「横浜を出る喜び」の対義語。
概要
TBSがオーナーを務めた2002年から2011年の横浜ベイスターズは10年間でAクラスが僅か1回・最下位が8回という惨憺たる成績から、この直前に低迷していた阪神タイガースのような暗黒時代に突入していた*1。チーム環境も相応の酷さであり、内川聖一(ソフトバンク、その後ヤクルト→九州アジアリーグ・大分)を筆頭にFAやトレードなどで(入団・流出問わず)移籍した選手からの苦言や移籍先での活躍から上述の「横浜を出る喜び」などと言われる有様であった。
転機となったのは2011年オフのDeNAによる球団買収だった。当時ソーシャルゲームのヒットでIT会社として台頭していた同社が、住生活グループ*2及びノジマ*3との新オーナー争いを勝ち抜き経営権を手にしたことから、状況は徐々に好転。
また、DeNA体制の初代監督として招かれた中畑清による選手たちの意識改革(教育)や、球団による選手への働きかけ*4により、チーム内の雰囲気・意識が改善。毎年のようにぶっちぎりの最下位だったベイスターズは、DeNAに買収されたことで順位争いがしっかりと出来るチームへと変貌していく。
そして後任のアレックス・ラミレス時代は5年間でAクラス3回、日本シリーズ進出1回*5、最下位は一度もなし*6となっており、その後もリーグ優勝こそ惜しくも手が届いていないが上位争いが出来なかった年の方が少ないほど*7。選手層も幾分と厚くなり、2016年を境に暗黒時代のトンネルを抜け出したとされている。
その奮闘にDeNAへ移籍した選手の成長や復活が大きく絡んだため、「出る喜び」に対抗できる「入る喜び」が語られるようになった。
発祥当初は「移籍で復活・成長した選手」という話題が多かったが、最近では選手の口から文字通り「横浜に入る喜び」を語る選手も出てきている。
さらに近年はその派生形として、トレードやFA宣言などで一度は横浜を去りながらも後に横浜への出戻りを果たしたり、他球団で現役引退後コーチとして横浜に復帰するという事例も増えつつあり、こちらは「横浜に戻る喜び」と言われるようになっている。
以下、そうした選手たちを記していく。
横浜に移籍した選手たち
文章が長くなる為、クリックによる展開にて選手毎にまとめておく。
OB選手(監督含む)
中畑清
2011年オフ、DeNA初代監督に就任。
「金メダル確実」と謳われた2004年アテネオリンピックの野球競技で、開催直前に脳梗塞で倒れた長嶋茂雄に代わり指揮を執るも銅メダル獲得に甘んじた過去から、指導者としての評価は芳しくなかった。そのため監督に任命された際のファンの反応は最悪と言っていいほどだった。
しかし当時連続最下位に喘ぎ、負け犬根性やだらけ癖がどっぷりと染み付いていたチーム・選手と向き合い挨拶の徹底や練習量の増加など根本的な改革に着手したことが功を奏して、就任2年目の2013年にはチームを6年ぶりの最下位脱出及び勝率4割越え*8へ導く。巨人一筋だった現役時代のイメージを払拭し「DeNAのために巨人に嫌われる男になります」と公言し、2014年には対巨人戦での年間勝ち越しを9年ぶりに果たす。
監督退任後はDeNA在籍時の功績と陽気なキャラクターからテレビ番組に多数出演するようになり、ハマスタレジェンドマッチなど横浜関係の仕事を多くこなすようになったり*9と、横浜に入る喜びを体現している。また、解説者として登場する際にDeNAの勝率が高いこともあり*10「ポジハメの親玉」「愛すべき横浜のおじいちゃん」と、ファンとは相思相愛の模様*11。
藤井秀悟
2012年、村田修一のFA移籍による人的補償で巨人から移籍。かつてヤクルトのエースとして名を馳せるも前年は1登板と、年齢からの限界説も囁かれていた。
しかし投壊に苦しむ黎明期のDeNA投手陣を支え、先発左腕不足にあえいでいたチームで頼れるベテランとして三浦大輔に次ぐ活躍を見せる。
翌2013年には11年ぶりの開幕投手に抜擢されると6回2失点と結果を残し先発ローテーションに定着。さらに4月27日に6年ぶりの完投勝利*12を、7月13日に11年ぶりの完封勝利を記録*13するなどチーム悲願の最下位脱出に大きく貢献。打撃や走塁でも全力プレーを見せ、移籍前のafoというあだ名を覆す奮闘ぶりだった。
