戦争編(せんそうへん)

Last-modified: 2019-08-20 (火) 16:05:43

 『2』裏サクセス。試合も練習もない野球要素を取っ払った今日における裏サクセスの先駆け。『2』時点ではおまけ扱いでタイトルが「サクセス戦争編」で『1・2』で裏サクセスに変更されタイトルも「戦争編」に変更された。
 このサクセスのイベントほぼ全ては西川直樹による制作であることが明らかにされている*1

 主人公は表サクセスと同一人物の主人公(2)。キャストも2の登場人物達が務める。
 物語は、第二次世界大戦の世界にタイムスリップした主人公(2)が補給部隊隊員として、戦場に送られる。だが実は夢オチで、2終了時のモグラーズ解散パーティーの中で「戦争もののコント」をしたことが原因で主人公(2)が見た夢の中の物語。
 ただし、完走しきった場合夢から覚める場面が描写されることなくエンディングが始まり、そのままサクセスが終了する。

 

 夢の中で主人公は補給部隊の隊員として、北へ南へと戦線を奔走する。40週生き延びればクリアで生還でき、最大200週までプレイ可能。しかし途中、マラリア、赤痢にかかったり、艦が魚雷で沈められたり・・・etc、戦中の日本軍の悲惨さ、理不尽さを再現した非常に運要素の強いゲームなので200週まで生き延びることは相当難しい。
 このようなゲームデザインになった理由として西川は「映画か何かを見て腹立ったことがあるんです。取ってつけたように戦争はいけませんよ、というような教訓話で。『戦争はそんなもんちゃうやろ! よし、俺が戦争のツラさを教えちゃる!』と。」*2との発言をしており、意図的に史実の厳しさを再現している。

 

 パワポケ2を手がけたスタッフ達の間でも「まともに200週をクリアした人は指で数えられるぐらいの人数」という話があり、ソースが明らかになっている分では、藤岡謙治は200週クリアできず*3、新紀元社パワポケ大全編集部の場合200週生還率は100名に2名の2%だったと書かれている*4

 これは藤岡が本家パワプロ5のスタッフだったころに考えたが没になった企画らしい*5

登場キャラ Edit

  • 荒井金男・荒井銀次・荒井晴男
    主人公と同じ補給部隊隊員。だいたいの行動は主人公が迷惑する。
  • アルベルト
    敵軍の兵士、何度も捕虜になっては脱走する。
  • 凡田大介
    主人公と同じ補給部隊隊員、階級は二等兵。100週生存の際、深いセリフを言う。
  • 古沢小一郎
    主人公の部隊の隊長、階級は軍曹。
  • 倉刈仁志
    主人公と同じ補給部隊隊員。
  • どみお
    主人公と同じ補給部隊隊員。敵軍にいたほうが似合うが仲間である。
  • 畑山憲男
    海軍航空隊のパイロット、何度も撃墜されては主人公たちに救助される。
  • 水木卓
    戦車兵(戦車長)、出てくるたびに車両を失う。
  • 任月高志
    西方戦線の参謀長。無茶苦茶な言動で軍を振り回す。
  • 任月駆
    大本営に勤務する少佐。
  • 野々村耕造
    北方戦線の駐屯部隊隊長。
  • 磯田修一
    南方戦線で指揮を取る曹長。
  • 曽根村
    敵軍の指揮官。
  • 槌田
    敵軍の兵士。曽根村の部下の将校。
  • 竹中昇
    敵軍の兵士。曽根村の指揮下で命令を実行する。
  • ダイジョーブ博士
    ダイジョーブ島で生物兵器の研究をしている。

