投手が自らの打撃で打点を稼ぐこと。漢字で表記すると「自援護」。
概要 
投手が塁に出ると休む時間が減る、投球練習も出来ない、走塁中のアクシデントで怪我をする可能性があるなどのリスクが発生する。
そのためプロ野球の投手は打撃が軽視される傾向があり、最低限求められるスキルもランナーを送ったりスクイズを仕掛けるためのバントくらいであり自動アウトと化しても致し方ないという風潮がある。
しかし当然ながら味方が点を取ってくれないと勝てないので、「ムエンゴならば自分で点を取って勝つのが当然」などの煽りが生まれ、転じて投手が自ら打点を上げること全般を「ムエンゴ」にかけて「ジエンゴ」と呼ぶようになった。
なお下記の例のようにエースと呼ばれる選手は打撃に優れている選手が多かったこともあり*1、里崎智也(元ロッテ)などは「ジエンゴは投手の必須スキル」と主張している。
投手として伸び悩むと打者転向する例は多く、主な例としては
OB
- 川上哲治 (元巨人)
- 王貞治(同上)
- 柴田勲 (同上)
- 江尻亮(元大洋)
- 愛甲猛(元ロッテ→中日)
- 畠山準(元南海/ダイエー→大洋/横浜)*2
- 石井忠徳/琢朗(元大洋/横浜→広島)
- 吉岡雄二(元巨人→近鉄→楽天)
- 嶋重宣 (元広島→西武)
- 福浦和也(元ロッテ)
- 井上一樹(元中日)
- (高井)雄平(元ヤクルト)
現役
などが該当する。
日本に来るレベルの助っ人外国人はアマチュアを含めて「投手専任」というパターンが多いため、このタイプはジエンゴどころかバントすらロクにできない場合がほとんどである*4。しかし海外では野手として伸び悩むと投手に転向することもあり、このパターンを辿った投手は打撃に優れていることが多い*5。
一例としては2007年に横浜ベイスターズに所属したホセロ・ディアスは捕手から投手に転向した経緯があり、キャンプの時点から投手ながらホームランを複数放つなどその片鱗を見せつけ、2007年5月8日の対ヤクルト戦では勝ち越しホームランを放っている*6。
DH制(主にパ・リーグ)の試合 
DH選手が出場している間は投手が打席に立たないので、ジエンゴ不可。DHを解除すれば打席に立てるが、一度解除したら戻せず投手が打席に立つリスクも負うので、余程の理由がないと行われない。
ごく稀にあまりにも打てない野手の代打で投手が打席に立ち、打点を記録する例もある。
近年では大谷翔平関連で試合開始時からDHが使われない事があった。(下記詳細)
主なジエンゴの例 
過去の例 
ヴィクトル・スタルヒン(元巨人→パシフィック・太陽→金星・大映→高橋・トンボ) 
NPB初の300勝達成投手。日本国籍以外では、初のノーヒットノーランを達成している。
通算打率.237(1879-446)・19本塁打を記録。1954年から現役最後の2年間を過ごした高橋・トンボは新興の弱小球団*7で、投手として衰えたスタルヒンは2年間で62登板・15勝34敗*8だったが、打撃を買われて代打で62試合・一塁手で10試合出場し、投手以外の出場の方が多かった。1954年は打率.274(106-29)・2本塁打・13打点、1955年は打率.252(111-28)・23打点と、生涯成績を上回る打率を記録し、投打にわたる奮闘で現役生活の最後を飾った。
別所毅彦(元南海・近畿→巨人) 
スタルヒンに次ぐ2人目の300勝達成投手。戦時下の1942年プロ入りで、当時は投手の野手出場も珍しくなかったとはいえ、10月10日(巨人戦)の初出場は3番・左翼手として出場。更に翌年以降は4番・投手での先発出場もあり、「エースで4番」をプロ野球で実現した数少ない一人である*9。巨人移籍後の1950年には、打率.344・4本塁打・28打点・OPS.915を記録。1955年6月9日の中日戦では、7回からリリーフ登板し、延長11回、中日のエース・杉下茂から自らサヨナラ本塁打を打って勝利を飾った。最終的に828試合出場・660試合登板を記録し、通算打率.254(1972-500)・35本塁打(投手として31本塁打)を残した。出場過半数が投手・500打席以上の条件では、歴代最高打率である。投手メインの出場でありながら、バントのサインを出されたことがなかったという。
金田正一(元国鉄→巨人) 