2014年、故障から戦力外通告を受けて引退。巨人の打撃投手を務めたのち、2020年から広報兼打撃投手として横浜へ復帰。
中村紀洋
TBS時代晩年の2011年シーズン途中に入団。
入団当初は成績の衰えに加え過去の黒い言動の数々もあり、加えて親会社が特段のヘイトを集めていた*14ため、獲得を疑問視する声は決して少なくなかった。
しかし親会社がDeNAに変わった2012年から中軸として復活、翌2013年には怪我と不振にあえぐ筒香嘉智 *15に代わって三塁手レギュラーに定着。攻守にわたる大活躍で打線を牽引し、チームの連続最下位からの脱出に大きく貢献した。またこの年に節目となる2000本安打*16と400本塁打も達成している。
2014年に「チームの方針に従わない言動があった」として懲罰降格、そのまま一度も一軍昇格することなく退団してしまったため、在籍時の貢献度の高さがあっても横浜ファンから名誉生え抜き認定されるには至っていない。ただ本人も球団初進出となるクライマックスシリーズの開催時には応援に駆けつけており 、中日コーチ退任後の2024年には横浜スタジアムでの試合前イベントに呼ばれるなどチームとのわだかまりは残っていない模様。
柳田殖生
2013年オフに中日から戦力外通告を受けた後、内野のユーティリティ性を買われDeNAに移籍。
中日時代はファームでハイレベルな成績*17を残すも、ゼロ年代のドラゴンズ黄金期を支えた鉄壁の内野陣に台頭を阻まれ、いわゆる「二軍の帝王」扱いに甘んじていた。
移籍後は2014年5月29日のホークス戦で2番・セカンドで先発出場すると、5打数4安打1本塁打2打点と猛アピール。以降も右の代打や不調のレギュラー陣の代役スタメン等さまざまな場面で起用され、同年は自身最高の一軍74試合に出場した。
2016年に現役引退。引退後は球団職員を経て二軍のコーチに就任。現役時代の実働期間こそ短かったものの、着々と出世の道を歩んでいる。
移籍前の出番に恵まれなかった悔しさからか古巣への闘志をむき出しにしており、現役時代には「中日時代はナゴヤドームが好きじゃなかった」「見返してやりたいという気持ちはずっと持っていた」等の発言を残している。また引退後には「DeNAに拾ってもらって、恩返しをしようと思ってプレーをしてきた。初めて自分の居場所を見つけられた」と球団への感謝の言葉を述べていた。
林昌範
2012年に北海道日本ハムファイターズから戦力外通告を受け入団。移籍後は中継ぎ投手として126試合登板・25ホールドを挙げて復活。
巨人時代末期~日ハム時代はチェケ裸とネタにされたが、DeNAファンからはさほどネタにされることもなく純粋な声援を受け活躍した。
2017年、戦力外ののち引退。
長田秀一郎
2013年に渡辺直人とのトレードで西武から移籍。俺達の中心メンバーで、さらに大沼幸二を連想させる経緯*18からファンの期待は非常に低かった。
しかし移籍後はビハインドで燃えるが接戦でリードを守る逆俺達と化すなど活躍。カウントが苦しくなった際に開き直ってど真ん中ストレートを投げる事が多く、現在は「長田イズム」として他のDeNA投手陣が同様のピッチングを見せた際に語られている模様。
2016年に戦力外となりBCリーグ・新潟に移籍、2017年引退。
西武アカデミーの投手コーチを経て現在は西武二軍投手コーチを務めており、2019年の交流戦・対西武の試合開始前イベントでは両球団OBである長田と、元同僚であるナイジャー・モーガンが1打席勝負を行った。
ホセ・ロペス
2014年オフに巨人を自由契約となり横浜へ移籍。
巨人時代はソロホームランが多く得点圏打率も低かった事、正一塁手だったトニ・ブランコ*19が退団したため、入れ替わりでの入団を歓迎しない声も目立った。
しかし中畑監督の「本当はチャンスに強い」という言葉通りの活躍を見せ巨人時代から打撃成績が向上、守備でも優れた捕球能力で打球処理や内野手の悪送球を減少させた*20。
また平均年齢の低いDeNAで貴重なベテランとしてまとめ役になり*21、CS・日本シリーズ出場の立役者*22として完全に定着。
