人文科学/『人形の家』/島村抱月による解説(新字体化)

Last-modified: 2025-10-21 (火) 19:00:27

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↑底本

私がやったこと
  • 旧字体→新字体(字形がほとんど変わらない一部漢字は除く)
  • 歴史的仮名遣い→直す(「ゐる→いる」なんかは直して読みやすくなるとは限らない(前者は若干漢字っぽい意識の下に用いられてゐる)けど、まあとにかく直した。)
  • 若干のルビ振り(主として…………民が読めそうにないもの)
     手作業だから見落としあっても知らん
 
 

『人形の家』解説 島村抱月

       一

『人形の家』の作者ヘンリック・イブセン(Henrik Ibsen)は西暦千八百二十八年三月二十日、ノールウェーのスキーンという小都会に生まれ、千九百六年五月二十三日、七十九歳で同国の首府クリスチアニアに死んだ。彼れの生涯中三十七歳から六十三歳まで、人生の最盛期二十七年間は、本国に意を得ないでドイツ、イタリア等に漂泊の生活を送り、『ブランド』以下『ヘッダ・ガブレル』に至る十余篇の劇をそのあいだに作った。彼れの著作目録は、

『カチリーナ』(Catilina--1850)

『勇士の墓』(Kjaempehöjen=The Warrior's Tomb--1851)

『ノルマ又は政治家の恋』(Norma eller en Politikers Kjaerlighed=Norma or a politician's Love--1851)

『聖ジョンの夜』(Sancthansnatten=St. John's Night--1853)

『オェストラアトのインゲル夫人』(Fru Inger til Oestraat=Lady Inger of Oestraat--1857)

『ゾルハウグの饗宴』(Gildet paa Solhaug=The Feast at Solhaug--1857)

『オラフ・リリヱクランス』(Olaf Liljekrans--1857)

『ヘルゲランドの海豪』(Haermaedene paa Helgeland=The Vikings at Helgeland--1858)

『恋の喜劇』(Kjaerlighedens Komedie=Love's Comedy--1862)

『僣望者』(Kongsemnerne--The Pretenders--1894)

『ブランド』(Brand--1866)

『ペール・ギュント』(Peer Gynt--1867)

『青年同盟』(De Unges Forbund=The League of Youth--1869)

『皇帝とガリリア人』(Kejser og Galiloeer=Emperor and Galilean--1873)

『社会の柱』(Samfundets Sttter=The Pillars of Society--1877)

『人形の家』(Et Dukkehjem=A Doll's House--1879)

『幽靈』(Gengangere=Ghosts--1881)

『人民の敵』(En Folkefiende=An Enemy of the People--1882)

『鴨』(Vildanden=The Wild Duck--1884)

『ロスメルスホルム』(Rosmersholm--1886)

『海の夫人』(Fruen fra Havet=The Lady from the Sea--1888)

『ヘッダ・ガブレル』(Hedda Gabler--1890)

『建築師』(Bygmester Solness=The Master Builder--1882)

『幼きエイヨルフ』(Lille Eyolf=Little Eyolf--1894)

『ジョン・ガブリエル・ボルクマン』(John Gabriel Borkman--1897)

『我等死者の醒むる時』(Nar Vi Dode Vagner=When We Dead Awaken--1899)

『詩集』(Digte=Poems--1870)

イブセン詩集
イブセン書簡集
イブセン演説及新書簡集
イブセン草稿集

 これ等の作の中でも、殊にその現代の社会を描いた劇において、イブセンは近代劇の父となり王となったのである。

       二

『人形の家』と言えば、誰でもすぐ婦人問題ということを想い出す。イブセンの社会劇は多く問題劇で、『人形の家』はすなわち婦人問題を材料にした劇であるという。そして問題を芸術にするのが善いとか悪いとかいう論争がそれにともなう。けれども要するにこの論争は無用である。すべての劇が問題劇でなくてはならないという理由もなければ、一つの劇が問題劇であってはならないという理由もない。劇が芸術としての目的は我々の生命を()き動かすところにある。それさえあれば、その方法となり、材料となるものが社会問題であると否とは問うところではない。『人形の家』には婦人問題が材料として用いられている。婦人の解放、婦人の独立、婦人の自覚、男女対当の個人としての結婚、恋愛を基礎とした結婚、というような問題が含まれている。そのためこの劇が単なる芸術の力以外に広く世界を刺激したことは否まれない。ヱドマンド・ゴッス氏がその『イブセン伝』(Ibsen : Edmund Gosse)の中で、
『人形の家』はイブセンが始めての無条件的成功の作である。ただに世間一般の議論を惹き起した最初の作であるのみならず、その仕組及び描写法において、イブセンが(たゆ)まざる現実的作家としての新理想を発揮した点で、その以前の作よりも遙かに進んでいる。アーサー・シモンズ(Arthur Symons)君が「人形の家はイブセンの劇中傀儡をあやつる針金の用いられなくなった第一の作である。」といったのは当っている。一歩を進めては、この針金の用いられなくなった第一の近代劇であるともいえる。もとよりまだその後の作のごとく完全の描写法とはいえない。事件の湊合(そうごう)せられる距離がおそろしく短くて、初めの幕の辺では、巧みに面白く出來てはいるが、まだよほど実人生の不可避性と遠ざかっている。しかし驚くべき最後の幕において、ノラが出て行く支度をして寢室から立ち出で、ヘルマーと見物とを驚倒せしめるところ、悶えている夫婦が卓を囲み面と向って対決する辺にくると、人をして始めて、劇壇に新しきもの生れたりという感をおこさせる。同時にいわゆる「うまく作った芝居(well-made play)」は、俄然(がぜん)としてアン女王の死のように死んでしまった。凄愴(せいそう)なまでに生の力の強烈にあらわれていることは、この最後の幕において驚くばかりである。昔のめでたい終局は始めて全然放棄せられ、人生の矛盾が少しの容赦もなく出てきた。『人形の家』が非凡の演劇であったことをあんなに突然認められたのは珍らしいことである。ノラの「独立宣言」は全スカンヂナヴィアに響き渡った。人々は毎夜々々興奮して顏蒼ざめ、議論をしたり、喧嘩をしたり、喰ってかかったりしながら劇場を出た。
 といっているのは、もって、この劇がはじめてイブセンの本国で演ぜられた時、世間の問題を刺激したことの如何に激烈であったかを想見するに足る。ただにスカンヂナヴィアのみならず、欧州の諸国にわたって、近代の婦人問題を刺激した、最も有力なものの一はこの劇である。問題劇としての効果はこれで遺憾がないといってよい。
 けれども、(ただ)それだけでは芸術としての特権がない。その問題なり思想なりの奧から放射しているものがなくては、これと似た効果を生ずる一場の煽動演説と何の区別もないことになる。芸術の力はもっと根底から発するものでなくてはならない。そもそもそれがあればこそ、一篇の『人形の家』もあれほどの刺激力を有し得たのである。
 芸術の奧から放射しているものは生命の光りであり、生命の熱である。芸術は生命の沸騰そのものである。
 生命の沸騰はその個人の全人格に震動を与えて、そこに思想感情の深い覚醒を生ずる。ほとんど思想であるか感情であるかわからないほど深奧な心持を経験する。仮りにこれを説明していえば「人生を如何にすべき」「我が生を如何にすべき」というような、もだもだしい心持である。この心持の中には、社会問題でなく、人生問題が包まれている。人生観の思想が暗示せられている。すべての近代芸術は、この意味において思想芸術であり、問題芸術である。『人形の家』も()ずこの意味において問題劇でなくてはならない。イブセンが千八百九十八年五月二十六日クリスチアニアのノールウェー女権同盟の祝賀会でした演説に、
「私は女権同盟の会員ではありません。私の書いたものには一として主張を広めるためと意識して書いたものはありません。私は世間の人が一般に信じようとしているよりもより多く詩人で、より少く社会哲学者であります。皆さんの祝杯に対しては感謝いたしますが、ことさらに女権運動のために働いたものとしての名誉をば辞退するほかございません。私は一体女権運動のいかなるものであるかをすら、実際十分に明かにしておりません。私はこれを広く人間の問題であるとみました。注意して私の著述をお読み下すったら、この意味がわかるだろうと思います。もとより女権問題も、他の諸問題と同じく、これが解決は望ましいことでありますが、しかしそれが目的の全部ではありません。私の仕事は「人間の描写」ということでありました。勿論、こういう描写が合理的に真実だと思われると、読者は自分の感情や気持をその詩人の作中に挿入して、それ等がみんな詩人のものであったことになりますが、しかしそれは間違いです。すべて読者は皆てんでんの人格に從って、その作を非常に美しい、綺麗なものに作りかえてしまいます。ただに作者ばかりでなく、読者もまた詩人なのでありまして、彼等は作家の助手であり、時としては詩人みずからよりも一層詩的なのであります。(下略)」
 といったのは、その「人間の描写」ということで、人生問題を暗示する意味を述べたものとみられる。けれどもそれと同時に、婦人問題を婦人問題として材料に用うることも、初めからのイブセンの計画であったことは明かである。千八百七十九年すなわちこの劇の出來る年の七月、ローマからゴッス氏に宛てて送った手紙は、
「小生は去る九月から家族とともにこの地におります、そして大部分の時間は新に作りかけている劇のことで塞いでいます、もう間もなく出來上って、十月には出版の運びになりましょう。真面目な劇で、近代の家庭状態、ことに結婚とからんだ諸問題を取り扱う、本当の家庭劇です。」
 と書いてある。ただこんな結婚問題、家庭問題、婦人問題をとおして、その上に一段奧深い人生問題の気持を加えたものと見ればよい。この種の思想なり問題なりは、芸術の中の粘着性となり真実性となって残留する。普通の娯楽的芸術にはこの粘着性と真実性とがない。感興芸術、情緒の遊戲、感情発散機関、これらの意味を有する娯樂的芸術と真の芸術との間には、()ゆべからざる、類の相違がある。

