小説/サイドストーリー/ふたりのこれまで

Last-modified: 2022-10-21 (金) 07:37:24

襟川雪那と襟川刹那

  • この小説にはイジメ表現が含まれます。苦手な方はブラウザバックを推奨します。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

「おい、シスコン。今日も"おねーちゃん"と帰るのか?」
「いいよね~、私もそれぐらい妹に好かれたかったわ~」
 度が過ぎた揶揄の言葉を聞き入れる事なく逃げるように刹那は荷物をまとめる。
「お、そんなに早く帰りたいのか?」
 その様子に周りの声は更に多くなるが、刹那にはそんなの関係なかった。一刻も早くこの場所から離れたい、そんな一心だった。急いで教室を出て下駄箱へ向かう。だが教室から離れたはずなのに彼らの声は止まらない。ずっと聞こえ続ける。刹那は振り切ろうと走り出す。校門をくぐっても声は着いてくる。こんなのおかしい。いくら速く走っても逃げ切れない。声が脳を反響する。
「おねーちゃんに会うのに必死だね~」
「なぁ、俺らと一緒に帰ろうぜ~? そしたらもう絡まないからさ」
嫌だ……
怖い…………
助けて…………
おねーちゃん…………
おねーちゃんっ…………!

「――なっ!」
「――つなっ……せつなっ!」
「せつなっ! 刹那っ!」
 耳元から聞こえた声で目を覚ます。目の前には心配そうな表情をした雪那がいた。どうやら夢を見ていたようだ。刹那は息を整えながら状況を確認する。
「あぁ……夢か……」
「夢か……じゃないよ……凄くうなされてたから……」
「ごめん……ちょっと変な夢見ちゃって……」
「謝る事ないよ。大丈夫? お水持って来るね」
 雪那が立ち去ろうとした時、刹那は姉の腕を掴む。
「待って、置いていかないで……」
「分かった……」
 そう言って泣き出しそうな妹の頭を優しく撫でる姉。刹那は今日も悪夢を見た。陰湿な記憶を辿る夢を。時折こうして彼女の元へ闇は訪れる。目元の涙を拭って携帯を見る。時刻は深夜2時すぎ。寝てからまだ30分しか経っていない。
「刹那……?」
 刹那は掴んでいた雪那の腕を黙って引き寄せる。
「おねーちゃん……しばらくこうしてくれないかな……」
「うん、いいよ」
 刹那は知っている。自分が悪夢を見た時、雪那はいつも側にいてくれることを。どんなに遅くなっても、どんなに忙しくても、どんなに怖くて眠れなくても。


