大瑞穂帝国/王室

Last-modified: 2024-03-08 (金) 10:22:47

この項目では、耀室について説明しています。瑞穂国の大祝及び神族の総称については「神室」をご覧ください。

王室(正仮名遣:おうしつ、耀国方言:わんしー、英語:Royal House of Toku、Toku Royal House of Ruisy)は、王室規則による耀国の王及び王族の総称。耀王室耀室とも呼ばれる。また、ここでは王室の家長たるについても記載する。

おうしつ
王室
Toku Royal House of Ruisy
Royal coat of arms of Yawo.png
家紋・二つ左巴
nolink瑞穂国目次
当主称号
当主敬称殿下
創設1583年
家祖高祖 德漢*1
現当主德漢詔
民族瑞穂民族(耀族)
担当官庁宮内省
王室御用方

王室

王室は、神室の一部であり、神室軌範及び王室規則?の定めるところにより、神室の家長たる大祝の監督を受け、王室の家長たる王が一族を代表する。
王室の身分は、席次が高いものから 王、王妃、太王、太王妃、王世子、王世子妃、王世孫、王世孫妃、公、公妃、公子、公子妃、公孫、公孫妃 であり、一般国民の女性は男子王族の配偶者になることをもって、「妃」として女性王族となる。生まれながらの女性王族はすべて「姫(ひめ)」と呼ばれる。
王族は、王の一家を王家、公の一家を公家と呼び、公家が複数ある時は公が住んでいる宮殿の名前で区別する。公は王が叙任する称号で、公位を襲位する際、新たに公位が与えられる際に公位叙任が行われる。これら王家の分家の当主たる公は、神族の王と同位の席次であり、継承は殿下。英語では「Prince」。

王公家

現在、王室には王家を含め「家」が5家あり、16名いる。

  • 王家

現在は王と王妃は穂郷宮と光大宮に半年ごとに在住。王世子の家族は光大宮に在住。

名前読み身位敬称性別年齢その他
德漢詔かんしょう殿下60歳光大宮耀王。王室の家長。元老院議員。
德幸子さちこ王妃殿下58歳旧姓は山田。
德漢亘あやのぶ王世子殿下25歳陸軍少佐。
德幸香さちか王世子妃殿下25歳旧姓は林。
德由紀恵ゆきえ殿下3歳王世子姫。
  • 幸安宮公家

幸安宮に在住。娘に德春子、德秋子がおり、臣籍降嫁している。

名前読み身位敬称性別年齢その他
德博山はくさん殿下80歳正式称号は幸安宮德博山公。元老院議員。
德文江ふみえ公妃殿下71歳旧姓は村上。
  • 寿楽宮公家

寿楽宮に在住。

名前読み身位敬称性別年齢その他
德岸博きしひろ殿下57歳正式称号は寿楽宮德岸博公。陸軍少将。
德福子ふくこ公妃殿下52歳旧姓は劉。
  • 寿楽宮公子家

寿楽宮公の跡継。慶徳宮に在住。

名前読み身位敬称性別年齢その他
德岸英きしひで公子殿下32歳正式称号は德岸英公子。元老院議員。
德葵あおい公子妃殿下33歳旧姓は町田。
德英斗ひでと公孫殿下8歳正式称号は德英斗公孫。
德英子ひでこ殿下5歳公姫。
德漢斗あやと公孫殿下2歳正式称号は德漢斗公孫。
  • 嘉福宮公家

嘉福宮に在住。娘に德聖子がおり、臣籍降嫁している。

名前読み身位敬称性別年齢その他
德宏昌こうしょう殿下82歳正式称号は嘉福宮德宏昌公。元老院議員。
德美奈子みなこ公妃殿下80歳旧姓は渡辺。

王族審議会

王族審議会は、神室令体系の王室規則によって規定される瑞穂国耀国の機関。王と成年以上の王族をもって組織し、総督、王室御用役、北平控訴院長が参列する。必要な場合は宰相、宮内大臣、司法大臣、大審院長なども参列できる。また、王が招集し、王が議長となるか、それが出来ない場合は王族一人を議長に指名する。
神族会議が神室及び王室全体に対して決定権があるのに対して、王族審議会は王室内の事項のみを決定する。王族審議会の任務は主に(1)王の隠居を認め、太王とすること(家督を後継に譲ること)、(2)王位継承順位の変更、(3)臣籍降下、の3項目である。これら項目は決議の後大祝に上奏され、大祝の認可を経て施行される。過去に大祝が不裁可としたことはない。

