流刑地戦争

Last-modified: 2024-03-21 (木) 23:59:31

追加したいことがあればここのコメ欄かアズキン(編集者)まで

概要

1813年にアズキニア王国(アズキニア王国領西オメガ)とテープコナル共和国の間で起こった戦争。アズキニア王国とテープコナル共和国国境部の住民の衝突が発端。アズキニア王国が勝利し、テープコナル共和国は領土を奪われた上に傀儡国になった。両国が位置するOMG大陸は流刑地として有名であり、流刑者が絡んだことから流刑地戦争と名付けられた。

背景

アズキニア王国の流刑地アズキニア王国領西オメガが設立された場所はテープコナル共和国が自国の勢力圏として認識する地域だったので、両政府間には摩擦があった。また、テープコナル共和国の住民が不法に奴隷として働かされているという噂*1も広まり、テープコナル共和国内には反アズキニア王国の動きが少なからずあった。そもそもテープコナル共和国はアズキニア王国領西オメガを承認しておらず、不法政府と捉えて度々抗議を繰り返していた。

戦争の発端

3月13日、アズキニア王国領西オメガテープコナル共和国の国境付近で3人のテープコナル共和国住民が惨殺体で発見された。*2遺体は全て3日前行方不明となっていた国境付近の村の村民であることが判明し、捜査のためアズキニア王国の警察が送られ遺体は解剖されることになったた。しかし、テープコナル共和国では死体に刃物を入れることは遺族への最大の侮辱である。殺されたテープコナル共和国村の住民の遺族が村の仲間を引き連れて『遺体は我が国古来の伝統に則り直ちに火葬すべきだ』と主張し、遺体がまだ運び出されていない現地に行って警官に訴えた。しかし警官は聞く耳を持たず、遺体を車に乗せるため車まで引きずって運び出した。ついに耐えかねた1人のテープコナル共和国住民が警官に殴りかかるが、反撃されあっけなく組み付され顔を踏みつけられる。だが、遺体への杜撰な扱いと同胞への侮辱を見たテープコナル住民達はついに我慢の限界に達し、全員で警官たちに襲いかかる。警官たちは抵抗するも相手の数が多く勝てず、一人を除き全員が殺害される。一人の警官はなんとか逃げ出すことに成功し、警察本部にことのあらましを伝えた。そして事態を聞きつけたアズキニア王国中央政府により軍の派遣が決定され、アズキニア王国中央政府はテープコナル政府に犯人の引き渡しを要求するが元からアズキニア王国と対立していたテープコナル政府はこの要求を拒否。これによりアズキニア王国はテープコナル共和国に戦線布告し、流刑地戦争の火蓋が切って落とされた。

戦争の経過

開戦

アズキニア王国軍は機甲師団により、敵首都を早期に占領し降伏させることを試みて海岸沿いを機甲師団で進軍し、砂漠地帯の戦いではテープコナルの歩兵師団を圧倒的な機動力と火力で蹴散らし敵の主要都市エルド・バラモンを占領した。その後も十分な補給が支える機甲師団は進軍を続けて砂漠地帯をほとんど占領した。しかし、ジャングル地帯に入ると戦車は木によって進軍を阻まれ、進軍速度は大幅に低下した。そのうちにテープコナル軍は軍備を整え、ジャングルに防衛線を構築することに成功した。そのためアズキニア軍の快進撃はジャングル手前で止まることになった。

ゾニーズ川の戦い

ジャングルの防衛線を崩すことができなかったアズキニア王国は、テープコナル共和国に差別されてきたジャングル民族OMG族を戦争に協力させることを試み、戦後の地位向上を約束することで協力に成功した。ジャングルを知り尽くすOMG族部隊は数で勝るテープコナル軍相手にゲリラ戦を展開し、補給線を攻撃しテープコナル軍を大いに消耗させた。そして10月20日、アズキニア軍は突撃を繰り返し、南部の戦線を突破することに成功。そのままテープコナル軍の前線を迂回して陣地を構築しながら北に進軍しゾニーズ川*3に到達し、そのまま西の防衛線にいるのテープコナル軍の包囲を試みた。しかし、ゾニーズ川を渡らせまいとするテープコナル軍第9師団と衝突。第9師団はゾニーズ川の対岸に陣地を築き、アズキニア軍の進撃を必死に食い止め、テープコナル軍の西の前線部隊の半分を逃がすことに成功した。結局、テープコナル第9師団はアズキニア軍に物量押し無停止攻勢をかけられ、全滅。ゾニーズ川の渡河を許してしまい、逃げきれなかった西の前線のテープコナル軍は包囲された。この戦いでテープコナル軍は大きく戦力が低下し、テープコナル政府内でも動揺があった。アズキニア王国はテープコナル降伏を要請したが、テープコナル政府は拒否した。

