26-0

Last-modified: 2021-02-24 (水) 20:30:58

2005年、千葉ロッテマリーンズ対東北楽天ゴールデンイーグルスの開幕2戦目のスコアの事。
2021年現在、「負けたチームが完封された試合の中では最も得点差がついた試合」である*1


楽天の参入、チーム作り

2004年シーズン終了後に近鉄がオリックスに吸収合併され、12球団を維持するため楽天が新規参入。
そして11月8日時点でオリックスと近鉄に所属する選手を分配するドラフトが行われたが、まずオリックスが25選手を優先的にプロテクトするという、オリックスに有利すぎるルールであったために、主力クラスの選手はオリックスに根こそぎ奪われてしまう結果となった。
またオリックス、近鉄共に投手力に課題があるチームだったため、投手陣は特に悲惨なことになった。

分配後の戦力強化でも、各球団からの無償トレードなどで一軍での実績が無い選手や成績の落ちこんだ半ば戦力外と化していたベテランを集めるのがやっとで、最終的に主戦力として期待できたのは岩隈久志*2礒部公一吉岡雄二*3、高須洋介、川口憲史、沖原佳典*4山崎武司*5福盛和男くらいであった。

当初三木谷オーナーは「10億円近い補強費用があり、必要ならばポケットマネーも出して現役のメジャーリーガーを取る」と戦力補強に意欲的なコメントを残し、ケビン・ホッジス、ゲーリー・ラス、アーロン・マイエット、マット・スクルメタ、ルイス・ロペス*6、デイモン・マイナー*7、アンディ・トレーシーと合計で7名もの助っ人を補強したが、彼らの年俸は高くても概ね5000万円程度であった。そして成績面はというと、まともにチームに貢献出来ていたのは消去法でロペスだけ*8という状況であった上、スクルメタ、マイエット、デイモンは成績不振でシーズン途中に解雇、残りの面子もシーズン終了後に解雇されるなど助っ人全員が入団した年に退団するという典型的な「安物買いの銭失い」としか言いようのないコントを演じてしまった。そしてFAに至っては「金銭面で折り合わない」という理由で全く行わなかった。

このような惨状から、シーズン中にはクリーンナップにカツノリが起用されるという珍事も発生している。

2005年の楽天

3月26日の開幕戦は岩隈の力投によって公式戦初勝利を挙げる*9が、2戦目は投手陣が4発被弾を含む24安打・14四死球と大爆発炎上。打線もロッテ・渡辺俊介に1安打1四球に抑えられ26-0の完封負け*10。この記録的な敗戦はメディアによって広く拡散され、開幕戦で僅かに期待したファンを絶望させ、田尾安志監督に「2軍レベルにすら達していない」と言わしめた。
また岩隈も前年から抱えていた肩の故障により期待程の成績を残せず、途中からは投手陣が完全崩壊、プロとは思えない負け方をくり返し、2度の11連敗などを重ねて最終的には38勝97敗・勝率.281、*11首位と51.5ゲーム差、5位にすら25ゲーム差という有様*12であった。

田尾の解任発表とその後

このような見るも無残な成績を叩き出したことと采配の不手際から、複数年契約のはずだった田尾監督は上層部に見切りをつけられ、シーズン終盤とはいえ9/25付けで今シーズンをもっての解任が発表*13。僅か1年で退団に追いやられることとなり、監督としてのキャリアに大きく傷がつくこととなった。
ただし当時の楽天関係者や野球評論家からは「この戦力で100敗を回避した事自体が奇跡」「誰が監督をやっても結果は同じだった*14」「この戦力では開幕前から最下位が目に見えていたが、誰かが指導者としてのキャリアが傷つく事を前提に引き受けなければならなかった」などと語っており、田尾には同情の声も多い*15

そんな哀れな監督への思いは、本拠地最終戦とシーズン最終戦の試合終了後に楽天ファンに加え対戦相手であるロッテファンとホークスファンも加わった田尾コールが起き、特に最終戦では楽天ナインはベンチ裏に下がる田尾を呼び止め、ぶっちぎりの最下位チームとしては異例とも言える監督への胴上げが行われるという形で具現化し、シーズン終了後には宮城県で解任に反対する団体東北若鷲会が発足し、署名活動が行われた。
しかしそんな中楽天の球団職員からは「田尾監督が辞めたら、楽天のファンをやめる人がいると思いますか。10日たったら忘れますよ」というあまりに冷めた発言が飛び出してしまい物議を醸した。

試合結果

2005年3月27日 千葉-楽天2回戦 千葉マリン 1勝1敗 球審・林  
試合時間3時間35分 観衆2万4028人

    1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
楽 天 0 0 0 0 0 0 0 0 0   0
千 葉 2  11 1 0 1 4 0 7 X 26

楽天 ●藤崎(1敗)、有銘、小倉、福盛、徳元、マイエット-藤井、長坂
千葉 ○渡辺俊(1勝)-橋本
本塁打 西岡1号、パスクチ1、2号、ベニー1号(ロ)
三塁打 西岡(ロ)
二塁打 パスクチ、平下、渡辺正、フランコ(ロ)
楽天    1安打5三振1四死球    0盗塁0失策0残塁
千葉 24安打1三振14四死球 1盗塁0失策11残塁 

