東北楽天ゴールデンイーグルスの野村克也監督(当時)が試合後インタビューで、記者団の前で披露した歌*1の一部で、ありえないミスを批判する際に使われる言葉。なんJでは基本的に「ルンバ」と略され、野村が歌った際のシチュエーションに合わせて、致命的な盗塁・走塁のミスを指す言葉となっている*2。
概要 
2008年5月29日の読売ジャイアンツ対楽天戦、2-4と巨人の2点ビハインドで迎えた9回裏二死から矢野謙次が四球で出塁。
ここで巨人側は2点差にも関わらず矢野に盗塁させ、際どくもない盗塁死で試合終了という巨人ファンにとっては後味の悪い展開となってしまう。
試合終了後、野村は記者団の前へ現れるなり
「バッカじゃなかろかルンバ~」
「巨人は面白い野球をするね 野球は意外性のスポーツ」
などと巨人ベンチを扱き下ろした。
これ以降、走塁ミス(特に適切でない場面でのベンチによる走塁指示)に対する蔑称として略して「ルンバ」という言葉が使われるようになった。
なお、野村は2020年2月11日に虚血性心不全でこの世を去るが、日刊スポーツの追憶記事の野村語録一覧で、「バッカじゃなかろうか~、ルンバ」の名で記載されている。
伊原春樹との因縁 
実はこの事件には伏線があり、当時巨人のヘッドコーチを務めていた伊原春樹と野村との間で以前から確執があったことが関係している。
時は遡り1987年の日本シリーズ第6戦、野村が球史に残るビッグプレイと称するスーパープレイが飛び出す。西武・秋山幸二のセンター前ヒットで一塁ランナー・辻発彦がなんと一気にホームイン。いわゆる「伝説の走塁」である*3。辻と共にこのプレイの実現に一役買ったのが、中堅手ウォーレン・クロマティの緩慢守備を見抜いてホーム突入を指示した走塁コーチの伊原であった。
この件で野村は伊原の能力を高く評価し、阪神監督を務めていた2000年に伊原をコーチとして招聘する。ところが、伊原はあまりにも積極的すぎる走塁を行ったために走塁死を頻発。野村は激怒してシーズン中にもかかわらず伊原の走塁指揮権を剥奪してしまった。伊原はそのまま2000年シーズン限りで退団してコーチとして西武へ復帰。野村との禍根を残すことになる。
さらに、その年のドラフト会議で阪神は赤星憲広を4位指名。赤星はオリンピック代表として阪神のキャンプに招待された際に伊原が目を付けていた選手であり、俊足の選手が欲しかったことに加えて、退団が決まった伊原への意趣返しの思いから野村が獲得を決めたとも言われている。
このような因縁*4があっただけに、野村のルンバ発言に対して伊原が激怒。伊原は報道陣に対して「老人だから許される。自分の失敗を棚に上げて」と怒りをぶちまけた。ところがその伊原当人はオーナーにライオンズブルーの血が流れてると手紙を書いてはシャレにならない失敗を犯した後、血はどこへやらオリックス監督に転身*5、そしてこの事件が発生した際の巨人ヘッドコーチを経て再びライオンズ監督に就任した2014年に「オレンジの血も少し流れている」と豪語していた。どうやら1年ポッキリのオリックスの血はなかったらしい。
ルンバ返し 
翌年、巨人は楽天戦に4連勝。伊原は報道陣の前で野村をバカにするルンバ返しを行った。よっぽど効いたのだろう。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/06/09/kiji/K20090609Z00001930.html
今季の楽天戦4戦全勝を決めた伊原ヘッドコーチが痛烈な“ルンバ返し”だ。
試合後、報道陣に囲まれると「一字一句漏らさずに書けよ」と前置きしてから一気にまくし立てた。
「野村監督様。これもひとえにノムラの考えであります昨年のお言葉のおかげでございます。1年間お預かりしたその言葉を、そっくりそのままお返しします。バッカじゃなかろか…ルンバ」
動画(ルンバの場面は0:23~) 
関連項目 
- 古木あーっと
- 頭を割って、中を見てみたい
- 申告セーフティスクイズ
Tag: 楽天 巨人