:――――黎明前までは

Last-modified: 2016-11-10 (木) 22:26:56

※この怪文書について
 関ケ原までのストーリーのネタバレだよ。
 気をつけてね。
 関ケ原突破する前に書いたよ。だから、突破してる人が読んだらそこかしこに違和感があるかも。
 気にしないでね。
 途中まで『――――未明までの』と一字一句同じだよ。むこうを先に読んだほうが何となく収まりがいいかも。
 大体90行くらい同じだから、明らかに違う箇所が出てくるまで適当に読み飛ばしてね。

 
 
 
 

   ――――黎明前までは

 
 
 
 

 逢魔刻。
 関ヶ原、十九女池。
 日の沈んだ空は仄暗い群青色の光りを湛え、遠くの山は黒い影で塗りつぶされている。丸い月が、黒々とした山の向こうから浮かび上がろうとしていた。
 夜へと翳り行く関ヶ原の地で、巫術呪いの光が瞬き、いくつかの人影が動いて、剣戟を響かせ、交差して、ほつれ、人影が消えていく。
 一つの人影が地に膝を着いて、十九女池はまた静かな夜の闇に包み込まれた。
「はぁ……っく、はぁ……」
 地に膝を着いた人影が、荒い呼吸を必死に整えている。
 人影は逢魔時退魔学園の生徒を示す着物をきていた。
 闇の中にぼんやりと沈む桃色縞模様の着物、土で汚れた朱色の袴。
 膝を着きながらも前を見詰める強い眼差し。
「私は……まだ……!」
 とこよが、荒い息を吐きながら必死に立ち上がろうとしていた。
 その周囲に姿を維持している式姫は一人も居ない。夜の地面に、力尽きた式姫達の型紙がぽつりぽつりと落ちていた。
 全滅だった。
 とこよは再び立ち上がろうとしていて、だが、膝が地面から離れることはなく、前を見詰め続ける。
「……終わりね」
 淡々とした声が、とこよの見詰める視線の先から聞こえてくる。
 闇の中にぼやけて見える東雲色の着物、丈の短い女袴。青空の下では日の光に輝いていた山吹色の長い髪が、今は夜の闇にくすんでいる。月を背後にして影で覆われたその顔に表情は無い。
 表情の無い顔で、土御門澄姫が地に膝を着くとこよを冷たく見つめていた。
「終わりよ。とこよ、あなたの負け」
 澄姫は淡々と告げる。
「あなたはここで、私に殺される。そして私はあなたの力を――」
 ふいに澄姫が、視線を周囲に鋭く走らせ、叫ぶ。
「――させないわよ!」
 瞬間、澄姫から発せられた術の気配があたりに広がって、それから、夜の静けさが関ケ原の地に横たわる。
「……方位師が転移の術であなたを帰還させようとしたみたいね。でも、遮断させてもらったわ。もう方位師からはこっちの様子を見ることもできないし、会話を聞くこともできない」
 とこよは地に着いた膝を上げられないまま。
 俯き、土を握り締める。
「どうして……」
 澄姫がゆっくりと歩き出す。
「だからもう、あなたは私に殺されるしかない」
 膝を着いているとこよのすぐ目の前で、澄姫は、足を止める。
「どうして、澄姫……どうして……」
 俯いたままのとこよを見下ろして、淡々と告げる。
「それじゃあ殺すわね」
 とこよが、ばっと顔を上げる。
 瞳に涙を溢れさせ、立ち上がることもできないまま、叫ぶ。
「どうしてなの! 澄姫!」
 澄姫は両膝を地に着けて、とこよと目線の高さを合わせる。
「最期は私の手で直接殺させてちょうだいね」
 澄姫が両手でとこよの頬を包んだ。
 とこよはぼろぼろと涙をこぼしながら、同じ高さになった澄姫の顔を間近から真っ直ぐに見詰め続ける。
「やだよ……。こんなの、絶対に嫌だ!」
 澄姫の両手を掴んで、真っ直ぐに、澄姫の瞳を見詰める。
「嫌だろうと関係ないわ。あなたは私に負けて、だから私に殺される。それだけのことよ」
