紅葉が染まる季節に

Last-modified: 2021-10-18 (月) 18:11:39

 隣で流れていく景色と同様に、移りゆく表情を見せる神崎。そしてそれを微笑ましく思いながらバスに揺られる勝浦。秋の中間試験が終わり、そろそろ寒くなる頃合いに勝浦は決まってある場所へ紅葉狩りに行く。今回は彼女も連れて。
「次の駅だな」
「そうなんだ、案内よろしくね?」
「分かった」
 いつからか勝浦に対して敬語を使わなくなった神崎。半年、それもほぼ毎日話していれば自然な成り行きだろう。しかしそれ以外、神崎は変わっていないはずなのに、勝浦には変わって見えているのだ。
「私の事、見てました?」
 視線に気付いたのか、振り返って不思議そうに勝浦を見る神崎。
「あぁ……新鮮な反応をするなって」
 目が合うとは思いもよらず、ありのままの言葉が出てしまう。
「それは、まあ、どこかにお出かけなんてそうそう無いし……」
 そう、二人の時、彼女はより一層、無垢な少女になるのだ。
 直球な台詞にソワソワする神崎と、平静を装おうとする勝浦。お互いに動揺しているが、より大きいのは表に出してない勝浦の方だろう。大して距離も無い筈の次の駅が、とても遠く感じられる時間だった。


「ちょっと歩くけど、流石に大丈夫だよな」
「体力もついてきたし、平気だよ!」
 ちらほらと紅葉の木が見える。目的地に向かおうとする勝浦を差し置いて、僅かな赤みを見るだけでもはしゃぐ神崎。勝浦から離れては呼び止められを繰り返した神崎は、自分の行動に申し訳なくなり隣で会話をすることにした。
「テレビでしか見た事なかったけど、すごく綺麗……」
「神崎は紅葉を直で見るのも初めてか……」
「び、病院の窓から見た事あるんだけど、い、色しか分からなくて」
 神崎。そう呼ばれる度に心臓に季節早めの氷柱が刺さる。遠慮しがちな彼女にとって敬称を外すなんて事は未だに出来ない。しかし勝浦に対し敬語で接していない事には気付いていない。
「ぐぅー」
 太陽が少しだけ西に傾き始めた頃、腹の虫が二人の会話を遮った。
「もしかして、昼ご飯食べてない?」
「た、たべ、たべまっ」
 神崎の顔は紅葉も驚く速さで赤くなり、目には若干の涙を浮かべていた。
「近くに笹団子売ってるしそれ食べようか」
 生理現象とはいえ勝浦に聞かれた事がとてつもなく恥ずかしかった上、フォローの提案がフォローになっておらず、神崎はしばらくまともに勝浦と目を合わせられなかった。


 勝浦も初めは魚目的で訪れた釣り場だったが、周辺の紅葉の美しさに目を奪われ、予定もスマホの写真も赤一色で塗り替えられてしまったこの場所。条件が良すぎるにも関わらず休日でも人は多くなく、人混みが苦手な神崎を連れてくるにはもってこいだった。勿論笹団子を頼んだこの売店も条件を満たしていた。
「試験どうだった?」
「ふん? ふぁあまぁあかなぁ」
「……食いきってから……な?」
 食べている最中に訊いたのはまずかったと思いつつ、頬を膨らませて話す神崎に少し心が和む。
「まあまあかな~? でも今回物理は自信あるよ!」
 若干時間を空けて普段の神崎が返事をする。
「そうか、俺は逆に自信ないな……」
 気付けば神崎の手には皿と笹の葉しか乗っていなかった。もう少しだけさっきの反応を見たい気がしたが、心の片隅にしまっておく事にした。それからしばらくは、最近の寒暖差に愚痴をこぼしたり、バズってるもので語り合ったり、くだらない事で笑ったり、と友達同士の会話を楽しんだ。
「美味しかったぁ」
「口に合ってよかったよ」
「うん、良いお店連れてきてくれてありがとう!」
 そう言って神崎は立ち上がり、勝浦を見る。
「じゃあ、行こっか?」
 ほんのりと赤い紅葉を背景、振り返ってわずかに靡く白髪、透き通った青い瞳、そして小さな笑顔。
「神崎……さん」
 可憐な少女を前にして、勝浦は無意識に呟いた。
「え?」
「す、すまん。なんでもない」
 首をかしげる神崎に何も言えず、申し訳程度の謝罪でその場を繕う。
「どうしたんですか? 早く行きましょう!」
 と、気を悪くさせてしまったのか半ば強引に手を引かれる。繋がれた手とふわふわと後ろ髪が揺れる神崎を眺めながら、勝浦は自分の行動に考察をつけようとした。しかし幾ら考えても答えは出なかった。