王室の地位

神室令体系の王室規則で王室(耀王室)の当主たる王の席次は親王と同等の位とすることが定められており、神室と同じく臣籍を有さず、刑事裁判の範囲外にある。瑞穂国及び耀国における王と王室の立場については、耀国王室身位令で「耀国及び耀国公民の文化と伝統の象徴」であると定められている。宮中における大祝と王の関係は「親子」や「主人と臣下」の関係とは異なり、どちらかといえば「兄(大祝)と弟(王)」の関係である。これはかつての国家元首である王への配慮であり、王が職位する際も、耀王の宣下を伝える勅書は王の使者が大祝のもとへ貰いに来るのではなく、大祝の使者が王へ渡しに行く形をとる。また、大祝と王が対面する時は南北ではなく、東西に座する。これも兄弟としての待遇である。

王室の活動

王室は神族と同じく、国際親善や名誉職、式典への出席、などを主な公務としており、特に神族男子には軍務に就くか、元老院王族議員になるかを選ぶことが求められる。政争に巻き込まれるのを避け、日常的に登院しない神族議員とは異なり、王族議員は日常的に登院して意見を述べることも許されているため、政治に興味のある成年王族男子は元老院議員になる。

王は、現在の制度では政治的権限を持っていないが、慶事や弔事には勅語や詔書に相当する「王旨」を声明として出すことがある。「新年祝賀ノ王旨」は毎年の新年に挨拶として発せられる。また王も元老院議員としての活動を行っている。過去には総督選挙に出馬し、総督を務めた王もおり、本国の神族に比べ、品格を損なわない程度の自由な活動が許されている。

服装

伝統装束は「耀服」といい、中国の弁服を基調とする。特に王の耀服は御主服(おぬしふく)と呼ばれる。御主服は、赤地に黄色の龍の刺繍が入った衣と、黒色の裳を着る。また、礼冠とよばれるの黄色の冠を着用する。
また、普段お出ましになる際は晨礼服、燕尾服、晚宴服、背広など、大祝および神族と同様の服制である。これは王族も同様で、軍務に就く王族は軍装を、軍務に就かない王族は官帽と濃青色の詰襟服を、改まった場では神室大礼服を着る。特に女性王族は御大礼服(マント・ド・クール)、御中礼服(ローブ・デコルテ)、御通常服(ローブ・モンタント)を着る。

王室財産

王室費用は、神室費用に含まれ、帝国議会の協賛を必要としない。国から神室経費(毎年70億束ほど)のうち、王室費用として王宮費として王家に1億束、王世子家に7000万束、各公家に5000万束が定額で支給され、総額は3億2000万束。王宮費の使途は定められていない。この他に、宮務費として10億束が支給され、こちらは王室御用方が管理し、王室の儀式、公務、旅費などに使われる。
また、王室の財産としては各王宮や、中川御玉陵(德漢以前の北平王国時代の歴代王の墓地)、北平御玉墓地、王立砦園(さいえん)牧場、大関王領を保有しており、王立砦園牧場の経営、大関王領の不動産運用によっても収入を得ている。

王室御用掛

王室に関する事務を司るのは耀国の機関である王室御用掛(おうしつごようかかり)であり、本国の宮内省の監督を受ける。王室御用掛は宮内省耀王職と同じであり、日常生活、教育、財産管理などあらゆる側面を支えている。
王室御用方には儀礼隊に相当する洋楽隊が組織されており、20名程度の団員が職位、葬礼の葬列、貴賓の歓迎などの王室関連行事における儀仗を担当している。またこれと別に人員を設けて洋楽隊火消役が消防組としての活動を行う。

(おう、わん、英 : KingまたはKing of Yawo)は瑞穂国の自治体、耀国の伝統と文化の象徴たる地位、または当該地位にある本人。王はその立場上、王族の品格を維持する立場にあり、王室に対する家長権を有している。