画像*16



関連項目


関連リンク



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*1 パ・リーグの最大得点差完封試合でもあり、これは1リーグ時代の1946年7月15日に近畿グレートリング(現・福岡ソフトバンクホークス)対ゴールドスター(後に大映スターズと改名。その後高橋ユニオンズと合併して大映ユニオンズとなり、さらに毎日オリオンズと合併し大毎オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)となる)戦で、グレートリングが26対0で勝利して以来のNPBタイ記録。負けたチームが完封されず最も得点差がついた試合は、1940年4月6日の阪急軍対南海軍の32-2。なおノーヒットノーラン試合で最も得点差がついたのは1952年7月26日の読売ジャイアンツ対松竹ロビンスの17-0。野球全体では1998年7月18日の第80回全国高校野球選手権大会青森予選2回戦での東奥義塾高校対深浦高校(現:木造高校深浦校舎)の122-0(7回コールドでの記録。参考記録ながらこちらもノーヒットノーラン試合であり、東奥義塾の投手陣は深浦打線に対して少なくとも4つの出塁を許したのみである)である。ちなみに、日本プロ野球で過去に15回達成されている完全試合では、達成したチームが2ケタ得点を挙げたケースはない(現時点で最後の完全試合である1994年5月18日の福岡ドーム(現:福岡PayPayドーム)での巨人対広島の6-0が最多得点となっている。また、MLBで完全試合達成チームが2ケタ得点を挙げたのは2012年6月13日のサンフランシスコ・ジャイアンツ対ヒューストン・アストロズの10-0が唯一のケースである。)。
*2 オリックス入団を拒否したため、オリックス分配後に金銭トレードという形で楽天入り。
*3 彼ら2人は元近鉄のリーダー的存在だったため、オリックスからのプロテクトを拒否、オリックス側もこれを認め(岩隈はこの時点では「説得できる」と目論んで指名したが翻意せず)、楽天入り。ただし吉岡は前年アキレス腱を負傷しシーズンをほぼ全休していた。
*4 阪神で2003年の優勝に貢献するも、鳥谷敬の加入により出場機会が減少したため、シーズン途中にトレードで移籍。故障した高須の穴を埋めるがまだこの試合時には加入していない。
*5 分配ドラフト前にオリックスを自由契約になったため、分配ドラフトの対象にならず楽天入り。
*6 90年代後半と2000年代初頭に広島に在籍した選手とは同姓同名の別人で、両者に血縁関係は無い。ただし何の因果か楽天のロペスが解雇された翌年2006年に元広島のロペスが楽天のスカウトに就任したため、かなりややこしい事になってしまった。
*7 「マイナー」は縁起が悪いという理由で登録名はデイモンとされた。ちなみに弟はあの鉄人カル・リプケンの連続試合出場記録を途切れさせたことでも知られるライアン・マイナー。
*8 最終的に118試合に出場し打率.223、12本塁打、49打点、61三振、得点圏打率.314でややチャンスに強い他は助っ人としては力不足であったが、これでもこの7名の中では最も優秀な成績であることが当時の助っ人の頼りなさを物語っている。
*9 完全に新規参入の球団が一軍戦の経験がある既成の球団を相手に初戦勝利を挙げたのはNPB初。
*10 しかも出塁した2人の選手は併殺打でどちらも刺されたので準完全試合という始末。
*11 この年のパ・リーグ首位打者である西武・和田一浩の打率(.322)より低いという有様であった。
*12 当然ながらパ・リーグ全5球団に負け越したほか、交流戦でも横浜相手には全敗(0勝6敗)の成績に終わった。このほか阪神・巨人・広島にも負け越したため、9球団相手に負け越したことになるが、ヤクルト相手にはタイ(3勝3敗)の成績で終えたほか、中日には4勝2敗(初顔合わせの3連戦で球団史上初の3連勝を記録)と11球団で唯一勝ち越している。
*13 但し9/28の最終戦まで指揮を執ることとなった。
*14 事実、2006年からは野村克也が指揮をとったが、その野村でさえ2006年は47勝85敗と、采配でどうにかなる差ではなかったと言える。
*15 そもそも田尾本人は楽天監督に就任するまで監督経験はおろかコーチ経験すら無かったほか、田尾本人も監督就任を打診された地点で「僕を地獄に落とすのか」とドン引きしていた。また、後に田尾に代わって楽天の監督となる野村克也田尾の今後の指導者としてのキャリアを失わせてしまったと激怒している。実際、田尾は2020年に琉球ブルーオーシャンズのコーチに就くまで指導者としての仕事は来なかった。なお楽天時代も成績はともかく、山崎武司を復活させるなど功績はあった。
*16 ロッテはこの2005年よりベンチ入り25人に次ぐ「ファンの番号」として26番を準永久欠番としており、バレンタイン監督のパフォーマンスはこの得点とひっかけたもの。