記録では2018年にNPB史上初となる一塁手のシーズン守備率10割の達成及び、榎本喜八(毎日・西鉄)が保持していた一塁手としての連続守備機会無失策のNPB記録を51年ぶりに更新(2017~2019年、1632回)。2020年には日米通算2000本安打・および日米それぞれでの通算1000本安打*23を達成した。
タイトル面でも2016~2019年には4年連続一塁手のゴールデングラブ賞を受賞、さらに2017年は打点王・最多安打・ベストナインにも輝いた。
2020年限りで退団したが足掛け6年もの間ベイスターズに所属と、球団の外国人選手としても指折りの長期在籍となった*24。
なお、ブランコはオリックス移籍後にハーフスイングで負傷離脱するなど全く戦力にならず不良債権化した模様。
ロペス入団とブランコ放出の決断を批判された高田繁GMへの熱い手のひら返しに至った。
武藤祐太
2017年オフに中日ドラゴンズから自由契約を受け、横浜が獲得。
中日では主に中継ぎとして活躍し、2013年には58試合登板の大車輪ぶりを見せていたが、翌年以降は精彩を欠いて登板機会が大幅に減少し、2017年は一度も一軍で登板することなく戦力外通告を受けた。
横浜移籍1年目の2018年は主に敗戦処理だったが、変化球の持ち球を増やしたり150km/h台を投げる中継ぎがゴロゴロいるチームの投手環境に触発されたのか球速も140km/h台半ばから150km/hまでにアップさせる。首脳陣の信頼を得た翌2019年はオープナーの先発・ロングリリーフ・火消し役など様々なシチュエーションで起用されるようになり、リリーフの一角として欠かせない戦力として復活した。
2021年に戦力外通告を受け引退。古巣の中日戦で引退試合が行われ、先頭の高松渡を三振に切って現役生活に幕を下ろした。
本人は球団公式コラムでチーム内の雰囲気、投手陣の結束力の良さ、仲間の結果に一喜一憂していると語り、「ドラゴンズの時も野球は好きで楽しかったんですけど、いまはそれ以上に、楽しいなって純粋に思えます」と語っている。
中井大介
2018年オフに巨人から自由契約を受け、横浜に移籍。
2019年は内野のユーリティプレイヤーとしての色合いが強かったが、翌2020年を迎えるとチャンスは相変わらず苦手なものの、夏場まで代打での出塁率が.600超えという右のチャンスメーカーと化す。
また、中心選手であった筒香嘉智のMLB移籍*25に加え、ホセ・ロペスの不振も相まって代役ながらスタメン機会が増加。さらに倉本寿彦の復活傾向も重なり、特に二遊間を中心に良い形で内野手が回るようになった。
中井本人も「ベイスターズに来て驚いたのは、いい意味で自由というか、自主性を重んじる練習が多かったこと。自分で考えて取り組む時間を大切にしているんだなって」と好意的なコメントを残している。
2021年、再び戦力外通告を受け現役引退。古巣巨人戦で引退試合が行われ、代打で出場して安打を放ち有終の美を飾った。
高城俊人
2011年ドラフト2位で横浜へ入団。
正捕手が固定できないチーム事情もあって1年目から積極的に起用されるが、主に打撃面で伸び悩み鶴岡一成・黒羽根利規・戸柱恭孝の後塵を拝していた。
2018年途中に正捕手を固定したい横浜と内野手不足の解消及び控え捕手も確保したいオリックスの思惑が一致。高城・白崎浩之と伊藤光・赤間謙との2対2の交換トレードでオリックスへ移籍した。
しかし移籍後は二軍でも打率1割台と横浜時代以上に低迷、翌2019年オフには戦力外となり古巣の横浜に再獲得されるに至った。するとそれまで通算1本塁打だったにも関わらず3週連続で本塁打を放つなどの活躍を見せ、3番手扱いではあるが濱口遥大登板時の専属起用など立場を確立。異例とも言える出戻りで入る喜びを味わったのだった。(詳細は脱獄を参照)
2022年に再び戦力外通告を受けそのまま現役引退。この際「現役にこだわることも考えましたが、大好きなベイスターズで野球人生を終える。これで良かったと思います」とコメントを残している。
エドウィン・エスコバー
2017年途中に黒羽根利規とのトレードで日本ハムから移籍。
