個体名 | 内臓半減症 | 記録日 | 200■年8月■日~12月■日 | |
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クラス | セーフ | |||
記録者 | 古山深士博士 ベルマリク博士 | 使用職員 | 0人 | |
記録 | 個体名 内臓半減症(表記ゆれ:古山病,内臓減少症)は200■年8月から12月にかけて集団報告された人間の体内に起こる現象です。 この現象は古山総合病院の院長を務めていた故 古山深士博士により報告されました。 この現象は古山総合病院の患者67名において報告され、うち19名は因果関係のある死亡、23名は因果関係不明の死亡が確認されました。この現象があなたの体内にて発生した場合、まずあなたは体内から[個人差あり]個の内臓を喪失します。喪失時の痛みや流血はなく、大抵の場合その後数時間は活動にも違和感はありません。しかし、もしあなたが心臓を失った場合、それは即死を意味します。もしあなたが膀胱を失った場合、それは排泄不能を意味します。睾丸を失った発生者は、ほぼ全員がもうひとつの睾丸を失ってはいませんでした。肝臓を失った発生者は、ほぼ全員がその半分を有したままでした。 以上のことから古山博士はこの現象について、体内の生命維持に係る所謂「内臓」のみを喪失、またそれが限定的であることから、「内臓半減症」と命名しました。 最初の発生者は重い心臓疾患を患う■■歳の男性で、彼は右脳、左肺、大腸の一部、肝臓の一部、三半規管を失いました。彼は古山博士の検診中に現象が発生、踠き苦しみその場で生きたえたと記録されています。 最後の発生者は古山総合病院に見舞いにきていた■歳の女児で、彼女は肝臓の一部を失いました。彼女を最後にこの現象は発生が確認されていません。 この現象は古山総合病院内でのみ確認されたため、マスメディアにより「古山病」との呼称が用いられました。度々古山病調査のための外部組織が古山総合病院に交渉を行いましたが、それは認可されませんでした。古山博士について、彼は臓器売買を隠匿するため、病気に見せかけている、との真偽不明の言説が広まり、古山総合病院は厳しく批判されることになりました。 古山博士は200■年12月初頭、院長室にて流血して死亡しているのを発見されました。彼の体内からは右脳、両肺が喪失しており、また内臓半減症の中でも数例のみ記録されている、流血を伴う発生であったことから世間の注目を集めましたが、古山総合病院が200■年をもって閉鎖されたのをきっかけに症例もなくなり、事態は終息しました。現在確認されていないためクラスはセーフに設定するものとします。 | |||
報告に至る経緯 | 私ベルマリクは故 古山博士の大学以来の友人であり、偶然旧古山総合病院院長室この現象に関する未完成のレポートを発見、それをこのように完成させ報告すると共に、故 古山博士の無罪を主張します。 |
以下はベルマリク博士のPCより発見された「興味深い記事」メモに添付されてあったリンク名である
- 介護施設で死亡事故
- ■■県 乳児 マンションから転落し腹部に大怪我
- ▲▲▲戦争終戦30周年 我が国の兵が活躍
個体名 | 内臓半減症II | 記録日 | 201■年2月6日~7月●日 | |
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クラス | セーフ | |||
記録者 | ベルマリク博士 メリー・ベルマリク | 使用職員 | 0人 | |
記録 | 個体名 内臓半減症は200■年に旧古山総合病院で発見、故 古山博士と故 ベルマリク博士により200▲年に報告された現象です。 201■年2月6日、それは再び旧古山総合病院の跡地に立つ介護施設「Seseragi」で発生しました。(以後これを個体名 内臓半減症IIと呼称し、旧古山総合病院で発生した内臓半減症と区別するものとします。)「Seseragi」とは旧古山総合病院閉鎖後、●●県が公費で土地を買収、公営介護施設として設立されました。設立から1年の200●年時点でケアワーカー約20名、利用者約100名を有していました。 最初の発生者は介護施設の所長、泉山謙でした。彼は旧古山総合病院で勤務していた医師であり、病院閉鎖後、総合医療事業を始めました。当時のケアワーカーの一人によると、彼が所長室で食事をしているとき、突然彼は踠き苦しみ、その場に倒れたといいます。病院に搬送され、検査の結果、彼は三半規管を失っていました。 彼を革ぎりとして、内臓半減症IIは施設内のケアワーカー、利用者、そして訪問者に発生、合計発生人数は30名にのぼり、そのうち18名は重篤な状態に陥り、うち9名は死亡しました。 ある発生者は旧古山総合病院で勤務していた元看護師の女性で、200■年11月に内臓半減症の発生歴があり、このときは右目と腎臓の一つを失っていました。Seseragiで内臓半減症IIが発生したときは、残っていた左目と腎臓を失い、高齢であったこともありその後数週間で死亡しました。 当時既に引退し、呼吸器疾患を患っていたベルマリク博士はSeseragiでの内臓半減症IIの発生を聞き、Seseragiへ向かおうと航空機に乗り込みましたが、そこで呼吸不能を起こし死亡しました。 かつて旧古山総合病院での調査を決行しようと故 古山博士に懇願していた蓬莱決字博士と彼が所長を務める研究所の職員らはSeseragiでの内臓半減症IIでの調査を開始、以下の事柄が新たに解明されました。 1.内臓半減症の発生者の本人、家族、関係者は内臓半減症IIを発症しやすい。 2.内臓半減症IIの発生確率と年齢に相関はない。 3.内臓半減症IIはSeseragiの範囲ではなく旧古山総合病院の範囲内で発生する。 201■年7月、Seseragiは移転を決定、それにより蓬莱博士らの調査は終了しました。現在確認されていないためクラスはセーフとします。 | |||
