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相川の放出が最大の補強

Last-modified: 2019-09-22 (日) 16:46:04

2008年オフ、当時横浜ベイスターズに所属していた相川亮二がFA宣言してヤクルトに移籍した際、横浜ファン(やる大矢スレの住民とされる)が言ったとされる発言。


経緯 Edit

当時の横浜は投手陣が壊滅状態で、誰が投げても打たれるといった状況から「相川のせいで打たれた」などとファンの怒りの矛先が捕手の相川に向くことが多かった。
そんな中で相川がFAでヤクルトへ移籍、2chの横浜ファンの間では「相川がいなくなって投壊から脱出できる」「相川の放出が最大の補強」などの意見も出ていた。

 

しかし翌年のヤクルトは前半戦を2位で折り返すなど健闘、最終的には3位で球団史上初のCS進出を決めた。
一方の横浜はFAで獲得した野口寿浩、ルーキー細山田武史、既存戦力の武山真吾・新沼慎二らを起用したものの、結局は相川と鶴岡一成*1の穴を埋められず、シーズン終了まで捕手を固定できないままシーズンを終えた。
順位は・・・言うまでもないね

 

現在ではこの単語に便乗して、野球以外でも特定の人物に去られてしまった団体に対して自虐や皮肉を込めて「○○の放出が最大の補強(略して「○放最補」)」という言葉が使われやすい。
近年では選手以外にも似たような表現が用いられる事がある。*2

余談だが、相川はヤクルト移籍後の初の春季キャンプでブルペンを見るやいなや「ヤクルトにはいいピッチャーがたくさんいますね!」と野球少年のように目を輝かせ、ブルペンで球を受けると「構えたところにボールが来る」と感想を漏らしたという。

その後 Edit

2015年
前年オフ、相川は2度目のFA宣言で巨人へ移籍。セ・リーグの最下位球団からリーグ覇者への移籍とあって、移籍会見の相川は嬉々として優勝への意気込みを語っていた。

しかしシーズンが始まると、ヤクルトは後半戦に勢いを増して14年ぶりのリーグ優勝、そして日本シリーズまで駒を進める躍進ぶり。
一方の巨人は2位だったがシーズンを通じて貧打に悩まされ、CSファイナルステージでヤクルトに敗北。
相川自身は打撃面では活躍するもリード面で多くの投手を炎上させてしまい、怪我で離脱した際は阿部慎之助を一塁手から捕手に再コンバートさせるなど様々な面で負担を強いてしまった。

 

同年の「相川の放出が最大の補強」はヤクルトに当てはまり、相川が一軍出場した1999年からの連続V逸記録が17年へと更新されてしまった。

 

2016年
この年も巨人は再び2位。上記の連続V逸記録を18年に更新。
シーズン中は正捕手に据えられた小林誠司の代役として6月24日にマスクを被ると、横浜DeNA相手に菅野智之とのバッテリーでまさかの大炎上*3。翌日は代打でタイムリーを放つものの自身のリードで逆転され、桑原将志やエリアン・エレラらにカモにされた事でこの2試合を最後に代打専門扱いされ、以降は一度もマスクを被れずにレギュラーシーズンを終える

同年のCSファーストステージは、CS初進出となる古巣のDeNA。相川は捕手での出場はなく第1戦に代打としての出場のみに留まり*4、結局1勝2敗で敗退。

 

2017年
巨人は交流戦で球団ワーストの13連敗を喫し、ラストチャンスだった対阪神最終2連戦で2連敗、熾烈な3位争いもDeNAに及ばずBクラスに転落、セ・リーグCS元年からの巨人皆勤も途切れてしまった。
相川は古巣DeNAから逆転サヨナラタイムリーを放つなど輝く事もあったが打率.158(38-6)と低迷し衰えは顕著になる。上記のように連続V逸を19年へ伸ばし、プロ通算23年間で一度も優勝に立ち会うことなく引退を表明した。
引退試合は古巣であるヤクルトとの最終戦(10/3)。相川は9回に代打で出場し決勝点につながる内野安打を放った。
そして試合終了後に、両チームのナインに胴上げされ神宮に集まった数万のファンとともに涙を流すのだった。

 

2019年
バッテリーコーチとして原辰徳監督と共に巨人に復帰。
しかし同じ選手にカモにされている事や兎達を量産*5したことから早くも巨人ファンから投手総合コーチ・宮本和知と共に手腕に疑問を持たれ始めた。

しかしチームは好不調の波は激しかったものの?開幕から上位を維持し、9月21日のDeNAに勝利したことにより現役時代から合わせ25年目してにようやく初の優勝を経験した。よかったね、おめでとう*6

関連項目 Edit



Tag: 横浜 ヤクルト 巨人






*1 真田裕貴との交換トレードで2008年シーズン途中に巨人に移籍。
*2 ソフトバンクの「(ホームラン)テラスの撤去が最大の補強」など。
*3 2回1/3を11被安打9失点で自己最短タイのKO。防御率も0.88からほぼ倍の1.64に悪化させている。また2019年の菅野は不調で炎上が多いがこの試合より酷い炎上は9月現在無い(10失点した試合はある程度イニングを稼いでいる)。
*4 結果は二ゴロ。なおこの打席中によそ見事件が発生。
*5 一時は中川皓太以外の一軍中継ぎ全員が構成員に認定されていた。
*6 横浜時代の1998年にチームはリーグ優勝・日本一を成し遂げているが相川が一軍デビューしたのは翌年の1999年である。