       三

『人形の家』の骨子となっている着想は、早く十年前すなわち千八百六十九年の彼れの作『青年同盟』に現われている。伝記家イェーゲル氏は更にこれをその前の作『ペール・ギュント』に求めて、ヘルマーがノラに対する利己的性質は、ペール・ギュントがアニトラの愛に対する心持と同じであるとしている(Henrik Ibsen : Jaeger)が、しかし中心人物たるノラの方からみた、婦人問題としての端緒はここにない。やはりこれを『青年同盟』に尋ぬべきである。すなわちその第三幕の終りで、ゼルマが夫のエーリック及びその父と別れて家を出るところに、
「ほんとうにまあ、私はあなたがたから残酷な目にあっていました! あなたがたみんな、――卑怯な! 私はいつも貰うことばかりで、――ついぞあげることがない。あなたがたの中にまじった物貰いのようでした。私のところへきて犧牲を出せとお求めなすったことは一度もない。私は何をすることも出來ないものになっていました。私はあなたがたがいやになりました! あなたがたが憎くなりました!」
 というのはノラが「あなたには少しも私というものを理解していらっしゃらなかったでしょう? 私は今まで大変不法な取扱を受けておりました、第一は父からですし、その次はあなたからですよ」というのと同じである。またゼルマが
「どんなにか私はあなたがたの苦労や心配をただ一滴でもいいからわけて貰いたいと思ったでしょう! けれどもそれを私が頼むと、あなたは笑っておしまいなさる。私を人形のようにくるみ上げて、子供と遊ぶように私とお遊びなすった。ああ、私どんなにかあなたと苦労を一緒にしたいと騷いだでしょう! どんなにかこの世の広い、高い、強いこともしたいと、一生懸命念がけたでしょう!(下略)」
 というのはノラが「私はあなたの人形妻になりました。ちょうど父の家で人形子になっていたのと同じことです。それから子供がまた順に私の人形になりました。そして私が子供と一緒に遊んでやれば喜ぶのと同じように、あなたが私と遊んで下されば面白かったに違いありません」という台辞の前身と見るべく『人形の家』一篇の根原となったものである。『青年同盟』のこれ等の句を読んだブランデス(George Brandes)氏はイブセンにすすめて、これを展開すれば別に立派な大作が出來るといったと伝えられている。しかし直接この作を刺激した動機に関して、ゴッス氏の伝はこういっている。
「一般に信ぜられているところによると、千八百七十九年四月、イブセンはデンマルクの法廷におこった一事件で、ジーランドの或る小さい町の、若い結婚した婦人がやったことの話を聞かされた、それが彼れの心を新劇の計画に引きつけたのである。」
 おそらくこの二つはどちらもあったのであろう。

注:人形妻/人形子
dukkehustru / dukkebarn
hustru→housewife barn→child
英語ではdoll-wife / doll-child