400勝投手・名球会創設者として有名だが、ジエンゴでもまた知られた。高校中退でプロ入りした金田は、1950年10月6日の西日本戦で緒方俊明からプロ入り第1号本塁打を記録。17歳2ヶ月での本塁打は、現在でも日本プロ野球最年少記録である。投手として36本塁打を記録し、これも日本記録である(さらに、代打として2本塁打を記録)。投手として944試合登板(歴代3位)しているが、代打出場も多く(野手としても2試合出場)、通算では1053試合出場を記録している。通算打率.198(2054-406)は、特に貧打の国鉄では普通に戦力であり、敬遠も8度(うち1度は巨人で、代打として出場)記録している。
レオ・カイリー(元レッドソックス→毎日→レッドソックス→アスレチックス) 
レッドソックス入団後に米軍の兵役に就き、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)兵士として来日した。当時、投手不足に悩んでいた毎日オリオンズは、カイリーが投手であることを聞きつけ、1953年、軍籍を持ったまま、休日とナイトゲームのみ出場するパート契約にこぎ着けた。現役メジャーリーガー初の日本プロ野球選手である。投手としても6勝0敗だったが、7試合(代打1試合含む)で打率.526(19-10)・3打点を記録。まもなく、カイリーは除隊して帰国し、翌年からメジャーに復帰した。大リーガーに好き放題やられたことや就労形態やビザについて曖昧なことが問題になったのか、翌1954年2月、福井盛太コミッショナーから「米軍勤務中の選手の採用は自粛するよう」通達が出され、後続は姿を消した。
池永正明(元西鉄) 
諸事情によりわずか6年間の現役生活だったが、13本塁打を放った高い打撃能力を持っており、6番投手で起用されたことがある。中西太は「池永は20勝確実だから投手をやらせているが、15勝クラスの投手なら打者に転向させる」と言っていた。また俊足で盗塁を決めたりもしている。
堀内恒夫(元巨人) 
ノーヒットノーラン達成試合で3打席連続本塁打*10*11を放った。ちなみに堀内は試合終盤までノーヒットノーランの可能性に気づいておらず、むしろ4打席目で本塁打が打てなかったことを悔しがっていたという*12。さらに日本シリーズでも1試合2本塁打*13を放つなど、打撃面でもV9巨人を支えた。自身の引退試合*14でもホームランを放っている一方、チームメイト王貞治のファン感謝デーでの引退試合では「投手としては王を三振に打ち取り、打者としてはマウンドの王から本塁打を放つ」というメモリアルクラッシャーぶりを見せている。
江夏豊(元阪神→南海→広島→日本ハム→西武) 
阪神時代、味方から援護が貰えず延長突入も11回に自らサヨナラ本塁打を放ってノーノー達成し、「野球は一人でも出来るもんや」と放言したとされる。
マイク・ケキッチ(日本ハム) 
5勝11敗・防御率4.13という微妙な成績で1974年限りで解雇されたが、打撃では打率.352・1本塁打・8打点と絶好調で代打で起用されたこともあったほどであった*15。なおMLB時代は通算打率.120とそこまで打撃成績が良かったわけではなかった。
1985年の阪神投手陣 
阪神で球団史上唯一の日本一となった1985年は池田親興(先発陣のエース格として同年9勝、打率.250・OPS.559)、中田良弘(1981年から継続していた18連勝を含め同年12勝、打率.286・OPS.691)、中西清起(リリーフエースを務めつつ19打席に立ち打率.333・OPS.666)と打撃好調な投手が多く新ダイナマイト打線と呼ばれた強力打線を支えた。一方で後述のように打撃難の投手も多く輩出しており、伝統的に打てる投手と打てない投手の差が激しいようだ*16。全体的に黄金期は投手も打撃が良く暗黒期は全く打てないという特徴から、「阪神の投手は打てなければ務まらない」「阪神の投手はジエンゴして勝って初めて1人前」などと評されることも。
桑田真澄(元巨人→パイレーツ) 
その投球もさることながら打撃にも定評*17があり、「桑田に代打を出すなら桑田より打てる打者を」と中継の解説者にコメントされたり、達川光男は「ピンチの時に投手コーチから『村田真一を敬遠しろ』という指示に対し『その後に控える桑田はいいバッターなので考え直してほしい』と返したことがある」と語っている。巨人時代晩年の原政権時代には「代打桑田」という策も見られた。結果は見事に初球でバスターを成功させ三遊間を抜くヒット。最優秀防御率を獲得した2002年はOPS.798を記録。通算.216(892-190)は、2リーグ分裂後の入団で*18、500打席以上立った投手としては歴代最高記録である。ちなみに桑田と共に「三本柱」を構成していた斎藤雅樹も打撃は得意で彼も打者転向を勧められたことがある。
