沼者

Last-modified: 2023-12-21 (木) 20:23:12

元プロ野球選手・大沼幸二(西武→横浜/DeNA)のこと。
俺達の流れから沼者(総帥)と呼ばれる。


大沼幸二とは

2000年のドラフトで、社会人野球のプリンスホテルから逆指名で西武に入団。
2005年、MLB挑戦のため海を渡った森慎二*1や巨人へFA移籍した豊田清の後継として抑え投手として期待されるも制球難で結果を残せず、二軍で好投し一軍に昇格すると炎上して即降格という日々を繰り返す。
それでも2008年には一軍の中継ぎとして活躍し、小野寺力と並ぶ西武中継ぎの総本山として君臨した。

総帥とは

85 : 代打名無し@実況は野球ch板で 投稿日:2009/08/22(土) 11:17:12 ID:sxRFfJOJ0

折角だから総帥の総帥たる由縁も貼っておこう

【大沼の凄さを知らない人のために】

1、2006年終了時、通算成績9勝16敗、通算防御率5.26。

左の中継ぎの多い西武において貴重な右中継ぎ。

2、150km/hを超える速球を投げる。

3、よく落ちるフォーク、切れるスライダーを投げる。

4、2軍の試合では無敵の大エース。

5、1軍のブルペンでも周囲が驚くほどの仕上がりのよさを見せる。

6、なのに登板時に自チームがリードすると、9割以上の確率で派手に炎上

7、またリリーフ登板だと、前の投手の残したランナーは確実に本塁まで返す仕打ち。

8、しかし自分に自責点がつく場面では、点をやらない鬼に変身。

9、おまけに3点以上リードされるとランナーすら許さない魔人ぶり

~主な獲得タイトル~

2001年 イースタン最優秀防御率・イースタン最多勝率

2002年 イースタン最多奪三振

2003年 イースタン最多勝


沼者伝説

なお中継ぎ定着の翌2009年、対千葉ロッテマリーンズ戦の9回裏から登板すると四球→死球→犠打→敬遠→暴投で相手に何もさせずサヨナラ負けという俺達総帥の襲名披露を催している。
余りの不甲斐なさに遊撃手の中島裕之(宏之)(現中日)にキレられ、解説の初芝清(元ロッテ)には「ロッテは何もしてませんよね」と呆れられ、暴投での打者だった事からお立ち台に呼ばれたベニー・アグバヤニにも「何故呼ばれたのか分からない」と困惑される。当然試合後二軍降格となった。

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該当シーンは2:54から

 

その呼び名に相応しい投球と愛らしい外見で俺達一番人気の投手として(相手チームから)愛されてきたが、2011年の開幕前に坂元弥太郎*2との交換で横浜へ移籍*3してしまう。
俺達大本営である西武を離れはしたものの、その功績と横浜でも西武時代と変わらぬ投球を続けた事から沼者の呼び名は変わらず横浜/DeNA在籍中は俺達名誉総帥兼初代星達総帥*4であった。

しかし2012年6月、肩の故障を理由にDeNAから突然の任意引退公示(後に自由契約に切り替え)され、俺達終身名誉総帥兼星達終身名誉総帥に祭り上げられた。現在でも俺達スレでは名誉総帥1号として君臨している。
しかし実際の引退理由は私生活が原因との噂があり、週刊文春にも大沼の不倫問題がクローズアップされていたことから不倫絡みという見解が半ば定説化していた。その後、2018年6月から7月にかけての大嶺翔太(当時ロッテ)の引退や柿澤貴裕(当時巨人)の解雇に関する報道において大沼引退の引き金となったのは金銭問題だったことが明らかになった。引退後の動向は全く不明で、プリンスホテルに勤務する一般人となっているという話もあるがソースは不明であり、なんJにおいてはメットライフドームマウンドに埋められている、狭山湖に沈んでいる、など酷い言われ様である。

西武ファンはともかく横浜ファンにはその芸風は受け入れられずむしろトラウマを与え、後々同じように西武から移籍してくる長者こと長田秀一郎の印象にも影響を与えた*5。それに加えて引退時のゴタゴタもあり、横浜ファンからは完全に名誉外様扱いである。

ご尊顔*6

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関連項目


*1 2017年、西武一軍投手コーチ在任中に死去。享年43。
*2 元日本ハム→横浜→西武→ヤクルト。大沼や中島たちが入団した2000年ドラフトで地元でもある西武ファンから指名が熱望されていた選手でもある。
*3 この年背番号15を剥奪され61へ変更していたが、キャンプイン直前の移籍で披露される事はなかった。ちなみに西武の背番号15はのちの三代目総帥大石達也(達者)さらに宮川哲(哲者)へと受け継がれている。
*4 ちなみに大沼引退後の星達総帥は2018年まで加賀繁だった。
*5 長田はDeNA移籍当初、その経歴もあり「大沼の再来」扱いされあまり歓迎されていなかったことから大沼の扱いが伺える。ただし、長田も西武時代は大沼や小野寺ほどではないにしろ土壇場で炎上していたため、残念だが仕方ない面はあった。ところがDeNA加入後はむしろ接戦に強い逆俺達ともいえる投球で不評を跳ね返すことになる。
*6 「横浜ベイスターズ」時代であること等、様々な要素を鑑みると2011年4月16日の試合でのワンシーンとみられるが真相は不明。