おう

King
Flag of the king of Yawo.png
光大宮王旗
当主
4代王(14代王)
德 漢詔
Yawo_onushifuku.png
2000年(文礼9年)7月20日 より
御主服を着用する耀王德漢詔 2022年撮影
敬称王殿下
光大宮耀王殿下
His Imperial Highness the King
第一順位継承者王世子德漢亘(あやのぶ)
初代 : 德漢(大耀国北平王)
耀王 : 德漢興(光大宮耀王)
成立高祖即位*2 : 1583年
王職位 : 1880年(仁政16年)9月1日
前身(1583年-1880年3月17日)
北平公(1880年3月17日-1880年8月31日)
宮殿光大宮(耀国北平会)

沿革

王室に関しては、神室令の諸令が準用される。また身分に関しては勅令の「耀国王室身位令」で規定される。
耀王国の合邦に伴い、国家元首としての王位は廃位された。併合時に両国間で結ばれた「耀国併合条約」では、「瑞穂国は王室に対し相当の尊号を保障し、保持するため必要な歳費を支払う」と取り決めていたため、王室は残され、王宮や財産の所有も認められた。併合後すぐに王は従来の「王」に代わって大祝から北平公に封じられた。1880年に北平国が耀国に改称されると宮内省は一族のうち遠縁の者を臣籍降下させ整理し、残った王族を「神室令」準用によって身分を保証することにした。神室はこれを受けて神室令に別個「王室規則」を定め、当主をとして太王*3、王妃、王世子、王女、公、公妃などの身分を創設した。王室は耀国の王室御用掛が宮内省に相当し、身辺の世話、王宮の管理等を行うことになっている。王室御用掛は本国の宮内省耀王職と全く同じである。

称号

正式には「王」であり、称号は「xx宮耀王」になる。単に「耀王」と呼ぶのは正式ではないが、通常は「耀王」と呼ばれる。英語では「King」。耀王は基本「[自分の住む王宮の名前]+耀王+氏名」でよばれ、敬称は王室規則で「殿下」と呼ぶことが定められている。
瑞穂国政府は当初、耀国王の退位後の称号に(Prince)を検討しており、北平国の設置とともに与えた称号は北平公で、王室→公室、王族→公族、王宮→公宮と変更した。「公」の称号を与えられ、「殿下」と呼ばれた当時の徳家の当主、德漢興はこれに激怒し、政府に対して条約を守り尊号を維持するよう抗議した。政府はこれを受けて「殿下」を「陛下」にすることはできない、とした上で公から王に尊称を変更し、今まで通りの王(King)としての称号を維持させることにした。また、王の正式称号は「光大宮德王」とする案が出たが、こちらも德漢興の求めに応じて「光大宮耀王」とした。德漢興は「殿下」と呼ばれることについて最後まで快く思わず、側近や家族には非公式的に「陛下」と呼ばせていた。もともと耀王国後半から国王は絶対的な存在ではなくなっており、権威の象徴的な存在で、かつ德漢興はあまり政治に興味がなかったため政治のトップから退くことについてはあまり気にしていなかったという。ただし、その後に德漢興は耀国総督に就任している。

王位継承

制度上、耀王の称号は大祝によって賜られるが、実際には世襲が認められており、現在に至るまで伝統的な 職位式を行うことも受け継がれている。現在の職位では、職位式の前に大祝から王位の継承を認める勅書を、大祝の使者が耀国へ運び、跡継ぎに対して渡す。跡継ぎは、この勅書を受けると式を挙げる。この大祝からの勅命を王位宣下と呼ぶ。即位については王国時代は「即位」と呼んだが、現在は大祝の使う「即位」の語を避け、耀国の象徴としての就任に職位(しょくい)の語を用いる。職位式では伝統的な御主服で神社の平原宮に王門から参詣し耀国土着の神々へ職位の奉告と祈念をし、続いて宗廟である北平御玉墓地にて祖先神に対して職位を奉告する。その後、形式的ではあるが長会を訪問し、王旨(王の御言葉)を述べる。王国時代は長会で施政演説を行ったが、現在は政治色のない挨拶をする。また、王国時代は諸外国へ使節を送って即位の挨拶をしたが、現在は大祝に使節を送り即位の報告をする。職位日は耀国の記念日となり平原宮では「職位記念祭」を行う。慶安宮耀王德漢学の代からは、職位式を挙げたあとに洋楽隊の演奏と共にパレードを行い、耀国公民の前に現れ、王位を継いだことを示す。
職位の後日、継承順位一位の者に対して王世子位を叙位する。