設定・イベントのベースとなった史実 Edit

  • サクセス全体の難易度設定
     日本軍の戦没者のうち戦死と推定されているのは戦没軍人約230万人のうち約4割。残りは戦病死・餓死によって構成されていると推測されている*6
     この戦闘以外で死ぬケースが多い点をバッドステータスの病気で再現しているため運要素の高いサクセスになっている。
     また、生還率が一桁になるのも史実通りであり、例として東部ニューギニア戦線に派遣された将兵の帰還率は約14万人中の約1万人=約7%という例がある*7
  • 人物
    • 任月高志
       言動全て日本陸軍中将「牟田口廉也」。「毎日定時で仕事を上がり、料亭で芸者遊び」「失敗の責任を全部部下に押し付ける」「『北方撤退路の視察』と称し敵前逃亡」と多彩な無能エピソードを持つ*8*9
       任月のエピソードは全て第15軍司令官時代の牟田口のものと一致しており、完全に単独モデルであることが推測可能。
    • 曽根村
      • 見た目
         米陸軍元帥「ダグラス・マッカーサー」。コーンパイプ愛用者として有名で、サングラスをかけコーンパイプをくわえた姿は誰もが一度は見たことがあるはず。
      • 役割
         英陸軍准将「オード・ウィンゲート」(Orde Wingate)。英陸軍第77インド旅団「チンディット」を指揮、航空補給(輸送機から物資をパラシュートで投下して補給する)を活用し日本軍の戦線後方に浸透。橋を壊したり補給部隊を襲撃したりして日本軍を悩ませた。
  • 戦線
    • 北方戦線
       満州国(現:中国東北部+華北地方の一部)と北支戦線(現:華北地方)。占領地なので比較的安全と言われるが実際は戦闘が絶えない描写は実際の北支戦線でも同じである。
    • 西方戦線
       ビルマ(現:ミャンマー)戦線。前述の通り牟田口のエピソードとインパールの顛末が完全にそのままなので推測は容易。
    • 南方戦線
       「南洋群島」(現:北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦)やニューギニア、フィリピン。
       赤痢、マラリア、ペスト、黄熱病など病気の危険に満ちているが、これも実際の戦線でも共通していた。
  • イベント
    • 西方の攻勢作戦
       「ウ号作戦」、所謂「インパール作戦」。
       開戦当初は南方軍*10が連合軍の反撃拠点かつ中国国民党支援ルートの拠点だったインド北東部・インパールを制圧しようと立案(二十一号作戦)。これは許可されなかった*11が、戦況が悪化してから博打的な戦局打開策として中途案(武号作戦)を経て、第15軍*12司令の牟田口の要求からウ号作戦が認可された。
       インパールに辿り着くには、チンドウィン川(川幅が600mはある大河)を渡り、アラカン山脈(2000m級の山が連なる)を越えなければならず、現地部隊や参謀は揃って作戦に反対していた。だが、戦局悪化に対抗しうる大戦果を望む南方軍とビルマ方面軍の意向による後押しや、第15軍司令となった牟田口の「熱意」*13といった要素から作戦は強行された*14*15
       結果、元から物資不足な上に後述の「ジンギスカン作戦」のミスや極端な悪路による補給の途絶で作戦は大失敗。撤退中に数多の将兵が次々と病死・餓死していった。その死体がジャングル内に連なる無残な有様は「白骨街道」と言われ、日本軍の悲惨な作戦の中でも特に悲惨な一つとして有名になっている。
  • 「トンカツ作戦」
     「ジンギスカン作戦」。このジンギスカンは食べ物ではなくモンゴルの「チンギス・ハーン」のほうで、モンゴル騎馬兵に倣った命名。
     現地で水牛や山羊、驢馬など家畜を徴発、それに物資運びをさせ、運搬に使えなくなったら食料にしようという計画。実際はチンドウィン川で物資を積んだまま流されたり、攻撃の音に驚いて物資を積んだまま何処かに逃げたりと余計に消耗。無事生き残った家畜もエサ不足や悪環境で早々に倒れ計画は破綻。結果、現地将兵は極度の物資不足に苦しむことになる*16
  • ヤマイモを木の根っこと間違えるアルベルト
     「木の根を食べさせたと誤解されて訴えられた」とされる証言は複数の例があるが、事実と確認できるものは「直江津捕虜収容所事件」が一番有名か。
     この事件はオーストラリア人捕虜に対する虐待事件として戦後看守などが訴えられたもので、訴因の一つに「木の根を食べさせた」ということが含まれていた。実際はゴボウを利用した料理を誤解されたとされている。
    ただし、あくまで捕虜の大量死が虐待によるものであるという告発とその裁判であり、ゴボウは主因ではなくあくまで一項目に過ぎない。
     この事件については政府答弁にもなっているが、この時点で既に伝聞情報となっている*17。このため、実際に訴因となったのか、また判決に影響したのかは不明。
     他の国会答弁の例としては前述の政府答弁のほかに日本社会党の質問にも残されているが、政府答弁のものとは量刑が違う。この時点で伝聞だったために量刑が違うのか、それとも二つが別の事案であったのかは不明*18
     同様に訴因として採用されたという証言が残るのは大船収容所の例で、虐待事案の証人として横浜軍事法廷に呼ばれた人物の家族の証言が残されている*19
  • 任月参謀長の描かれたお札
     「軍用手票(略して軍票)」と呼ばれる臨時の貨幣・手形のこと。
     物資徴発の対価や雇用時の給与など現金を支払う場合に本国貨幣の代わりに軍票で支払い、後日に軍票相当額の現金と引き換えなければいけない証券であった。ただし、敗戦国の軍票は戦勝国が敗戦国(占領地)の破綻を防ぐなどの目的から、敗戦国の債権支払義務を放棄させる事例もあり、事実上紙屑と化すこともある。実際に日本軍のものはインフレによる紙屑化を経験している。また、国外の軍票はサンフランシスコ講和条約によって賠償請求権が放棄されたことで請求権そのものが消滅している。