 澄姫の瞳が揺れることは無く、涙をこぼすとこよの顔をただ仄暗く映していた。
 視線は交差しぶつかっているようで、しかし、言葉は交わらずにすれ違って。
 頬に触れていた手を、澄姫が、とこよの喉元へと這わせ――
 ――突き上げるように、絞め上げた。
「ぐっ、ぅ……っ!」
 とこよが澄姫の手首を強く握り締める。
 掴み、握り締め、腕が震えるほどに力を込め、首から引き剥がそうとする。
 だが、もう体力を消耗しきっているのか、あるいは、澄姫の力がそれほどまでに圧倒的なものなのか。
 とこよの手は澄姫の手首を強く握りしめただけで、それ以上動かない。
「ぅ……ぐ……」
「…………」
 澄姫が無言で手の平に力を込め続け、次第に、とこよの目から焦点が失われていく。
「ぜ、……ば、……で、ぁ……ぅ、……ぁ」
 焦点の定まらない目で絞り出した声にならない声を、(ぜったいに化けて出てやるから、か……。) 澄姫はその唇の動きから読み取って、答える。
「うん、化けて出て。そして、私に――」
 憑りついて。と、澄姫が言い切る前にもう、とこよは事切れていた。
 とこよが事切れて、それでも尚、澄姫は首を絞め続ける。
 とこよの顔色はとうの昔に蒼白になっていて血の気は全く失われていたが、それでも澄姫は首を絞め続ける。
 かなりの時間が経った。
 夜の帳はとっくに下りきっていて、あたりは冷えた夜気に包み込まれていて、丸い月の白々とした光が星の瞬きを霞ませ消していた。
 澄姫が、とこよの首から手を離す。
 とこよの体が背中から倒れ、どさりと音をたてた。
 だが、とこよの手は澄姫の手首を掴んだまま離れていない。
 事切れたとこよの手が、澄姫の手首を力一杯握りしめたまま。離れていなかった。
 澄姫が声にならない悲鳴を上げる。
 身を固くして、倒れたとこよを凝視する。しかし、いつまで経ってもとこよの体が起き上がってくる気配はない。
 動かないとこよを見つめるうち、澄姫は落ち着きを取り戻す。
 手首を握り締められたまま、倒れているとこよの口元を手の平で覆う。
 呼吸はない。鼻で息をしてもいなかった。
 今度は首筋に触れる。脈も無い。
 とこよは確かに死んでいる。
 死んだまま、手首を握り締め続けている。
 そう確認して、澄姫はとこよの腕に触れる。とこよの筋肉は硬直しきっていて、触れた澄姫の指を石のように冷たくはね返した。
 手に力を込めすぎて、そのまま握り締める筋肉が硬直してしまったのだろう。
 澄姫はぶんぶんと腕を振った。だが、とこよの手は振りほどけなかった。
「……死力を出し尽くしたって、……ところ、かしら」
 声が、震えていた。
「……本当に化け、て」
 震える声を、
「……あやかしに、でも」
 無理やり抑え付けようとしながら、
「……なったの、かと、思った、わよ」
 抑え切れず、
「無様、ね」
 澄姫はゆっくりと大きく息を吐く。
 震える息をゆっくりと吐き出して、全ての息を吐き尽くして、それからまたゆっくりと息を吸って。
 それを何度か繰り返した。
「死んでも離さないなんて、嬉しくて泣きそうだわ」
 震えなくなった声で言ってから、硬直したとこよの手に触れる。
 そして、握り締められた指を一本ずつこじ開けるように剥ぎ取っていく。
 一本、また一本と剥ぎ取って、そうしてようやく澄姫はとこよの手を腕から引き離した。
「うわっ、すごい痣が……。まったく、どれだけ馬鹿力なのよ」
 大げさにため息を吐いてみせて、澄姫は手首をさする。手首についた指の痕をじっと見つめて、自らの指を重ねる。
「……どうせすぐ消えちゃうわよね」
 澄姫は手首から視線を上げ、地面に横たわるとこよの顔に手を伸ばし、その死顔を整えた。手が少し震えていた。
「さてと、私はこれからこの子の力を奪うとするわ。その間、少し一人にしてちょうだい」