       四

 それから今一つはフランスの作家ヴィリエール・ド・リール・アダンが千八百七十年に作った一幕劇で『謀叛』(La Révolte: Villiers de L' Isle Adam)と題するものである。フェリックスとエリザベットと、夫婦きりの劇で、エリザベットは夫の打算的な性向に堪え得ずして、(つい)に家を棄て去るが、しかし間もなく帰ってきて、結末はめでたく収まる。その中に次のようなエリザベットの台詞がある。
「わからない人ね、私は生きたいのですよ。誰れだって生を樂しみたいと思うのが当然だとは思いませんか? 私、ここにいると息がつまるようですよ、もっと真剣なことがほしいのですよ、広い天の空気が吸いたいのですよ! あなたのお(さつ)が墓場へ持って行けますか? どのくらい私たちは生きられるものだとお思いなすって?(間をおいて、考え込んで)生きる?――私、生きたいとさえ思うかしら? 恋人! あなたそうおっしゃってね。お気の毒さま、違います! 恋人なんか私にはありません、この後だって決して持ちません。私は夫を愛するようになっていました――御覽なさい――そして私が夫から求めたものは、ちらりとでもいいから、人間の同情でした。それが今ではもう消えてしまって、愛の誇りなんか私の血管の中で氷りついています。あなたは私が何も知らないで、気を揉んでいる間に、私の気ちがいじみた嬉しさで永久にと思って捧げるものを、塵芥のようにひったくっておしまいなすったのね。(下略)」
 そして彼の女が義務として為すべきことをした結果はどうかというと、ただ彼の女の若さは亡ぼされ、彼の女の美しさは消え、貴い夕べは簿記帳によって汚されたに過ぎない。彼の女はもうここに残ってその義務を果たす力を失ってしまった。これから少しの自由を樂しまなくてはならない、広い地平線を見なくてはならない。それが為に彼の女はとうとう夫と子供を跡にして出て行った。取り殘されたフェリックスは絶望して卒倒する。けれども次の場でエリザベットは夜明けがたに帰って來ている。
「もう遲かった!――私にはもう気力がなくなっている。馬車の窓から夜の暗い中を覗いたとき、自由はいくら欲しくても、私の心は沈んでしまって、漂泊者という冷い感じが身に沁みてきた。鉛の鎖で繋がれたような気持(中略)何処へ行っていいかわからなくなって、冷たい朝の空気に(ふる)えて、私は帰ってきた(下略)」
 というとフェリックスは「御覽、私だってつまりそんなに獣ではない」といって妻の手に接吻する。エリザベットはそれをじっと見おろして、悲しげに、「気の毒な人!」というのが終りである。妻が家を出る前後の樣子や、そのあとでの夫の樣子などまで、『人形の家』のノラとヘルマーとの場合に、どこか似たところのあるのは事実である。けれどもイブセンが『人形の家』を書くとき『謀叛』を読んでいたか否かは知る由がないから、『人形の家』を『謀叛』から脱化し、若しくは『謀叛』に似せたものだとはいえない。証拠のない限りは無関係なもの、暗合したものと見ておくのが至当である。イブセンが、つい十年前に出た他人の作の外形を摸倣する人とも思えないし、著想はすでに『謀叛』よりも早い自作の『青年同盟』に明かにその端緒を見せているのである。かつ『謀叛』は劇としての価値も到底『人形の家』に及ばない。その滑かな饒舌の臭を帯びた台詞も古いし、感情の誇張、粗大なところも古い。やはりイブセン以前の物という感じを免れない。劇の結末は両者全く相違しているのは言うまでもないが、『謀叛』の結末は、『人形の家』のノラが家を出たきりでその後どうなるであろうかという問題をあとに殘しているのに比して、答を与えた趣がある。けれどもそれは、エリザベットが悟りを開いて滿足して帰ってきたのでなく、ただ自分にはもう解決の気力がなくなったといって悲しく帰ってきたのであるから、実は答でなくして問題はそのまま残っているのである。

       五

 それに比べれば、イブセンが通俗趣味に強要せられて結末を変更した、有名な改作の『人形の家』では、親子の愛というもので解決を与えて、問題を問題としないうちに揉み消してしまった。今その改作された結末を訳載すると、本書一二六頁の十六行目以下が次のように変わる。

ノラ 二人の仲が本当の結婚にならなくてはなりません。左樣なら!

ヘルマー しかたがない――行け!(ノラの手を()って)(しか)しその前に子供にあって暇乞をしなくちやいけない!

ノラ 放して下さい! 私、子供にはあいませんよ! つらくてあえないのですもの。

ヘルマー (左手の戸の方にノラを押しやり)あわなくちゃいけない!(戸を明けて静かに云う)あれを御覽、子供等は何も知らないで、すやすや眠っている。明日目をさまして、母の跡を慕う、その時はもう――母なし子。

ノラ (顫えながら)母なし子!

ヘルマー ちょうどお前もそうであった。

ノラ 母なし子!(堪えかねて旅行鞄を落して)ああ、私、自分にはすまないけれど、このまま振りすてては行かれない(戸の前に半ば体を沈める)

ヘルマー (喜ぶ、優しい声で)ノラ! (幕)

 こういう改作が原文の精神を破壊して浅薄なものにしてしまうことは云うまでもない。であるから、イブセンは已むを得ずして書いたこの改作に関し、次のような手紙をヴィインの一劇場監督者ハインリヒ・ラウベ(Heinrich Laube)に送った。

 千八百八十年二月十八日、ミュンヘンにて
 拝啓――小生の近作『人形の家』が令名ある貴下の監督の下に「ヴィイン市劇場」にて開演せられ候由承り大悦罷在り候。
 貴下はこの劇がその結末の彼れが如くなる故をもって正当にいはゆる「劇」の法則に合いたるものに(あら)ずとの御意見の由、しかしながら、貴下は真に法則というが如きものに多くの価値をおかれ候哉。小生の考えにては、劇の法則は如何(いか)ようにも変ぜられ得べく、法則をして文芸上の事実にこそ從わしむべけれど、逆に文芸をして法則に從わしむべきものに非ずと信じ候。この劇が現在のままの結末にてストックホルムにおいても、クリスチアニアにおいても、コーペンヘーゲンにおいても、ほとんど空前の成功を収めたるに徴して、この理は明かと存じ候。結末を変更したる作は、小生がこれを必要と認めたるがためにはこれなく、ただ北ドイツの一劇場監督者と、同地方の巡廻興行にてノラに扮する一女優との求めに()りたるものに候。右改作の写し一部ここに御送付申上候。御覧の上、かかるものを用うるは(いたず)らにこの作の効果を弱むるに過ぎざることを御了知下されたく、希望の至に御座候。小生は貴下が必ずこの劇を原作のままにて御演出下され候ことと信じて疑はず候。

  • [私注:「古臭い"型"に拘ってクソみてえな作品改変するのやめてくんない?」の丁寧な言い換え]

頓首

 尚こんな改作をせざるを得なかった事情については、デンマルクの『ナチョナール・チデンデ』紙に寄せた、次のような書簡がある。

 千八百八十年二月十七日、ミュンヘンにて
 記者足下――尊敬する貴紙第千三百六十号において拝見せしフレンスブルグよりの一書面によれば、『人形の家』(ドイツにては『ノラ』)は彼の地にて劇の結末を変更して演ぜられ、その変更は明かに小生の言ひつけにて為されたるものと有之候。この末文は事実に無之候。『ノラ』の発行せられて間もなく、これが翻訳者にしてまた北ドイツの諸劇場に対する小生の事務監督者たるベルリンのヴィルヘルム・ランゲ(Wilhelm Lange)氏より書面まいり、それによれば、この劇の結末を変更したる一飜案が発行せらるるのおそれあり、さすれば、北ドイツの諸劇場中には、多分その方を選びて興行するものあるに至るべしとのことに候ひき。
 かかる出來事を防がんため、小生は絶対的に必要なる場合を慮り、結末の場を変更したるものをランゲ氏まで送附いたし候。即ちノラは家を去らずして、無理にヘルマーに連れられ子供等の室の前に來たり、ちょっとしたる台詞ありて、戸のところにくづをるる、幕下る、という場面に御座候。この変更は、小生みづから、翻訳者まで書面にて申遣はし候通り、この劇に対する「野蛮なる暴行」として呪い居り候。この改作の場面を用うるは全然小生の意志に背きたるものに御座候。ドイツ劇場の多くはこれを用いざるべしと信じ候。
 ドイツとスカンヂネヴィアとの間に文学上の便宜の存せざる限り、我々スカンヂネヴィアの作家は当国の法律の保護を受くる能わず、ドイツの作家のスカンヂネヴィアにおけるもまた同樣に御座候。從って小生等の劇は、ドイツにおいては、翻訳者、劇場支配人、舞台監督者及び小劇場の俳優等が暴行に委せられ居り候。小生の作がこの危険に瀕する場合には、小生は経験の教ゆるところにより、暴行を小生みずから行いて、もって一層不注意未熟なる人々の手に取扱われ翻案せらるることを避け申候。