 事の始まりは中学二年生に進級したとき。それまで刹那はたまに委員会の仕事を受け持つ以外はただの学生だった。友達がいない訳ではなかったが、クラス替えのタイミングで今までの友達も離れてしまった。また内気な性格だった為、新しい友達も出来ず次第にクラスで孤立してしまった。その時彼女は創作とインターネットの世界に出会った。最初は自分の気持ちを吐き出すだけの行為だったが、やがて自分で物語を書き始めた。元々文章を書く事が好きな事もあってか、彼女の徐々にそちらの世界へハマっていった。閲覧数も多い訳では無かったが、彼女は満足していた。独りでもこんなに楽しめる世界があったのかと。でもそんな日は長く続かなかった。
「ねえ、襟川ってオタクなの?」
 クラスカーストの高い女子から投げられた単純であまりにも鋭い質問に刹那は吃って答えられなかった。読んでいたライトノベルの挿絵を見たのか、ちょっとしたキーホルダーが気になったのか、独りで読書をしていたからか。ただただ興味本位の質問だったのか、貶める為の質問だったのか分からないが、こうなってしまった刹那の現状を鑑みると後者の意図だったのかもしれない。そしてその日から日常が崩れ始めた。
 最初は小さな消しゴムからだった。ただその時は替えの消しゴムもあり、何しろ小さかったので無くしたのだろうと見切りをつけたから、別段困らなかった。次は本や文房具。机にあったものがロッカーや棚に移動していたり、地面に置かれていたり、汚れたりもしていた。中にはかつて雪那からプレゼントしてもらった物も含まれていた。自身でも姉から貰った物まで無くしてしまうなんて、と思ったがそれでも自分の記憶違いや忘れ物として納得させようとした。刹那はその時起こっていた事を"それ"だと認めたくなかったし、信じたくなかった。
 だが、遂に周りから矛先を向けられるようになった。自分で自分を誤魔化せない程に。
「襟川さんの趣味ってオタクっぽいよね~」
「それに雰囲気も陰気っぽいしね。もうちょっと髪切ってもいいと思う」
「あいつの持ってるのって全部アニメのグッズじゃん」
「なんであんな奴がうちらのクラスにいるのよ」
 刹那に対する周囲の反応は日に日にエスカレートしていった。最初は遠巻きに見られていただけだったのが、いつしか暴言を吐かれるようになった。それと合わせて物も壊されるようになった。教科書が無くなった時には雪那のクラスまで借りに行く事もあった。刹那が忘れ物するなんて珍しい、とも言われた。姉には心配されたくなかったのでうまく嘘をついていた。でも奴らはその時の言動まで捉えていた。
「いい年してコイツ姉の事、"おねーちゃん"だってさ!?」
「うーわ、子供っぽ~い!」
「シスコンじゃんシスコン!」
「ね~っ! ほんとそれ、私達の方が大人だもんねぇ?」
 この時、彼女の蔑称として"シスコン"が定着する事となった。また同時に刹那の心に傷を残す事となる。
 刹那は徐々に朝起きる気力が無くなり、雪那によく起こされるようになった。かつてハマっていた創作の世界も考える余裕が無くなってしまった。また十分に眠れず無意識に授業を眠ってしまうことが増えた。同時にいじめのレパートリーも増えた。"起きろ"の大義名分の元で椅子を思い切り蹴られたり、移動教室の時には独りだけ教室へ置き去りにされたりした。
 靴が隠された事もあった。その時は担任に相談しクラスに呼びかけてもらったが、誰もが知らぬ存ぜぬだった。担任の話の後、刹那の下駄箱には何事もなかったかのように靴が戻っていた。靴の件が解決した事を担任に言いに行くと、勘違いだの持ち物管理がどうこうだの言われて結局何も変わらなかった。もう先生ですら信じて貰えない。彼女は自分だけがこんな酷い仕打ちを受ける世界に絶望しかけていた。 そんな精神が擦り切れていた中でも家だけは唯一安心できる場所だった。けれど両親や姉にも虐められている事を言えなかった。刹那にとってこんなに幸せな場所は何処にもなかった。だから自分自身で壊してしまうぐらいなら黙ったままでいいと。
「ねぇ、刹那。最近何かあった?」
 姉からの優しい声かけにも刹那は冷たく、
「"雪那"には関係無いよ」
と言い放った。刹那は物心ついた時から今までずっと雪那のことを"おねーちゃん"と呼んでいた。だがこの時初めて姉を呼び捨てにした。
「そっか……ごめんね」
 雪那は寂しげな表情を浮かべたがそれ以上は何も言わなかった。
「そういえば今日は新しい消しゴム買ってきたから後であげるね」
 雪那はいつものように笑顔を見せた。けれど刹那は
「要らない。もう子供じゃないから」
と言った。刹那に浴びせられた言葉は、彼女の心を変容させてしまった。
「ねぇ、刹那……どうしたの? 最近元気が無いから心配で……」
「分かったから話しかけないで!」
「…………ごめんね。でも何かあったらいつでも言ってね。私達は姉妹なんだから」
 刹那は姉の言葉に返事をしなかった。刹那はこれでいいと思っていた。雪那に心配される事が無ければこれは自分だけの問題として処理出来る、と。ただ雪那を突き放した事でかえって心配させていた事に刹那は気づかなかった。そこまで頭が回らない程に彼女は追い詰められていた。