 そう言って返事も待たず自分の式姫達を型紙へと戻していく。
 方位師の術も遮ったままだった。
 もう、他には誰もいない。
 澄姫は完全に一人きりになった。
「……二人きりね。まあ、あなたは死んでるけど」
 澄姫が、とこよの死体をそっと抱き起こした。
 肩に手を回し、力なく垂れる頭を腕で支えて。座ったまま眠ってしまったとこよが澄姫の腕の中に身を預けているかのようだった。
 澄姫はとこよの死顔を見つめて語りかける。
「……こうして二人きりになったのはいつ以来かしらね」
 一人、語りかけながら、澄姫は何かの術を発動する。
 とこよの体から目に見えない力の奔流が溢れ出し、澄姫の中へと流れ込んでいく。
 ゆっくりと、ゆっくりと、流れ込んでいく。
「……まあ、二人きりになったとしてもゆっくり話しをする事なんてなかったわね、私達。……いつも張り合って、まあ、あなたはそうでもなかったかもしれないけど、私はあなたと張り合っていたから。……もし、ゆっくり話をするなんてことがあればどんな話をしていたのかしら。……いえ、そんなのやっぱり私達らしくないわよね。……私達はお互いに陰陽師なんだから。お互いに陰陽師としての成長を目指して……お互いに…………。……まあ、でも。本当は、ただの友人として、一緒に出かけたり、一緒に遊んだりって、そういうことをしてみたいと、少しは思ったりしないこともなかったわよ。少しだけ。本当に少しだけだけど……。本当に……」
 夜空に浮かぶ白い月が、関ケ原の荒れ野を、十九女池の辺を、澄姫を、淡く照らしている。
「……本当に、本当は、もっとあなたと話しをしたかった。もっとあなたの近くにいたかった。もっとあなたと一緒に歩いていたかった。あなたとあの方位師が一緒に住んでるって知って、悔しかったのよ? 私。あなたを取られたみたいで悔しかったの。笑っちゃうでしょ? 私のほうがずっと昔からあなたの近くにいたのにって、私のほうがずっとあなたを知っているのにって、そう思うと、あなたとあの子が一緒にいる姿を見るのが悔しくて、私よりもあの方位師があなたの近くにいることが悔しくて、……ううん、本当は悔しいだけじゃないのよね……それよりもずっと、羨ましかった……そう……だから、私は……あなたのことが、本当に、大好きだったみたいなの……」
 澄姫の瞳から一粒の雫がこぼれた。こぼれた雫が一筋の跡を残し、頬を伝っていった。
「本当よ……本当に……とこよ……あなたは……私の……一番の……友人…………だったんだから…………」
 風が吹いて、澄姫が月明かりに濡れた瞼を閉じた。
 荒れ野の草がさらさらとかすかな音をたてていた。
 十九女池の水面が少しだけ揺れて。
 やがて、風は止む。
 あたりには静寂だけが残された。
「……でも、そんな気持ちも、もう終わり」
 瞼を開いて、澄姫の顔から表情が消える。
「私は殺した」
 頬を伝っていた涙がそれ以上落ちることは無く、一筋の跡も冷たく乾いて消えていく。
「私は陰陽師。かくりよの大門を閉じるべく歩みを進める陰陽師。ただそれだけ。だから、終わらせる。こんな気持ちも、もう――」
 ――終わり。と、唇が微かに動いただけで、声は無く。
 澄姫はそれきり無言でとこよの死体を抱きかかえ、とこよの力を奪っていく。
 夜の帳の下りた関ケ原の地で、月明かりに濡れながら、とこよの力を奪い続ける。
 時折、風が吹いては十九女池の水面をほんのわずかに揺らしていた。草の揺れる音を野に響かせていた。澄姫の長い髪を優しく撫でて小さくそよがせていた。
 次第にとこよの死体から溢れ出る力の奔流も弱まっていき、とうとう澄姫の中に流れ込む力も止まり。
 澄姫は、冷たいとこよの死体を抱きかかえたまま、何も言わず、表情も無く、止まったまま――

