劇場

Last-modified: 2019-11-12 (火) 07:02:10

中継ぎが走者を出しながらもリードを守りきる、または無失点でイニングを終える行為。
類義語に「四凡(四者凡退)」*1、(先発投手の場合を含めて)出塁の原因が四死球や投手自身のエラーの場合に「自作自演」がある。
失点して追いつかれた場合(ビハインドの場合失点で点差を広げられる)、劇場ではなく「炎上」となる。


概要 Edit

由来は1999年から福岡ダイエーホークスに所属していたロドニー・ペドラザからだが、ペドラザが炎上常習者になった頃と同時期に台頭した中日ドラゴンズのエディ・ギャラード*2によって「劇場」という言葉が広まった。
これ以降、きっちり三凡で抑えてくれるクローザーへの対義語として「劇場型クローザー」という呼称が登場し、後にクローザー以外の中継ぎにも定着した。
劇場をするとその投手の発言として「楽しんで頂けたかな?」と書き込むのがお約束になっている。
また劇場が続くとなんJに「暖簾スレ」が誕生し、暖簾の主に認定される。

 

ちなみに韓国でも同様の意味の言葉が存在し、劇場型クローザーのことを「作家」、また劇場開幕のことを「執筆」と呼ぶ。これは「(勝手に)筋書きのないドラマを書き始める」ことが由来だといい、期待に反して好投すると「絶筆」とされる(最近は日本同様「劇場」の方が使われているとのこと)。


「劇場王」小林雅英 Edit

千葉ロッテマリーンズのクローザーで「幕張の防波堤」と称された小林雅英は、本人が「3点差なら2点まで取られてもいい」「ランナーを出そうが点を与えなければいい」という思考の持ち主ゆえに劇場型クローザーの典型であり、薄氷を履む展開が数多く、さらに毎年盛大に「決壊」する試合が何試合もあった*3。それを見たファンからは「幕張の土嚢」「本当の幕張の防波堤は(守備に定評のある)小坂誠」と揶揄され続けた。

 

2005年シーズン、ロッテはシーズン2位で終え、小林は29Sでセーブ王を獲得。
そして前年にプレーオフで敗北し日本シリーズ出場を逃したシーズン1位・福岡ソフトバンクホークスと対決する。
ロッテが連勝して日本シリーズ出場が懸かった第3戦もロッテ4点リードで終盤に突入。マウンドにはここまで前年からポストシーズン4連続セーブの小林が登板するも4失点と大炎上して同点、10回裏には小林の後を継いだ藤田宗一も炎上してロッテはサヨナラ負けを喫してしまう*4

翌日も敗れ2勝2敗、最終決戦において1点差ながらリードを保って9回裏までこぎつけ、マウンドには小林が送り込まれる。だが先頭打者の大村直之に四球、続く鳥越裕介の犠打で得点圏に走者を進められてしまう。
しかし、小林は第3戦の再現に怯えるロッテファンをよそに後続の柴原洋・川崎宗則を打ち取ってきっちり四凡を達成、日本シリーズ出場を決めた*5

 

この「選手生命を賭けてプレーオフ全体を使った大劇場『コバマサナイト』」に劇場マニアは賛辞を送り、小林は「劇場王」として君臨することとなったのである*6

余談だが、その後ロッテは伝説的な日本シリーズを戦うことになり、プレーオフ・日本シリーズと立て続けに伝説を打ち立てたのであった。


関連項目 Edit





*1 更にランナーを出した場合は五凡、六凡となるが、無失点でイニングを終えることが必須条件。
*2 2000年入団。同年9月24日の読売ジャイアンツ戦で、最終回4点リードから江藤智の同点満塁弾と次打者の二岡智宏のサヨナラ弾で巨人が試合をひっくり返して優勝を決めた際の投手として有名。
*3 2001年7月17日の大阪近鉄バファローズ戦、5点リードの9回表に登板するも大村直之に逆転3ランを浴びるなど大炎上、逆転負けした試合が有名。
*4 NPB 2005年10月15日試合結果
*5 NPB 2005年10月17日試合結果
*6 その後2007年に海外FA権を行使してMLBクリーブランドインディアンズへ移籍、2010年に読売ジャイアンツでNPB復帰。翌年トライアウトを経てオリックスバファローズへ移籍するが同年に引退。2012~2014年はオリックス、2015年~2018年はロッテで投手コーチを務めた。