 一学期が終わり、夏休みに入っても刹那は自室にこもりきりだった。刹那は丁度学校生活が区切りが付き、少しずつインターネットの世界へ顔を出すようになっていた。自分の苦しみを物語として綴って共感してもらう事で心の安寧を保っていたのだ。刹那にとってインターネットはすっかり現実逃避する為の道具へと変わっていた。
 そんなある日、小説に一件のコメントが付く。
『Snow:これって実話ですか?』
 Snow……雪……ただの偶然……だよね? 名前と内容にドキッとした私ははぐらかすように、こう返した。
『夏瀬:違いますよ』
 そのやり取りを見ていた別のユーザーがコメントをする。
『Akira:この主人公って確か中学生だっけ。なんでこんな辛い思いをしてるんだ? それにかなり詳細に書かれているし、ノンフィクションだと思われても仕方ないと思う』
『夏瀬:実話じゃないですって。あくまで私が想像で書いているだけなので……』
『Akira:だとすればここまでリアリティのある文を書ける君を褒めるべき、なのかな。ただ、もしこれが君の体験談だったとしたら誰かに打ち明けるべきかもしれない』
 刹那は『そんなのできたらとっくにしてます』と打ち込みかけて入力を止める。これはあくまで創作。だからこそ自分が受けた仕打ちを赤裸々に書く事が出来た。でも実話と知ってしまえばきっとこの人達を巻き込んでしまうだろう。それだけは避けたかった。でも、彼女の本当の想いは……
『夏瀬:私の経験ではないですよ。でも似たような事はありましたね。でもそれはもう終わった事です。それともうすぐ新学期なのでまた更新が滞ってしまうと思います。申し訳ありませんが、それまで待っていて下さい。またお会いしましょう!』
 刹那は逃げるようにしてログアウトした。
「はぁ、どうしてこんな事書いちゃったんだろ」
 刹那は自分の行動に後悔していた。でも、今更消すわけにもいかない。
「とりあえず今日はもう寝よう」
 一週間後にはまた学校が始まる。憂鬱な気持ちを抱えながら刹那は寝床につく。どれだけ辛くても学校に行く事だけは決めていた。行った先で何が起ころうとも何をされようとも、構わない。雪那だけじゃない両親にも心配をかけたくないからそう決めていた。

「それでは皆さんおはようございます。夏休みは楽しく過ごせましたか? 楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものです――」
 始業式の校長の演説。刹那は眠くて内容が頭に入ってこない。二学期の幕開け。いじめの日常へ逆戻り。さっき教室で整列した時もいつものように足を踏まれた。今日も早く全部終わらないか、と刹那はずっと考えていた。
 始業式が終わり、生徒達は各々の教室へ戻る。刹那は相変わらず机に突っ伏していた。もう何もかもがどうでもいい。どうなってもいい。そんな投げやりな考えが頭をぐるぐると巡っていた。
「ねぇ、ちょっといい?」
 ふと後ろから声をかけられた。振り返るとすぐさま頬を叩かれる。刹那は何が起こったのか分からず呆然と相手の顔を見る。
「始業式の日まで居眠りとかありえないんだけど~ 見えないようにちゃんと隠してよね? シスコンさん?w」
 そう言うと女生徒は去って行った。周りにいたクラスメイト達もクスクス笑う。このビンタを境にちょっとした暴力も受けるようになっていった。無関係者に気づかれない程度の小さな嫌がらせから、直接的なものまで。夏休みで若干落ち着いていた刹那の心はまた蝕まれていった。
 ある時は女子グループのリーダー格の女生徒が他の三人と共に、刹那の目の前で刹那の所有物である消しゴムを踏みつけた。ある時はトイレから戻ると刹那の席が濡れていた。ある時は靴箱の中に画鋲が入っていた。そしてある時は……
「何これ?……SETSUNA?」
「こんなの何処に隠してたんだ?」
「カバンの内ポケットのファスナー、もしかしてこれ"おねーちゃん"とおそろいだったりするのかな」
「やめて、そのキーホルダーだけはっ!」
 刹那は取り返そうと必死になって抵抗する。中学入学時に雪那とお揃いで作った水色の名前入りキーホルダー。刹那にとってそれは唯一姉との繋がりを感じ取れるものだったからだ。でも複数人の男子に女子一人では敵わない。
「うわ~、マジきしょいわ~」
「こんなのに必死になってキモすぎだろこいつ……」
「引っ張ったらちぎれないかな?」
「貸してみ?」
 必死に男子に掴みかかる刹那。その刹那の指先をカッターナイフが掠める。
「いった……」
「ごめ~ん! 当たっちゃった!」
 刹那は思わず手を離す。その時、刹那のキーホルダーは引き千切られてしまった。地面に跳ねる英字のビーズ。
「あー、ごめん手が滑っちゃったw」
「お前わざとだろ」
「まあいいじゃん」
 刹那は泣きそうになるのを堪える。指先の痛みがどうでもいいくらいに胸が痛む。キーホルダーの残骸を抱えて、刹那は静かに教室を後にした。廊下を走っていく刹那の瞳からは涙が溢れ出していた。


