田所浩二少佐

Last-modified: 2024-04-27 (土) 11:30:13


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基本情報
生年月日1921年1月6日~1944年8月10日
出生地下北沢
性別
享年24歳
職業軍人
最終階級死後大佐に昇進
出身校海軍士官学校
 

毎年8月10日は英雄、田所浩二少佐がジュッセンパイヤー島にて散った日です。この日は酒・娯楽を慎み、彼が守った祖国「日本」の未来を考え行動しましょう。

目 次

 

 

概要

田所浩二少佐(1921年1月6日~1944年8月10日)は、大日本帝国海軍の軍人・将校。1944年、SM諸島イキスギ岩礁、ジュッセンパイヤー島で発生した日本軍と連合軍の戦いにおいて、守備隊側の指揮を執り、その恐れを知らぬ戦いから連合軍に「Beast(野獣)」「サイクロップス」と呼ばれ恐れられた。

ジュッセンパイヤー島の戦い

※海外の方の著書に、ジュッセンパイヤー島の戦いについて詳しくまとめられたものがあったので、そこから一部抜粋して紹介します。
~以下部分引用~

守備隊側の兵力

田所浩二少佐率いる第114師団514歩兵連隊、またヴァンホーテン島から撤退してきた、海軍陸戦隊の残存兵及び下北沢飛行第8戦隊10中隊の3機。総兵力114,514人。

上陸部隊側の戦力

シャム・ゲエム中将をジュッセンパイヤー島派遣軍最高指揮官とした、第36任務部隊4水陸両用軍団(第3、6、4海兵隊師団)

米軍の上陸

07月21日、9時31分、シャム・ゲエム中将麾下の水上戦闘部隊、戦艦ターミナル・三世、重巡洋艦コート、アクシード、サムソン、軽巡クボタイト、駆逐艦スローロリス、ヴォーの一斉砲撃により戦いの火蓋が切られる。この攻撃が指揮所に命中し、殆どの高級将校が戦死した。重症を負った三浦中将は駆けつけた田所少佐に死の間際「ちゃんと日本咥い入れろ~」と激励の言葉、そして指揮権を渡し死んでいったとされている。
守備隊はすぐに沈黙したかに思われ、ビリー・ヘリントン中将は「If there are so many Marines to capture this small island, the victory will not be distorted!」(この小さな島を攻略するのにこれだけの海兵隊がいれば勝利は歪みねぇな)と部下を鼓舞したというエピソードがあるほどで、上陸部隊は3日で島の東部を占領できると当初は予想しており、第3海兵隊師団の上陸を開始した。しかしそれが田所少佐の狙いであった。半地下式の頑強なトーチカに覆われた11か2くらいセンチ速射砲は健在であり、敵の上陸部隊を海岸ギリギリまで引きつけてからの奇襲砲撃による一転攻勢により、上陸部隊に莫大な被害を与え、実際3日間で進行した距離は200mも満たなく戦闘後の海岸は数えきれないほど海兵の死体が浮かび、海は赤く染まっていたという。(イオンモウル海岸上陸戦、詳細は「帰還兵0人-イオンモウル上陸作戦」それと同時に飛行隊も一斉に飛び立ち特攻を掛け、木村少尉らの機は敵の揚陸艦ベンツ、センチュリーを大破させた。(バァン!と大きな音が島中に響いたという。)

戦闘の経過

しかし、物量と火力に勝る敵軍をいつまでもは止められず、守備隊は分断され、島中央部への撤退を余儀なくさせられる。しかし田所少佐は玉砕禁止令を出し、徹底した遅滞戦術と散発的な夜襲と、硬軟織り交ぜた戦術で敵を翻弄していく。
田所少佐は要所要所では、十字砲火にもう一方向加えた三方からの砲火など、革新的な戦術を用い着実に敵に損害を与えていった。
(戦死した兵の手記にも「三方向(からの砲火)に一方向が敵うわけないだろう」などとあり、守備軍の士気の高さと戦術の完成性を見ることができる。)中でも、撤退を装い、残された飲料用水に仕込んだ睡眠薬で昏睡させた後にレ●プで拷問、敵部隊の情報を聞き出す。など、勝つために手段を択ばない様はまさに迫真であった。しかし内容がノンケに見せるにはあまりにも壮絶であるため、現在は教科書やテレビでの報道は規制されている。

センナン海岸急襲

また無線を傍受されていたが「ラーメン屋来タル」の暗号だけで島中に合図をし、一斉に夜襲を仕掛けた逸話がある。これは田所少佐の士官学校時代、毎夜毎夜、空手の稽古のあと近所のラーメン屋の屋台に通っており、その事を知っている各陣地指揮官に伝わる夜襲の合図の暗号だった。
この夜襲で、突出した米軍をビーチと完全に分断させ、勝った気になり油断していた第4海兵隊師団長M.セッツ・バットマン准将は寝首をかかれ戦死する。この夜襲は敵味方入り乱れての大乱戦となり、「誰が敵で味方か、これもうわかんねぇな」と当時の通信兵の電文にもなる程であった。