ケープ・グラノダ包囲作戦

アズキニア軍は、包囲した部隊の殲滅を後回しにして、最低限の防衛陣地とOMG族部隊による補給の徹底的な遮断により包囲した部隊に物資が届かないようにすることで投降させる作戦をとった。*4アズキニア王国は再び機甲師団で再び進軍を続けたが、塹壕と簡易的な要塞により進軍は遅れた。テープコナル共和国民のレジスタンスによる基地の襲撃や鉄道路線の爆破はアズキニア軍を苦しめた。そこでアズキニア軍は強襲上陸により敵首都ケープ・グラノダを包囲する作戦を立てた。そのためアズキニア王国海軍がテープコナル共和国沖に集結し海上封鎖を完成させつつあった。

デレボスクの海戦

デレボスク沖にて海上封鎖を完成させつつあったアズキニア海軍と海上封鎖の打破を目的とする、テープコナル海軍が衝突。空母も持たず、戦艦の性能も劣るテープコナル海軍はアズキニア王国海軍に航空機による攻撃、戦艦によるミサイル射撃、潜水艦の魚雷攻撃により衝突から1時間もたたず撃沈された。

デュエン・ダエルアの戦い

守りの堅い首都周辺を避けて進むためアズキニア軍は南から首都を迂回することに決め、南のエルゴナイト台地から進軍することなった。一方、テープコナル軍もゾニーズ川の戦いで脱出に成功した歴戦の軍をデュエン・ダエルアに軍を配備しており、11月21日についに両軍は激突。最初アズキニア軍は戦車による強行突破を試みるもテープコナル軍がかき集めた対戦車砲に苦戦。また、アズキニア軍では連絡ミスにより来るはずだった近接航空支援が来ず、アズキニア軍は大きな兵力差にも関わらず不利になった。幸い、テープコナル軍の航空機はアズキニア空軍との空戦で消耗していたためあまり飛んでこなかった。そこでアズキニア軍は部隊を二つに分けて片方の部隊はさらに南の高台に陣地を構築することになり、それまでの間もう片方の残存部隊は苦戦を強いられることになった。度重なるテープコナル軍の決死の突撃と練度の高い軍隊の攻撃にアズキニア軍は日疲弊していった。しかしついに南の高台をアズキニア軍が占領。そこに陣地を構築し、本国から持ってきた高性能な砲台により、テープコナル軍を一方的に攻撃し、投降させ勝利した。この戦いの勝利により、アズキニア王国の勝利は決定的になった。アズキニア王国は包囲を完成させるためそこからもさらに東へと軍を進軍させた。エルゴナイト台地を完全に制したアズキニア軍は敵国首都を見下ろすことができるようにもなった。デュエン・ダエルアは流刑地戦争の中でも最大の激戦地となり、両軍合わせて8万の死者が出た。現在も慰霊碑が立ち並び、毎年3000人以上が訪れる。

ニカロニー上陸作戦

アズキニア王国はデュエン・ダエルアの戦いの前からノコトラ半島*5の11月末ごろに西岸と東岸に同時上陸を行う作戦を立てていた。その陽動としてアズキニア海軍は半島の先端に空母と戦艦を集め戦略爆撃機で数日間爆撃を行った。*6そして作戦通りテープコナル軍は半島の先端に集結し始める。しかし一部のテープコナル軍の士官はこれが陽動であると気づいていたようで、上陸予定地点の西海岸に軍を配備していた。ついに上陸が決行され、西海岸では当たるを見渡せる高台を巡って激戦となった。西海岸上陸部隊は上陸には成功したものの、高台を制圧できず海岸沿いで隠れることしかできなかった。一方東海岸上陸部隊は上陸ののち順調に内陸に進軍し、戦車の揚陸も行われた。そしてテープコナル軍の西海岸防衛部隊の陣地を背後から戦車と航空機で強襲。テープコナル軍は総崩れとなり、アズキニア軍上陸部隊は合流に成功。ノコトラ半島のテープコナル軍10万を包囲した。