     中央政府ではなく現地軍が発行する事例も複数あり、必ずしも政府中央が発行したものとは限らない。ただし、実際にビルマ方面で流通した軍票は四種類ある*20が、どれも南方軍発行のものではない*21。また、軍人の肖像画が使われた日本軍の軍票は存在しない。
  • 任月参謀長が作戦会議で情けない顔
     牟田口中将と河辺中将の対談が元ネタ。インパール作戦が進み日本軍が劣勢になってさすがの牟田口も作戦は失敗だった事は薄々気づいていたが撤退を言い出せなかった。
  • てつウシシリーズ*22
    • 1-4号
       日本陸軍「九七式中戦車 チハ」。チハの意味は「中戦車のチ+イロハのハ」、1937年制式化。
       短砲身57mm砲を持った戦車で装甲は薄く、対戦車戦ではほぼ活躍できなかった。これは元々の設計思想が「陣地を攻略する歩兵を支援する車両」であり、対戦車火器を持たない歩兵ではなく巨大な砲と厚い装甲を持った戦車同士の撃ち合いをメインとして想定していなかったためである*23
    • 5号
       日本陸軍「九七式中戦車 チハ(新砲塔)」。
       戦車同士の撃ち合いという状況に対応して短砲身57mm砲を長砲身47mm砲に換装。「細くて長いほうが強い*24」が、敵のほうが「太くて長い*25」状況は変わらなかった。
    • 6号以降
       日本陸軍「九五式軽戦車 ハ号」。ハ号の意味は「秘匿名称ハ号」から。1935年制式化。
       「小さくなった分速度が速い」が装甲も薄い。砲も37mmと更に細くなっている。これはそもそも軽戦車自体が戦車戦で殴りあうことを目的とした車両ではなく、偵察など別の用途が主目的であったことによる。ただし末期日本軍では装甲車両がこれでもあるだけマシという非常に寒い状況であった。
  • パイロット(畑山)「いつまでたってもマイナーチェンジの繰り返し」
     日本海軍「零式艦上戦闘機」のこと。1940年に制式採用されてから終戦まで零式艦上戦闘機がモデルチェンジによって終戦まで海軍の主力を勤めた。これは後継機であった「烈風」の量産が終戦に間に合わなかった影響もある*26
     一方で米軍は艦上戦闘機を1941年から45年の間にF4FからF6Fへ更新、更にその次の更新計画もあった(終戦で取りやめ)。
  • 荒井三兄弟、銃を暴発させる
     当時の日本陸軍の小銃は三八式歩兵銃(6.5mm)と九九式短小銃(7.7mm)の2種類が混在しており、両者で互換性が無かったことに起因する補給の混乱。
     実際に補給のときに九九式を装備する部隊に三八式の弾が届いたりする事例もあった。
  • ラジオの戦果発表*27
     いわゆる「大本営発表」で、開戦当初は陸軍部と海軍部で分かれて発表していたが、1942年から陸軍部と海軍部の区別がなくなった。
     現在は比喩表現として「嘘の公式発表」という意味合いを持たされるが、戦争初期のものは戦果については把握ミスはあっても概ね事実であった*28
     ゲーム内では101週を境目にして凡田が信じるか信じないかが変わるが、虚偽発表自体は100週よりはるか前に始まっている*29
     また、凡田のように虚偽に気付いていた者は当時も一般国民レベルでも多数存在しており、後年の証言の形でその旨を残していたり*30、当時の日記に記載されていたりしている*31
  • 北方戦線から南方or西方戦線に強制配置転換
     当時の満州や北支は戦闘の少ない後方地域であったため、使える戦力がどんどん別の場所に転用されていき、逆に戦闘で消耗した部隊を回復させるための場所になっていた。そのため関東軍は日を追うごとに弱体化していった。
     ただしこの話は関東軍や支那戦線、あるいは日本軍だけの話ではなく、古今東西様々な国で前線ではない地域で補充を行った部隊を随時前線に回したり、後方地域の主力軍を現在の前線に転用した例は存在する。
  • 150週目の決戦
     フィリピンで起こった「レイテ島の戦い」。
     そもそも日本陸軍は隣のルソン島で戦う準備をしていたが、「台湾沖航空戦」(米機動艦隊と日本海軍航空隊の戦闘)で「米機動艦隊相手に大戦果」という報告を信じ方針を転換。レイテ島に戦力を移そうとした時に、壊滅したはずの艦隊に襲われ大きな被害を蒙った。実は台湾沖航空戦の報告は大誤報で、米機動艦隊は健在だった*32。イベント中の輸送艦襲撃と爆撃イベントはこの再現。
     イベントでは決戦前の配備地に戻って戦争は続くという体裁を取っているが、実際はそのまま「比島決戦」と称して大規模な戦闘が行われている*33
  • 199週目の敵軍
     「ソ連軍の満州侵入」。
     「地球の裏側で戦っていた味方」=ナチス・ドイツが5月に降伏し、西側の敵がいなくなったことで東の敵との戦い=対日戦が可能になり、3ヵ月後の8月に侵入を開始。戦力の引き抜きで弱りきった関東軍は抵抗すら難しかった。
  • 「緑色の変な戦車」
     おそらくIS-2重戦車。厚い装甲鈑の車体に122mm砲を搭載するなど米軍のM4中戦車ですら比較にならない強さ。最早てつウシ(九七式中戦車)は射撃の的にしかならなかった。
     同時期の満州にはほかにも重装甲の戦闘車両としてIS-3やISU-122,ISU-152等がいるが、IS-3は戦闘を経験しておらず*34、IS-3の可能性は薄い。台詞の「戦車」の意味が「最も狭義の『戦車』」*35であればISU-122,152は除外される*36
     T-34中戦車が最狭義でも可能性が残るが、台詞で「変な」という指定があることを鑑みると、T-34は独ソ両国の報道で頻出する車両であった点から「変」とならない可能性はある、となり可能性は低いと言える。

