スペランカー

Last-modified: 2024-02-07 (水) 23:12:18

ケガが多い人物のこと。
ケガが極度に多かったことで知られた多村仁志(元横浜→ソフトバンク→DeNA→中日)*1の蔑称が転じたもの。

経緯

多村は身体能力が高く大きな期待を寄せられていた選手だったが、度々怪我をして離脱することから、ゲーム『スペランカー』シリーズの主人公*2に例えられるようになった。
そして2004年キャンプ終了直前に「ポスターの撮影でジャンプした際に捻挫」した事で、愛称として定着した。
やがて2chだけではなく、2006~12年に在籍したソフトバンク公式メディアのスタッフにも把握されるほど有名*3なネタとなり、多村もこのネタは把握しているようだが、本人はこう呼ばれると烈火の如く怒り出すと言う。

ちなみに多村の怪我の特徴としては「(例外もあったが)怪我の回数こそ多いが、長期離脱になるほどの重症ではない」というパターンが多いことが挙げられ*4、一部では単なるサボリ体質ではないかとの見方もされていた。なお多村は春先の怪我が多いため、「春の風物詩」とも呼ばれた。

 

しばしば試合中の負傷についてもスペランカーと呼ばれることもあるが、本来の用法としては試合外などのあり得ない場面で負傷することのみを指す

また、スペランカー=多村の図式が定着するにつれ「スペ」と省略されるようになった。派生して、故障頻度が多い選手を「スペランカー体質」(やがて「スペ」体質と省略、プロ野球情報誌など各種メディアでは「ガラスの身体」と呼ばれる)と呼ばれる他、怪我することを「スペる」と動詞化して呼ぶことがある*5

~多村仁志のスペランカー伝説~

【プロ入り前】

  • 体育祭のリレーで転倒、靭帯を痛めて救急車で搬送されたらしい。
  • 高校三年の夏、県大会優勝時に歓喜の輪に入ろうとしただけで足を攣ってしまい輪に入れず。みんなが校歌を歌う中、マウンドでうずくまっていた。

【1998】

【2003】

  • 風邪などでスタメンを外れることが定番化。
  • 9/25 スタメン復帰後、死球で途中交代。

【2004】

  • 2/27 ポスター撮影中にジャンプする→右足関節捻挫。
  • 4/30 試合中、突然カゼをひいて退場→診療所で点滴。
  • 5/3 キャッチボールでぎっくり腰、登録抹消。キャッチボールができないプロの誕生に野球板民も震撼。
  • 6/5 フェンスに激突した際には「自身の肘打ちを自分で喰らう」という見事な自爆で途中交代
  • 6/24 試合で空振りした際に何故か肩をケガ。スイングができないプロの誕生に(ry*6
  • 8/11 試合前に念入りに練習に打ち込むも、当然の如く腰を痛めてスタメン落ち。
  • 8/28 ファインプレーで投手を援護するも束の間、当然の如く膝を強打して途中交代。
  • 9/19 ファンへの握手のし過ぎで左手をケガしてスタメン落ち。握手ができないプロの(ry

【2005】

  • 2/11 沖縄で野球教室を開きサイン会も実施。肩から荷物の入った野球バッグを下ろさずサインに応じ続けた結果、左肩を内出血
  • 3/30 全試合出場を目標に掲げるも、開幕直前にインフルエンザに罹り貫禄のスタメン落ち。
  • 6/21 疲労を押して出場を続けるも、靴紐を結ぼうとした際にまさかのぎっくり腰。伝説的な登録抹消。
  • 6/29 愛車のポルシェが雨でスリップ、高速の側壁に衝突する自損事故を起こす。エアバッグで左顔面と左肩をケガし車も大破
  • 8/28 健康診断で飲んだ造影剤で気持ちが悪くなり、華麗なる試合欠場

【2006】

  • 4/20 左肋軟骨挫傷の為、1ヶ月戦線離脱。
  • 6/7 本塁に突入した際のクロスプレーで肋骨4本骨折。シーズンが終わる。
  • 能力は高いものの驚異的な虚弱体質を持つ多村に球団がついにブチ切れ、寺原隼人との交換トレードで福岡ソフトバンクホークスへ移籍。多村は王監督に「年間フル出場」を誓う。

【2007】

  • 2/12 靴ズレでアキレス腱をケガ、ソフトバンクは多村の虚弱体質を舐めていたことを思い知る。
  • 3/13 一回の打席で自打球を左足に当てる→病院送り。ソフトバンクは後悔し始める。
  • 4/4 歩幅が合わずに大股でベースを踏む→当然のごとく滑ってケガ。
  • 5/19 二塁へ豪快なスライディングを敢行。敵二塁手ごとなぎ倒すも、その下敷きになりケガ
  • 11/22 北京五輪の野球日本代表選手に選ばれ、ヤフードームに凱旋の予定も腰痛が悪化。スタメン落ち。
  • 11/25 上述の故障により、当然の如く五輪日本代表メンバーから外される。