  • [私注:「いくら頼んでもクソ改変される上に俺の望みって事にされるのもう我慢できないから、公式にクソ改変バージョン作ったよ。よろしくねクソドイツ人ども」の丁寧な言い換え]

頓首

 当時ドイツでは一般にノラが家を去るのを批難していた為にかようなことが起こったのである。

       六

『人形の家』の結末に対する世間の批難は、多く「いくら自分の教育の為だって妻が夫を棄てて家を出る法はない、ことに子供を棄てて出られるものではない、出た後のノラはどうするのだろう」というのであった。そこで、イブセンみずからの右の改竄(かいざん)をはじめとし、世間にもこの通俗的な要求を()たすために種々の作が『人形の家』を種にして現われた。『後の人形の家』ともいうべき種類のものである。その一は千八百九十年の『英国絵入雜誌』(English Illustrated Magazine)に出たウォルター・ビザントの『人形の家――及其後』(The Doll's House―and After : Sir Walter Besant)で、それによるとノラの娘とクログスタッドの(せがれ)とが大きくなって結婚約束をする。ヘルマーはノラの去った後乱酒漢になってしまう。クログスタッドは倅のこの結婚が不賛成で、ノラの娘の兄弟が書いた偽証で娘を恐喝し、娘はそのために水に身を投げる。
 またアメリカのイドナ・ダウ・チーニー夫人という女子参政権論者の女作家は少しおくれて『ノラの帰参、ヘンリック・イブセンの人形の家の後日談』(Nora's Returne; a sequel to The Doll's House of Henrik Ibsen : Mrs. Edna Dow Cheney)と題する小冊子を(あら)わした。これでは、ノラは、家を出た後看護婦として教育せられ、コレラの流行に際してヘルマーがそれに(かか)ったのを看護するため、身分を隠して昔の自分の家に雇われ、再び彼れの命を救ってやる。病気が恢復(かいふく)しかけたとき、ヘルマーは看護婦姿のノラをそれと心づき、ここにめでたく仲なおりして夫婦元どおりになるという筋であるという。
 その他『人形の家』を滑稽の材料にしたパロディーの類では、千八百九十三年に出來た『ポンチ氏の袖珍(しゅうちん)イブセン』(Mr. Punch's Pocket Ibsen : F. Anstey)が最も有名で『人形の家』のほかに『ロスメルスホルム』『ヘッダ・ガブレル』『鴨』『建築師』等の作りかえをも加えてある。

       七

 これ等は要するに真面目に論ずべきものでないが、「妻として夫や子供を棄てる法はない」という批難に対して、イブセンが作の上で一種の答弁を与えたものと評せられるのは、『人形の家』につづいて出た『幽霊』である。『幽霊』ではアルヴィング夫人が、放埒(ほうらつ)な夫を棄て子供を棄てて家を出ようとしたが、思い直して家に留り、家庭の罪悪を子供にも世間にも知らせないように、一身を犧牲にしてこれを糊塗していた。けれども最後になって、愛子オスワルドは父の放蕩の報いを受けて無残の死を遂げ、一家悲惨の運命に終る。ノラもあの時決心を(ひるがえ)して家に留まったとしても、それが決して幸福を(もた)らす所以(ゆえん)ではない。という意味をこの作に求めようとするのである。
 またノラとヘルマーと、対当の自覚ある個人として結婚したのでないような場合に、結局どうすればよいか。この問題に、イブセンが一の解釈を与えたものと言われる作は、『海の夫人』である。この劇では、エリーダが同じく不当の結婚を自覚し、それから脱して自由な神秘な海の情人の方へ引つけられようとする。()むを得ずして、夫ヷングルは、それでは自由にしてやるから、一切の責任をエリーダ一人で負うて進退を決せよという。自己の自由を許され、責任を負わされて見ると、はじめて夫の家を去るのが自分の本望でないことがわかり、独立した一個人として改めて夫や先妻の子供等と愛を誓う。先ず独立した自由な一個人になる、その上でほんとうの愛が成りたったら、そこにほんとうの結婚も成り立つ、というのがその解釈である。
 こんな風に、婦人の自覚問題、解放問題、結婚問題としてほとんど論文を読むような態度でこれ等の作に対するのがイブセンの本意でないことは前に言った通りであるが、それと同時に、その奧から放射している人間の光り、生命の熱ともいうべき力が、これ等の問題と切り放ち難い関係を持っていることも明かである。この点からいえば、『人形の家』『幽靈』『海の夫人』の三作は、相通じて一の哲学を成すとも見られる。

       八

 イブセンの死後、千九百九年に彼れの作の草稿が公にせられた。その中に『人形の家』もある。今その最後の草稿と思われるものと完成した『人形の家』とを比較してみると、種々の点に興味がある。その草稿は『近代悲劇稿』と題し、千八百七十八年十月十九日、ローマにてとして、まず次のような着想が書いてある。

 精神上の法則に二種ある、二種の良心である、一は男子に、他の全く異なった一は女子に。男子と女子とは(たがい)に理解しないで、実際の生活では、女子は男子の法則で判定せられる、あたかも女でなくて男ででもあるように。
 この劇中の妻君(さいくん)は何が正で何が邪であるかの観念を有しないで終る。一方には自然の感情、一方には権威に対する信念が、全然彼の女の帰趨に迷わしめる。今日の社会では女子は女子たることが出來ない、今日の社会は全然男性の社会で、法律は男が造り、男性の見地から女性の行為を判定する裁判組織になっている[注:下線はWikiによる。1878年のテキストである点よく踏まえて読むこと]
 彼の女は偽署をした、そしてそれを誇りとしている。夫に対する愛から、夫の生命を救うためにしたことだからである。ところがこの夫は平凡な名誉主義から法律と同じ立場に立って、男性の眼からこの問題を取扱う。
 精神上の葛藤。権威に対する信念に圧せられ眩惑せられて、彼の女は子供を養育する道徳上の権利と能力との確信を失う。苦悩。近代の社会では母はある種の昆虫のように、種の繁殖の義務を果たすと、去って死んでしまう。生の愛、家庭の愛、夫や子供や家族の愛。そこここに女らしい思想の破綻。心配と恐怖の突然の回帰。すべてそれを彼の女ひとりで持ちこたえなくてはならない。大破裂が必然、不可避的に近づいてくる。絶望、煩悶及び破壊。

