大瑞穂帝国/内閣

Last-modified: 2024-05-05 (日) 16:02:17

内閣(ないかく、英 : Cabinet)は、瑞穂国の行政府。内閣官制の規定に基き、太政大臣を筆頭とする国務大臣で組織される合議制の機関である。

ないかく
内閣
Cabinet
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種類行政府目次
設置1893年(仁政29年)3月20日
初代第1次守屋成清内閣
前身太政官(1880年~1891年)
政事堂(1891年~1893年)
長官太政大臣
定員国務大臣13人(2019年時点)

概要

概略

内閣は国務大臣によって構成され、太政大臣が首席を務める。太政大臣及び国務大臣には特に規定はないため、文民でなくても大臣になる事が出来る*1。尚、宮内大臣は宮内省官制、尚書府大臣は尚書府官制によって規定されており、内閣からは独立している。宮内大臣並びに尚書府大臣は、必要があるとき内閣の求めに応じ、閣議に出席し意見を述べることができる。瑞穂国では、「大祝による太政大臣や各国務大臣の任命(大命降下)において、公議院での第一党となった政党の党首を太政大臣とし組閣がなされ、その内閣が内閣不信任等で倒れた場合は総辞職または公議院議員総選挙が行われ、国民が選択する機会が与えられる」とする憲政の常道の原則が議会開設からしばらくした時に導入され、2001年からは法制化も行われて現在に至るまで憲政の常道の原則に基いて組閣が行われている。

沿革

内閣の源流となるのは1880年に設置された立法、行政、司法を司る太政官である。太政官のもとに六省と諸機関が置かれ、長官を太政大臣、省の長官を卿とした。1885年から正院、右院、左院に分離し、正院を最高機関として右院を行政府、左院を立法府とした。1891年には新たに政事堂が置かれ、太政官が廃止、長官を政事総裁と称した。しかし政事堂は実質正院を改称しただけのものであったため、立憲主義に基づく制度を模索した結果、1893年、内閣官制が布告され、内閣制度が確立した。また、内閣の長官の職名については当初、「内閣総理大臣」が用いられる予定であったが、維新派の重鎮であった守屋成清の強い要望によってこれまでも使われてきた太政大臣の官職名を引き続き使うことになった。太政大臣は当初、「同輩中の首班」であったが、1910年の内閣官制の改正により「内閣を統督する国務大臣」であることが明記された。また、その慣習に反対する一部の内閣を除く歴代内閣は、神祇大臣に神職を、兵部大臣に武官を任命すること(但し現役でなくてもよい)が慣習となっている。

組閣

大祝が組閣の命令を発することを大命降下という。組閣に関しては、長らく憲法や法律に規定がなかったため、内閣制度が導入されてすぐは大祝が直接選んだ人物に大命降下を行い組閣させていた。1920年頃から1940年頃までの大命降下は選挙の結果と元老と呼ばれる5人ほどの人間の意見を経て行われ、1940年頃から1950年までは選挙の結果と宰相経験者と枢密院議長で構成される重臣による会議を経て行われた。重臣会議による決定に入る直前辺りから選挙の結果に沿って大命降下する名目だけのものになり、1950年からは第一党の党首が宰相に任命される制度を目指し、帝国議会の指名選挙による首班奏薦で大命降下する方式に変更した。
帝国議会の指名による大命降下が行われるようになってからは、太政大臣を新たに決める必要がある時、大祝が帝国議会に対し、議員の中から後任を選ぶように勅命を発する。これを御下問という。これを受けた議会は公議院、元老院でそれぞれ「首班指名選挙」を行い、首班を決定する。このとき公議院と元老院で異なる者を指名した場合、公議院の指名を優先する。この決定をもって公議院は、大祝に首班奏薦の答申書を提出し、大祝はこれに一切の検討を加えず意見も付さずに候補者本人を呼び出して組閣を命ずる(大命降下)。大命が下った本人は組閣のための閣僚候補を揃え、大祝に上奏、全閣僚が揃ったところで親任式が行われ、太政大臣以下国務大臣が1人ずつ辞令を授与される*2。2001年、この慣例を制度化する法案が帝国議会で可決され、法律の首班奏薦ニ関スル法律により上記の手順が明記されている。