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  • 悲惨ですね。新しいハードでも出して欲しいな。 -- 2013-12-11 (水) 23:47:11
  • ツキが高い状態を保てられれば、200週生存はそこまで難しくはないと思う -- 2013-12-14 (土) 00:13:10
  • ピッチャーなら回復○取れば少し楽になる -- 2014-08-13 (水) 15:59:55
  • 「帰還」コマンドでクリア→夢だったことになる  200週クリア→タイムスリップしていたことになる なんじゃないかな? -- 2015-12-31 (木) 14:11:5415:35:18};
  • >122mm砲を搭載するなど米軍のM4中戦車ですら比較にならない強さ 比較にならないというか、野球で言うとメジャーリーグ中堅と中学生代表くらいの差なんで・・・ まぁ重いほうは重いほうで、重さの問題で遅い、燃費が悪い、橋が渡れないとかあったけどね(後は砲弾が重くて1分でせいぜい1発くらいしか撃てないとか)  ちなみにM4は甲子園出場常連校くらい、だろうか -- 2016-05-04 (水) 05:19:46
  • 帰還コマンドで夢だけど解散仮装パーティーで兵隊格好のみんなと会う。200週で敗戦登場人物とと敵味方仲良く野球エンドやぞ -- 2018-11-08 (木) 13:23:32
  • GBA版は投手で回復◯とっても回復量は変わらない -- 2019-01-27 (日) 17:39:34
  • GBA版は呪い島も運ゲーの傾向が強くなるから、さらに厳しいのよね… -- 2019-04-01 (月) 16:56:22
  • ↑しかし4つのうち3つに爆弾、なんていう超絶運ゲーはなくなっているからそこはマシ -- 2019-04-06 (土) 19:13:44
  • GB版はマジで鬼畜 -- 2019-08-18 (日) 19:42:39

