2005年3月27日に行われた千葉ロッテマリーンズ対東北楽天ゴールデンイーグルス戦のスコア。
2024年現在、「最も得点差がついた完封試合」である*1。
【目次】 |
背景 ~楽天の球界参入、苦難のチーム作り~
2004年のNPBはオリックスと近鉄の合併構想に端を発する再編問題を経た後、シーズンオフに両球団の合併及び楽天の新規参入が実現する。自前の選手を持たない楽天のチーム編成措置として、11月8日時点でオリックスと近鉄に所属する選手を分配するドラフトが行われた。しかし「まずオリックスが25人を優先的にプロテクトする」という楽天にとって著しく不利なルールのため、楽天は本ドラフトで(主に旧オリックス側の)戦力たりえる選手をほとんど集めることができなかった。
加えて旧近鉄の中村紀洋はメジャー挑戦、大村直之は「近鉄存続なら残留、近鉄消滅ならばFA」の宣言通りFAでソフトバンクへ移籍するなど、主力選手の流出も重なる。また当時はオリックス・近鉄共に投手力に課題を抱えるチームだったため、投手陣の戦力不足が顕著であった。
以降も各球団からの無償トレード*2などで一軍での実績が無い選手、もしくは選手としてのピークが過ぎて成績の落ち込んだベテラン(半ば戦力外扱いの状態)を集めるのがやっとであった。
開幕前の選手事情
戦力として期待された選手
- 分配ドラフトで入団(イレギュラー入団の岩隈含む)
名前 詳細 旧近鉄 岩隈久志 オリックスがプロテクトするも本人が入団を固辞したため、オリックス分配後に金銭トレードという形式で楽天入り。 礒部公一
吉岡雄二近鉄のリーダー的存在だったことからかねてよりオリックスの指名を拒み、オリックスもそれを認める形で分配ドラフトでの指名を回避。 高須洋介
川口憲史
福盛和男
益田大介
鷹野史寿近鉄時代はそれなりの結果を残していたが、不動のレギュラー陣に台頭を阻まれていた。 藤井彰人 前年の正捕手だったものの、強打の日高剛をはじめとするオリックス捕手陣に阻まれプロテクト漏れ。 吉田豊彦 近鉄在籍時はリリーフエースとして3年で158試合に登板したものの、最終年に調子を落としたことでプロテクト漏れ。 旧オリックス 大島公一 前年のオリックスで準レギュラー級の活躍をしていたものの、当時37歳という高齢の懸念もありプロテクト漏れ。 斉藤秀光 大島同様に前年のオリックスで準レギュラーだったが、活躍がその1年のみであったことからプロテクト漏れ。
- その他
名前 詳細 他球団から入団 山﨑武司 分配ドラフト前に旧オリックスを自由契約とされたため、分配対象にならずフリーの立場で入団。 飯田哲也 ヤクルトから戦力外後、無償トレードで入団。当時36歳という高齢に加え、外野陣の層の厚さ及び青木宣親の育成に注力する等の理由からの放出。 関川浩一
酒井忠晴無償トレードで中日から移籍。共に中日では若返りを目的として出場機会が減っていた。 小山伸一郎 無償トレードで中日から移籍。一軍での実績こそ乏しかったものの、過去のドラフト1位であったこと、二軍で2年連続最多セーブを獲得していたことなどから期待は高かった。 新人選手 一場靖弘 「大社BIG3」の一角でドラフトの目玉と見られていた*3が、栄養費問題のため他球団が指名回避。マイナスイメージを考慮する余裕のない楽天が自由獲得枠で指名。 渡邉恒樹
平石洋介同年の新人ドラフト会議で指名された社会人卒ルーキー*4。平石は後に球団史上初の生え抜き監督となる。
※黎明期を支えた青山浩二、沖原佳典、鉄平、草野大輔、リック・ショート、ホセ・フェルナンデスや渡辺直人は2005年開幕時点では加入していない*5。
外国人、FA補強の不発
三木谷浩史オーナーは「大物の外国人をとる場合は、ポケットマネーで10億円ぐらいまで出す」と戦力補強に意欲的なコメントを残し、アレックス・ラミレス(ヤクルト)やアンディ・シーツ(広島)、ジョージ・アリアス(阪神)、ネイサン・ミンチー(ロッテ)の獲得に動いていた。
しかしいずれの交渉も不調に終わり、獲得したのは下記の計7人。好成績を残したシーズンから時期が開いている選手、NPBへの対応力が未知数な新外国人と、堅実な活躍を計算できる者はおらず彼らの年俸は高くても概ね5000万円程度であった。
- NPB在籍経験あり
ケビン・ホッジス(ヤクルト)*6、ゲーリー・ラス(巨人)、マット・スクルメタ(ダイエー)*7 - 新外国人
ルイス・ロペス*8、アーロン・マイエット、デイモン・マイナー*9、アンディ・トレーシー
FA選手に至っては「金銭面で折り合わない」という理由で全く獲得に動かなかった*10。
シーズン開幕 ~束の間の歓喜、伝説の開幕2戦目~
迎えた2005年シーズン、楽天の球団史上初の対戦相手は前年4位のロッテに決定。上述の選手陣から、開幕カード2連戦の連敗が濃厚と見られていた。
ところが大方の予想に反し、開幕戦は先発の岩隈が9回1失点と力投し3-1で勝利。NPB初の、新規参入の球団が一軍戦の経験がある既成球団を相手に初戦勝利を挙げるという快挙を達成した*11。
しかし翌日の第2戦目では、投手陣が4発被弾を含む24被安打、14与四死球と大爆発炎上。打線も渡辺俊介*12の前に1安打1四球と抑えられ26-0の完封負け、しかも出塁した2人は両者とも併殺打で刺されたため、完全試合/ノーヒットノーランこそ免れたものの9回打者27人で終了*13という始末。
記録的な敗戦はメディアによって広く拡散され、開幕戦で僅かに期待したファンを絶望させた。投手陣は田尾安志監督に「1軍レベルに達していない」と評された。
試合結果
3月27日(日) 千葉マリン 2回戦(ロッテ1勝1敗0分) |
試合時間3:35 観衆24,028 |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | R | H | E | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
楽天 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
ロッテ | 2 | 11 | 1 | 0 | 1 | 4 | 0 | 7 | X | 26 | 24 | 0 |
画像
ロッテは当年より背番号26を「ベンチ入り25人に次ぐ『ファンの番号』として」準永久欠番と定めており、バレンタイン監督は背番号と得点をかけて強調している。
当試合のスコアボード。楽天ファンにとってのグロ画像である。
2005年シーズンの楽天とその後
この試合後に「ゼロからの気持ちで明日からやる」と語っていた田尾監督だが、翌日からのソフトバンク3連戦では2桁失点こそなかったが3タテされる。以降も圧倒的な戦力差は埋めようもなく、エース岩隈の肩の故障もあってチームは最下位を独走。
2度の11連敗などを経て、最終的には38勝97敗・勝率.281*14という悲惨な成績でシーズンを終えた。9月25日には田尾監督の複数年契約破棄による解任が決定。後任には野村克也が就任した。
現在では他球団にも劣らないチームへと成長している*15が、創成期からのファンには未だにこの試合のトラウマがあり、「楽天のセーフティーリードは26点」などとネタにされている。