構成

太政大臣

太政大臣(だいじょうだいじん、英 : Minister President)は行政権の輔弼機関である内閣(cabinet)の長官たる国務大臣である。他国の内閣総理大臣や首相に相当し、内閣に属する各国務大臣の任命、罷免を大祝の名のもとに行うことができる。別称には宰相、(大)相国、太師などがある。瑞穂国内では首相とは呼称しないが、他の漢字圏ではそう呼ばれることもある。太政大臣の宮中における席次は府中のうち最高位であり、枢密院議長よりも格上とされる。内閣は大祝を輔弼して公議院解散を行うことができるが、太政大臣は大祝の名のもとに各国務大臣を自由に任免でき、また一人で全てを兼任することも可能である。ゆえに解散権は実質的には太政大臣に属し、「伝家の宝刀」と例えられる。太政大臣も国務大臣に含まれるが、「同輩中の首班」ではない。内閣官制の規定により太政大臣は首班として強力な権限を持っている。また、太政大臣は閣外大臣である宮内大臣と尚書府大臣の任命に関して直接的な権限は持たないが、大祝の相談に応じることがある。

内閣の機関

辞令

組閣に関する辞令は、(1)奏薦文、(2)太政大臣任命辞令の官記、(3)各国務大臣任命辞令の官記の順で出される。大命降下は大祝が宰相候補者に対して「卿に内閣組織を命ず、憲法を遵守し時局重大の際折角尽力せよ」等と述べ、口頭で行われる。(2)と(3)の授与は親任式にて同時に行われる。なお大祝に出す辞表については形式が決まっていない。

(1)奏薦文

帝国議会ハ〇〇君ヲ太政大臣ニ奏薦ス

元号〇年〇月〇日

公議院議長 (自署)
公議院書記官長 (自署)

 

(2)太政大臣任命辞令の官記

位階勲等功級氏姓名*3(新太政大臣)

任太政大臣

御名御璽

元号〇年〇月〇日
太政大臣 (自署) (前任の太政大臣)

 

(3)各国務大臣任命辞令の官記

位階勲等功級氏姓名(新xx大臣)

任〇〇大臣

御名御璽

元号〇年〇月〇日
太政大臣 (自署) (新太政大臣)

官記について、省庁の長官たる大臣(主任大臣)の場合、例えば内務大臣の辞令は「任内務大臣」と表記される。無任所大臣の場合または他の国家機関の長官(例えば原子力保安院長)が特別に内閣に列せられる場合の辞令は「任国務大臣」と表記される。内閣書記官室に設置される担当大臣の場合、例えば宇宙開発担当の辞令は「任宇宙開発担当大臣」の様に表記される。

内閣一覧

現行内閣

与党
翼賛政友会
内閣
佐々井内閣 : 文礼32年(2023年)7月より。

職名(略称)氏名所属期間備考
閣内大臣
太政大臣(宰相)佐々井徳光翼賛政友会2020年6月~第83代太政大臣
内務大臣(内相)
外務大臣(外相)
大蔵大臣(蔵相)翼賛政友会
刑部大臣(刑相)
文部大臣(文相)
科学技術大臣(科技相)文部大臣が兼任。
通商産業大臣(通産相)
逓信大臣(逓相)
兵部大臣(兵相)前田卓郎帝国空軍2020年6月~空軍大将
国務大臣翼賛政友会宇宙開発担当大臣(宇宙相)、消費者担当大臣(消費相)
国務大臣防災担当大臣(防災相)、地方振興担当大臣(地方相)
国務大臣原子力保安院長、原子力保安担当大臣(原保相)
内閣書記官長(翰長)翼賛政友会内閣に列する
内閣法制局長官内閣法制局内閣に列する
閣外大臣
宮内大臣(宮相)東院邦彦宮内省2015年4月1日~
神祇大臣(神祇相)近衛国芳近衛神社大宮司2017年5月~
尚書府大臣(尚府)守屋成恆(なりつね)尚書府2010年4月1日~

歴代内閣

[内閣の種類]