伊藤智仁(元ヤクルト) 
デビュー戦でジエンゴしており、その後は12球団1のはずの味方打線がプロ生涯通じて凄まじいムエンゴだった。初勝利は2失点にも関わらず勝利しているが、この試合では(相手が暗黒期の阪神とはいえ)タイムリーヒットを2本打っており「決勝点」「ダメ押し点」をキッチリ自分で稼いだ*19。
ドン・シュルジー(元オリックス) 
1991年5月29日の近鉄戦でリリーフに失敗、当時新人だった長谷川滋利の勝ちを消してしまい、そのまま延長戦へ突入。DH解消後*20の11回表に打席に立ち、決勝点となるソロ本塁打を放った。これはパ・リーグDH導入後初の投手による本塁打、しかも通算1打席のため、史上2人目*21の打率1.000・長打率4.000打者となった。
バルビーノ・ガルベス(元巨人) 
同僚だった桑田や斎藤同様、彼も投手でありながら打撃が良く、本塁打も通算で10本放っており、登板の少なかった2000年以外は毎年本塁打を打っていた。1999年には満塁本塁打を2本(1本は場外本塁打)打っているが、NPBで投手として登板中に満塁本塁打を2本打った選手、および満塁本塁打を打った外国人投手は現在に至るまでガルベスのみである*22。
工藤公康(元西武→ダイエー→巨人→横浜→西武) 
パ・リーグ出身*23ということもあり、打撃が目立つタイプではないが、西武時代の1986年日本シリーズ第5戦で10回表から登板すると、12回裏に打席が回ってサヨナラ打*24。日本シリーズにおける投手のサヨナラ打は1958年の西鉄・稲尾和久*25と工藤のみの事例。
巨人時代の2004年8月17日の対ヤクルト戦ではジェイソン・ベバリンから決勝2ラン*26を放った上で完投勝利、名球会入りの要件である通算200勝を決めた*27。
通算打率.081(272-22)・1本・10打点と、投手としては並以下の成績*28だが、記録的な場面でジエンゴが絡んだ珍しいパターンである。
トレイ・ムーア(元阪神→オリックス) 
2002~2003年の阪神時代、通算48試合で打率.295・11打点と野手並の打力を披露、2003年オールスターファン投票(一塁手部門)でも得票数3位になった。
川上憲伸(元中日→米ブレーブス→中日) 
中日ファンからはネット上で「主砲」と呼ばれ、打者も苦戦するナゴヤドームを本拠地としながら通算8本塁打を放つ*29など非常に打撃が得意であり、自身もそれを誇りとしていた*30他、MLB時代には代打に立った経験も持つ。
岩瀬仁紀(元中日) 
キャリアを通じて中継ぎ・抑え投手だったため滅多に打席に立たなかったが、打率.208(54-11)・3打点と打撃が得意な投手でもあった。西尾東高~愛知大時は二刀流で強打の外野手としても知られ愛知大学リーグ歴代2位となる通算124安打*31を記録、日本代表のセレクションにも中堅手として参加したこともある。2006年に回またぎで打席に立った際はきっちり犠牲フライを放っている。
コルビー・ルイス(元広島) 
2008~2009所属。NPB通算打率.141(99-14)ながら5本塁打を放っており、横浜スタジアムやマツダスタジアムでの場外弾も記録。マツダスタジアムでのホームランは推定150m弾で、マツダスタジアムの当時最長飛距離弾。
吉見祐治(元横浜→ロッテ→阪神) 
横浜時代の2003年に打率.296(27-8)、5打点を記録。本塁打こそないが二塁打は5本あり、OPSは.778である。
その後も甲子園やナゴヤドームの奥深くへの二塁打を打ったり、上記のルイスに被弾したあと自分もジエンゴし返して勝利、新垣渚の150km/h超えの速球に負けずに広角に先制適時打を含む3安打猛打賞と打撃に関してのネタに事欠かず、本業の投手がイマイチだったこともあり野手転向しろと騒がれたことも多かった。
通算打率は.228(219-50)。
アンソニー・バース(元日本ハム) 