 大体これだけの着想から、漸次それに具体的形を与えて行ったものと見える。この着想の次には人物を列記して

シュテンボルグ  書記官
ノラ       その妻
リンド孃(夫人) (未亡人)
弁護士クログスタッド
カーレン     シユテンボルグ家の保姆(ほぼ)
シュテンボルグ家の女中一人
使の男一人
シュテンボルグ家の三人の子供
医師ハンク

 これで見ると、主人公のヘルマーという名はまだこの腹案には出ていない。却って領事の名が主人公の名になっている。筋書及び草案のそれが第三幕からヘルマーという名に変わっている。
リンデン夫人もリンドという名で、夫人だか、未亡人だか、娘だかまだ定まっていない。医師ランクは医師ハンクとなっていて、草案の第二幕からランクとなっている。そこでこの人名の次に三幕にわけた略筋があり、それから本文の草案になっているのであるが、略筋によると、第一幕では、重大な色どりになる医師ランクがまだ出てこないで、第二幕から出てくる。草案ではもう第一幕から現われる。またノラがパン菓子を喰うことは略筋にも草案にもない。從ってこの劇の第一幕で最も軽快な味のある場面、ノラがリンデン夫人とランクを相手に「ランク先生、パン菓子を召し上りませんか」とその口に菓子を入れてやる辺から、「馬鹿っ? と言ったらどんなにいい気持でしょう?」のところなどが草案にはまだ全く欠けている。

注:馬鹿っ?
død og pine
death and pain
damn it
ちくしょう!/なんてこった!/こんにゃろうっ!

       九

 また『人形の家』の色彩の中心になっているタランテラ踊(タランテラ踊はイタリヤの毒蜘蛛タランチユラに刺されたものが、筋肉の痙攣を起こして舞踏するような樣子をして苦しむところから、その形に似た踊の名となったものだと言い伝えられている)のことは、略筋にも草案にも全く出ていない。完成本に始めて現われてくる。從って第二幕の如きは、ほとんどすべて完成本で見るような面白い場面を逸している。結末、ノラが狂乱的にタランテラを踊ってヘルマーを引とめるところは、その代りに、ピアノをひいて、『ペール・ギュント』の中にあるアニトラの歌を唄ったり踊ったりするが、ランクとの対話でノラが踊りの衣裳を見せたり、絹の靴下でランクを打ったりする微妙なところはあり得ない。のみならずランクがノラに対して自分の心を打明ける前後から、ノラが「私にそういって下すったのが悪いんです。おっしゃる必要はなかったのでしょう?」という台詞の辺、この劇の挿話として最も趣味の深い一節が草案ではまだほとんど出來ていない。
 第三幕は草案と完成本と(はなはだ)しく違っていない。ここはノラをして婦人の自覚、解放を説かしめるところであるから、問題劇としては一篇の骨子にあたり、イブセンもおそらく(はじめ)から動かすべからざる腹案を持っていて書いたのであろうと思われる。それでも所々肝要のところに、草案から完成本へと改善せられて行った跡が見える。領事シュテンボルグの仮装舞踏会というのもなくタランテラ踊もないから、ノラは夜会服を着ただけで、夫婦は子供の会へ行く。あのじみな家の中に花やかな踊子姿をしたノラがでてきてこそ、後の大破裂の場面との色どりもおもしろいのであるが、草案ではまだその考えがついていなかった。またランクが「この次の仮装会には、見えないものになろうと思う」というようなよい場面も出來ていない。
 愈〃(いよいよ)最後にノラとヘルマーとが対決するところ以下は、前にも言った如く大体において草案と完成本と同一であるが、例えばノラが「お許し下すってありがとうございます」といって別室に這入(はい)り「人形の衣裳(いしょう)をぬぐのですよ」というところは、その「人形の衣裳をぬぐ」ということに全篇の意味と饗応する象徴的な味があるのを、草案ではまだ「気を落ちつけなくちゃなりません、ちょっとの間」と極わめて無意味にいわせてある。またヘルマーが「(いく)ら愛する者の為だって、男が名誉を犠牲には供しない」というのに対して「それを何百(まん)という女は犧牲に供しています」というノラの言葉は、男子の為に犧牲になることを甘んじていた古今幾百萬の婦人に代って発した、女子の公憤の叫びだと称せられるが、草案ではただヘルマーが「おお、ノラ、ノラ!」というとノラが「それでどうなったかというと、お礼一つおっしゃるじゃなし、愛の言葉一つ聞くじゃなし、私を救って下さる考えなんか糸すじほどもありはしない。ただ叱り廻して――私の父まで嘲弄して――ちいぽけなことにびくびくして――犠牲になってどうすることも出來ないでいるものを、むごたらしく罵り立てて」と正面から喧嘩口調で述べている。これを完成本の言葉に比べて、品位、含蓄の上に非常な差のあることは言をまたない。
 こんな風にして、着想から略筋、略筋から草案、それから完成した今日の『人形の家』と漸次精練せられたのが、草稿に見えた千八百七十八年十月という日附からでも一年の余で、いよいよ書物となって始めて現われたのは翌千八百七十九年十二月四日、コーペンヘーゲンでである。