「これ、なんて書いてあるか読めそう?」
「あー、ちょっと俺にも分からないなぁ」
「そっか~」
 目的地に着いてからというものの、神崎にとっては全てが真新しく、勝浦に対して質問攻めをするがAIでもないので明確な答えはあまり返ってこなかった。さっきの岩は"セキヒ"という名前がついている事しか分からなかったが、それでも神崎はこの瞬間を楽しんでいた。
「そういえば……ここは熊が出るとも言われてるから……」
「ひぇっ」
 それを聞いた神崎は急いで勝浦の隣へ駆け寄った。勝浦を掴む手は少し震えていた。
「だ、大丈夫だと思うけど」
 首を強く横に振る神崎。熊の情報もテレビでしか見た事は無いが、襲われて被害に遭った事件などはよく聞いていた。
「ちょっと戻ろう?」
 勝浦を見上げ、弱々しい声でわがままを言う神崎。勝浦は少し申し訳なさそうな顔をしていた。
「分かった」
「せっかくここまで来たのに……ごめんなさい」
「いいんだ。でもその前にっ」
 勝浦が神崎の頭に手を伸ばす。反射的に神崎は目を瞑ってしまう。恐る恐る目を開けると勝浦は小さな赤色を持っていた。
「紅葉が乗ってたから」
 と言って神崎に渡す。
「かわいい……あっ、ちょっとそのまま持っててくれる?」
「ん? 分かった」
 神崎はポーチからスマホを取り出す。
「せっかくだし写真を撮りたくて……」
 神崎の操作は少々ぎこちなく、勝浦は顔を覗かせていたが、カメラを起動することができた。そしてシャッター音が鳴る。
「撮れたよ、ありがとう」
 そう言って神崎はさっき撮った写真を呼び出す。
「あれ?」
 液晶にはぼやけた紅葉と、くっきりと写った勝浦の横顔があった。
「俺にピントが合ってるな……」
「そっ、それは設定を……」
 神崎の頬が熱を帯びていく。
「俺が撮ろうか?」
「いいですっ! もっ、戻りましょう!」
 今日は腹の虫の時といいアクシデントが多く、勝浦になんとも言えない感情が湧いてきていた。なお勝浦の写真はメモリーには残っていた。


 さっきの一件まで忘れていたが、勝浦もカメラを持ってきていた。鞄からカメラを取り出すと神崎が見せて欲しそうな、キラキラとした眼で見つめてきたので見せることにした。
「色々撮ってるね~」
「まあ、仮にも写真部だからな」
 写真を送っていくうちに段々と神崎の表情が曇っていく。
「んー…………」
「どうかしたか?」
 自分の写真があまり受けなかったのか、心配になっていく勝浦。ある程度回した所で、神崎は不満げに口を開いた。
「勝浦さんの写真……無いですね」
「へ?」
 一瞬ドキッとして思わず強めに聞き返してしまう。
「あっ、ごっ、ごめんなさい、写真が良くなかったとかそういう事じゃなくてっ、写真は綺麗なんですけど、ただ勝浦さんが映った写真がないなって……」
 どうやら写真が気に入らなかった訳ではなく、胸を撫で下ろしたがそれとは別の疑問が生じた。
「それは……俺が撮ってるから、じゃないか……?」
「え? あっ…………」
 それに気付いた神崎はあわあわと言って手をブンブンと顔の前で振り始めた。
「ちょっと落ち着けって」
「はぅ……あぅ……」
 あわわ、と言った神崎は久し振りに見た気がする。
「忘れてください……」
「分かった分かった」
「絶対ですよ!」
 そうは言うが、この神崎の子供っぽい反応は彼女の貴重な一面でもあるから、勝浦は嫌でも忘れられないだろう。


