カイナ共和国

Last-modified: 2021-10-18 (月) 20:25:21

目次

情報

名称カイナ共和国
英名Republic of Kaina
日名可衣南
首都カタローシャ?
略称KA(可国)
言語ウラト言語
通貨ローグ
存在ウリータ大陸

国旗

カイナ共和国

概要

カイナ共和国はウリータ大陸の南部に位置する共和制国家である。首都はカタローシャ?であり、広大な北カイナ平原とカイナ湾に面するキニッシュ山岳、およびカイナ湾北42諸島を領土としている。
紀元前10年より人々がクニを作ったことがきっかけとなり、その後50年に越釧国?から独立してカタローシャ?という国家を築いた。
この国家は1024年まで続いたが、1074年エクシシア?が短期内戦により新体制へと移行、それをきっかけとした関係悪化から12年戦争が勃発した。
12年間に渡る戦いの末、カタローシャ?は敗北し全土併合、さらにこのとき一部の逃げ切った人々を除く全てのカタローシャ人が虐殺や強制労働により命を落とした。
1624年、カタローシャ人の血縁を持つ人々への迫害が明確化していき、これは内戦の機運を高めた。
その後、一人のカタローシャ人血族の子供がエクシシアの警備隊によって拷問され殺害された際、その子供と友人であった7人の子供によって国内での根回しが行われた。8年にも及ぶ粘り強い根回しの結果、ほぼ全国民を巻き込んだ大内乱が発生し、1639年に「カイナ」として独立した。
しかしその15年後の1654年軍人Felkho(フェルコ)を主導にカイナ軍が全面蜂起を開始、軍事政権の樹立と共に帝政へ移行した。
FelkhoはFelkho I(フェルコ一世)として皇帝に即位、1677年にはユーロタ国?へと侵攻、武力により併合した。
しかし1890年にFelkho IIIが何者かによって暗殺される事件が発生、これに伴い抑圧されていたユーロタ国解体後に作られた35民族のそれぞれのコミュニティが蜂起、帝政カイナは帝国政府の重要人物の殆どを殺害された上、併合によって手に入れたユーロタ国地点を失い、その時点で指揮統制や兵員数が大幅に下がり、更に一般国民からも相次いで蜂起が発生したために1894年に帝政は崩壊、その2年後に強大な臨時政府であるカイナ共和国臨時政府が台頭、現在に至る。

帝政崩壊後の2年間

帝政崩壊後は特に無政府主義がはびこっており、また各地では犯罪集団の結成や麻薬・密輸ルートの確保など酷く荒れていた。
1895年9月頃からは来年1月までにかけて198もの臨時政府が樹立され、期間までの間に198の政府全てが解体、崩壊した。
1896年の5月頃からは48もの臨時政府が樹立、しかし互いに対立を生み、最終的に残った臨時政府はカイナ共和国臨時政府のみであった。

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