 
 

「終わった?」
 とこよの声がした。
「えっ?」
 澄姫が表情を無くしたまま顔を上げる。
 目の前にとこよが居た。
 気遣わしげなような、照れくさそうな、どことなく居心地悪そうにしているような、そんな雰囲気で澄姫の様子を窺っていた。
「え? だって、とこよはここに……」
 澄姫は視線を落とす。
 その腕の中にはしっかりと、とこよの死体が抱きかかえられていた。
 澄姫は表情の無い顔のままとこよの死体が腕の中にあることを確認して、それから目の前をもう一度見上げた。
「澄姫の大好きなとこよちゃんだよー」
 とこよが笑顔で手を振る。
 月明かりの中、手を振るとこよ。
 その姿を見上げ、ぼんやりと月明かりに照らされる澄姫の顔。
 澄姫の顔がゆっくりと表情を取り戻していく。
「え? ……うそ? そんな、あなた、まさか、そんなわけ」
「いやー。多分、思ってる通りなんじゃないかな?」
 とこよは自分の足を指でちょんちょんと指し示す。
 澄姫が視線を下げると、とこよの足だけがもやのように薄れて消えていた。
 澄姫が視線を上げると、「そういうことだよ」と、とこよが頷いた。
「あ、あ、あなた……」
 澄姫は何かを言おうとしていて、しかし言葉が出ず、口を開いたり閉じたりする。
 そして、がっくりと肩を落としてうな垂れた。
 抱えられていたとこよの死体も澄姫の腕の中でずるずるとずり下がった。
「えっと、澄姫……? 大丈夫?」
「――とうに」
「えっ? 何?」
「――本当に! 化けて出てくるなんて、そんなの……、滅茶苦茶よ」
 一度上げた顔は再びうな垂れていき、声は萎んでいった。
「だって私、死ぬ前に言ったでしょう?」
「……『絶対に化けて出てやるから』?」
「あれ? 違う違う、そんな祟りそうな言いかたじゃないよ! 私は、『絶対に化けて出てあげるから』って言ったんだよ!」
「……絶対に化けて出て、……あげるから?」
 澄姫は顔を上げる。疲れたような表情をしながら、目で言葉の意味を問う。
「えっと、だから。澄姫に首を絞められて、どうしようもなくなった時にね」
「……うん」
「ああ……、私は澄姫に負けてここで殺されちゃうんだな。って思ったんだよね」
「……そう」
「悔しかったし、訳も分からなかったけど……。でも、負けてしまったのは認めないといけないことだから、そこは受け入れなくちゃなって。まあ、その時にそこまで深く考えてたわけじゃないけど、その時の気持ちはだいたいそんな感じだったんだと思う」
「……あなた、頭おかしいの?」
「ひどっ! なんで!?」
「……だって、殺されそうになってる時に、今まさに首を絞められてるって時に、……そんな風に考えるなんて、そんなの……、絶対におかしいわよ」
「だからー! 別にそこまではっきり考えてた訳じゃないんだって! ただ、なんとなくそんな風に……、なんだろう、ここで澄姫に殺されちゃうんだなって、思ったというか、認めたというか」
「……そんなの、おかしいわよ」
「とにかく、まあ、私は澄姫に殺されるわけだから、じゃあ、あとは何ができるかって言ったらさ。戦う前に澄姫が言ってたでしょう? 化けて出て、って」
「言ったけど……そんなの……」
「ここで死ぬなんて納得いかない、受け入れられない。でも、澄姫に負けたことは受け入れるしかない、だから、殺されることも、……それはやっぱりこれっぽっちも納得できないし、今でも嫌だと思うけど、……私は負けたから殺される。それは変わらない。だったらあとはもう、化けて出ることしか残ってないなって」
 とこよが笑う。その姿に足はない。
 澄姫は、無いとこよの足を見て、また顔を伏せる。
 顔を上げず、俯いたまま、声を震わせた。
「……終わりだって、思ったのに。終わらせたはず、なのに。本当に、信じられない。化けて、出ようと思って、実際に、化けて出てくるなんて……本当に……、信じられない……」
「それは私もびっくりだけど。……でも、澄姫をほっとけなかったんだもん」
 とこよは不満そうに言う。
「私を殺すって言いながら、寂しくならないように化けて出て、なんて言ってるんだもん。そんなの、ほっといて死ぬなんて私には無理。……こうして化けて出てるあたり本当に無理だったみたいだけどね。あはは」
 明るく笑う声が夜の荒れ野に寂しく響いて、とこよは視線を落とす。
 澄姫の腕からずり下がり腿に頭を乗せている自分の死体。手の平で包まれているその顔は、零れ落ちた涙で濡れている。
「ちゃんと話をしたい。ちゃんと話して欲しい。こんな澄姫のままで、絶対にいて欲しくない、いさせたくない。だから、最後に、私がそう思ってることを伝えたくて、……だからなのかな? 本当に化けて出られるなんて思ってなかったけど、せめて、絶対に化けて出てあげるからって、そう、澄姫に言ってあげたくなったのかも……」

 
 

 ――それから、二人は話をした。
 月明かりに照らされる関ヶ原の荒れ野で、星の瞬く夜空の下、内緒話をするみたいに、二人だけで話をした。
 夜が更けても話をして。話して、話して……、空がぼんやりと白み始めてしまうくらいに話をして。
 黎明の空を、二人は見上げる。
 まだ昇らない太陽が山の向こうから光を放ち、東の空を燃えるように赤く輝かせる。
 払暁を遮る山の影が、淡く青く、あるいは薄紫色に彩られて。雲を、大空を、関ケ原の野を光の色に染めていく。
「きれい……」
「うん……」
 やがてすっかり明け、晴れ渡った関ヶ原の野を二人は歩き出した。
 実際は、歩いているのは一人だけで、もう一人は「憑依~」と言いながら歩いているほうの肩に掴まりふよふよ浮いているのだが。
 そうやって、二人は一緒に歩いていくことにしたようだ。

 
 
 

   ――――黎明前までは 終わり

 
 
 

 そして

 

「はいはい。何が憑依よ。どうせ憑依するなら自分の死体に憑依して自分の足で歩いてくれないかしら。あなたの死体、重いんだけど」
「お、重いことはないんじゃないかなー……? でも、そんなこと言っちゃって、本当は大好きな私を抱っこできて嬉しいんでしょー」
「死体を抱えて喜ぶ趣味なんてないわよ」
「そっかー。そうだよね。……抱っこするんじゃなくて、大好きな私に抱っこされたいんだよねー澄姫はー!」
「……どちらかと言えば、まあ」
「そこで恥ずかしがられるとこっちが照れちゃうかな!」

 

 澄みきった青空の下
 二人で一緒に歩いていく