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*1 『パワプロクンポケット1・2公式ガイドコンプリートエディション』(コナミデジタルエンタテインメント、2004)P.289
*2 『パワプロクンポケット1・2公式ガイドコンプリートエディション』(コナミデジタルエンタテインメント、2004)P.289
*3 「パワプロクンポケット音楽館」付属ライナーノーツ P5
*4 『パワプロクンポケット大全』(新紀元社、2003)P.111
*5 『パワプロクンポケット大全』(新紀元社、2003)P.14、倉西誠一『KARAREMICHi BLOG 【34時間連続更新】全米が泣いた!そして、大阪は笑った!「パワプロクンポケット」第8回』(「電撃パワプロ2006」(メディアワークス、2006)収録の対談記事再掲)
*6 公的データは現在も存在しない。歴史学者による研究で集計されたものである。藤原彰『餓死した英霊たち』(ちくま学芸文庫、2018)参照。
*7 菅野茂『7%の運命 東部ニューギニア戦線密林からの生還』(光人社NF文庫、2005)参照。
*8 概ね高木俊朗の「インパール五部作」と呼ばれる著作群『インパール』『抗命 インパール2』『全滅 インパール3』『憤死 インパール4』『戦死 インパール牽制作戦』に記載されている。ジャンルこそ小説ではあるが、高木の取材過程で記録した証言群を反映しており信憑性は高い。
*9 近年の伝記として広中一成『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたか』(星海社新書、2018)があるが、広中の記述は信頼性が低い。この点に付いてはweb記事になっており、石動竜仁「「愚将」牟田口廉也中将の遊興逸話の真偽」が詳しい
*10 南方方面=東南アジアの全ての統括を担当していた「総軍」単位の組織、戦闘単位では一番上
*11 実は前述の牟田口(この時第18師団長)すらも「補給が成り立たない」と却下の要請を送っている
*12 ビルマを担当する「軍」単位の組織。序列的には「南方軍>ビルマ方面軍>第15軍」で、軍の下に師団が配置される
*13 河辺正三ビルマ方面軍司令が「かねてより牟田口が熱意を持って推進してきた作戦なのでぜひやらせてやりたい」と言い出すなど、本当に「やる気」という理屈がこの時の日本軍に大きな影響を与えていた
*14 実際はさらに複数の事情が絡んでくるが、余りにもややこしく、全てを説明しようとすると本wikiの趣旨から明らかに外れるため更なる詳細は各種書籍資料やNHK戦争証言アーカイブス等の信用できる資料を確認のこと。本wikiでの記述は一面を極度に単純化したものである。また、ネット上の情報には出典資料の不足などによる信用度の劣る記述が非常に多いため注意。
*15 大枠を掴む第一歩としては高木俊朗の「インパール五部作」と呼ばれる著作群『インパール』『抗命 インパール2』『全滅 インパール3』『憤死 インパール4』『戦死 インパール牽制作戦』(全て文春文庫)やNHK取材班編『太平洋戦争日本の敗因(4) 責任なき戦場インパール』(角川文庫、1995)等が挙げられる。
*16 しかも元々物資が足りていない。作戦の前提として「糧秣は敵に拠る」という前提が立てられていた
*17 昭和27年12月10日第15回国会 法務委員会第4号、斎藤三郎法務局保護局長「裁判のときには相当国情が違い、日本の事情を知らない人が裁判をしたため不当と言えば不当と言える裁判があるのだ。一例としては、俘虜収容所の所員が、終戦真際食糧が非常に不足している。併しこれに対してできるだけいい食物を与えたいというのでごぼうを買つて来て食わした。その当時ごぼうというのは我々はとても食えなかつたのだ。我々はもう大豆を二日も三日も続けて食うというような時代で、ごぼうなんてものはなかなか貴重品であつた。そのごぼうを食わしたところが、それが乾パン代りに木の根を食わして虐待したというので、五年の刑を受けたという、こういう例もあるのだという話をしましたが、これはそういうようなことが本当ならばそれは自分たちも赦免を考える。」