 憂鬱な時間を過ごしていた刹那に転機が訪れたのは二学期の中間テストが終わった頃。掃除時間終わりに雪那が担当場所から戻る途中に刹那のクラスの前を通った時。清掃時間の終わりがけで男子がゴミを集めていた。そこまでは良かった。そこまでは。
「ゴミ箱はここかな~?」
 その台詞と共に、刹那と彼女の机に、ちりとりの中身が撒かれた。雪那は自分の目を疑った。耳を疑った。今いる現実を疑った。今が夢じゃないかと疑った。
「アンタ何してるのよ、ゴミ箱はあっちじゃん。襟川。あんたもゴミなんだからさっさとゴミ箱に入りなさいよ」
 刹那はただ立っていた。いつもの事だと思いながら。刹那に投げかけられた言葉は教室の外にいた雪那の心をでさえも深く傷つける。雪那の中で憎悪にも似た感情が湧き上がる。惨状を見ていた雪那は他クラスにも関わらず、刹那のいる教室へ入っていった。ただ妹を救うために。
「あなたたち何をしているんですか! どうしてそんな事を!?」
 突然現れた雪那の姿を見たクラスメイト達は動揺した様子を見せる。
「なんで……?」
 刹那を"ゴミ"と言った女子に問いかけた。
「だ、誰よ、アンタ」
「どうしてそんなことが言えるの!? なんで?」
 雪那の声にただ呆然としていた刹那が我に返る。
「おねっ……ゆきな……?」
 刹那の目の前には雪那が今まで妹にでさえ見せたことのない剣幕で、女子に詰め寄る。相手は返事も出来ないまま後ずさっていく。
「私の妹をっ……私の家族をっ……ゴミ扱いするなんて……許せない! 許せないっ!! 刹那をゴミって言ったお前もっ! それに刹那にゴミを撒いたお前もっ!! そしてそれを黙って見てたお前らもっ!!!」
「ちょ、ちょっと待てよ、落ち着けって!」
 刹那に罵声を浴びせた男子が止めに入る。しかし怒り狂った雪那には聞こえない。
「うるさいッ!!!」
「うわぁっ」
「ぐえぇ」
 男子二人が雪那に床に倒れる。
「どうしてこんな事ができるの? なんで? 答えてよ! 黙ってないで答えてよ!! 教えてよ!!! 私には分からないよっ!……分からないよ……分かんない…………なんで……どうして……うぅ……」
 雪那は泣き崩れる。それを見て駆け寄る刹那。
「雪那……大丈夫?」
「うん……私は平気。それよりごめんね。おねーちゃんがもっと早く助けてあげられたら……刹那もこんな目に遭わなかったのに……」
 刹那の声を聞くと、身体に被ったゴミをはたき落としてめいいっぱい妹を抱きしめる。
「せつなぁ……せつなぁ…………ごめんなさい……ごめんなさいぃ…………気づけなくて……ほんとうに……ごめんなさい……………………」
 姉妹から流れ出ていく涙。全ての点と点が繋がった雪那は、ただひたすら刹那に謝った。