それまで炎上を繰り返し「ハズレ助っ人」の烙印を押されていたが、移籍後は先発登板時こそ失敗したものの中継ぎとして大活躍。
パ・リーグとのレベル差を指摘する声もあったが日本シリーズでもソフトバンク相手に活躍、翌年の交流戦では古巣日本ハムからもホールドを挙げるなどファンの心配を杞憂に終わらせる。
日ハム時代の投球内容から打って変わってMax160km/hのストレート*26・バレバレだがなぜか空振りが取れるスライダーを武器に、連投に耐えうるパワータイプの左腕として大車輪の活躍をしているため、「日ハムエスコバーとDeNAエスコバーは別人」と称されることも。
2020年からも2年契約で残留。一時帰国時には「横浜というチームは自分にとって第2の家族。街も大好きだし、家族も気に入っている。来年も横浜で野球がやりたい」と述べた。
2023年オフにカブスと契約しMLB復帰するまで足掛け7年、その間40試合登板を割ったことのない*27鉄腕ぶりで横浜のブルペンを支え続けた。退団時にはXにて長文を投稿し、「(横浜にトレードされた)その日から私のキャリアのすべてが変わりました。横浜での私の経験は最高のものの一つでした」「横浜で経験したすべてのことに感謝します」など、チームやファンに最大限の感謝を綴っている。
藤田一也
2005年に横浜ベイスターズに入団。以後、ハマの牛若丸としてファンに親しまれたものの、2012年のシーズン途中に楽天へと電撃トレード。楽天では不動の2番打者として球団初の日本一に貢献。その後も活躍するものの、打撃不振と加齢により、2021年オフに戦力外通告を受ける。
2022年より横浜に復帰。復帰後は全盛期ほどの活躍は見られなかったものの、チームの精神的支柱としてベンチを支えた。
2023年に引退したが、引退会見で「横浜DeNAベイスターズのユニフォームで引退できること、こんな幸せなことはありません」と述べ、DeNAにて野球選手生活を終えたことへの感謝を綴った。
大田泰示
2021年オフに日本ハムから移籍。
巨人時代は売りにしていた打撃が伸び悩んだもののトレードで日本ハムに移籍すると才能を開花、レギュラーに定着したものの2021年に打撃不振に陥り、オフに自由契約となる。
移籍後は怪我やコロナでの離脱もあったものの外野のスタメンや好機の代打として活躍。6月30日の阪神戦には1点ビハインドの9回に起死回生の同点タイムリーを放ち自らも好走塁でサヨナラのホームを踏む活躍を見せた。
オフの契約更改には「1年間よくやってくれたという言葉をいただいたので、僕自身うれしかったですし、来てよかったと強く思った」と改めて横浜に入る喜びを口にしている。
2024年シーズンに戦力外通告を受け現役引退。引退会見では「横浜スタジアムは僕が育ててもらった球場でもあり、今回引退を決めてベイスターズで最後終われたというのは、何かのご縁があると思うので、自分の中では特別な存在であるとともに、今は悔いや後悔はありません」と感謝の意を表した。
現所属選手
平良拳太郎
入団3年目の2016年オフ、山口俊のFA移籍による人的補償として巨人から移籍。当時から将来を期待されていたがプロテクトされるには至らなかった*28。
2017年は山口より先に移籍後初勝利を挙げたため(のちの暴行事件のことも含め)「DeNAは平良の人的補償として山口を放出した」とネタにされることもあった*29。
2018年は夏頃から一軍に定着し、DeNAと巨人がCS争いを繰り広げる秋の正念場で菅野智之と投げ合い大金星を挙げた。
2019年は開幕こそ怪我で出遅れるものの、夏前からローテ入り。8月2日には首位の巨人に3.5ゲーム差と迫る中で再び菅野と先発登板で対戦。6回を2失点と好投、またも投げ勝った*30。秋頃には失速*31したものの右の先発として前年ドラフト1位の上茶谷大河に次ぐ70イニングを投げる。
翌2020年には開幕ローテ入りを果たすと一時期防御率0点台、セ・リーグ防御率ランキングトップの快挙を果たした。
怪我による離脱が多く2021年オフにはリハビリ目的で育成落ちしたものの横浜ファンからは右腕エースと目されており、今後の活躍が更に期待されている中、2022年7月30日に待望の支配下復帰。727日ぶりの一軍登板となった翌2023年の開幕第5戦で巨人打線を6回無失点に抑え、888日ぶりの白星を手にした。
