1.面会室のガラス
そのガラスは曇っていた。
いくら資金がないからって、面会室の掃除ができないわけではないだろう。ただの清掃員の怠慢だ。
俺は深くため息をつくと、椅子に座り、持っていた資料を机の上に投げ出した。全く、面倒くさい。
その時、向こうのドアが開いた。職員に連れられて入ってきたのは、やつれた男だ。目の下の隈やボサボサの髪、挙句の果てのシミついたTシャツ。こちらの目の奥のまぶたにまで無気力感を味合わせるような風貌だ。彼は俺をちらりと見ると、やる気がなさそうにふさりと座った。背もたれに思い切り倒れると、上を向いたまま俺に話しかけてきた。
「…今更、なにを聞くことがあるというんだ。もういいだろう。」
俺に見せつけるように表れている喉仏から繰り出された声は惰性と剣呑さがまぜこぜになり、強いがなりを立てた。そのがなり方に、なぜか俺の心は抉られて、一瞬たじろいでしまった。…なにビビッてんだ、俺。
「て、定期尋問だ。いつもやっているのだろう、一年に一回。」
「今年で何回目だ?」
彼は目だけをじろりとこちらに向け、その弛んだ目元は質問の答えを遠回しに教えてくれているようだった。俺が口を開こうとすると、彼は先に喉をがならせ、無理やりに言霊を自分に向かせた。
「いい。聞きたくない。」
彼のその雰囲気からは、俺(というより俺の上にいる機関)を恨んでいるようだが、いや確実に恨んでいるのだが、恨みさえも曖昧にさせてしまうような時の流れに対する諦めが感じられた。彼は先程の俺とは比べ物にはならないくらい暗く深いため息をついた。
「話せば、終わるか?」
俺はすぐに首を縦に振っていた。こいつは早く終わらせたいだろうし、俺もそうだ。男は乾いた唇を開いた。
2.実験室のガラス
「これより、実験を開始する…番号125、室内に入れ。」
先輩がマイクに向かってそう言うと、名前を呼ばれた職員は恐る恐る中扉を開けて本実験室内に入った。
ここは高危険度実体実験室。凶暴なデンジャラスクラスのDCOを実験する際に使う部屋だ。従来の実験室と違うのは、全体的に頑丈な素材でできているのと、実験準備室と本実験室の間に簡易待機室があるところだ。雪国の家の二重玄関に似ている。なにかアクシデントが起こった場合、職員はいったんこの部屋に逃げ込んで再開できるまで待つのだ。
今回実験するのはDCO/●●。見た目はアフリカにいると言われているUMA、モンゴリアンデスワームそのものだ。ただ、一つ違うのはその不気味なほど暗い口から触手を出して攻撃するというところ。これが本当に気持ちが悪い。先輩は生態調査のため毎日見てるらしい。発狂しないか心配になる。
そんな先輩がまたマイクに口を近づけて職員に指示をした。
「血液を採取しろ。少しでも構わない。」
職員にはあらかじめ特殊カッターナイフと注射筒を持たせている。職員は明らかに嫌そうに顔を歪ませたが、すやすや眠っている●●を見て腹をくくったのか、●●の前にしゃがみこんだ。
「しかし先輩、どうやってあいつを眠らせてるんです?無理やりってわけにもいかないでしょうし。」
「睡眠ガスを収容室に流し込んでる。わりとポピュラーな鎮静方法だぞ。」
ああ、なるほど。
デンジャラスや危険性が高いDCOの収容室にはスプリンクラーがついていることが多い。それこそ睡眠ガスを流したり、滅菌剤という特殊なものを散布する場合もあるらしい。
「デンジャラスの担当博士ってどんな感じです?やっぱりきついですか」
私が問いかけた先輩の顔は、明らかに昔より疲れ切っている。先輩はこのDCOの他にもいくつか担当を受け持っていたはずだ。大丈夫なのだろうか。
「ああ…いや、今は実験中だぞ。集中しろ。」
「あ、はい。」
たしかに、今は先輩の心配をしている時間ではない。私がここに呼ばれたのは●●のDNA検査のためだ。血液を採取すればどのような動物なのかをだいぶ知ることができる。私は研究部の科学課にいるので適任なのだ。科学課にはDNAデータベースもあるしね。
ガラスの向こうを見ると、ちょうど採取が終わっていた。●●はまだのんきに眠っている。
「よし。それでは戻ってきなさい。」
職員は足早に簡易待機室へと入っていった。よほど嫌なのだろう。私も、やれと言われてもやりたくない。死刑を免除されてここにいる彼は違うのだろうか。なにかミスがあったら結果的に死んでしまうのに。
しかし、それは私たち博士も例外ではない。
ちらりと先輩を見る。重そうな瞼をなんとか跳ねのけて職員に指示を出している。
「では、次は触手を触ってみなさい。」
…実験が終わったら、旅行にでも誘ってみようか。そんな突拍子もない思いつきは、でもお金がない…という現実が振り払った。
3.液晶ガラス