 あの日を境に刹那は学校へ行かなくなった。雪那が刹那を止めたのだ。
「あんな奴らが居るところなんて行っちゃ駄目だよ」
 両親は急に学校へ行かなくなった娘の事を心配したが、その日雪那が帰って来てから二人で両親にこれまでの出来事を話した。いじめを受けていたこと、雪那が刹那を助けてくれたことを。
「そうだったのか…… 本当に申し訳ない、刹那、雪那。父さんたちが不甲斐ないばかりに気づいてやれなかった」
「違う……心配かけたくなかったの……だからお父さんにもお母さんにも雪那にも黙ってた」
「そうか、辛かっただろうな。でももう大丈夫だ。辛いことは忘れろとは言わないが、これからは私たちがついてるからな」
「うん……ありがとう……」
 事の重大さを認知した学校側はようやく動き出した。いじめの事実を知った担任は両親へ謝罪したが、反応は冷たいものだった。クラスぐるみでいじめが行われていて、かつ一度担任にも相談が合ったはずなのに、何もしなかったのはなぜか、担任がいじめを認識していながらも何も無いように振る舞っていたのではないか、と。話はまともに続くはずもなく刹那はただ一層担任への不信感がましただけの面談で、後日、校長と学年主任も含めた話し合いが行われた。
 結果は当然のごとく学校側の責任は追及され、刹那達四人には謝罪があり、今後このような事がないように対策を練る事を約束した。

 刹那の小説、インターネット上では『夏瀬』の書いていた小説は、このタイミングで終わりを迎えた。理由は単純明快。自身の受けていたいじめが終わりを迎えたからだ。名目上は創作だったが、彼女の思いとしてはノンフィクションだった。完結後、一件のコメントが来ていた。
『Akira:完結お疲れ様。もしこれで君の心が晴れたのなら幸いだよ。それと主人公には助けてくれたお姉さんを大切にしてほしいなと思った。』
 コメントを見た刹那は少しだけ泣いていた。
「うん……大切にするね……」
 相変わらずこの『Akira』という人物はこの話を実話として捉えていたようだが、最後の一文が刹那にとっては一番心に刺さった言葉だった。
「せ~つな!」
「わぁ! びっくりした……」
 携帯の画面に夢中だった刹那は背後からの雪那に驚きの声を上げた。
「ねえ、雪那」
「何?」
「私がインターネットで小説書いてたのって知ってる?」
 雪那は少し考えたあと、
「知らなかった」
 と言い切らないように答える。
「でも……最近の更新で分かっちゃった。『とある少女の憂鬱 著:夏瀬』、これ、刹那だったんだね」
 刹那はやっぱり気づいていたんだと思った。
「最初はこんな酷い事書く人居るんだって思ってたけど、読み進めていくうちに段々気持ちが伝わってきて……本当に作り話なのかなって思っちゃって」
「『Snow』はやっぱり雪那だったんだ」
「あの時はまだ夏瀬さんが刹那だなんて気づかなかったけど、最新版でこれ自分と刹那の事だって……」
「そうだよ。あれは私の体験談。本当は私が悪いんだけどね」
「うぅん、違うよ。刹那は何も悪くない。悪いのは全部その人達だもん」
「ありがとう、雪那」
「それと、気づいてたのに、気づけなくてごめんね。よくよく考えたら夏瀬って逆から読んだらせつなだったのに。私って馬鹿だな~」
 そう言う雪那の目には涙が浮かんでいた。
「もう泣かないでよ。私は今凄く幸せだからさ。それに、今は雪那が傍にいてくれるし。私、雪那があの時助けてくれてなかったらどうなってたか分からないもん。もしかしたら今日もまだいじめられ続けてたかもしれないし」
「もうその話はしないで。刹那が辛くなっちゃう」
「……うん、分かった」