       十

『人形の家』が初めて演ぜられたのは、デンマルクのコーペンヘーゲンにある皇室座で、千八百七十九年十二月二十一日のことである。ノラを勤めたのがベッチー・ヘンニングス(Fru Betty Hennings)という女優で、これが世界における、この有名なノラ役者の最初の人である。ヘルマーに扮したのはエミール・ポウゼン(Herr Emil Poulsen)であった。スヰーデンのストックホルムでは翌千八百八十年一月八日戯曲座で開演し、ノールウェーのクリスチアニアでは同月二十日クリスチアニア座で開演した。スカンヂネヴィア以外では、ドイツのフレンスブルグで千八百八十年二月に初めて演ぜられ、ミュンヘンでは同年三月三日レシデンツ座で演ぜられた。このミュンヘンの興行に、初めてイブセンみずからも行ってみて、二幕目の終りで幕外に立って喝采を受けたが、三幕目の終りでは見物の方から烈しい反対論が起こったという。またこの興行の際、イブセンはほとんど稽古毎に出席し、公演の後すべての俳優に温情をもって感謝したから、きっと申分のない演出だと思ったのであろうと信じていると、後日イブセンが知人に語ったところはそうでなかった。俳優の(ある)者は充分その役柄を理解していない、部屋の壁紙の色が望み通りの気分を出していなかった、ノラの手が適当な形をしていなかった、というような不満足な点を挙げていたという。
 なお同年中にドイツのハムブルヒ、ドレスデン、ハノーヴェル、ベルリン等でこの劇が演ぜられ、それでノラを演じたヘドヴィヒ・ニーマン・ラアベ(Frau Hedwig Niemann-Raabe)は、ベルリンのドイツ座にいたアグネス・ゾルマ(Fau Agnes Sorma)に先だってドイツにおける最代表的なノラの女優となった。
 ヴィインでは千八百八十一年九月はじめて演ぜられた。ロシアでは有名な女優モッヂェスカ(Madame Modjeska)によつて千八百八十一年十一月ペテルスブルグで、また翌年ポーランドのウォルソウで初めて演ぜられた。ハンガリーのブダペストでは千八百八十九年初演、オランダのアムステルダムでも同年初演、ベルギーのブリュッセルでも同年初演、(ただ)しこれがフランス語で演ぜられた最初で、結末はめでたい方に変更せられていた。パリーで『人形の家』が公演せられたのは、ずっとおくれて千八百九十四年四月二十日、ジムナーズで、女優レジャーン(Mme. Réjane)のノラのときが初めてである。イタリアでは女優デューゼ(Eleonora Duse)がこれを演ずるようになった前、千八百八十九年チューリン市で初めて演ぜられ、セルヴィアでも同年にベルグレード市で初めて演ぜられた。
 イギリスでは千八百八十四年三月三日ロンドンの王子座ではじめて『人形の家』の翻案が演ぜられた。これは『蝶潰し』と題する三幕ものでかの有名な喜劇作者ジョーンスと、ハーマンという物語作者との合作(Breaking a Butterfly by Henry A. Jones and H. Herman, founded on Ibsen's "Norah")であった。その、つまらないものであったことはいうまでもない。その次が翌年千八百八十五年三月、ロンドンの一素人劇クラブの催しで、初めて原作のままを私演したが、しかしこれはあまり真面目なものでも、注意するほどのものでもなかったという。イギリスにおける真の『人形の家』の初演は、ずっとおくれて千八百八十九年、アーチャー(William Archer)氏の翻訳が出來てからである。
 アメリカの方はイギリスよりも早く、千八百八十三年十二月、かの女優モッヂェスカによって、ケンタッキー州ルイズヴィルで初めてノラをトラ(Thora)という題に変えて演じた。その結果はめでたく収まるように出來ていたと伝えられるが、ドイツで用いたものに基いたのか、それとも別の脚色を加えたのかは明かでない。
『人形の家』の英語に訳せられた初めは、原作の出た翌年千八百八十年でコーペンヘーゲンのヴェーベル(T. Weber)という人によつて『ノラ』と題して翻訳せられた。しかしこの訳者は英語の力の足りない人であったため、(すこぶ)るまずいものであったという。次に出た翻訳は千八百八十二年イギリスのロード(Miss H. F. Lord)という婦人が同じく『ノラ』という題で訳したものである。イブセンを大胆なる女権論者として見た序文がついている。次はモッヂェスがアメリカの興行に用いたもので、女優の夫や書記やその他の人々相寄って訳したものであるという。
 アーチャー氏の典拠的な翻訳が出たのは千八百八十九年で、同年六月七日から二十九日までロンドンの新奇座で女優エチャーチの一座で演じた、その台本の記念出版である。このとき初めて英語で『エ・ドールス・ハウス』即ち『人形の家』と題せられた。しかしもっと原名に忠実にするためには『エ・ドール・ホーム』(A Doll Home)即ち『人形家庭』とすべきであったと『イブセン演説及新書簡集』の編者キルドール(Arne Kildal)氏はいっている。とにかくこの訳で『人形の家』の定本が出來たとともに、舞台に演ぜられた者としても、初めてイブセン劇の完全に近い者がイギリスに見られることとなった。この興行の重なる役割は次の如くであった。

ヘルマー………………ハーバート・ウェヤリング(Herbert Waring)
ノラ……………………ジェネット・エチャーチ(Miss Janet Achurch)
ランク…………………チャールス・チャーリントン(Charles Charington)
クログスタッド………ロイス・カールトン(Royce Carlton)
リンデン夫人…………ジャートルード・ウォーデン(Mrs. Gertrude Warden)

 この劇の第一夜で、イブセンは初めて真にイギリスにその文名を()てたと称せられる。エチャーチはシェークスピア劇を演じても有名な女優であった。しかしてこの一座は、この興行を打上げると、すぐオーストラリアに航することとなって、オーストラリア、ニウジーランド、印度、エヂプトと『人形の家』を演じて回った。
 以上の順序で、出版後十年前後のあいだに『人形の家』は歐米全土に拡まってもって今日に及んだ。日本では明治三十四年高安月郊氏がはじめてこれを訳した。今ここに公にする訳本は、一旦明治四十三年一月の『早稲田文学』に掲げられたものに小訂正を加えたのである。この訳はアーチャー氏の英訳とランゲ氏の独訳とを基とした。
 明治四十四年九月二十二日から三日間、文芸協会はその研究所の舞台開を兼ねて、第一囘私演にこの脚本を演じた。但しこの時は第一幕と第三幕のみで、中間の幕が省かれたため、劇全体としての印象は不完全たるを免れなかったが、それでも我が国においては新劇としてほとんど前例のない程な成功を得、引きつづいて同年十一月二十八日から一週間、同協会第二回公演として、帝国劇場で『人形の家』三幕全部を上場した。
 これが我が国における『人形の家』の最初の興行であるとともに、広く近代劇としても、在來の女形(おやま)と称する男優を用いず、女優を主として成功した真面目な劇の最初である。その時の役割は、

ヘルマー            土肥庸元
クログスタッド         東儀季治
ランク             森英治郎
使の男             西原勝彦
子供                きよ子
                  てい子
エレン             横川唯治
アンナ             佐々木積
リンデン夫人          廣田濱子
ノラ              松井須磨子

 同じ一座は、翌明治四十五年三月十四日から一週間、大阪中座で同じく『人形の家』を開演し、これまた好成績であった。
『人形の家』の歴史は大体以上のようなものである。

   大正二年三月

抱月生

ここまで読める奴なら旧字体のままでも読めるんじゃね?と思わないでもない

クレジット(青空文庫の元テキスト)

底本:「人形の家」角川文庫、角川書店
   1952(昭和27)年8月15日初版発行
   1961(昭和36)年4月30日17版発行
入力:土屋隆
校正:松永正敏
2008年6月2日作成
青空文庫作成ファイル:

 

(参考)

タランテラ踊り

Tarantella
フォークダンスであるため様々なバリエーションが出てくる

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1898年の史料らしい↓

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いわゆる宮廷的に優雅なダンスとは異なる路線。

 

大正2年

「なんかこいつ(島村抱月)大正なのに割と現代的な事言ってね?」と思ったかもしれない。
「なのに」ではなく「だから」割と現代的な事を言っている。

昭和初期(治安維持法その他)~敗戦区間が国家的カルト化の果てに大きく文化退行していただけで、大正初期と現代の言説はある程度地続きの線上にある。

  • といった話は人文系の学部で教わることになっている。
現代の言説
保証範囲は~2024年。今年から先は知らなーい。
 

問題劇 problem play

これはシェイクスピア研究用語。

島村抱月が坪内逍遥繋がりのシェイクスピア翻訳などやっていた都合で説明なくポンと出てきたのだろう。

坪内逍遥
早稲田に文学部を生やした奴。
同時代のシェイクスピア研究や演劇にあれこれ噛んでいたようだ。
早稲田
このWikiでは津田左右吉が先んじて参戦済み。
  • 手癖で「10代後半から20代半ばの学生らによるアルコール研究が盛ん」とか書きそうになったけど、この辺まで無意味に揶揄するとお前何様だよレベルが高まりすぎそうだからやめておこう。でも早稲田関係者はその手の諷刺むしろ好みそうだから書いちゃうか。
    • やりたいほうだい。