2016年日本シリーズ第6戦にて救援登板ながらも自身に打席が回ると二塁手の頭を越える適時打*32を放ち、投げてもリリーフで3勝を挙げシリーズ優秀選手賞を獲得。この活躍から、名前の綴りが同じ「Bass」であるランディ・バース(元阪神)になぞらえ「バースの再来」とネタにされた。余談だが、バースはパドレス時代、ダルビッシュから2点タイムリーヒットを打ったことがあり(奇しくもこの試合ではその前にダルビッシュにMLB初安打を許していた)、また交流戦前などの打撃練習では本塁打を連発していたため名前もありハムファンから打撃もどこかで期待されていたのは事実である。
松坂大輔 
元西武→MLB→ソフトバンク→中日→西武。
松坂は横浜高校時代から投球に加えて打撃にも定評がある*33。プロ初安打は西武一期目、交流戦導入前の2000年8月7日の対オリックス戦で代打出場して放った適時打。また2002年日本シリーズ第1戦では7番・投手でスタメン、交流戦導入後は2006年6月9日の対阪神戦でダーウィン・クビアンから甲子園の左中間最深部に本塁打を放っている*34。それから10年以上過ぎたソフトバンク時代には故障から投手を諦め野手転向を本気で考えフロントに直訴していたことを2018年オフに明かしている。さらに2018年5月20日のナゴヤドーム、対阪神戦に先発した松坂は、自身初のマルチ安打を放ちチームの勝利に貢献した。
菅野智之(巨人) 
菅野は元々ムエンゴ投手として有名であるが、通算382本塁打の原辰徳を伯父に持ち投手としての能力だけでなく打撃にも定評がある*35。
特に2016年は防御率2.01に対し援護率2.88と深刻なムエンゴに襲われるが、自身は打率.222(54-12)・3打点と代打陣や捕手の小林誠司*36よりも高かったため「ジエンゴしろよ」というツッコミが入った*37。
2018年には5月18日のDeNA戦で3-3の同点に追いつかれた直後の5回裏にレフトスタンドへプロ1号勝ち越しホームランを放ち、これを決勝点として試合に勝利、菅野自身も勝利投手になった*38。
横浜投手陣 
横浜DeNAベイスターズでは、大洋ホエールズ時代から上述の吉見を筆頭に平松政次*39、野村弘樹・三浦大輔・須田幸太・今永昇太など、伝統的に打撃が得意な投手が多い。そのためか横浜のエースはジエンゴが必須スキルと言われるほどである。特に野村には「マシンガン打線の9人目*40」の異名を取り、三浦は24年連続安打*41・通算122安打という記録を持つ。
ジョー・ウィーランド(元DeNA) 
上記の吉見や野村と並ぶベイスターズのジエンゴ系投手の代表格と言われている。
公式インタビュー*42で「投げるよりも打つほうが好き」という心情とバットのこだわりを語り、アレックス・ラミレス監督からは「代打で使いたい」「セ・リーグなら.280は打てる」と評価され、チームメイトの宮﨑敏郎からも真っ先に名前が上げられるほど打力があった。
実戦では特に強烈な広島キラーぶりを発揮(打率.539(13-7)・3本*43・9打点・OPS1.846)しており、同年10月1日の対戦では5回10被安打7失点の大炎上を喫するも、逆転3ラン含む3打数3安打4打点というスーパージエンゴで実質5回3失点に無理矢理収めて勝ち投手に*44。
打力が高く、選球眼も良かったためか、ウィーランドを交代する際に打席が回ってくる場合ウィーランドに打席に立たせてから交代するという采配も複数回行われたり、打力を生かすために8番に置く8番投手起用の要因とされている。
遂にはシーズン途中から打棒の高さに野手顔負けの厳しい配球をされるようになり、さらには報道や地域から認識されるレベルの警戒*45を受けるようになり、広島とのCSfinalでは登板予定がないのにも関わらず第3戦までベンチ入りをしており先発登板をした第4戦ではチーム初安打を含む全打席出塁した。
また、アマチュア時代に「投げない日は遊撃を守っていた」と語っていたため、一部ファンからは「倉本寿彦の代わりにショートとして出場してくれ」とネタ混じりで言われることも。
2018年には、前年の公式インタビューで投手なのにバットがスポンサーから供給される契約が成立。さらに8月3日の試合では延長戦で野手が伊藤光しかいなかった事もあり*46、その前日に先発投手として登板したにも関わらず、11回裏二死1・2塁から本当に代打で出場、きっちり四球を選びサヨナラ勝ちに繋げている*47。
NPB通算は打率.210(92-17)・4本塁打*48・14打点・OPS.661。