首都包囲

ついにアズキニア軍の上陸部隊と東へ進んできた陸軍は合流した。途中テープコナル軍との小規模な衝突があったもののテープコナル軍は全て蹴散らされた。首都を包囲したアズキニア政府は進軍をやめ防衛に徹しテープコナル政府に降伏を呼びかけた。ノコトラ半島にも南東部にも戦える軍は残されていたため、テープコナル政府内では意見が割れ、閣議では連日激論が飛び交った。しかし、そうしているうちにアズキニア王国から、7日以内に降伏しなければ首都ケープ・グラノダとその周辺をありったけの戦略爆撃機で絨毯爆撃した後、戦車で蹂躙するという通告がきた。ケープ・グラノダには100万以上の国民が住んでいたため、国民の命を守る選択をした政府は通告に応じ12月23日に降伏を決定した

終戦

テープコナル共和国政府は1814年12月25日にケープ・グラノダ郊外のレークナレドで降伏文書に調印し、正式に戦争は集結した。ノコトラ半島の軍は全て投降し、南東部残存軍も大半が降伏した。しかし、南東部の第4軍はまだ勝機はあるとして抵抗を続けた。だがそれも10日後には殲滅され、1月6日には全ての戦闘は終了した。

戦後

この戦争によりアズキニア王国は9万人の死者、テープコナル共和国は87万の死者を出した。テープコナル共和国中部の都市群は荒廃し人口も大きく減少した。そのほかにも食糧不足により160万人の民間人が命を落とした。

戦後の影響

戦後、バラモン条約が結ばれ、テープコナル共和国はアズキニア王国の傀儡国となった。また、アズキニア王国領西オメガはテープコナルを取り込み、OMG大陸西部全体を指すようになった。さらに海に面するノヴァール州とアコンラン州をアズキニア王国領西オメガの直轄統治領に割譲することが決定された。そしてテープコナル共和国は軍事、経済、司法、外交、貿易においてアズキニア人顧問を置くことが決定され政治への主導権を失った。決められた。また、この戦争はアズキニア王国が空白地帯への進出による植民地化だけではなく、既存の国家への侵略による植民地拡大をすることを各国に知らしめた。

侵略によるテープコナルの傀儡化はテープコナル人から大きく反発を受け、のちのウェルルアンシー蜂起に繋がる。

コメント 感想とか書いてくれると嬉しいです

  • 僕の初めての戦争のページです。めっちゃ頑張りました。 -- アズキン(編集者) 2023-08-22 (火) 22:15:21
  • 抜ける👍 -- レオス 2023-08-23 (水) 16:00:38
  • 嬉しすぎて(泣く) -- アズキン(編集者) 2023-08-23 (水) 16:02:47
  • これで戦闘は全て書き終わりました。あとは、戦争の影響と条約と戦後ぐらいです。多いなぁ......。 -- アズキン(編集者) 2023-08-23 (水) 17:24:16
  • この人もテープコナルに派遣されてそう(小並感) -- Wtlj1rQOQTdUPfG1705192872.jpgMr.EXHAUST(編集者) 2024-03-21 (木) 23:59:31

来訪者数

今日?
昨日?
合計?

タグ

Tag: 戦争


*1 真偽は定かではない
*2 のちに野生動物の仕業であったことが判明
*3 テープコナル共和国西部を東西に流れる一級河川。
*4 この作戦により2ヶ月後には全て投降
*5 北に突き出た小さな半島。首都ケープ・グラノダは半島の付け根から10キロ内陸に位置する。
*6 同時に、沿岸部のレーダを破壊する目的もあった。