記憶

Last-modified: 2021-12-05 (日) 06:35:38
  • この小説は私立次郎勢学園のANOTHERストーリーです。本編との関わりは一切ありません。
 

 最近、どういう訳か無性に外出したい気分になる。大学とバイトが休みの日で、外に出なかった事はほとんど無い。ある時は祭りが開けそうな大きさの公園へ、またある時は明かりがお洒落なカフェへ、そのまたある時は遠めの釣り堀へ…… 新学期かつ成人したばっかりで落ち着かないのかもしれない。でもどうして今まで興味がなかったような場所へ? 何とも説明がつかないまま、また今日もあてもなく歩き続ける。
 考え事を止め、ふと周りの景色を見る。栄えた商店街、割と大きめのマンション、学生たちがワイワイと帰っていく姿。そういえばこの近くには中高一貫校があった気がする。学校かぁ……ずっと病院生活で行くこともなかったな。あれ? でもわたしは16には退院してたよね? それに今自分は大学生な訳だから高校は出てる筈…… 何故だろう、いつもそうだ、病院生活と今の生活の間の事がどうしても、思い出せない。
「でもまぁ、いいか。そろそろ帰って勉強しないと……」
 気持ちはもやもやしたままだけど、私には他にやらなければならない事がある。夢を叶えて未来を掴むために……
「うわぁ!」
「お前何やってんだよ~」
 後ろで男子たちが声をあげる。
「どうしたの!?」
 振り返って状況を確認する。声の主と思われる少年たちの周りには教科書等が散らばっていた。
「あらら……手伝いますね」
「す、すみません……ちょっとふざけちゃってて」
「まぁ、ほどほどにね?」
 散乱した物を拾い、砂を払って荷物の主に渡していく。全て拾いきったあと、学生が慌てて口を開く。
「ご、ごめんなさい……こんなのを手伝って貰っちゃって……」
「これぐらいなんてこと無いですよ」
 首を横に振ってそう返す。その後わたしは言葉を続けた。
「あと……こういう時は『ありがとうございます』って言った方が良いですよ」
 その言葉を聞いた少年たちは一瞬きょとんとして、互いの顔を見合っていた。
「あわっ、ごっ、ごめんなさいっ、わたし、偉そうな事言っちゃいましたね! ごめんなさい、忘れてください!」
 そう言い放ってわたしは急いで踵を返し走り出した。な、なんで、いきなりあんな事を言っちゃったんだ!? しかも誰からか教えて貰った訳でもないのに!? 恥ずかしさのあまり顔が熱くなっていく。
「はぁ、はぁ……はあぁ…………」
 どれぐらい走っただろう。さっきの場所からはある程度離れただろうか。久しぶりに全力疾走したせいか、息は上がり足はおぼつかない。ただ丁度偶然近くに小さな公園があったので、そこに立ち寄る事にした。入口から一番近いベンチにゆっくり腰掛ける。
「あぁぁ…………」
 せっかく人助けをしたのにあの子達のわたしの印象は、初対面の人間に謎のアドバイスをする不審者一般女性に成り下がっちゃっただろうなぁ…… でも小さい事でも助けたのは事実。あんまり気にしないでおこう。でもどうしてわたしはあんな事を口走ったの? 本当に心当たりが……無い? いや、過去に言われた事があるの? まただ、さっきと一緒でここの記憶も無い……どうして? 一旦落ち着こう、周りの景色を見て。
 子供たちが遊ぶ姿。笑い声、喋り声、叫び声。懐かしい。でもそれはどうして? わたしがあの無邪気な子たちぐらいのときは外に出れなかった。もしかしてこれも何が欠けた記憶なの……? それに……何かが決定的に足りない。これまで訪れた場所や起こった事に、何故か心当たりがある。わたしは知らないはずなのに。そして、知らないはずなのに足りないとも感じている…… なぜ? 分からない。思い出せない。思い出せそうにない。でも、どうして、なんで──わたしは泣いているの?
  それが何か何も分からない。けれど、どうしても、忘れてはいけない、忘れちゃいけなかった、何かが、思い出せない。周りが少し騒がしくなってきた気がする。でももう放っといてよ。きっと誰にも分からないんだからっ……!