[旧コンテンツ復刻]ピグマリオン

古典作品『変身物語』の登場人物
①リアル女性不信の王
②理想の女性を像に彫りうっかりガチ恋
③どうか本物になってくれと虚しく祈願
④痩せ衰えていく哀愁
⑤哀れんだアフロディテが像を加工
 理想のリアル女性(ガラテア)が誕生
⑥ガラテアを妻に迎え一転人生の勝利者に
ピグマリオン的めでたしめでたし
バーナード・ショーの戯曲
めでたくねえわバカ! それ結局女性の外見しか見てないし、人間になったはずのガラテアの意志とか完全無視じゃんね?」
ツッコミ入れる観点から書かれた20c初頭の翻案。しかし周囲の同時代人はツッコミの趣旨をまともに理解してくれなかった。
  • [202510追記:『ピグマリオン』も『人形の家』と同様に度々クソ改変の犠牲になっている。そして当然この項目もフェミニズムの話をしていた。一旦種明かせば旧コンテンツ割とフェミニズムの話だらけでしょ?]
  • ガラテア……自作彫像にガチ恋してしまった哀しき男へアフロディテからダイレクト下賜された贈答品……の魂の所在をリアル女性に並べて語っても不毛な気はしないでもない。
    戯曲『ピグマリオン』はリアル女性が前提であるため、まるで異なる展開に派生し着地していく。
ピグマリオン効果(心理学)
「教師に目を掛けられた生徒は成績が伸びる」を心理学的に言おうとした主張。知名度は高いが実験の手順がテキトー過ぎたため批判されまくっている(→再現性の危機)。
ピグマリオン(日本の幼児教育サービス)
そういう事業やっている法人が存在する。
このように歴史的に考えると割とグロテスクな文脈下の名称になってしまうが、事業者的にはピグマリオン効果のみ参照しているようだ。
 

うまく作った芝居(well-made play)

そのようなジャンルがある(あった)。

  • 物語の枠組みをガチガチに作法と技巧で固める演劇。
    • 観客は登場人物より多くの情報を知っている。
  • プロットが支配する(時計仕掛け)エンタメ。
    現代的にはサスペンスや韓国ドラマ(シリアスなやつ)などによく受け継がれている。

ヘイChatGPT

私:
well-made playについて学術的に精緻かつ簡潔かつ分かりやすく。

ChatGPT:
well-made play(ウェルメイド・プレイ)」とは、19世紀フランスを中心に発展した精密な構成を特徴とする戯曲形式であり、後の近代演劇理論・ dramaturgy(劇作術)に大きな影響を与えた概念である。以下、学術的観点から簡潔に整理する。


1. 定義と起源

  • 定義
     一貫した因果関係と緻密な構成によって展開される機械的に整った劇構造。偶然や情緒よりも、プロットの論理的整合性とサスペンスの構築を重視する。
  • 起源
     その体系化は主にウジェーヌ・スクリーブ(Eugène Scribe, 1791–1861)による。のちにヴィクトリアン期のイギリス、さらにはイプセン(Henrik Ibsen)やサルトルらによって改良・転用された。

2. 構造的特徴

いわば「劇作の機械装置」としての規範を持つ。代表的特徴は以下の通り。

1. 明確なプロット構成(well-constructed plot)
  ・冒頭で主要人物・状況を提示し、伏線を置く。
  ・中盤に誤解・隠匿・偶発的暴露(quiproquo, secret, discovery)を配置して緊張を高める。
  ・終盤に逆転(reversal)認識(recognition)を経て整然たる解決に至る。

2. 綿密な因果連鎖
  すべての事件が因果的必然で接続され、偶然的要素が表面上に出ない

3. クライマックスの精密制御
  「scène à faire」(必然的に起こるべき場面)と呼ばれる劇的頂点が存在し、観客の期待を充足する。

4. 舞台上での明瞭性
  行動・動機・転換が視覚的に理解できる形で展開される。


3. 評価と影響

  • 肯定的評価
     劇構成の規範を確立し、近代的リアリズム演劇の基盤を形成した。特にイプセンはこの形式を借りつつ、倫理的・心理的葛藤を内在化させ、写実主義演劇の完成に至った。
  • 批判的評価
     20世紀以降、過度な機械性・予定調和的構造として批判され、シェイクスピア的自由劇やブレヒト的叙事劇との対比で論じられることが多い。すなわち、観客を「受動的な感情消費者」にする危険を孕む。

4. 現代的意義

well-made play は単なる古典形式ではなく、

  • プロット設計のモジュール
  • サスペンス構築の心理的アルゴリズム
  • 舞台上での認知的情報制御のモデル
     として、現代ドラマ・映画脚本・ゲーム叙事論においても参照される。

要約

well-made play とは、因果構成・伏線回収・観客の期待操作を精密に制御した劇作技術体系である。その「構造の美学」はリアリズム演劇の礎となり、同時にその機械的完璧さゆえに、20世紀以降の実験的演劇が乗り越えようとした対象でもあった。

俄然としてアン女王の死のように死んでしまった

300年以上続いたステュアート朝最後の女王。17回妊娠したけど子は誰も大人にならなかった
→歴史的伝統を有するジャンルが爆発的に流行していっぱい作品書かれたけど、後の時代に血脈が残らなかった。

  • 大正2年時点ではそんな評価が持続中だったようだけど、現代的にはご存知の通り批判的組み換えの先で形を変え生き残っている。
 

不可避性

たぶんinevitabilityの訳語。
一応現代日本語にも残っているけどマイナー語寄り。
≒不可抗力

婦人の自覚/自覚ある個人/自覚問題

今日的な自覚とはちょっと異なる(仏教寄りの)用法。
→自ずから覚醒する

これらは旧字体のまま(自覺)の方が分かりやすいか?とも思ったけど一律に直して補注とする。

心が覚醒している((さと)っている)状態。
警覚心(きょうかくしん)における覚と同じ用法。

[旧コンテンツ復刻]警覚心

「覺」は覚の旧字体(正体字)。學が学の旧字体であるのと同じ。

警覺心 / 경각심(kyeong-gak-sim)
「(特定の)過ちを犯さないように気を引き締めている/注意を払っている/精神的に目覚めている心理状態」を指す日常語
どうも「韓国が使っている」というより「日本が使っていない」の方が実態に近いようで、中国語(台湾)でも 韓国語でも、たしかに明らかにSNSレベルの日常的な語彙として用いられている。