2019年はKBO・KIAに所属。しかしKBOは指名打者制なので当然ながら投手が打席に立つことはまずない。このためDeNAと練習試合で再会した時、ラミレス監督にボヤいていた模様。
秋山拓巳(阪神) 
秋山は高校通算48本塁打*49で「伊予のゴジラ」と呼ばれていた。ローテーション投手として定着した2017年は、8月18日の対中日戦で伊藤準規からナゴヤドームの右翼中段に届くプロ初本塁打を、翌年5月8日も対巨人戦で山口俊から逆方向への本塁打を放っている。しかし2019年からは本業がイマイチなため一部では打者転向を望まれるようになっていたが、2020年は打点も上げつつ、ピッチングの調子も取り戻した様子。
ちなみに先発登板した10月31日の対DeNA戦(横浜スタジアム)でヒットを放ち、野手の岡崎太一(16年目)*50の通算安打数を超えた。
山﨑福也(オリックス) 
日大三高時代にセンバツ甲子園での1大会における通算安打の最多タイ記録をマーク。
プロ入り後はパ・リーグ所属なこともあって打席に立つ機会は少ないが、2018年6月9日のヤクルト戦では2回から救援登板。打席では、この日5イニング投げたマット・カラシティーからオリックスの選手が放った唯一の安打を放っている。先発登板した2021年6月3日の阪神戦ではラウル・アルカンタラから二塁打を放ち、同点のホームを踏む活躍で逆転勝ちに貢献。更に安達了一の休養日には、パ・リーグの投手としては異例の代打待機でのベンチ入りを果たした。同年の日本シリーズ第5戦では実況・解説からも打撃での貢献を期待されていた。(結果は投ゴロと二ゴロ。)
そのためか、ムエンゴに悩まされると「DH解除しろ」などと言われる事もある。
森下暢仁 (広島) 
明治大学時代は5番を打ち、アマチュア時代から打撃センスも評価された投手。
2021年には佐々岡監督直々にジエンゴを期待された。
2022年はシーズン初登板となった3月26日のDeNA戦でいきなり3安打3打点を記録。4月10日の阪神戦では走者一掃の三塁打とスクイズで4打点を稼いだ。いずれも投手としては上述のウィーランド以来の記録で、同試合後セ・リーグの打点ランキングに顔を出した。(11位)。
前田健太(広島→ドジャース→ツインズ) 
PL学園高時代から打撃にも定評があり広島時代も旧広島市民球場最終戦にホームランを放つなど打撃を得意としていた。2016年、ドジャースに移籍という形で海を渡っても打撃センスは健在で、メジャー初登板時にホームランを放つ*51と、時に代打や走塁センスを買われての代走で起用されたりしている他、2019年は7月1日に一時打率を.300(30-9)に乗せるなど打撃が好調で大谷と比較されるなどのネタもあった。
大谷翔平(日ハム→エンゼルス) 
高校野球では能力の突出した投手が4番に入るワンマンチームの例は多く見られるが、大谷はこれをプロ入り後も継続。
日本ハムに入団した当初は投手と打者の使い分けで起用されていたが、2016年5月29日の楽天戦にて同一試合で投球と打撃の両方を行う「リアル二刀流」*52を初披露*53。同年7月3日のソフトバンク戦では1番・投手でスタメン出場*54すると、中田賢一(現阪神)から投手で初球先頭打者本塁打*55という離れ業を披露、投げても8回無失点で勝利を挙げる。2017年10月4日にはついに4番・投手として先発出場。投げては9回を被安打2、10奪三振に抑え完封勝利、打っても先制の口火を切るヒットを放つなど投打両面で傑出した様子を見せつけた。
名実ともに投手の基準を通り越しているが、2017年からは故障もあり投手としての試合出場が減少。実質野手扱いを受けこの手の話題において逆に触れられないことも多かったが、2021年4月27日には2番・投手で先発出場。*56投手としては5回4失点と本調子とまでは行かないものの復活を見せ、打者としては2安打2打点3得点と改めて投打で能力の高さを示し、3年ぶりの白星を挙げた。また同年8月18日には、自身8勝目をかけて先発して8回を1失点に抑えながら第4打席で40号ホームランを放ち、"リアル二刀流"でも活躍した。
2021年シーズンはDH解除での登板はもはや当然となっており、投手として降板後も外野手での出場を続けるなど、もはや「ジエンゴ」の枠を完全に離れた存在となっている。しかしながら自身が登板時にはジエンゴの失敗によって「大谷がエース*57を援護できなかったので負けた」などと言われがちであり、また彼自身は卓越したピッチングをしていても、降板した後に救援陣の炎上に悩まされるという、あらゆる意味でのエンターテイナーっぷりを発揮している。
