家出

Last-modified: 2022-09-10 (土) 08:48:46

 ある秋の日曜日。勝浦は親から頼まれた買い物を済ませ、家へ帰る途中だった。自転車を漕ぎながら残暑を感じていると、公園のベンチに座っている白髪の少女を見かけた。あの特徴的な髪色は恐らく神崎だ。だがいつもと違って元気がないように見える。何があったのか気になった勝浦は少女に声を掛けた。
「よっ」
「あっ……こんにちは、勝浦さん」
 神崎は少し驚いた様子だったが、すぐに笑顔になって挨拶をする。しかしどこかぎこちない笑みだった。勝浦は彼女の表情から何かあったんだろうと考えながらも、様子見がてら普段通り接する。純真な彼女の腹の中を探るようで気が引けたが、まずは学園外で友達に会えた時間を享受しようと思った。
「今日も暑いな。この暑さだとアイスでも食べたくなるね」
「そうですね…… わたし、アイスクリーム好きです」
「あー分かる。甘いもの食べると幸せになるよな」
「はい……」
「…………」
 話が続かない。今の神崎は明らかにそわそわしていて、会話も若干たどたどしい。彼女は一体どうしたんだろうか? やはりさっき見た時と同じように落ち込んでいるようにしか見えない。
「あ、あの、ところで勝浦さんはどうしてここに?」
 沈黙の中、神崎が先に口を開いた。一貫して言葉に迷いが見えるが、彼女も何か話したいことがあるらしい。勝浦は話題を提供してくれたことに感謝して彼女の問いに答える。
「ああ。今買いものの帰りで、偶然神崎を見つけたから」
「そうだったんですね…… わたしはちょっと気分転換してました。ここ最近ずっと家にこもりっぱなしでしたので」
「そっか、神崎も外出することもあるんだな」
「えっ? 意外、ですか?」
「ちょっとね。あんまりそういうイメージがなかったから」
「確かにそうかもしれませんね。けどたまにはこうして外出しないと身体によくありませんし」
「まぁその気持ちは分かるかな。俺も時々運動する為に外歩くし」
「そうなんですか?  なら勝浦さんと一緒に散歩したら……楽しいかもです」
 最初こそは気まずい雰囲気だったが、話している内にいつもの神崎へ調子を戻してる気がした。それからある程度雑談して、神崎の緊張もほぐれた頃に勝浦は本題を切り出した。
「それでさ……神崎。さっきは元気が無さそうだったけど、何かあった?」
「えっ……えっと、それは……」
 言い淀む神崎を見て、勝浦はやっぱり何か嫌なことでもあったんだろうと察することができた。ただこれ以上踏み込むべきか迷った。下手すれば傷つけるかもしれない。
「いえ、大丈夫ですよ。大したことじゃありませんので」
「本当に?」
「はい、心配してくれてありがとうございます。そ、それではまた学校で会いましょう」
「ちょっ!」
 立ち去ろうとする神崎の手を掴む。このまま別れるのは流石に良くないと思ったのだ。だがいきなり勝浦に腕を掴まれた神崎は一瞬だけ恐怖を顔に表した。その表情を見逃さなかった勝浦は自分の行動にハッとして、彼女の腕をゆっくり離した。彼女の白い腕は勝浦の掴んだ所だけ少し赤くなっており、まずったなと思った。
「ご、ごめん……腕掴んじゃって……痛くなかったか?」
「……大丈夫です」
 神崎は顔を背けながら、掴まれた方の腕を、もう片腕で抑えていた。明らかに怯えている。こんな反応をされるなんて思ってもなかった勝浦は少しショックを受けた。だが今は彼女に謝る事が先だと判断した。
「本当に申し訳ない。ちょっと神崎の顔見てたら不安になったんだ。でも俺は神崎の事を思いやれてなかった。急に腕を掴まれたら驚くし怖がらせもするよな……本当に悪かった。申し訳ない」
 頭を下げながら謝罪をする。自分が咄嗟にやった事とはいえ、いきなり異性の身体を掴むのは良くなかった。勝浦は誠意を見せるべきだと思い、素直に謝罪した。神崎は何も言わず黙っていたが、少し経ってから返事をしてくれた。
「いいえ、わたしの方こそすみませんでした。ただやっぱりびっくりしちゃって……」