王位継承順位

王位は、王室規則の定めるところにより男系主義をとっている。男子王族を優先として男子継承者がいなくなった場合、生まれながらの女子王族である翁主にも継承権がある。嫁入りによって王族となった妃には王位継承権がない。

順位名前称号性別続柄
第1位德漢亘王世子德漢詔の長男。
第2位德宏昌德新漢の弟。
第3位德博山德新漢の弟。
第4位德岸博德漢詔の弟、德新漢の三男。
第5位德岸英公子德岸博の長男。
第6位德英斗公孫德岸英の長男。
第7位德漢斗公孫德岸英の次男。
第8位德由紀恵德漢亘の長女。
第9位德英子德岸英の長女。

王の墓と葬儀

王室規則により、王室の墓は(ぼ/はか)と呼ぶことが定められている。王国時代には王の墓を「陵」と呼んだ。王が逝去することを薨去といい、王の墓は王国時代から続く葬制を基本として行われる。王の葬儀は、「葬礼」と呼ぶ。王が薨去すると、まず初めに平原宮の宮司によって招魂祭が行われる。ここでは、宮司が死者の服を掴みながら「おお、某(死者の名)の御霊よ帰り来たれ」と唱え、魂を呼び戻す。これを三日三晩行い、魂が戻らない場合、遷霊祭が行われ、霊は亡骸から神璽(しんじ)へと移される。遷霊祭の翌日、葬儀にあたる葬場祭を行い、由緒物とともに納棺、火葬場まで葬列をつくり、葬送歌を歌いながら運び、火葬祭によって火葬される。王国時代は骨になるまで放置(風葬及び洗骨葬)したが、衛生上の理由から德漢興の代からは行われず、火葬祭を行うようになった。火葬された遺骨は骨壷に納められ、火葬場から霊柩車に乗せられ、喪服である白色無地の耀服を着用した関係者らで葬列を組み、歴代の王、王妃など王族の遺骨が納められる宗廟の北平御玉墓地(王国時代は御玉陵)まで運ばれる。また、王族のうち代表者(主に王世子)が弔辞を述べ、拝礼、耀国総督や瑞穂国閣僚がそれに続いて拝礼し、平原宮宮司による納骨祭を行う。北平御玉墓地は石造で部屋が設けられており、石室には歴代王の骨壷が収められている。納められた後、王は祖先神として北平御玉墓地で祭られる。また、6ヶ月間服喪期間を設ける。他の王族の場合も手順は同じだが、規模が小さくなる。

耀王室の葬送歌
アア
この人生一場春夢
遅かれ早かれ皆同じ
昨夜は同じく人たるも
今宵は鬼録に登るもの
魂気散じて何くに之くか
枯形を空木(からき)に寄せさせて
嬌児(きょうじ)は父を求めて啼き
友は我を撫して哭す
アア
足を行く
いざ送らばや

王一覧

王国時代の国王は「耀王国時代の歴代国王」を参照。耀王の姓はであり、通り字は(高祖・德漢に由来する。)であるが、王国時代3、8、9、10代の王は漢を称していない。また、伝統的にはでは漢の読みは「かん」であるが、近年になって読みを「あや」とする場合もある。

称号氏名諡号備考
耀王として王として
112光大宮耀王德漢興平王耀王国11代目国王で、初代耀王。耀国総督・元老院議官も務めた。1866年国王即位、1880年国王退位、1880年北平公叙位、1880年職位。1934年薨去(享年83歳)。
213慶安宮耀王德漢学康王耀国総督・元老院議官も務めた。1881年誕生、1934年職位。1962年薨去(享年82歳)。
314光大宮耀王德新漢祺王政治家で元老院議官も務めた。1922年誕生、1962年職位。2000年薨去(享年78歳)。
415光大宮耀王德漢詔(諡号なし)耀王現当主。2009年まで軍人で最終階級は空軍中将。2010年から元老院議官に勅任され、現在は信京府の穂郷宮に在住。徳新漢の次男(長男は夭折)。1956年誕生、2000年職位。

関連項目

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*1 王室の家系図である王譜では、德漢の父、北平国北平王 德贏(とくえい)が家祖とされている。
*2 武王が耀王国国王=大耀国北平王に即位した年
*3 この身分になった王族はまだ一人もいない。