背番号19の呪い

Last-modified: 2021-04-02 (金) 15:25:07

横浜DeNAベイスターズおよびその前身球団である横浜ベイスターズの選手に降りかかる、その背番号を着けた選手が期待された成績を残せなかったり、大怪我をしたりしてしまう呪いのこと。

経緯

事の始まりは横浜大洋ホエールズ(ベイスターズの前身)の主力投手だった中山裕章が1991年12月に横浜市内で女児への連続強制わいせつ事件を起こしたことで逮捕され、球団を解雇されたことである。彼が着用していた背番号19*1は1992年シーズンに欠番とされ、そのまま封印される予定だったが、大洋球団は同年オフに球団名を「横浜ベイスターズ」に変更。「ベイスターズ」として初のドラフト会議では日本石油*2のエース(バルセロナ五輪日本代表)の小桧山雅仁を1位指名したが、その小桧山が「19」に関連する縁起の良いエピソードを多数有していたことに加え、本人も「事件のことは気にしない」と19番の着用を快諾したために欠番状態は1年で解消された。

しかし小桧山は入団後故障に苦しみ、1998年限りで背番号19を剥奪される*3。それ以降も戸叶尚(1999-2000)*4・杉本友(2001-2003)*5エディ・ギャラード(2004)*6、染田賢作(2005-2008)*7と、期待とともに19番を背負った選手たちが次々と期待外れに終わったことから、チームのも相まっていつしかベイスターズの背番号19は「呪われた背番号」として扱われるようになってしまう。

2009年からその19番を継いだ藤江均(2009-2014)も一時は中継ぎエースに定着したものの、経験値リセットされ呪いを払拭できなかった。
しかし、DeNAへの球団売却*8後の2015年に入団した山﨑康晃が1年目から大活躍。「月間10セーブのNPB新人投手記録」「新人最多の37セーブ」「通算100セーブ・150セーブを日本人投手最速で達成」と大記録を次々に樹立しているが、その一方で2020年シーズンはたびたび背信投球を繰り返しており、完全に呪いが払拭されたか否かは議論の余地がある。

背番号13の呪い?

また、その背番号19の呪いと並行して、今度は背番号13の呪いが横浜ファンの間で囁かれはじめる。背番号13は「ヒゲ魔神」五十嵐英樹*9以降はろくに活躍した選手が存在せず、特に2005年以降は那須野巧坂元弥太郎大沼幸二・吉川輝昭*10柿田裕太と散々だった。しかもこちらは成績面のみならず素行面にも問題のある選手が多く、よりタチが悪いと言える。
また、柿田に代わって背番号13を着けた水野滉也も1年目に右肩痛で育成落ちし、結局支配下登録に戻れぬまま2019年に引退。その後2019年ドラフトで3位指名され13番を受け継いだ伊勢大夢は入団早々交通事故に遭い負傷
あまりの呪いの強大さに横浜ファンの間では「13番を永久欠番にすべきだ」という声が上がっているが、伊勢は背番号的な意味での不安をよそに一軍で中継ぎとして登板を重ね、10月10日の試合で一軍初勝利を達成。背番号19と同様に呪いを克服できるかは、今後の伊勢の活躍にかかっている。

余談

ちなみに海外、特にキリスト教圏でも13は不吉な数字とされ忌み嫌われているが、これはキリストが処刑される寸前の所謂「最後の晩餐」が由来であり*11、当然ながらベイスターズは全く関係ない。キリスト教がさほど浸透していない日本では背番号13が敬遠されることはほぼなく*12、事実岩瀬仁紀(中日)*13西口文也(西武)のように入団時からこの番号を着用し、長い現役生活を全うした選手もいる。

関連項目


*1 中山は球界復帰後の中日時代(1995年-2001年)および台湾球界・中信ホエールズ時代(2002年-2003年)も背番号19を着用した。なお、中日の背番号19はかつて大矢根博臣・中山義朗といったノーヒットノーラン&シーズン20勝達成者が着用していたほか、中山裕章の退団後は久本祐一(2002年-2005年)や吉見一起(2006年-2020年)を経て、2021年からは高橋宏斗(2020年ドラフト1位)が着用している。
*2 現ENEOS
*3 2001年限りで退団し、2002年は台湾・中信で中山とチームメイトになっている。
*4 1997年に2桁勝利を記録し、1998年には7勝を挙げて日本一にも貢献したが、1999年に背番号が63から19に変わった途端に成績が下降。2000年オフに杉本とのトレードでオリックスへ放出。2005年には楽天の初代メンバーの1人となり、2006年限りで引退。
*5 オリックス時代にはプロ野球史上初の国立大(筑波大)卒のドラフト1巡目指名選手として注目されたがブレイクできず、2000年オフに戸叶とのトレードで加入し19番を継承したが2003年オフに戦力外。2004年からはヤクルトでプレーし、2005年限りで引退。
*6 2000年から中日で抑え投手として活躍したが、2003年途中に起用法をめぐり退団。ウエーバー公示され横浜へ移籍したが、背番号19を着用して臨んだ翌2004年に佐々木主浩が復帰してきたことで再び抑えの座を追われ閉幕を待たず退団。
*7 2004年オフに那須野巧とともに自由獲得枠で入団。「関西六大学ナンバーワン右腕」と期待されたが、プロでは1勝もできず2008年限りで引退。
*8 2011年オフ。
*9 1998年に中継ぎエース格としてリーグ優勝・日本一に貢献した。2001年に引退し現在はDeNAファームゲームアナリスト。
*10 2004~10年の1度目の在籍時は背番号12。ソフトバンク移籍後は中継ぎとして結果を残すも、出戻りして13番を背負った途端経験値リセットされ戦力外、引退した。
*11 晩餐に集ったのが13人。その13番目の男が、かの裏切り者の代名詞であるイスカリオテのユダである。日本においても原哲夫の漫画『北斗の拳』に登場するユダや、さいとう・たかを原作の劇画『ゴルゴ13』のモチーフになっている。
*12 キリスト教自体は織田信長が鉄砲輸入と反抗勢力である仏教勢力の弱体化を主な目的に受け入れキリシタン大名が多数生まれるに至るが、後の豊臣秀吉の禁教令と鎖国により、明治時代の高札廃止による撤廃まで280年間禁教とされていた為廃れかけていた。ただしそれでも、13回忌や同じく日本で嫌われる数字である「4」と「9」の自然数の和が13になっていたりするなど、あまり良い意味で使われる事も少ない。
*13 現役時代は背番号をタロット占いでの大アルカナ13番目の「Death」のカードに引っ掛け、決め球であるスライダーを鎌に見立てて「死神」という異名をとっており、中日ファンからは縁起もののように扱われていた。もっとも中日にとって13番は岩瀬以前にも小川健太郎(1967年の沢村賞)以来、堂上照(堂上兄弟の父親)・近藤真一(プロ初登板の巨人戦でノーヒットノーランを達成)・小野和幸(1988年のリーグ優勝時の最多勝投手)らが背負った由緒ある番号の一つでもある。