「あ、あの、大丈夫ですか?」
「お願いです、放っといてください」
「どうしても、見るに耐えなかったので…… もし良かったらでいいので使ってください」
 涙でぐちゃぐちゃになった視界の前に、黒っぽい何かが差し出される。断るのも憚られたので、とりあえず受け取る事にした。
「怪しいものじゃ、ないですよね?」
「た、ただのハンカチですよ」
 わたしは黙ったまま受け取ったそれを顔に当てた。どうやら本当にハンカチだったようだ。
「……ありがとうございます、お返しします」
「一応、そのまま持っておいてください」
 そんな奇特な人がいるんだと思わず顔を上げてしまった。
「な、なんか変わってますね……」
「公園で号泣する人も滅多にいないと思いますけど……」
 ちょっと棘がある言葉だったので言い返そうと思ったけど、何か言いたげだったので台詞を飲み込んだ。
「何か……あったんですか?」
 少しの沈黙。いきなり聞いてくるから、問いかけに答えるか迷ったけど、多分、悪い事はしなさそうなので返答を選ぶ。
「何かあるんです、あったんです、あったと思うんです」
「どういうことですか? よく分からないんですけど」
「さっぱり、何も、分からないんです。でも何かあった気がするんです」
 自分でも何を言っているか分からない。でも事実なのだ。
「……それって、知らないはずなのに知ってるみたいな感じですか?」
「そう、です。既視感って言うのかな? そういうのが最近凄くて。一個だけだったらそんなに気にならなかったんですけど」
「日に日に増えていった……?」
「そうです、そうです! その既視感をいっぱい集めたら何故か長い間の記憶が無いみたいで。でもそんな事おかしいですもんね。じゃあ今の自分は何処から来たんだーって」
「奇遇、ですね……」
 そう言ってさっきまで相槌を打っていた男性は黙ってしまった。
「もしかして……あなたもなんですか?」
「そう、なんだ。おかしいはずなのに、だけど今を生きようとするんだ」
「……一緒かも、正直今も家に帰って勉強したくてうずうずしてる」
「わかるなぁ……でもこのまま終わっちゃいけない気がするんだよな」
「……そうですね」
「何かが、欠けてるんだよな」
「そう、何かが足りないよね」
 また訪れる沈黙。答えはきっともうすぐなのに、どうしても分からない。なんで、なんでっ、なんでっ!
「ま、また泣いてる。俺のハンカチ使って」
「う、うん……」
「持って帰って良いからそのハンカチ」
「そんなっ……大丈夫ですよ……」
「……遠慮するな」
「で、でもぉ……」
 確かに涙を拭いまくったハンカチをそのまま返すのは気が引けるなぁ……
「…………ちょっと聞きたいんですけど」
「……なんだ?」
「貴方は人助けとか良くするんですか?」
「それなりに、なんか放っておけないから。君を助けたのも同じ理由」
「…………そうなんだ。わたしとは逆ですね」
「え?」
「わたしは、いつも誰かに助けられてばかりで……」
「あぁ……そうなのか、そういう事もあるさ」
「で、でも、今日は人助けできましたよ! 最後に変な事を言わなければ完璧だったんですけど」
「見返りとか?」
「そんな事言いません!」
 男性が冗談混じりに言った言葉に食いつく。
「ただ、『ごめんなさい』より『ありがとう』が良いよって言ったんですけど、よくよく考えたら凄い偉そうな人だなって、思っちゃって」
「……知ってるな、俺それ」
「へ?」
「出典はゲームか小説かなんだか覚えてないけど聞いたことある」
「でもわたしは知らないはずなのに知っていたんですこの言葉」
「そんな事が…………あるのか、消えた記憶の中で誰かに教えてもらった……」
「でもそれが誰かは……」
「逆に俺は、誰かに教えた事があるんだ。その言葉」
「え…………え?」
「もしかしたら……もしかしたらだけどさ…………」
 今日何度目になるか分からない沈黙。ただ、この沈黙は、何故か、とても重い沈黙だった。そして彼が唇を開く。
「俺と君は会ったことがある」
「ううん、そんなのじゃなくてほぼ毎日会ってた」
 わたしもそれに呼応する。
「それは学校だったから」
「でも休みの日には一緒に出掛けたりもしたよね」
「夏祭りに行って」
「紅葉狩りもした」
「雪に埋もれそうになって」
「帰り道で泣いちゃったっけ」
「でも慰めた」
「……ねぇ、どうして忘れちゃってたんだろう?」
「俺にも分からないけど、やっと会えた」
「博さん」
「惑花」