福盛の21球

Last-modified: 2024-07-18 (木) 03:49:30

当時東北楽天ゴールデンイーグルス所属の福盛和男が2009年10月21日、パ・リーグクライマックスシリーズ第2ステージ・第1戦(札幌ドーム)で魅せた投球のこと。

福盛登板までの経緯

球団創設以来初のAクラス(2位)でクライマックスシリーズ進出、ソフトバンクとの第1ステージを連勝して突破した楽天。日本ハムとの対戦となる第2ステージ第1戦も、7回終了までは6-1と5点のリードを保っていた。

 

しかし先発・永井怜が8回裏に2点目を失うと、代わった藤原紘通・小山伸一郎有銘兼久の乱調で2点差へ詰められる。それでも9回表に鉄平の2ランで再びリードを4点差に広げたところで、6番手としてクローザーの福盛が満を持して登板する。

福盛の21球

ところが一死後に1番・田中賢介からの3連打であっさり1点を失うと高橋信二にも四球で満塁のピンチを招き、続くターメル・スレッジに投じた21球目を完璧に捉えられ、左中間スタンドへ飛び込む逆転サヨナラ満塁弾となってしまったのである*1
ちなみに福盛はCS1週間前に体調を崩し調整不足であったとはいえ、同年6月にMLBから復帰して以降は7勝1敗10S・防御率2.16と活躍しており信頼度は高かった*2

 

皮肉にも「江夏の21球」と投球数こそ同じだが、江夏はサヨナラ負けのピンチを自らが招きながらも無失点で抑えたのに対し、福盛は4点リードを吐き出してのサヨナラ負けを喫した事から真逆の意味での伝説として語り継がれるのだった。

詳細(記事一部抜粋)

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https://kahoku.news/articles/20210830khn000033.html

そして21球目。
中谷の指示「フォーク」に福盛は首を振る。「じゃあチェンジアップをもう一球?」。これも合わない。「えっ、えっ、どうするの?」。中谷は取り乱す。直後、福盛が投げたのは直球系の逃げる変化球ツーシーム。しかしスレッジがどんぴしゃりのタイミングで打ったボールは、瞬く間に左翼席へ突き刺さった。
福盛は数日前にインフルエンザ感染。病み上がりだった。「フォークを確実に落とせる自信がなかった」。だから外角へのツーシームをファウルさせ、まず2ナッシング*3にしたかった。「3ボールの余裕があれば今日の調子でも1球はフォークが決まる」と信じた。


関連項目


*1 ポストシーズンのサヨナラ満塁弾は1992年日本シリーズ第1戦でのヤクルト・杉浦享(代打)以来17年ぶり。なお当時のヤクルト監督であった野村克也はこの時の楽天監督でもあり、ポストシーズンのサヨナラ満塁弾による勝ち負け両方を体験したことになる。
*2 当時の楽天リリーフ陣は駒不足で、この試合も短期決戦用に本来は先発要員の藤原を8回に投入するも炎上、小山と有銘も期待に応えられなかった。川岸強は何とかこの回を凌いだが勝ちパターンの投手を早めに注ぎ込んでしまい、最終回を任せられる投手が他にいなかった。ファーストステージでは岩隈久志田中将大の両投手が完投したことでそういった投手たちを調整登板させられなかったのも一因といえる。
*3 当時はストライク→ボールの順番だった。