【2008】

  • 4/25 守備で左翼手と接触し、右足骨折。4月からそのまま9月まで入院。シーズンオワタ\(^o^)/

【2009】

  • 3/24 張りを訴えてオープン戦欠場→残り5試合には全て出ることを宣言。死亡フラグを勝手に立て始める
  • 3/25 上記発言の翌日右肩を痛め、残りのオープン戦全てを欠場宣言はたった1日で潰えた。華麗なるフラグ回収。
  • 8/30 第3打席で川崎が牽制死になった際、球団公式サイトの試合経過で多村終了と表記される*7
  • 9/3  上記に奮起して試合に臨むも、左太腿と左手首への死球を2度も喰らって翌日スタメン落ち。
  • 9/29 ニコニコ生中継された楽天対ソフトバンク戦、突如として37℃の風邪をひき始める。結局打席に立つことも守備に就くこともなく貫禄の未出場途中交代、全国のニコ厨を一蹴する。
  • 10/16 運命のCS第一戦にスタメン予定だったが、当日の朝に腰をケガ。当然の如くホテルでTV観戦。
  • 秋山監督に「来年のフル出場」を誓う。

【2010】

  • 3/30 全試合フルイニング出場を目標としていたが、ベッドで寝違えてしまい断念。もはや職人芸の域*8

【2011】

  • 6/8 巨人戦で左手小指に死球を受け、手術を余儀なくされる。
  • 6/15 上述の死球の影響でチームの交流戦優勝に立ち会えず、集合写真にユニフォームだけ参加
  • 10/6 ロッテ戦において自打球で左足小指を骨折。

【2012】

  • 開幕直前、肺炎に加え腰痛も発症し、開幕メンバーから漏れる。
  • 8/5 腰痛から復帰してスタメンに定着し、4番でも打点をあげ始めた矢先、牽制帰塁時に肩を痛めて抹消。
  • 11/5 吉川輝昭・神内靖と共に、横浜DeNAベイスターズの吉村裕基山本省吾・江尻慎太郎との3対3トレードが発表され、ベイスターズに電撃復帰。

【2013】

  • 4/21 左太ももの張りを訴え途中交代。そのまま抹消される。

【2014】

  • 8/24 両アキレス腱の状態が悪化、途中交代。翌日出場選手登録抹消。

【2015】

  • 5/2 接触のないベースランニングで負傷し二軍降格。関根大気乙坂智らの台頭もあり一軍出場はわずか4試合に終わり、戦力外通告。コーチ入りの打診もあったが拒否して中日ドラゴンズに育成選手として入団する。

【2016】

  • 早速右脹脛の肉離れを起こす。中日を戦力外となり遂に現役引退。

【その他】

  • 12年の鷹の祭典、13年のスターナイトと2回もサイリウム投げを目撃する。


総括

このような数々のエピソードから多村はネタ扱いされているが、「ケガさえしなければ素晴らしい成績を残せる」*9選手である事はその過去が物語っている。
また、引退会見時の「もう痛い思いをしなくていいのかな」という言葉は普段から多村をネタにしていたなんJ民も涙した。

余談だが横浜時代の応援歌のひとつに弾丸よりも 速く走れ 負けるな仁志 飛び込んで ライナーをキャッチしろという歌詞があるのだが、上記の通りのスペ体質からのちょっとした無茶ぶりとそのぐう畜ぶりをネタにされている*10

引退後

引退後は解説者に転身。聞き取りやすい声にセイバーメトリクスに基づいた解説が分かりやすく、かつ丁寧であり高い評価を得ている。その為、以前所属していた球団のファン*11からは多村をコーチ/監督にしろなどという声も挙げられている。
更に現役時代の怪我の多さからか、怪我人発生時の的確な評価・解説にも定評があり、ちなヤク並の信頼度を得ている。

備考

元ロッテの諸積兼司は、打席時の専用ヒットコールがスペランカーのBGMだったためスペランカー扱いされることがある。

関連項目



Tag: 横浜 ソフトバンク


*1 本名及び2008年までの登録名は多村仁(読みは同じ)。
*2 ちょっとした段差に躓いたり下り坂でジャンプするだけでも死ぬことから、虚弱キャラの代表格として上げられやすい。
*3 週刊ホークス通信 Vol.3 「スペランカー」からの脱却を目指して
*4 一例として2004年は下記のようなギャグ同然の離脱が多かったが、この年にプロ初の規定打席に到達して3割40本100打点という超一流の成績を残している。
*5 多村以外だと、ストレッチで怪我したり、咳でぎっくり腰を発症した岸孝之(楽天)が特にネタにされがちである。多村同様、長期離脱にはならない事が多いのも拍車をかけている。
*6 この15年後の2019年には、空振りで何故かアキレス腱を断裂する事例が発生した模様。
*7 打席に立ったものの牽制死などのため打撃が完了しなかった場合、打席には立ったことが分かるように「終了」と表記することもあるので誤記ではない。
*8 ただしこの年は大きな故障も無く、140試合に出場し打率.324,27本塁打と活躍、ベストナインを獲得している。
*9 一例として、2006年のWBCに出場した際は超特大本塁打を含む3本塁打9打点、守ってもファインプレー連発とチームの主軸として大車輪の活躍をし、フレデリク・セペダ(元巨人)によればこの活躍でキューバでは英雄扱いだという。
*10 そもそも打席での応援歌に守備の歌詞を盛り込むのはどうなんだ、ともツッコまれている。
*11 主にDeNA、ソフトバンクから。