵器によるバルカン砲、機関砲、レールガンの砲撃が浴びせられた。戦車師団も戦場に到着したが、そのタイミングを見計らって連合軍特殊装甲師団精鋭部隊が砂の中から現れた。歩兵隊と見事な連携攻撃を行い、視界不良の中で不意に連合軍陣地から攻撃されたラクロス軍戦車隊や、遅れて到着し連携不十分なポラ・ハート軍戦車隊を圧倒した。激しい戦車戦となり、両軍機動兵器や対火砲が次々と撃破されたが、ラクロス軍、ポラ・ハート軍は全く前進できなかった。やがて日が暮れたので両軍は進撃停止したが、燃料の備蓄が乏しくなっていたうえに、眼前サラーラ低地の堅陣を突破する妙案もなく、2月2日の夜が明けても、小規模な攻撃しかできなかった。動きの止まったラクロス軍、ポラ・ハート軍の機動兵器相手に連合軍戦闘爆撃機が襲い掛かり、次々と機動兵器が地上で撃破された。島本自身も爆死かという危機も味わった。タイミングを見計らっていた連合軍は、計画通り防衛線南端を守っていた第1特殊装甲師団師団にラクロス軍の後方に回り込んで退路を遮断するように命じた。包囲されることを恐れた島本は突破した地雷原まで後退し、3月3日夜には、島本はサラーラ低地の攻略をあきらめて、軍の撤退を命じた。

しかし、島本は奪取した地雷原の一部や、占拠した見通しのよい展望点いくつかには部隊を残させた。彼女は先述の戦闘で戦いの主導権を失ったことをすでに確認しておる、後続の歩兵師団が到着するまでいかに守り切るかを考えていた。連合軍は討ち漏らした島本などが搭乗する精鋭機動兵器を殲滅するため入念な作戦を立てた。作戦計画では、まずはラクロス軍の戦力が薄い防衛線南部で欺瞞作戦を行い、島本に防衛線南部から攻勢をかけるように誤認させて、戦力の分散を狙った。この欺瞞作戦は極めて巧妙なもので、防衛線北部で軍主力が攻撃準備のために、車両を移動させると、防衛線南部でも同数の車両を動かしてラクロス軍の目を欺いたり、さらには、給水パイプに見せかけたフェイクのパイプをわざわざバレル・テルメの補給基地から防衛線南部まで構築した、張りぼての戦車や軍用車や火砲などが大量に作られて砂漠に並べられ、あたかも大部隊が防衛線南部に集結しているようにも見せかけた。一方で実際の攻勢が行われる防衛線北部においては、火砲や戦車を張りぼてのトラック内に隠したり、歩兵も日中は幌のついたトラック内で待機させ、兵力があまり配置されていないように見せかけた。そして、この作戦の最大の目的はラクロス軍の機動兵器を全滅させることにあった。