  • 超然内閣
    政党の動静に関係なく大命が下り組閣され成立する内閣
  • 政党内閣
    与党の首班に大命が下り組閣されて成立する内閣
  • 大連立内閣
    戦争や経済恐慌などの国家の危機に際して、その期間に限り対立する党派が大連立を行うことでつくられる内閣、挙国一致内閣とも
内閣期間太政大臣与党備考
太政官(太政大臣)
--1880年ー1885年伊藤康徳-
--1885年ー1891年伊藤康徳-正院として分離
政事堂(政事堂総裁)
-1891年ー1893年3月守屋成清-
内閣
1第1次守屋内閣1893年3月ー1896年11月守屋成清*4-超然内閣
2保科内閣1896年11月ー1899年11月保科正則政友社超然内閣
3第1次朴内閣1899年11月ー1902年8月朴文吉立憲公社超然内閣
4八坂宮内閣1902年8月ー1903年12月八坂神信道*5政友社超然内閣
翼賛政友社
5第1次小祝内閣1903年12月
~1906年4月
小祝武夫翼賛政友会政党内閣
6秦内閣1906年4月ー1909年4月秦民義翼賛政友会政党内閣
7第2次小祝内閣1909年4月ー1912年4月小祝武夫翼賛政友会 - 立志会政党内閣
8第2次守屋内閣1912年4月ー1915年3月守屋成清翼賛政友会 - 立志会超然内閣
9第3次小祝内閣1915年3月ー1916年1月小祝武夫翼賛政友会 - 立志会政党内閣
10第2次朴内閣1916年1月ー1916年5月朴文吉立憲進歩党 - 愛国社政党内閣
11山田治五郎内閣1916年5月ー1918年5月山田治五郎国民公党政党内閣
12繭屋内閣1918年5月ー1919年9月繭屋平瑞穂国民党政党内閣
13千野内閣1919年9月ー1921年2月千野康之瑞穂国民党政党内閣
14下平内閣1921年2月ー1923年6月下平勉瑞穂国民党政党内閣
15第1次片倉正久内閣1923年6月ー1924年11月片倉正久翼賛政友会政党内閣
16第2次片倉正久内閣1924年11月ー1926年7月片倉正久翼賛政友会政党内閣
17呂内閣1926年7月ー1928年1月(すぐる)翼賛政友会政党内閣
18第3次片倉正久内閣1928年1月ー1930年8月片倉正久翼賛政友会政党内閣
19櫻井内閣1930年8月ー1931年3月櫻井清康豊洲平民社政党内閣
20第1次村山田内閣1931年3月ー1932年3月村山田都彦豊洲平民社政党内閣
21三島内閣1932年3月ー1932年5月三島博昭翼賛政友会政党内閣
22五十嵐内閣1932年5月ー1933年12月五十嵐文雄翼賛政友会政党内閣
23久保田俊典内閣1933年12月ー1934年3月久保田俊典(民友党支持)超然内閣
24高槻内閣1934年3月ー1936年1月高槻義一翼賛国民党 - 民友党政党内閣
25犬上内閣1936年1月ー1937年10月犬上重次郎豊洲平民社 - 革新倶楽部政党内閣
26片倉誠之助内閣1937年10月ー1939年4月片倉誠之助翼賛政友会 - 瑞穂国民党 - 民友党政党内閣
27山田里士内閣*61939年4月ー1941年8月山田里士瑞穂国家社会党 - 大瑞穂愛国党 - 瑞穂国民党(国粋派)政党内閣
28第1次鄭内閣1941年8月ー1945年4月鄭尚太郎翼賛政友会 - 豊洲平民社 - 瑞穂国民党(主流派) - 民友党大連立内閣*7
29第2次鄭内閣1945年4月ー1947年10月鄭尚太郎*8翼賛政友会 - 瑞穂保守党政党内閣
30北島内閣1947年10月ー1947年12月北島斉泰(翼賛政友会支持)超然内閣*9
31第1次原内閣1947年12月ー1948年9月原安徳翼賛政友会政党内閣
32岡田内閣1948年9月ー1949年2月岡田光将瑞穂改進党 - 瑞穂保守党政党内閣
33菅野内閣1949年2月ー1952年12月菅野一豊洲平民社 - 無産労働党政党内閣
34吉野内閣1952年12月ー1953年6月吉野弘和翼賛政友会政党内閣
35第2次原内閣1953年6月ー1956年12月原安徳翼賛政友会政党内閣
36小井弖内閣1956年12月ー1958年3月小井弖尚紀瑞穂国民党 - 改進党政党内閣
37丸山内閣1958年3月ー1958年10月丸山正男翼賛政友会 - 豊洲平民社政党内閣
