劇場

Last-modified: 2024-10-22 (火) 09:07:34

リリーフ投手が走者を出しながらも無失点で抑える、あるいはリードを守ってイニングを終える行為。
類義語に「四凡(四者凡退)」*1、(先発投手の場合を含めて)出塁の原因が四死球や投手自身のエラーの場合に「自作自演」がある。
あくまで「ランナーを背負って観客をヒヤヒヤさせながらもちゃんと逃げ切る」ことが劇場の絶対条件であり、失点して追いつかれた場合(ビハインドの場合失点で点差を広げられる)は単なる「炎上」である。誤用に注意。


概要

ネット用語としての由来は1999年~2002年に福岡ダイエーホークスに所属していたロドニー・ペドラザ*2からだが、ペドラザが炎上常習者になった頃と同時期に台頭した中日ドラゴンズのエディ・ギャラード*3によって「劇場」という言葉が広まった。
これ以降、きっちり三凡で抑えてくれるクローザーへの対義語として「劇場型クローザー」という呼称が登場し、後にクローザー以外の中継ぎにも定着した。
劇場をするとその投手の発言として「楽しんで頂けたかな?」と書き込むのがお約束になっている。
また劇場や炎上ぶりが長く続くとなんJに「暖簾スレ」が誕生し、暖簾の主に認定される。
ペドラザやギャラードの登場以前には巨人→近鉄→阪神を渡り歩いた石毛博史が一部で「石毛劇場」と呼ばれ、本人曰く開き直りから自称したこともあるという。

 

ちなみに韓国でも同様の意味の言葉が存在し、劇場型クローザーのことを「作家」、また劇場開幕のことを「執筆」と呼ぶ。これは「(勝手に)筋書きのないドラマを書き始める」ことが由来だといい、期待に反して好投すると「絶筆」とされる(最近は日本同様「劇場」の方が使われているとのこと)。また、「劇場」止まりで終わらせた(=試合を壊さなかった)選手を「喜劇作家」、逆に炎上させた(=試合を壊した)選手を「悲劇作家」と呼び分けることもあるようである。


「劇場王」小林雅英

千葉ロッテマリーンズのクローザーで「幕張の防波堤」と称された小林雅英は、本人が「3点差なら2点まで取られてもいい」「ランナーを出そうが点を与えなければいい」(下記参照)という思考の持ち主ゆえに劇場型クローザーの典型であり、薄氷を履む展開が数多く、さらに毎年盛大に「決壊」する試合が何試合もあった*4。それを見たファンからは「幕張の土嚢」「本当の幕張の防波堤は(守備に定評のある小坂誠の方」と揶揄され続けた。

 

2005年シーズン、ロッテはレギュラーシーズン2位で終え、小林雅は29Sで最多セーブのタイトルを獲得。
そしてプレーオフ第1ステージでレギュラーシーズン3位の西武ライオンズを下し、プレーオフ第2ステージで前年にプレーオフで敗北し日本シリーズ出場を逃したレギュラーシーズン1位・福岡ソフトバンクホークスと対決する。
第1戦、第2戦をロッテが連勝してリーグ優勝*5及び日本シリーズ出場が懸かった第3戦もロッテ4点リードで終盤に突入。マウンドにはプレーオフ第1ステージからここまでポストシーズン4連続セーブの小林雅が登板するも4失点と大炎上して同点*6、10回裏には小林雅の後を継いだ藤田宗一も炎上してロッテはサヨナラ負けを喫してしまう

翌日も敗れ2勝2敗、最終決戦において1点差ながらリードを保って9回裏までこぎつけ、マウンドには小林雅が送り込まれる。だが先頭打者の大村直之に四球、続く鳥越裕介の犠打で得点圏に走者を進められてしまう。
しかし、小林雅は第3戦の再現に怯えるロッテファンをよそに後続の柴原洋・川崎宗則を打ち取ってきっちり四凡を達成、無事リーグ優勝・日本シリーズ出場を決めた。

 

この「選手生命を賭けてプレーオフ全体を使った大劇場『コバマサナイト』」に劇場マニアは賛辞を送り、小林雅は「劇場王」として名を馳せることとなった。

余談だが、その後ロッテはあの日本シリーズを戦うことになり、プレーオフ・日シリで立て続けに伝説を打ち立てる事となる。

本人談「クローザーの仕事」

Full-Count幕張の防波堤・小林雅英氏が語る守護神の美学 “コバマサ劇場”の真実とは?

(前略)現役時代、同時期に活躍していたこの2人*7がテレビ番組で共演したことがあった。番組側から「1点リードで9回裏2死満塁のピンチ。打者は松井秀喜。さて、どう攻める?」と質問され、図らずも2人の回答が一致した。その答えはなんと「四球でいいんじゃない?」。言うまでもなく、四球なら押し出しで同点である。
「敬遠をするわけではないですが、僕ならワンバウンドになるスライダーを“永遠に”投げ続けますね。空振りを取れればラッキー。見極められて押し出しになっても、まだ同点ですから。ポンとストライクを取りにいって、長打を打たれてサヨナラ負けするよりはいい。僕らが優先すべきことは、逆転されずにイニングを終わらせることです」と小林氏。

なお小林以後のロッテには「マスコロ劇場」を開演させる益田直也や「マッスルミュージカル」を開演させる澤村拓一*8といった劇場型クローザーが度々現れるが、小林のお陰せいでファンに耐性がついてしまい、「最終的に抑えてくれればOK」という小林的発想で臨んでいる者が多いようである。

関連項目


*1 更にランナーを出した場合は五凡、六凡となるが、無失点でイニングを終えることが必須条件。つまり「七凡」以上は存在しない。
*2 1999年・2000年のホークスのリーグ連覇に貢献し、2000年と2001年には最多セーブを獲得した名クローザー……なのだが、最多セーブ獲得年はいずれも4敗を喫しており、更に2001年は防御率3.65と不安定だった様子が伺えるなど、かなりの劇場型投手であったことが伺える。2003年のみ巨人所属。
*3 2000年入団。同年9月24日の読売ジャイアンツ戦で、最終回4点リードから江藤智の同点満塁弾と次打者の二岡智宏のサヨナラ弾で巨人が試合をひっくり返して優勝を決めた際の投手として有名
*4 2001年7月17日の大阪近鉄バファローズ戦、5点リードの9回表に登板するも大村直之に逆転3ランを浴びるなど大炎上、逆転負けした試合が有名。
*5 2004~2006年のパ・リーグでは、プレーオフ優勝チームをリーグ優勝と扱っていた。
*6 本人によると「この時の記憶が途中からない」らしい
*7 もう1人は西武のクローザー・豊田清
*8 巨人時代から劇場の常習犯でなんJ外でも「澤村劇場」と呼ばれていた。