*18 昭和28年7月2日第16回国会 厚生委員会第7号、藤原道子日本社会党議員「私余り一人で時間をとると思つて遠慮して質問を内輪にしておいたのですが、巣鴨の戦犯の問題が出て来たので私も一言したいのです。政府は弱いのですよ、負けた国だけ戦犯があつて勝つた国に戦犯が一人もないという馬鹿気た話はない、本当から言えば今度の国際裁判は根本的には問題がある。一番の戦犯は原子爆弾を落したアメリカにこそあると思うのです。だのに外務省は非常に弱腰ですよ。本当にもつと毅然とした態度をとつてくれなければ、ごぼうを食べさしたものを木の根を食べさせたのだということで二十五年の禁錮を受けておるというような馬鹿気た裁判を受けておるのですから、もつともつとこれは毅然たる態度で交渉しなければいかんと思うのです。一つ強くなつて下さい、このことを私は強く要望いたします」
*19 POW研究会、2015年12月6日~14日日本政府招聘によるアメリカ人元捕虜第2陣の訪日記録内「12月7日:大船収容所跡地訪問記録(pdfファイル、直リンク不可)」、高梨証言「また父は戦後横浜裁判の証人として法廷に行った。捕虜に木の根を食べさせたと非難されたが、それはゴボウだった。」
*20 英領マレーから転用した海峡ドル単位の「大東亜戦争軍票に号券」、ルピー単位の「大東亜戦争軍票へ号券」、ルピー単位の「南方開発銀行券」、チャット単位の「ビルマ国立銀行券」
*21 大東亜戦争軍票二種類は日本政府、南方開発金庫券とビルマ国立銀行券は文字通り軍外の組織
*22 参考資料:学研(編)『歴史群像太平洋戦史シリーズ(25) 陸軍機甲部隊 激動の時代を駆け抜けた日本戦車興亡史』(学研、2000) 
*23 設計時点では世界基準で見てもこの思想は問題ではなく、完成後に戦車の役割自体が大きく変化してしまったケースである
*24 弾のサイズが小さくても弾速が速くなれば威力は上がる
*25 主敵である米軍M4中戦車は75mmか76mmを積んでいるが、どちらにせよ新砲塔チハより威力が大きい
*26 参考資料:『歴史群像シリーズ 零戦パーフェクトガイド』(学研、2003) 
*27 参考資料:辻田真佐憲『大本営発表 改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』(幻冬舎新書、2016) 
*28 プロパガンダとしてはその前から虚偽、あるいは隠蔽が存在している。典型例は「九軍神」で捕虜になった一人の存在を隠している。あくまで「戦果」についてのみ概ね正確であった。
*29 意図的に誇張された戦果が入り始めたのは1942年5月4-8日の珊瑚海海戦に関する発表からであり、開戦から半年後のこと。ゲーム内換算で25週目前後でもう嘘をついていることになる。
*30 一例として当時国民学校生徒だった秦郁彦がいる。秦郁彦『実証史学への道 歴史家の回想』(中央公論新社、2018)参照。
*31 有名な例としては清沢洌『暗黒日記』(ちくま学芸文庫、2002)を参照。暗黒日記は全体的に時勢に懐疑の目線を向けている。
*32 誤報の原因として航空隊の錬度低下による戦果の誤認や重複カウントが発生し、その報告を受けた上官が検討不足や楽観視によって水増しされた数字をスルー。結果事実と大きく異なる数字が公式発表された。
*33 レイテ戦の顛末は大岡昇平『レイテ戦記』(中央公論新社、2018)に詳しい。著者によって小説という分類になっているが、取材に裏付けられた記述が行われており信頼性は十分に高い。
*34 第一極東戦線に配備が確認されているが交戦記録が無い
*35 最も広義=一般的用法であれば「戦う車」なら何でも戦車。多少狭めた場合「使ってる組織が戦車と名乗れば戦車、それ以外ならそれ以外」で、最も狭義なら「回転式砲塔に砲を装備し、足回りが無限軌道で、重装甲を持つ戦闘車両」となる。
*36 砲郭式で回転砲塔を持たず、分類上自走砲になるため。