元中日ドラゴンズ、大阪近鉄バファローズ、オリックス・バファローズの鈴木郁洋のこと。
概要 
1997年ドラフト4位で中日に入団した*1鈴木は2000年にシドニーオリンピック野球日本代表に選ばれ、それが由来で当時の中日監督だった星野仙一に「シドニー」と命名されたのが由来。
その後2002年オフに近鉄にトレード、2005年からは合併に伴いオリックスの所属となったのち、2012年に引退。以降もオリックスに残りコーチを務める。
なお、2020年のオリックスには鈴木姓が選手では優・康平(K-鈴木)、コーチでは郁洋・昂平と計四人もいることから識別のためシドニーと呼ぶファンも多い。
「プロ野球選手になれなければモデルになっていた」と語る、整った顔立ちと細身のスタイルに捕手らしからぬ俊足がセールスポイント。
また巧みなリードに定評があり、万年控え捕手*2だった割に投手陣からの信頼も厚いが「打率1割台が当たり前」という致命的な貧打ぶりが弱点。
そのため2010年の開幕も控え捕手として迎えたものの4月の大炎上祭りで日高剛に嫌気が差したのか岡田彰布監督は鈴木を正捕手に抜擢する。これによりリード論争「日高と鈴木、どちらがマシか」論が語られ始め、
- 誰がリードしても打たれるんだから打てる日高がいいに決まってる
- もう日高のリードは見たくない
- イケメンだからシドニー
などと激しい論争になったが決着は付かず、そのまま2011年も正捕手論争は続くものと思われた。
しかし前年の育成の成果が出たのかは不明だが、鈴木は打率2割を当然のようにキープする「強打者(当社比)」に成長。
逆に日高は二軍でも打率1割という「打てないし守れない」選手になってしまい「打てるから日高」と叫んでいた日高支持者たちがぐうの音も出ない展開となったことで最終的に鈴木の勝利となった。
なお
「2010年4月21日に4安打6打点を記録した」
↓
「4月21日(421)が語呂合わせでシドニーと読める」
ことで、この日がシドニーの日として呼ばれることもある。
引退後は主にオリックスのバッテリーコーチを務めていたが、伊藤光との確執などもあり非常に評判が悪かった*3。そして2020年8月に西村徳文監督の辞任劇の中で育成コーチに異動となり、そのままオフには退団となった。2021年からは韓国に渡り、KBO・KTウィズの育成コーチを務めることが決まっている。