 その後雪那は刹那を心配してか学校が終わり次第すぐに帰宅して刹那と一緒に過ごすようになった。刹那にとってそれは嬉しいことだった。ただ気がかりだったのが彼女は放課後陸上部で活動していた。恐る恐る雪那に聞くと、
「あぁ、私部活辞めたんだ」
 あっさりと答えた。
「え、なんで!?」
「やっぱり刹那が心配で、それに刹那をいじめてた人たちも部内に居たからさ。顧問の先生には事情を説明したら理解してくれたよ」
 刹那は勿論嬉しかったが、雪那が自分の時間を犠牲にしてしまった事に罪悪感を覚えた。
「ごめんね、雪那。私のせいだよね?」
「そんな事無いよ。刹那が元気になってくれればそれだけでいいの。辛いときはずっと一緒にいるからね」
「ありがと、雪那。大好き」
 刹那は感謝を込めて雪那に抱きついた。
「私も好き。大好き」
 二人はしばらくそのままの状態でお互いの存在を感じ合っていた。そんな中刹那が口を開いた。
「雪那、一つ伝えなきゃいけないことがあるの」
「どうしたの?」
 刹那は一旦雪那から離れて、かつて使っていた学校の鞄から英字のビーズを取り出す。
「これって……」
「去年、一緒に作ったキーホルダー…………これ、これ……壊されちゃって……」
 刹那はビーズを握りしめながら涙を流す。
「ごめん……雪那とお揃いだったのに……」
 雪那は刹那のものと同じような、水色のビーズで『YUKINA』と作ったキーホルダーを持っていた。
「大丈夫だよ、パーツは揃ってるからまた作り直せるよ」
「そっか……よかった……」
 安堵すると同時に、涙も引っ込んでいった。それから数日後、雪那は刹那のキーホルダーを修理した。それを刹那に渡すと、刹那は涙目になりながら喜んだ。それから毎日姉妹は家に居るときはほとんどの時間を共に過ごした。色んな話をしたり、たまに勉強したり、休みには外出したりした。時折刹那は雪那の為に時間を使ってと言っても、雪那は刹那と居たいと聞かなかった。それに刹那自身も雪那に甘えっぱなしでなんとも言えなかった。いつでも側にいて、いつでも優しくしてくれる姉に刹那は徐々に惹かれていった。


