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バッカじゃなかろかルンバ

Last-modified: 2018-05-05 (土) 08:37:45

試合後の監督インタビューで、東北楽天ゴールデンイーグルス監督(当時)・野村克也が記者団の前で披露した歌*1の一部から。
略して「ルンバ」とも。


概要 Edit

2008年5月29日の読売ジャイアンツ対楽天戦、2-4と巨人の2点ビハインドで迎えた9回裏二死から矢野謙次が四球で出塁。
ここで巨人側は2点差にも関わらず矢野に盗塁させ、際どくもない盗塁死で試合終了という巨人ファンにとっては後味の悪い展開となってしまう。

 

これに対し、野村は記者団の前へ現れるなり

「バッカじゃなかろかルンバ~」
「巨人は面白い野球をするね 野球は意外性のスポーツ」

などと巨人ベンチを扱き下ろした。
これ以降、走塁ミス(特に適切でない場面でのベンチによる走塁指示)に対する蔑称として使われる。

 

ちなみに巨人監督(当時)の原辰徳自身は、終盤のビハインドからの盗塁という戦術を「自らの原点*2」と語り、第1次政権時の2002年から鈴木尚広を抜擢して頻繁に行い続けており、この事件以後も改めなかったりと特別な執着を持っているようである。

伊原春樹との因縁 Edit

実はこの事件には伏線がある。当時巨人ヘッドコーチを務めていた伊原春樹と野村との間には以前から確執があった。
1987年の日本シリーズ第6戦、野村が球史に残るビッグプレイと称するスーパープレイが飛び出す。西武・秋山幸二のセンター前ヒットで一塁ランナー辻発彦がなんと一気にホームイン。いわゆる「伝説の走塁」である*3。辻と共にこのプレイの実現に一役買ったのが、中堅手クロマティの緩慢守備を見抜いてホーム突入を支持した走塁コーチの伊原であった。

野村は伊原の能力を高く評価し、阪神監督を務めていた2000年に伊原をコーチとして招聘する。ところが、伊原はあまりにも積極的な走塁を行ったために走塁死を頻発。野村は激怒してシーズン中にもかかわらず伊原の走塁指揮権を剥奪してしまった。伊原はそのまま2000年シーズン限りで退団してコーチとして西武へ復帰。野村との禍根を残すことになる。

さらにその年のドラフト会議で野村阪神は赤星憲広4位指名。赤星はオリンピック代表として阪神のキャンプに招待された際に伊原が目を付けていた選手であり、俊足の選手が欲しかったことに加えて、退団が決まった伊原への意趣返しの思いから野村が獲得を決めたとも言われている。

このような因縁があっただけに、野村のルンバ発言に対して伊原が激怒。伊原は報道陣に対して「老人だから許される。自分の失敗を棚に上げて」と怒りをぶちまけた。

ルンバ返し Edit

翌年、巨人は楽天戦に4連勝。伊原は報道陣の前で野村をバカにするルンバ返しを行った。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/06/09/kiji/K20090609Z00001930.html
今季の楽天戦4戦全勝を決めた伊原ヘッドコーチが痛烈な“ルンバ返し”だ。
試合後、報道陣に囲まれると「一字一句漏らさずに書けよ」と前置きしてから一気にまくし立てた。


「野村監督様。これもひとえにノムラの考えであります昨年のお言葉のおかげでございます。1年間お預かりしたその言葉を、そっくりそのままお返しします。バッカじゃなかろか…ルンバ♪」


動画(ルンバの場面は0:23~) Edit


関連項目 Edit



Tag: 楽天 巨人






*1 原曲はさくらと一郎の同名曲から。
*2 実父で甲子園優勝経験もある野球指導者の原貢氏(故人)が多用していた。特に辰徳が入部し「親子鷹」と言われた東海大相模監督時代の、1974年夏の甲子園1回戦土浦日大戦での9回二死からの二盗が有名。
*3 余談だが、このプレイに感動してプロ野球選手を志したと明言している選手が何人かいる。一例として柳田悠岐はリアルタイムではないがYouTubeでこのプレイを観たことが野球選手になったきっかけと述べている。