 神崎が見せたあの表情。あれは嘘偽りない恐怖から出るものだった。普段笑顔が多い彼女から出たその顔は勝浦の脳裏に焼き付き、罪悪感を覚えさせた。
「それは俺が悪かった。ごめん」
「もう謝らなくていいですよ。ちゃんと話してくれたので……」
「分かった。ならこの件はこれで終わりにしよう」
「はい。そうですね」
 とりあえずこの件は一段落ついたが、まだ本題について話せていない。
「実はさっきから元気がない様に見えて、それがどうしても気になってたんだ。無理にとは言わないから教えてくれないか?」
 少し神崎の表情が強張ったが、大きく溜息をつくと彼女は、勝浦さんにはなんでもお見通しなのかな、と呟いた後、
「少し長くなりますけど聞いてくれますか?」と返事をした。
 話の内容はこうだ。今日神崎は両親に人生で初めて強く叱られてしまい、その勢いで家を飛び出してきたらしい。最近まで入院生活だった神崎に対して両親が毎日のように学校は楽しいかとか、友達と上手くやっているかとか、聞かれていたらしい。入学したての時は神崎も喜んで両親に報告していたが、夏休みが終わってからその事を鬱陶しく感じるようになり、今日遂に不満が爆発して両親に強く当たってしまったとのこと。また神崎には今日一日したい事があったらしく、それを邪魔されたのも怒ってしまった原因らしい。
「なるほど、そういう事ならまず両親に早く連絡したほうがいいんじゃないか?」
 神崎は勝浦の提案を聞いて戸惑っているようだ。確かに今神崎は両親と喧嘩しているが、連絡は確実にしたほうが良い。両親は日常的に神崎を心配しているのだから、きっとこの状況も黙ってはいない。
「どうしてですか……?」
「そりゃあ心配してるからだよ。いくら神崎が強く言ったとしても、心配してるのは変わらないはずだろ?」
「……わたし、別に心配して欲しかったわけじゃないです」
「それでも、だ。神崎だって本当は分かってんだろう?  一度くらいは連絡しておかないと、心配して探し回るぞ。もしかしたら警察も動くかもしれない」
 若干脅しているように見えるが実際そうなる可能性も無きにしもあらずだ。
「……いやです」
「じゃあこのまま逃げ続けるのか?」
「……それもいやです」
「なら、もう分かるだろ。神崎はこれから先ずっと両親を避け続けていくつもりか?」
 神崎は大きく深呼吸した。
「…………わかりました。電話します」
 渋々ながらも了承した神崎を見て安心した。とりあえずこれで両親の方は大丈夫だろう。彼女の携帯の画面を一瞬見たが、大量のメッセージと不在着信の数。確かにこんなにも通知が来ていたら強情を張りたくなるもの分かる気がした。神崎が電話をかけると、即座に繋がったのか着信先の声が飛んできた。相手の喋っている内容が一字一句聞こえてくる程声が大きく、それぐらい心配されているということでもあった。あまりの声の大きさに神崎は勝浦を一瞥した後、彼と少しだけ距離を取った。数分後通話を終えた神崎が大きく溜息をついてベンチへ座る。彼女はしばらく項垂れていた。
「それで、神崎はこの後どうするつもりなんだ?」
「えっと……今から帰ってお父さんとお母さんに謝ろうかなって」
 顔を起こして勝浦へ返事をする神崎。今の彼女は普段からは見れない神妙な面持ちをしていた。
「そっか。とりあえず良かったよ。神崎の気持ちも分からなくはないけど、流石に今回はやり過ぎたな。ちゃんと謝って許してもらうしかないと思うよ」
「はい……」
「じゃあ俺は帰るよ、俺も親が心配しているかもしれないし」
「買い物の帰りでしたもんね……」
「ああ。それじゃまた明日、学校で」
 勝浦は神崎に背を向ける。
「あの! ……ありがとうございました」
「気にすんな。俺が勝手にやったことだし」
「いえ、色々と気遣ってくれたの嬉しかったです。……また明日会いましょう」
「おう、またな」
そう言って俺は公園を後にした。帰宅してしばらく後携帯のメッセージを確認すると、神崎から両親と仲直りした旨のテキストが届いていた。