 勘違いから大失態をしてしまった神崎は、恥ずかしくてすぐにでも暴れ出したかったが、流石に抑えていた。ただ冷静に考えれば当たり前の事実。撮影者が自身の持つカメラに映らないはごく普通の事。ただ神崎はそうは思わなかった。
「あのっ、勝浦さんっ!」
「ん、どうした?」
「このカメラで勝浦さんを撮っても良いですか?」
 彼女はその事実を寂しく思ったのだ。
「じゃあ、よろしく頼む」
 勝浦のカメラを受け取る。それの重さは思っていたより大きく、加えて今自分の要求でこのカメラを握っていると考えると少し怖くなっていた。けれど今日自分のわがままに振り回してばかりの勝浦に少しでも恩返しがしたかった。深呼吸して神崎は名一杯の笑顔を勝浦に見せて叫ぶ。
「はい、チーズッ!」


 神崎の撮影した写真を見せてもらう。紅葉を背景に自身が映っていた。とても良い感じだ。ただ操作が不慣れだったのかその写真が複数枚、量産されていた。
「今度この写真の中でいいやつ送るよ」
「そ、そんなっ」
「折角神崎が撮ってくれたんだし記念に」
「恥ずかしいですよ……」
 相変わらず分かりやすくモジモジする神崎。
「そうだ、今度は俺が神崎の写真取るよ」
「いいんですか!?」
「遠慮するな、これも合わせて送るよ」
「う、うん!」
 そう言ってさっきの神崎と同じ様に紅葉を背に彼女を撮ろうした。が、手が止まった。
「どうしたの?」
 今まで気が付かなかった事を失礼に思いつつもとある質問を投げかけた。
「そういえば、その服……どうしたんだ?」
「これ……お母さんのお下がりだけど、私にって。似合ってる?」
「ああ……」
 普段の彼女の様子からは想像出来ない、少し大人びた容姿に勝浦は目を奪われてしまった。
「あっ、改めて」
「うん、お願いね」
 服装とは対象的に、顔のそばにピースを添えて満面の笑みを浮かべる少女。
「はい、チーズ」
 そして勝浦は神崎の様子に封にした。


 バス停までの帰り道。日も落ちかけて、より赤くなった道筋をザッ、ザッ、と二人は踏みしめていた。
「今日はありがとう、とっても楽しかった」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
「今度は私がどこか連れて行こうかな~、なんて」
 冗談交じりに神崎は言う。
「あては?」
「無い、けど……いつか勝浦さんのここみたいに案内できる場所を見つけたら、ね?」
 神崎は去年まで病院生活だったので、勝浦より知っている世界は小さい。だがこうやって、どこか知らない場所を案内されるのが嬉しかったのだ。
「神崎しか知らない場所か……楽しみにしてるよ」
「楽しみにしておいて、もっと先になっちゃうかもしれないけど」
「気にしないさ」
「勝浦さんのことびっくりさせちゃお」
 ちょっとした未来を語り合った、そんな時間。神崎にとっては無数にあるような話。少女の楽しみはこうして広がっていくのだ。


 帰りのバスの中。神崎は勝浦の肩に頭を乗せ、すぅすぅと寝息を立てていた。勝浦は彼女をどうする事もせず夕陽と紅葉で真っ赤に染まった景色を眺めていた。すると勝浦は何を考えたのか開いたままの神崎のポーチに手を伸ばし、スマホを引き抜いた。
 しかし勝浦はロックを解く訳でもなく、カメラを立ち上げ、バスの窓越しにだが一面の紅を少女のメモリーに追加した。そうして静かに携帯を戻してポーチを閉じた。
 勝浦から小さな欠伸が出た。彼は次に停車する駅を確認し、静かに目を閉じる。
 しばらく揺られる内に勝浦もまどろんだ。隣り合った二人の手はいつの間にか重なっていた。
「来年も……行けるかな……」
 まるで起きているかのように神崎は寝言を呟く。
「また連れて行こうかな……」
 神崎に反応したのか否か、勝浦はそう返す。二人の関係は二人の知らぬ所で紅く色づいていた。