伊藤光
2018年7月、オリックスから赤間謙と共に高城俊人・白崎浩之とのトレードで移籍。
2014年まではゴールデングラブ賞や日本代表選出と順風満帆だったものの、翌年のチーム低迷からコーチ陣からベンチで公開説教を受けるなど首脳陣の信頼を落とし、正捕手の座を若月健矢に奪われる。2017年からは生き残りを図り一塁手・三塁手としての出場を狙うも、同年後半から移籍直前の翌2018年前半にかけて連続無安打を更新するなど深刻な打撃不振に陥っていた。
移籍後はCSでの活躍を繰り返してきた嶺井博希及び打点乞食のはずだった戸柱恭孝が揃って不振に陥っており、経験と実績のある伊藤が「ぶっつけ本番」にも近い形で捕手を任され奮闘。
翌2019年は投手陣と意思疎通を果たし正捕手を奪取、打撃面でも活躍。故障で1ヶ月以上離脱するも、84試合出場でキャリアハイとなる8本塁打・OPS.731を記録した。球団公式コラムでは「ベイスターズに来てからミスを恐れなくなった」「真剣にやりながらも試合を楽しむことができている」と、取材でも「ベイスターズに救われたと言っても過言ではないですよね」と答えた*32。また本シーズン中にFA権を取得。動向が注目されてきたが、移籍後に歓迎してくれたチームとファンから寄せられた残留希望の声に応え、権利を行使せず残留した。
翌2020年は故障と不調に苦しみ23試合出場にとどまるものの、2021年はシーズン途中から正捕手として起用され、2022年には負担軽減も兼ねて嶺井・戸柱と併用する形となったため40試合と出場試合数が減ったが打撃好調だったためバックアップとしてオリックス時代以来の一塁手としての出場も経験。2023年もFA移籍した嶺井に代わり山本祐大が加わった3人体制での起用が続いている。なお、オリックスからの移籍が決定した瞬間友人にメールで「よっしやぁぁぁぁ」と送信していた模様。
京田陽太
2022年オフに中日から砂田毅樹とのトレードで移籍。
入団した2017年以降中日の正遊撃手を守っていたものの2022年序盤から深刻な打撃不振が続き、挙げ句守備のミスから試合中にも関わらず「戦う顔をしていない」と立浪和義監督に強制送還を言い渡されるなどシーズンを通して不調が続いた上での放出となった。
この年冷遇が続いた上での移籍であったこともあり入団会見で「(トレードと聞いて)驚いた反面、嬉しい気持ちもありました」と語るなどこの時点で横浜に入る喜びを口にしている。
シーズン開幕後はチーム状況*33もあって当初は三塁バックアップ、4月下旬からは遊撃手として出場機会を増やし、時には中日時代には未経験だった一塁の守備に就くなど内野のユーティリティとしてチームを支えた。打撃については低打率ながら出塁率を伸ばすなど中日時代とは違った顔を見せている。また、「戦う顔」を英訳した「バトルフェイス」がネット上のみならずチーム内にも浸透するなど欠かせない戦力となっている。
中川颯
2023年オフ入団。
貴重なアンダースロー投手としてオリックス時代は2軍で好成績を残していたものの、肩の不調で2022年オフに育成落ち。支配下契約を取れないまま1年後に戦力外通告を受け、生まれから高校まで過ごした地元の球団である横浜に拾われる形で移籍となった。
迎えた2024年シーズンはオープン戦で好投を続け開幕1軍を勝ち取る。シーズン中も前半は主に先発、後半はリリーフとして登板を続け、初勝利・初ホールド・初セーブ、さらには初本塁打も記録する躍進の年となった。チームはペナント3位からCSを勝ち上がり、迎えた巨人とのファイナルステージでもリリーフとして活躍し、チーム7年ぶりの日本シリーズ進出に貢献した。
日本シリーズ進出決定後には自身のX(旧Twitter)で「横浜に帰ってきてよかった。」*34とポストしている*35。
迎えた日本シリーズでも強力なホークス野手陣に対し登板した試合全てで1人の走者も出さない素晴らしい投球を見せ、26年ぶりの日本一を支えた原動力になった。
関連項目
- 横浜を出る喜び…対義語。
- 横浜に残って良かった
- 名誉生え抜き
- 脱浪
Tag: 横浜