大納言あずき会社

Last-modified: 2023-01-29 (日) 21:09:52

概要

平安時代中期の大納言・歌人である藤原公任を信奉する人が作った武家政権
1880年代から活動を開始。

YouTuber大陸の群馬県みなかみ市、埼玉県所沢市、愛知県のセントレアの滑走路を拠点に活動していた。
しかし、2010年6月23日、突如所沢拠点が壊滅。各地から応援部隊が送られることとなったのだが.....

運命の日

2010年6月23日午前2時の所沢拠点が壊滅から三時間後、大納言帝国中央委員会総会が開かれた。
委員長の「藤原の常経」はこれを特殊怪奇現象、マツモトによるものと断定。
総会ではマツモトに対する総攻撃を決行することが採択され、総勢十万の臨時編成軍が組織された。
指揮官には大納言アズキ帝国軍総帥、亜頭近任(あずきんとう)が任命された。

2010年6月23日午前8時、
大納言帝国南東方面軍の第三軍、第四軍、第八軍、南西方面軍第十二軍、第十五軍、第十六軍は埼玉県所沢市上陸作戦を敢行。
全くの損害を出さずに埼玉県所沢市に上陸することに成功した*1
司令官の亜頭は直ちに全軍攻撃開始を命じた。

第三軍、第四軍、第八軍、第十二軍、第十六軍(以下攻撃部隊と呼称)一斉に進撃を開始。
数々のマツモトを一斉射撃によって掃討しながら順調に制圧。
午前10時までには埼玉県所沢市の80%を掌握した。

しかし、午前10時23分、突如として待機していた第十五軍(補給部隊)との連絡が途絶えた。
亜頭は重大な危機の予感を察知すると、全軍の上陸地までの撤退を命じた。
全軍は午前11時15分に上陸地まで撤退を完了したが、第十五軍(補給部隊)は忽然と姿を消していた。
そのおよそ三分後、マツモトの大軍勢が接近。
左翼の第十二軍が寸前で察知して交戦するも海岸近くまで引き付けられていた第四軍、第八軍ははるか後方に位置していた。
そのため、分が悪いと考えた亜頭は第十二軍を一旦下げ、右翼側から第四軍、第八軍を進出させることに決定。
しかし、進出した第四軍、第八軍の右から新たなマツモトが現れる。
不意を突かれた第四軍、第八軍は錯綜して大混戦に陥ってしまった。
味方を撃つわけにはいかない第三軍、第十六軍は、左右の友軍を助けるために左右のマツモトの間を突破することを試みる。
しかしその時、左翼の第十二軍が瓦解すると第三軍、第十六軍の背後からマツモトが現れ、第三軍、第十六軍は瓦解してしまう。

この戦いで10万の兵力のうち2万を失ってしまった全軍はマツモトの一斉焼却砲の餌食となり、約2000人の兵力を残して全滅してしまった。

裏切り

この作戦の敗因は明らかである。それは第十軍(連絡部隊)の離反である。
これはのちに明らかになることだが、第十軍には大納言帝国からの分離主義者が多く、離反の機を伺っていたのある。
そのため、第十五軍(補給部隊)の電波をジャックし、使えないようにし、遅れて上陸した第十軍(連絡部隊)はニセの撤退命令で第十五軍(補給部隊)を先に撤退させてしまったのだ。
そして、撤退する約2000の兵が乗った補給船を潜水艦で撃沈したのだ。

所沢に在住していたマツモトと戦った「第121次マツモト戦争」によって瓦解し、亡命政権が世界各地に建てられた。
その中で最も力が強かったのがニューラシア大陸の大納言あずき会社だった。
彼らはマーゼドラングジェ公国に潜伏し、第122次マツモト戦争の準備をしていると思われる。

なお、大納言あずき会社は寒い冬こそアイスを食べようの会本部?(寒ア会)、アズキン?と一切関係が無い。


*1 特別編成軍に参加していた第十軍は何らかのトラブルで上陸前に帰投