報告に至る経緯 | 私メリー・ベルマリクは故 ベルマリク博士を兄に持ち、蓬莱博士より調査の公表を依頼されていた兄に代わり、これを報告するものとします。 |
以下は202●年2月のある報道である。
- Seseragi元所長 泉山謙氏 医療ミスで患者死亡か 13年前
看護師も隠蔽に荷担
個体名 | 内臓半減症 | 記録日 | 202●年6月●日 | |
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クラス | セーフ | |||
記録者 | メリー・ベルマリク 蓬莱決字 蓬莱往子 | 使用職員 | 0人 | |
記録 | 個体名 内臓半減症は、旧古山総合病院およびその跡地のSeseragiで発生、確認された現象です。内臓半減症の発生者は、彼、または彼女が以前殺害した他者の傷害部分、またはそのとき行った行動に関係する部分を抜き取られます。 最初の発生者の■■歳の男性(20年以上前に内臓半減症により死亡)は▲▲▲戦争で志願兵として▲▲▲国の市街地を空爆しました。Seseragi元所長の泉山謙氏は200▲年、脳に腫瘍を患っていた患者の手術中誤って三半規管(正しくは三半規管のようなものとの記録あり)に傷を付け、その医療ミスを隠蔽しようと看護師(10年ほど前に内臓半減症により死亡)と共謀し、腫瘍に見せかけ患者を殺害しました。 旧古山総合病院について、故 古山博士は▲▲▲戦争の従軍者や犯罪歴のある重病患者などの他の病院から忌避される患者を200●年の7月より積極的に入院、通院させていました。それにより、過去に殺人を行った人物が多数病院内に存在することとなり、内臓半減症の発生対象が多く存在することとなり、病院内で連続的に内臓半減症が報告されるようになりました。また、内臓半減症はある一定人数の発生対象者がいる場所に吸い寄せられていく性質があるとみられ、それにより、病院内で内臓半減症の活発化が起こりました。 Seseragiについて、介護施設Seseragiは医療ケアも行っていましたが、ケアワーカーに医師免許はなく、多数の医療ミスによる死亡があったとみられ、利用者の人数は1ヶ月単位で10人以上変動していることもありました。泉山謙氏はそうした医療ミスを隠蔽し、ケアワーカーたちは知らぬ間に殺人者となっていました。これは泉山謙氏が内臓半減症の「残り香」で引退した後も続けられ、通称:内臓半減症IIによる実際の発生者は公表数よりかなり少なかったものとみられています。 古山博士は自らの病院で起こる怪現象を研究し、殺人者への粛清であることを突き止め、患者の尊厳を守るため、調査を受け付けませんでした。しかしマスメディアからの印象操作や世間からの批判に浴びせられ続けた古山博士は報告書の大部分を書き上げないまま、喉を切って自殺しました。内臓半減症が自殺者へ発生する場合、発生者のランダムな臓器を抜き取る性質があり、故 古山博士はランダムな臓器を抜き取られ、内臓半減症による死亡として扱われることになりました。 現在、この現象は移動したものとみられ、Seseragi跡地の犯罪者厚生施設でも発生が確認されていないことから、危険はないものとし、セーフとして扱います。 | |||
報告に至る経緯 | 私蓬莱深士はメリー・ベルマリク氏とコンタクトをとり、内臓半減症について情報を精査し、当時の記録と膨大な証言を照らし合わせ、内臓半減症の性質を解き明かすことに成功しました。10年ほど前にベルマリク博士が亡くなってから、私はずっとこの現象を解決したいと考えていました。私たちの解明が何十名もの死していった人々への回答です。 |
以下は内臓半減症最初の発生者●●が約40年前に▲▲▲戦争を振り返って述べたインタビュー記事の一部である。
記者「…では、都市を無差別爆撃したということですか?」
●●「もちろん、敵国なのだから。やつらに生きる価値はないし俺は今でも誇りに思ってるよ、あいつらを殺すことができたってね。みんなそう言ってるよ。」
この記事は▼▼新聞社のお蔵入り資料よりメリー・ベルマリクが発見したものである。
以下はある事故の記録である。
- ●●県200■年11月乳児転落事故
- 当時の家族構成:父(▼▼歳)、母(▼▼歳)、姉(■歳)、祖父(古山総合病院に入院、200■年12月内臓半減症により死亡)
- 乳児がベランダの柵の隙間より落下、腹部に大怪我を負った
- その後死亡
- 姉(■歳)に心理的ケアを両親は希望
以下は202●年10月に発表されたある記事の要点をまとめたものである。
- 古山病院跡地で怪死
- 死亡者は元Seseragi職員で利用者への強姦、殺人で起訴
- 施設で更生プログラムを受ける
- 職員は「反省の色が見られない」と口に出していた
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