名称 | テープコナル共和国 |
---|---|
読み方 | |
首都 | ケープ・グラノダ |
大陸 | OMG大陸 |
人口 | 4億3500万 |
言語 | テープコナル語、アズキ語 |
通貨 | アズキ |
国旗
概要
OMG大陸にあるアズキニア王国の従属国。西部UNOなどと接する。人口は多いが人口の8割以上が農業に従事しており、産業が未発達のため経済力はとても低い。流刑者による影響で治安は良くない。首都には職を求めて大量の人々が農村から流入し、スラムが形成されている。これらの理由から西部UNOへ逃げようとする人が後を絶たないが政府は移民を制限している。流刑地戦争でアズキニア王国との戦争に負けて植民地となった。のちに抵抗運動により傀儡として解放され今に至る。最貧国の一つ
政治
アズキニア王国の総督が治める。武断政治が行われており国民は苦しんでいる。
地理
ジャングルや砂漠、草原が大半を占める。中央部は山がちだが傾斜はなだらか。
歴史
1:大航海時代らへん、アズキニア王国が西オメガに入植を始めます。この頃の入植はほんとに大変で、細々としかやってませんでした。
2:時代が進むにつれてアズキニア王国は近代化。それに伴って西オメガの沿岸から内陸にどんどん支配地を広げていきます。これが今の西オメガ直轄領です。そこにはテープコナル人も住んでいました。
3:アズキニアはさらに内陸に拡大。するとテープコナル共和国と国境を接するようになりました。当初は普通に仲良かったそうです。
4:しかし、アズキニアは支配地のテープコナル人をこき使ったのでテープコナル共和国と仲が悪くなりました。
5:そして国境付近のいざこざが暴動に発展し、ついに開戦。これを流刑地戦争と呼びます。
6:テープコナルもそこそこ国力はあったけれどもう近代化しているアズキニアに敵うはずもなくあっさり敗北。条約でアズキニア王国領西オメガに組み込まれてアズキニアの傀儡国になります。またこの時マンダレー共和国が条約でテープコナル共和国から独立しました。
7:そこからはクライス=アヴァンギャルド体制という支配体制が確立し200年ぐらい支配されます。テープコナルの大統領にはテープコナル人ではなく流刑地戦争に協力した現地の少数民族がなりました
8:ですが21世紀からナショナリズムが高揚し、独立運動が活発化します。当時の大統領フィリップの統治能力の無さと苛烈な弾圧もテープコナル人の反感を買いました。この頃に東テープコナル解放民族戦線が生まれる。二十一世紀後期に入ると西オメガでは隣国からナショナリズムが波及し始め統治体制が揺らぎ始めていた。既に徹底的な言論統制による国民思想の流入の阻止にも限界が出ており、街では知識人層が独立に関しての討論を盛んに行なっていた。
テープコナルの民族運動の明確な始まりは1956年のテープコナル大学法と1960年のパテイン分割令である。テープコナル大学法において、官吏の統制が強化され、テープコナルにおける高等教育の発展が阻害された。パテイン分割令において、パテインを二分し、パテイン東部とシューラヒル地方でもって東パテイン州を新設し、パテイン西部とバクーク州、ビハール州とを合わせて西パテイン州を新設することで、それぞれの州の多数派をテープコナル人とマンダレー人にしてしまうことで、パテインで盛り上がっていた反アズキニア運動を分断することにあった。パテイン分割令は、1967年に撤回されるが、それは分割したパテイン州を再統一し、パテイン、バクーク、チキット、シュラーヒル各州に自治権を与えるという、いわば、パテイン人に対して妥協がなされる形となった。
1978年クロイツ=アズキニア戦争が勃発すると、多くの民族主義指導者はアズキニアへの支持を打ち出した。彼らの期待は、テープコナルのアズキニアによる支持は、終戦後に結果として、テープコナルへの大幅な自治が認められるという期待に基づいていた。その結果100万人以上のテープコナル人が徴兵に応じ、クロイシアで戦死した。
大戦期、アズキニアは戦費を賄うために西オメガから徹底的に搾取したためテープコナル経済は極度のインフレーションと重税に直面することとなり、民族主義的な政治運動が展開される環境が整った。
1980年4月8日、ハンウ合意でテープコナルのテープコナル国民議会とマンダレーの全マンダレー連盟が西オメガの独立について合意した。
アズキニアはテープコナル、マンダレーの二大勢力が大同団結した事態を重く見て、1981年8月20日、シロン・ジャフ・プライア、テープコナル担当国務大臣により、プライア宣言が発表された。アズキニアは植民地テープコナルの即時独立を容認することはなく、全人的に自治権を拡大させる政策を採った。テープコナルの民族主義者の懐柔と同時に、1982年には、ケインズ法が可決され反英主義者の弾圧も行う姿勢を見せるようになった。ケインズ法が適用されて展開された悲劇がバラノアの虐殺である。
しかし、この時代、テープコナル独立運動では大きな転換点、世代交代を迎えた。今までの独立運動を指導してきたチュロスの死亡、リガルフィアからのプノンプ・エールザラン・ハンメルの帰国である。
9そしてとうとうロンスエン事件をきっかけにウェルルアンシー蜂起が発生します。これに対処しなかったフィリップはアズキニアから見限られ、ドン・ミンの軍事政権が成立。これが2014年テープコナル共和国の政変ですそして蜂起を鎮圧。ここでクライス=アヴァンギャルド体制は揺らぎます。
10:しかしそれでも何も変わらない現状に対し、またもや内紛が発生。今度はテープコナル自由共和国が独立を宣言し、テープコナル独立戦争になります。
11:アズキニアは今回もたやすく鎮圧できると考えていました。しかし、今回の抵抗は強く山に籠るゲリラ軍にアズキニアは苦戦しています。国民も戦争をしたがっていません。これが今の状況です。
国交
傀儡なので同盟、貿易共にアズキニア王国のみ
コメント
- 不景気だったら、この植民地を売ったりしなきゃいけない事態とかなりそうで怖い。 -- はる 2023-09-04 (月) 19:11:59
- なるほど......。それもそれで面白いシナリオですね! -- アズキン(編集者) 2023-09-04 (月) 22:14:45
来訪者数
今日 | ? |
昨日 | ? |
合計 | ? |
Tag: 国