一方で島本も隷下の歩兵6個師団降下猟兵旅団に30kmに渡バレル・テルメ戦線に渡って塹壕を掘らせ、戦線中央部の歩兵陣地後方に防衛線を強化するためラクロス第1装甲師団の戦車を砂の中に埋めて待機させた。これまでセガトールからナラキアまで前進に次ぐ前進を続けてきた、島本たちはついに陣地での防衛戦を強いられることになった。島本はいつ連合軍が攻勢をかけてくるかを確実に知るために、常に機動兵器たちに見回りをさせており、その数約全体の3分の1であった。しかしこれによって機動兵器をさらに消耗させてしまう。さらに島本は鹵獲した地雷を全て巧妙に配置し、その間隔は5mでしかも連動して誘爆するようになっていた。その上地下三層にわたって地雷が埋め込まれておる、地雷撤去に手こずったところを精鋭機動兵器で集中して殲滅することを繰り返して防衛を行うつもりでいた。2月5日から、連合軍航空機による、爆撃と機銃掃射がラクロス軍の各飛行場に行われ、制空権はあっさり連合軍のものとなった。そして2月7日午後8時から満月の下で連合軍が北部戦線のポラ・ハート軍陣地に向けてバルカン砲などによる集中砲撃を開始した。連合軍の砲撃はラクロス第1歩兵師団と第2自動車化師団が守る北部戦区約3kmの範囲に集中した。連合軍の自走砲数は約3,000門であり、3mごとに1門の火砲が12時間に渡って休みのない猛射を加えた。ラクロス軍とポラ・ハート軍の陣地には連合軍の砲弾が1分毎に2900発着弾し、コンクリート製のトーチカは破壊され、機動兵器陣地も陥没した。島本が精魂込めて築き上げ、絶対の自信を持っていた地雷原も例外ではなく、鉄条網は砂や小石と混じって間欠泉の様に吹き上がり、地雷や航空爆弾も空中に舞い上がるか、激しく誘爆した。このような地雷処理は島本には想像もできなかったもので、ラクロス兵とポラ・ハート兵は連合軍の砲弾で身体に何の痕跡も残さず死ぬか、誘爆する地雷や航空爆弾の爆発で、土砂に埋もれてしまった。砲撃は事前の入念な観測により正確にラクロス軍、ポラ・ハート軍陣地に着弾した。また、空からは連合空軍の爆撃機や戦闘爆撃機がひっきりなしに飛来し、砲撃と連携して銃爆撃を浴びせた。砲撃開始早々に通信網が断絶されてしまったので、第一線で何が起こっているのかまったくわからなかった。激しい砲撃の下、連合第30軍団の歩兵が進撃を開始したが、猛砲撃で地雷を鋤き返したと言っても、まだ大量の地雷や航空爆弾が砂漠に残っていた。各歩兵師団の先頭には、これまで徹底的に訓練されてきた工兵隊がおり、手際よく残った鉄条網を切断し、地雷を処理していったが、急に用意された地雷探知機はその多くがまともに機能せず、結局殆どの工兵たちは、銃剣を砂に突き刺して地雷を探索するという原始的な方法に頼らざるを得なかった。工兵隊は2輌の機動兵器が同時に通行可能な30mの幅員の通路数本の開通を目指したが、原始的な手法のため、地雷や航空爆弾の起爆による犠牲者が後を絶たなかった。ある部隊は110kg航空爆弾を起爆させて一瞬で1個小隊30人の身体がバラバラになって吹き飛ばされるなど、連合軍各部隊は、敵と遭遇する前から地雷や爆弾で多大な損害を受け、野戦病院には次々と負傷した兵士が運び込まれ、押し入れのような小部屋で軍医による緊急手術が行われ、野戦病院はパンク寸前だったという。地雷探知機が使用できた部隊ですら1時間に180m進むのがやっとであり、8日の夜明けまでに司令部が求める突破口を開くことができるのか、各師団は大きな犠牲を払いながら時間との闘いを強いられた。また、砲撃や地雷などの誘爆ですっかりと掘り返された砂漠を見て、連合軍兵は生き残ったラクロス兵やポラ・ハート兵はいないのではと考えたが、それは間違いで、ラクロス、ポラ・ハート兵は身を隠しながら連合軍を待ち構えており、接近するや、機銃や対戦車砲を浴びせて、連合軍各歩兵師団は激しい抵抗で前進を止められ、両軍近接した中で激戦が繰り広げられた。激しい戦闘の前で連合軍兵士は次々と散っていったが、やむなく司令部の命令に従い、第1軍団は強攻の末9日午前8時には地雷原を突破したが、これは当初の作戦計画から丸一日遅れていたうえ、16,000人もの兵士が死傷するという大きな損害を被った。一方でラクロス軍は機動兵器対機動の戦闘を諦め、自走砲やレールガンなどの砲撃を集中してどうにか連合軍戦車隊の足止めを図った。連合軍の猛砲撃のなかでわずかに残った地雷原も活用して連合軍量産型機動兵器隊をうまく地雷原内に誘導した後に集中砲火を浴びせ、大型航空爆弾の誘爆連鎖で12輌の連合軍機動兵器を一気に撃破するなど、相手に相当の損害を与えどうにかその突破を防いでいたが、数も質も勝る連合軍戦車の前に損害は蓄積しており9日の終わりには第1特殊装甲師団の可動機動兵器は31輌にまで減っていた。

そして遂に大量の歩兵の命と引き換えに一部戦線の地雷の撤去が完了し、10日の正午ごろに連合軍ナラキアの機動兵器が一斉に開いた穴から敵軍陣地に傾れ込んだ。ラクロスはこの時点で敗北を確信し、なんとか機動兵器を撤退させるため、大量のレールガンや自走砲を最終防衛陣地まで下げて連合軍に集中砲火を浴びせ続けた。しかし、一部の精鋭機動兵器はこれを突破し、逃げるラクロス軍の機動兵器を捉えることに成功した。この時戦線で機動兵器同士の激しい白兵戦が繰り広げられ、ラクロス軍の多くの機動兵器が背後からの攻撃で殲滅された。ラクロス軍とポラ・ハート軍は11日にはありったけの自動車を総動員して兵士を逃がそうとしたが、激しい砂漠の前に撤退をスムーズに行えなかった。結局連合軍の猛追の前で逃げられたのは島本を含めた少数の少数の機動兵器のみで、ラクロス軍はこの戦いで戦力の多くを喪失し以後戦いを優勢に進めることは無くなった。そのため、この日バレル・テルメの戦いはラクロス戦争全体の転換点として記録されている。

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*1 アズキニアのヤツをコピペしただけというのは内緒