38向井山内閣1958年10月ー1959年5月向井山裕司瑞穂国民党政党内閣
39黒田内閣1959年5月ー1960年3月黒田茂翼賛政友会政党内閣
40関屋内閣1960年3月ー1962年4月関屋神兵衛瑞穂国民党政党内閣
41山田興作内閣1962年4月ー1963年6月山田興作翼賛政友会政党内閣
42角川内閣1963年6月ー1965年1月角川伸一郎民主党 - 瑞穂政友会 - 自由党政党内閣
43第1次金子内閣1965年1月ー1966年7月金子昭*10自由民主政友会 - 革新政友会政党内閣
44第2次金子内閣1966年7月ー1968年7月金子昭自由民主政友会政党内閣
45第1次峯岸内閣1968年7月ー1967年2月峯岸煕実翼賛政友会政党内閣
46村田内閣1967年2月ー1967年2月村田啓介翼賛政友会政党内閣
47第2次峯岸内閣1967年2月ー1969年1月峯岸煕実翼賛政友会政党内閣
48小松内閣1969年1月ー1971年9月小松裕翼賛政友会政党内閣
49第1次武居市之助内閣1971年9月ー1973年6月武居市之助保守国民党政党内閣
50大野内閣1973年6月ー1974年6月大野春近翼賛政友会政党内閣
51第2次武居市之助内閣1974年6月ー1976年9月武居市之助保守国民党政党内閣
52第3次武居市之助内閣1976年9月ー1978年1月武居市之助保守国民党政党内閣
53第1次山本内閣1978年1月ー1980年5月山本剛翼賛政友会政党内閣
54第2次山本内閣1980年5月ー1981年5月山本剛翼賛政友会政党内閣
56第3次山本内閣1981年5月ー1985年2月山本剛翼賛政友会政党内閣
57田内閣1985年2月ー1987年7月田峰雄瑞穂民主党 - 民主進歩党政党内閣
58第1次北国寺内閣1987年7月ー1988年10月北国寺紀煕翼賛政友会政党内閣
59第2次北国寺内閣1988年10月ー1989年1月北国寺紀煕翼賛政友会政党内閣
60西部内閣1989年1月ー1990年3月西部守翼賛政友会政党内閣
61小早川内閣1990年3月ー1990年5月小早川宗尭翼賛政友会政党内閣
62張内閣1990年5月ー1990年12月張嶺典翼賛政友会政党内閣
63利根川内閣1990年12月ー1992年9月利根川努保守国民党 - 瑞穂民主党政党内閣
64第1次安曇野内閣1992年9月ー1994年4月安曇野貴之翼賛政友会政党内閣
65第2次安曇野内閣1994年4月ー1996年10月安曇野貴之翼賛政友会政党内閣
66第3次安曇野内閣1996年10月ー1999年7月安曇野貴之翼賛政友会政党内閣
67第4次安曇野内閣1999年7月ー2000年11月安曇野貴之翼賛政友会政党内閣
68立川内閣2000年11月ー2001年12月立川賢一郎保守国民党 - 瑞穂民主党政党内閣
69片倉誠志郎内閣2001年12月ー2003年9月第1次片倉誠志郎保守国民党 - 瑞穂民主党 - 社会民主聯合政党内閣
70第2次片倉誠志郎内閣2003年9月ー2005年3月片倉誠志郎保守国民党 - 瑞穂民主党 - 社会民主聯合政党内閣
71畠山内閣2005年3月ー2005年3月畠山慎也保守国民党*11政党内閣
72阿部内閣2005年3月ー2007年1月阿部実翼賛政友会政党内閣
73大山内閣2007年1月ー2009年5月大山学翼賛政友会政党内閣
74第1次中河原内閣2009年5月ー2011年7月中河原恭介翼賛政友会政党内閣
75第2次中河原内閣2011年7月ー2013年4月中河原恭介翼賛政友会政党内閣
76齋藤内閣2013年4月ー2015年9月齋藤幸男翼賛政友会政党内閣
77宗内閣2015年9月ー2015年10月*12宗盛長翼賛政友会政党内閣
78鮎澤内閣2015年10月ー2015年10月鮎澤康栄翼賛政友会政党内閣
79宮島内閣2015年10月ー2017年5月宮島優翼賛政友会 - 瑞穂民主党政党内閣
80第1次三国屋内閣2017年5月ー2020年8月三国屋哲美翼賛政友会政党内閣
81第2次三国屋内閣2020年8月ー2021年8月三国屋哲美翼賛政友会政党内閣
82第3次三国屋内閣2021年8月ー2023年7月三国屋哲美翼賛政友会政党内閣
83佐々井内閣2023年7月ー(継続中)佐々井徳光翼賛政友会政党内閣