組織的抵抗の終結

このようにあらゆる戦術を駆使し、米軍を苦しめた田所浩二少佐であったが、やがてじわじわ味方も斃されていき、8月10日、士官学校時代の後輩でもあり、彼の副官を務めていた遠野大尉に家族に宛てた「良い世来いよ、夢に駆けて夢に」という手紙を託し、残存兵(負傷兵、看護部隊を除く)とともに玉砕。
その後負傷兵及び看護部隊は降伏し、かくして戦闘開始から454,5時間(約20日間)、守備隊陸軍88,946名、海軍陸戦隊約8,100名、ジュッセンパイヤー島警備隊1919名 米軍上陸部隊45,450名の犠牲を出したジュッセンパイヤー島の戦いは終結した。

終わりに

~引用終了~

青年将校ながら寛大な器量と勇猛さを持ち合わせ、部下はもちろん、上官からも「器がデカすぎる」「軍人の鑑」「一生大日本帝国の宝物」などと慕われていた、まさに王道を征く軍人であった田所浩二少佐、
彼が死に際に残した「良い世、来いよ」という、無念の詰まった言葉を、たった一度の過ちであったあの戦争の記憶を、私たちは忘れることなく胸にかけて、平和な世界を作っていきましょう。

(出典:G・O・Goisgod著 (2001) 『真夏の夜の悪夢 -「野獣」と呼ばれた軍人』 (伊吹萃香,多田野数人訳) INMグループ出版)


エピソード


・機銃掃射で多くの仲間が死んだときは「逝きスギィ!」と泣き叫んだり、士官学校時代からの友人がやられたときは「頭に来ますよ!」と怒りを露わにするなど大変仲間思いだった。



・センナン海岸急襲でM.セッツ・バットマン准将を討ち取った第114師団514歩兵連隊隊長である波多野中尉を「やりますねぇ!」と激奨し、部下を鼓舞した。

他者からの評価


「大日本帝国の鏡」ー多田野海軍少将

「いいゾ~この指揮」ー三浦海軍中将

「あの男は人間じゃない、野獣だ。はっきりわかんだね」ーピンキー米海軍大将


コメントはこ↑こ↓

  • こ↑の↓記事ほんとすき -- Mr.EXHAUST(編集者) 2023-09-12 (火) 20:19:02
  • 管理人でもないのにすみません。このページ、「大日本帝国」という実在した国家の名前が入っているので、国名を変更すべきだと考えます。
    日本モチーフの国ならいい(実際自分も作っている)ので、これを機会に新国家でも作ってみたらいかがでしょう -- momiji_758 2023-09-12 (火) 20:30:57
  • 栗林忠道(淫夢) -- をつみ 2023-09-12 (火) 20:32:44
  • ↑↑日本という名前が入ってるから面白いんだよなぁ...
    ぼんだいに移転するかゾ? -- 雑魚 2023-09-13 (水) 20:34:50
  • 見やすくしました。 -- 田所浩二少佐 2023-09-14 (木) 18:44:45
  • ああいいっすねえ -- 2023-10-05 (木) 13:02:34
  • 師団が多すぎる -- 2023-10-30 (月) 16:11:33
  • 海軍だったり陸軍だったりとガバガバなの好き -- 2023-12-10 (日) 18:12:56
  • 野獣じゃない野獣先輩だはっきりわかんだね -- 2023-12-15 (金) 12:12:08
  • その時脳内にあふれ出した存在しない記憶 -- 2023-12-15 (金) 14:48:06
  • 24歳で少佐は凄い -- 2024-01-23 (火) 22:02:42
  • これ仮にぼんだいに移転するとしてもあっちのプラグインで同じような内容に出来るかゾ…? -- まひまひ。 2024-01-27 (土) 14:51:59
  • ↑↑あの三沢三佐でさえ当時は38歳だからね -- まひまひ。 2024-01-27 (土) 18:59:52
  • 普通に泣けるんだよなぁ -- 2024-03-30 (土) 02:32:25
  • 114師団は草 -- 研ぎ澄まされたグランドスラム(コテハン) 2024-04-18 (木) 14:38:22
  • なーんか見覚えのある顔だなぁ~。野獣せn...誰か来たようだな、ちょっと失礼...(彼は戻って来なかった) -- 弾幕中将(コテハン) 2024-04-27 (土) 11:30:13


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