2022年シーズンから、メジャーでは「投手兼指名打者」が可能になった。従来、投手が打席に立った時点でDH放棄となったが、先発投手が打席に立つ場合に限り、降板後もDHとして継続して出場可能にしたものである*58。また、試合途中で投手に専念し、DHのみ別の選手に替えることも可能になった*59。このルールは当然のごとく「大谷ルール」と呼ばれ、4月7日(日本時間で8日)の開幕戦で、さっそく大谷が利用した*60。
その他の例 
- ラウル・バルデス(元中日)
2017年には中日ドラゴンズ球団シーズン第1号ホームランを放っている。なお試合 - 藤浪晋太郎(阪神)
2018年9月16日の横浜戦で投手としては20年ぶりとなる満塁ホームランを放ち、2021年4月16日のヤクルト戦では自分のホームランの2点だけで勝利投手になる((飛距離は試合終了時点でこの年の''甲子園最長タイの131m(しかも逆風で)活躍を見せるなど、通算3本塁打を放っている。 - 西勇輝(オリックス→阪神)
2020年の開幕戦で菅野智之からプロ初(しかもポール当て)ホームラン。これがシーズンのチーム初安打&初打点となり、次の打席でもタイムリーを放った*61。なおこのシーズンは.109(46-5 )ながら7打点(うち二塁打2、本塁打1)*62を挙げている。この数字は植田海の通算打点を上回り、自身の通算打点では秋山の項で前述の岡崎の通算打点に並んでいる*63。 - 大瀬良大地(広島)
ルーキーイヤーの2014年に投手ながら全力疾走で三塁打を記録。2019年には一時期田中広輔の打率を上回り、翌2020年開幕戦では2ランを含む3打点を1人で稼ぎ*641失点完投勝利。打点ランキングで暫定単独トップに立ったため、「本塁打王・打点王・最多勝・最多完投の四冠」というネタも生まれた。なお先述の西と合わせ、開幕戦で2人の投手がホームランを打ったのは史上初。 - 千賀滉大(ソフトバンク)
普段打席に立たないパ・リーグの選手だが、通算の打撃成績は.250(16-4)と悪くない他、2020年の日本シリーズで全試合DH制が採用されたことを受けて自身のインスタグラムにバッティンググローブの画像を投稿。ジエンゴする気満々だったことをアピールしていた。
そして2022年のリアル野球BANにも参戦。オープニングでは石橋貴明から「投手がいる」と煽られたものの、プロ仕様のピッチングマシンを相手に9打数5安打と普通に活躍。試合後には石橋から「メジャーでは二刀流で」と手のひらを返された。 - ジェイコブ・デグロム(NYM)
2年連続サイ・ヤング賞投手に輝くなど投手として超一流の彼だが、実は大学までショートだったこともあって打撃も得意であり、2021年シーズンでは、7月の離脱までに92イニングを投げ自責点11点ながら打者として打率3割6分4厘5打点と野手顔負けの打撃を披露、OPSが1.000を超えたこともあった。
海の向こうでもネタにされる彼の深刻なムエンゴはジエンゴしながらのムエンゴであるためより一層悲壮感が強い。
2021年6月17日の試合でジエンゴした際にスイングで肩を痛めて降板してしまったためにジエンゴ禁止令が出たこともある。
ウィーランド式防御率 
ジエンゴに定評のある投手に対しては、防御率からジエンゴ分を差し引いたウィーランド式防御率という指標が使われることがある。
由来は上述した典型的なジエンゴ投手の一人であるジョー・ウィーランドから。
通常の防御率は「自責点×9÷投球回」で計算されるが、ウィーランド式防御率は
ウィーランド式防御率=(自責点-打点)×9÷投球回
で計算される。
ウィーランド本人のウィーランド式防御率(2017年)
対中日3.13(46回 自責点18 打点2 防御率3.52)
対阪神1.76(15回1/3 自責点3 打点0 防御率1.76)
対ヤク0.83(32回2/3 自責点4 打点1 防御率1.10)
対巨人2.25(12回 自責点3 打点0 防御率2.25)
対広島2.33(27回 自責点16 打点9 防御率5.33)
総合 2.16(133回 自責点44 打点12 防御率2.98)
なお同様の指標としてウィーランド式クオリティ・スタートというものもあり、こちらは6回を投げて(自責点-打点)が3以下で達成となる。