同時に仏教用語でもあるらしく、「心警覺性심경각성」なる関連語も紹介されている。 *1
まあ悟りに至る道に関わる何らかのnotion(かんねん)である点さえ押さえればそれで十分だろう。後のことは坊さんに任せる。
  • 現代日本でも、仏教(特に浄土宗)界隈の一部では「警覺」からの派生語「警覚偈(きょうかくげ)」がマイナーかつローカルに用いられているようだ。*2
    警のキョウ読みは呉音。古い輸入時期(あるいは古い輸入時期であるアピール)の熟語となる。
    韓国語のkyeongも見るからに同系統。
  • 現代日本での接触機会は葬式に坊さんが乗り出してくる程度だが、仏教の内部を覗き込んでみると歴史の積み重ねの中でガチガチに理論面を固めている なかなか食えない奴らだ
  • 「日頃から日常語として使っているが元を辿ると仏教の専門用語」パターンが日本語にせよ韓国語にせよ非常に多い。
    そして日本に関して言えば、語彙に留まらず文化の隅々まで仏教勢力の影響が根を張っている。「アメリカで宗教尋ねられたらとりあえず仏教徒と言っておけ」なるライフハックが罷り通っている所以となる。
  • 日蓮宗の公式サイトが「仏教由来の日常語」をまとめたウェブページを作っていたので紹介しておく なにしろ日蓮宗なので攻撃的なバイアスが掛かっているかもしれないが、ざっと一覧眺めて閉じるくらいなら何も作用は生じないだろう。

韓国語および唯一現役で関連語を用いている浄土宗の坊ズに合わせるなら、日本語においては「きょうかくしん」と読む形になる

警覺心と警戒心は異なる

けいかい‐しん【警戒心】
〘名〙 警戒する心。外敵の攻撃に対して、自分の身を守ろうとする気持。
(精選版日国)

韓⇨日訳で警戒心に対応させている機械翻訳エンジンも多々あるが、警覺心に下線部の意味は無い
あくまで内面たる意識の問題として気を引き締める、しゃきっとする、awarenessである、そんな意味合いの言葉となる
(参考)警覺性Jǐngjué xìng / 警覺度 alertness
現代中国語(見ての通り↑は繁体字だが簡体字でも一緒)
事故発生を念頭に置いて注意を払っているかどうか指し示す工程心理学(工学心理学)の用語だそうな
突発的な事故や物理的エラーにどの程度(作業者が)注意しているかを示す度合いであるとの旨書いてあった
(参考)警觉
現代中国語(↑は簡体字だが繁体字でも一緒)
https://kotobank.jp/zhjaword/%E8%AD%A6%E8%A7%89
日中辞典では警戒と訳されている
英語版Wiktionaryではto be on the alert; to be vigilant.と説明されていた


総合的に眺めると「ボケッとする」あたりの対義語として「警覚心を持つ」を理解するのが分かりやすそうだ。


 

『謀叛』

(La Révolte: Villiers de L' Isle Adam)

PDFファイルで公開されている。

結末はめでたく収まる。←これ違うぞ

島村抱月がちょっと勘違いしている気がする。
結末部分を引っ張ってきた。

FÉLIX

– II approche de ses lèvres la main de sa femme puis, à part, en clignant de l’œil) C’est égal : je ne suis pas fâché qu'elle soit un peu humiliée ! (Haut) Tu vois ?... Je ne suis pas un méchant ? ...
(Il lui baise la main. Un moment de silence. Elisabeth est debout près du fauteuil. — Elle est redevenue taciturne. -–Félix ne la voit pas. – Elle semble perdue dans d'effrayantes pensées.)
ELISABETH
inclinée sur lui, d'une voix lente et grave.
Pauvre homme !...
Elle le regarde avec une miséricorde et une mélancolie profondes.
Le rideau tombe.

FIN
miséricorde
慈悲、憐憫、哀れみ
mélancolie
憂い、憂鬱

ChatGPTの英訳。

FÉLIX

– He brings his wife's hand to his lips and then, aside, winking: "It doesn't matter: I'm not upset that she's a little humiliated!" (Aloud) "See?… I'm not a wicked man, am I?…"
(He kisses her hand. A moment of silence. Elisabeth is standing near the armchair. — She has become taciturn again. — Félix does not notice her. — She seems lost in terrifying thoughts.)
ELISABETH
leaning over him, in a slow, deep voice:
Poor man!...
She looks at him with profound mercy and melancholy.
The curtain falls.

THE END

Google翻訳の場合。

FÉLIX

– he brings his wife's hand closer to his lips, then, aside, winking: "It doesn't matter. I'm not upset that she's a little humiliated! (Aloud) You see?... I'm not a bad guy?..."
(He kisses her hand. A moment of silence. Elisabeth is standing by the armchair. — She has become taciturn again. — Felix doesn't see her. — She seems lost in frightening thoughts.)
ELISABETH
leans over him, in a slow, deep voice.
Poor man!...
She looks at him with profound pity and melancholy.
The curtain falls.

THE END

プリ訳。

フェリクス

彼は妻の手を唇に寄せ、それから寄り添ってウィンクする。
どうってことない。お前が少々恥ずかしい思いをしたからって私は動揺せんさ! (大声で) ほらな?…私はそう悪い奴でもないだろ?…
(彼は彼女の手に接吻する。一瞬の沈黙。エリザベスは肘掛け椅子の傍に立っている。―彼女は再び押し黙る。――フェリクスは彼女の様子に気づかない。―彼女は恐ろしい考えに囚われているようだ。)
エリザベス
彼に寄りかかり、ゆっくりと深い声で。
かわいそうな人!…
彼女は深い哀れみと憂いを込めて彼を見つめる。
幕が下りる。

いやこれはめでたく収まってなくね?
元の生活に戻ったつもりの夫、夫が何も分かってないと分かって冷めきってる妻でしょこれ。おい島村なにか言え。
そんな風に機微に疎いせいで妻子がいるのにノラ役の看板女優(松井須磨子)相手に不倫して相手ごと坪内逍遥に追い出されるんだぞ。
実に1913年の出来事であった。元号にして大正2年。おい島村(プリ)太郎、この解説下手すると不倫中に書いたやつか?
グロシ。

 

特に関係ないやつら

島村卯月

そのようなキャラクターがいた。調べても何も出なかったので別に島村抱月ではないようだ。

島村抱月(二次元美少女)

そのようなキャラクターがいた。さすがにこの名前でnot島村抱月って事はない気がするけどWikipediaには何も書いてなかった。知らん。


*1 日本にせよ韓国にせよ日常語化している仏教用語は山ほどあるため、これも前後関係は逆な気もする、正確なところまでは知らん
*2 極楽行きミッションの難易度を極限まで緩和した浄土真宗と異なり、浄土宗は常日頃から精神的デイリークエストをこなさねばならないそれなりに過酷な宗派となる。何しろ一心不乱だから大変だ。この説明はもしかすると怒られるかもしれないが、まあ仏教方面の坊さんはブチ切れてWikiを荒らしたりしてはこないだろう