関連項目

大瑞穂帝国に行く
地方地方区分 - 信京府(守矢京 - 左京郡? - 右京郡? - 居下郡? - 東亜郡 - 宮門郡? - 錦織郡? - 富兵郡?) - 耀国 - 祝部県?
地理架創遺産 - 国宝 - 神社(神宮) - 城郭 - 寺院 - 御殿
歴史国史 - 元号 - 耀王国 - 近衛京? - 安曇京? - 近衛幕府? - 木曾幕府? - 仁政維新?
政治大祝 - 神室 - 王室 - 五官祝(神長官 - 禰宜大夫? - 権祝? - 擬祝? - 副祝?) - 政府 - 内閣 - 枢密院 - 議会(元老院 - 公議院) - 五官会議 - 裁判所? - 政党 - 官軍 - 陸軍?(憲兵? - 近衛師団?) - 海軍? - 海軍航空隊? - 空軍? - 海上保安隊?
組織文部省? - 宮内省?(陰陽寮) - 神祇省? - 官立星学技術研究所? - 瑞穂専売公社?
経済 - 国立銀行? - 観光? - 企業 - 宇宙開発? - 発電所 - 鉄道? - 航空
社会瑞穂語 - 法令(憲法) - 学校 - 人物 - 栄典 - 神道? - 各種年齢?
体育体育 - 大瑞穂体育協会 - 大瑞穂聯体委員会? - 瑞穂蹴球軍
文化神宮競技大会? - 文部省美術展覧会? - 神長官競書大会? - 官立高等学校柔剣道大会 - 名族協会? - 瑞穂赤卍字社? - 公議院書籍館? - 帝国図書館? - 東洋競技大会?
その他架創国家連合(INC) - 瑞穂・ルイス宇宙機関 - 防衛聯合演習- 創作メンバー - 画像フォルダ - 関連項目

*1 但し兵部大臣は慣例として現役武官が務める。また太政大臣の首班指名で元老院議員の軍人が指名された場合は武官が太政大臣になることも有り得る。
*2 なお途中で国務大臣が交代する場合は太政大臣を通じて授与される。
*3 例 : 正一位勲一等功一級山田朝臣太郎
*4 帝国憲法発布後初の内閣
*5 神族
*6 大聯合戦争に参戦。
*7 大連合戦争への対応及び全体主義的政権であった「国家社会党政権」反対のための保守革新を越えた大連立内閣。憲政史上初の大連立内閣。瑞穂国民党は国粋派と主流派で分裂していた。
*8 天正17年の憲法改正
*9 憲政史上最後の超然内閣、戦後処理内閣。
*10 天正37年の憲法改正
*11 大命降下があったものの、瑞穂民主党と社会民主聯合が連立から離脱し崩壊
*12 単独過半数を満たせず宗内閣も鮎澤内閣も上手く機能せず。瑞穂民主党が連立に加わったことで安定した。