 あれから季節が過ぎ二人は中学三年生になった。それでも刹那には完全な平穏が訪れた訳ではなかった。刹那はいじめられる悪夢を見るようになった。始めて見た日は雪那に抱きついて一晩中泣いた程だ。しかし雪那が一緒に寝てくれるようになってからは少し落ち着いた。それでも夜中に起きてしまう事はあった。その度に雪那は刹那を抱き締めて落ち着かせていた。本当に辛いときは雪那も学校を休んで一緒にいるようにしていた。
「雪那、ごめんね……今日も学校お休みさせちゃって……」
「いいの、気にしないで」
「ありがと」
 雪那が居なければ生きられないな、と思う程に刹那は雪那に依存していた。
「ねぇ、刹那」
「ん?」
「刹那は将来何になりたいとかあるの?」
「特には無いかな。強いて言うなら雪那とずっといたいかな、なんて」
「も~、刹那ったら……」
 そんな会話をしながらも、雪那は刹那の頭を撫で続けていた。
「雪那は?」
「私は学校の先生、絶対にいじめを許さないような」
「そっか……良いと思うよ。雪那ならきっと良い先生になれる」
 そういう刹那の肩は震えていた。雪那は自分の妹を蔑ろにした刹那の担任が許せなかった。だからその人を超えるような教師になろうと思っていた。
「うん……頑張るよ……私、誰でも守れるようになる。刹那みたいな人が減るように」
「でも無理しちゃ駄目だよ。雪那が頑張りすぎて逆に居なくなっちゃうなんて、私耐えられないから」
「大丈夫。私には刹那がいる。刹那の為ならどんな事でも出来る気がする。勿論刹那だけの為じゃない、皆の為。誰かが苦しむ姿なんてもう見たくないから」
「私も同じ気持ちだよ。雪那が苦しむ姿を見るのが一番辛い。だからそんな無理しようとしちゃ駄目」
「……分かった。まずは刹那だもんね」
「うん」
 二人はお互いに依存しあっていた。お互いに相手さえいれば生きていけると思っているほどに。
「ねえ、刹那」
 雪那は刹那を見て一つ願いを言う。
「また、いつでも、私の事、"おねーちゃん"って呼んでもいいからね。だって私の事をちゃんと"おねーちゃん"として呼べるのは刹那しかいないから」
「……うん、ありがと」
 刹那は過去のトラウマからかつての呼称で雪那に話しかけられない。雪那は刹那から自身を"おねーちゃん"と呼ばれない事を寂しく思っていた。
「ずっとそばにいてくれる?」
「大丈夫、いるよ」
「約束して」
「うん、約束する」
 こうして二人の歪んだ日常は続いていく。

 雪那はことあるごとに刹那に付きっきりだったため、当初目指していた高校へは成績が足りず断念するしかなかった。ただ雪那にとってそれはどうでもよく、刹那が安心して通えるような高校へ行こうと考えていた。そんな中、二人の元へとある学校から招待状が届く。その学校の名は『私立次郎勢学園』。姉妹の家から徒歩で行ける中高一貫校だが、周囲の噂ではあまり良くない学校とされていた。ただそれでも入試が無い特別生として二人を迎えると要項には書いており、学業から離れてしまっていた姉妹にとっては好都合だった。それに出願用紙も二人分入っていた。それを見た瞬間、雪那は刹那に確認した。
「刹那、この学校……行きたい?」
「行きたいけど、良いのかなって……」
「どういう意味?」
「ここ、あんまり評判よくないし……」
「そんなの関係無いよ。私達次郎勢学園は全ての生徒が自分らしく生活できる事を保証しますって書いてあるし……」
「怪しいよ」
「怪しいけど、でも」
 雪那は刹那の手を握り真剣な眼差しで言う。
「刹那は私が守る。だから刹那はやりたいようにやっていいんだよ。もしそれで刹那が傷つくようであればその時は私も一緒にいる。だから一緒に学校に行こ」
「……分かった」
 そう言って二人は次郎勢学園への入学を決めた。両親にもしっかり話をした。勿論最初は反対されたが最終的に、
「二人が決めた事だ。それと刹那が学校にまた行けるようになるのなら」
 と父親は賛成してくれた。母親は少し複雑そうな顔をしていたが、最終的には笑顔で二人を送り出した。
 そして入学式当日、刹那は雪那と共に学校へ行く準備をしていた。
「ねえ、入学式当日に寝坊しかけるってどういうこと!?」
「ごめん、刹那~!」
「もー、……じゃあ、行くよ」
「うん」
「「いってきます!」」
 二人は手を繋ぐと玄関から出ていった。
「ねえ」
「何?」
 刹那は雪那に話しかける。
「またこうやって学校に行けて嬉しいよ……"おねーちゃん"」
 その呼び方を聞いて雪那は目を大きく見開き、満面の笑みを浮かべた。
「私もだよ、"おねーちゃん"として嬉しいよ。刹那」
 刹那と雪那は学園へ歩み始める。また二人で平和に暮らせるように願いながら。