【SS】収容違反記録/赤い羊

Last-modified: 2023-12-28 (木) 00:28:31

このSSはDCO機関に関係しています。

このページはDCO/赤い羊が引き起こした混乱について書き記したものである。

主人公、というよりストーリーテラー。本名はフェルディナンド・フィッツジェラルド。昔から様々な事件に巻き込まれやすく、しかし怪我こそすれ死にはしないという体質を持つ。ただし他の人は死ぬ。
DCO機関においては中堅どころの博士。確率の上振れという一言では済ませられないほどに同僚が死んだり活動不能になっているが、当人がそれなりに有能かつよく働くので放置されている。

DCO機関の博士。変人と狂人と一般人の要素を足して3で割ったような性格。かなり自由奔放であり、有能さを差し引いても周囲の人物から白眼視されることもしばしば。
博士になる際に提出した『DCOと日常生活』という論文がかなり物議を醸したらしい。

DCO機関の博士。少々掴みどころのない性格をしているがごくごく普通で真面目な博士。
数少ない"エフ博士とまともに関わっていて無事な博士"。能力は平均的だがその一点だけで博士をやっていると酒の席では時々言われたりする。

通称『麻酔銃のメイスティン』。動物系DCOの保護ならお任せの凄腕保護員。
猟師出身の死刑囚だったらしい。

孤児だったエフ博士を拾った博士。エフ博士が「名前が長い」と短縮名を使っているのに対してこの人が短縮名を使っていないのは永遠の謎。
結構な年配故か重厚な人柄。機関からの信頼も厚い模様。

  • 構想はほとんど決まっていますので『この人物を出して』『このDCOを出して』には応えられません。ご了承ください。 -- 水色瞳? 2023-06-28 (水) 21:31:17
  • 徹頭徹尾勢いで書いたので色々と問題点があるかと思われます。その際は指摘したり直して頂けると幸いです。 -- 水色瞳? 2023-06-28 (水) 21:34:28
  • さすがとしかいいようがないです…緊迫感がもの凄くて、読んでてハラハラしました。後編も頑張ってください!応援してます! -- ドードー鳥(コテハン)? 2023-06-28 (水) 21:57:16
  • 自分じゃこんなのまず書けないですわ…これからも応援してます! -- まひまひ。? 2023-06-28 (水) 21:58:48
  • お二方ありがとうございます。体力はともかく気力は少しだけ戻ってきてるので頑張って書いていきます……! -- 水色瞳? 2023-06-30 (金) 20:42:33
  • あ、これ完結してます……ここのコメント欄にその旨を書いてませんでした。 -- 水色瞳? 2023-08-25 (金) 00:13:50

前編

2●●●年、●月●日。
よく晴れた日だった。
私はある建物の屋上、コンクリート張りの床の上に寝そべりながら、青い空を眺めていた。
……いわゆる現実逃避である。仕事が激務すぎるのだ。どうして誰も彼も私に仕事を押し付けようとするのか。私以外にも有能な博士はいるというのに……
と嘆いた所で、仕事は減らないのである。しかも仕事が仕事ゆえ先延ばしした責は自分に返ってくる。……仕方ない。やるか。
私はそう決心して、胸ポケットからメモ帳を取り出した。そしてまさに開こうとしたその時。


警報が鳴り響いた。


私は思わず起こしかけた姿勢を再び低くした。先程との違いと言えば仰向けがうつ伏せになる程度である。
……何が起こったのかは分からないが、とりあえず少しは休めそうだ。








私はそれからたっぷり30分近くも屋上で過ごした。別に日焼けしたいからではなく、ついでに弁当も食べてしまおうと思ったからである。レタス盛り沢山のサンドイッチが美味しかった。
しかし、いつまで経っても警報が鳴り止まない。……DCO機関の警報には数種類ある。その中でも今回鳴っている警報はそれなりに危険度が高い、武装指示であった。
武装指示とは即ち職員達が各々武器やら何やらを装備して、収容違反を起こしたDCOの鎮圧、物によっては処分に当たるということである。
全てを把握している訳では無いが……この施設には収容違反を起こしてもさほど問題なく対処できるDCOが多い。
こんなに時間がかかるとは、一体何がどうしてどうなったのだろうか。




とりあえず屋上から降りる前に誰かに連絡はしておこう、と思った。この建物に誰が居るのかは正直把握していない。だが、何処にいようと誰であろうと、情報は仕入れておきたかった。ただでさえ未知に触れる仕事をしているのである。無策で突っ込むほど私は無能ではないつもりであった。
携帯の電話帳にはほぼ全ての博士と一部の保護員、記録員、職員が網羅されている。上から手当り次第に電話をかけていくという方法もあったが、私は知り合いを優先した。
イジアク博士は確か今日はいない。ガート博士は出ない。クロード博士は出たが「今忙しい」とだけ言って切られた。コルプト博士も出ない。ジールス博士は……なんか妙な事を言ってきたためこちらから切った。
そして佐野博士はというと、
『おやエフ博士。……なんか電話の向こうで警報が聞こえるんですが、何かやったんですか?』
……ひとまず、会話はできそうだった。
「いや私は何もしてないが……むしろ何が起こったか教えて欲しい。●●●●に居るんだが、佐野博士は?」
『カフェテリア前です。暇そうならお誘いしようかと思ったのですが、…………そうもいきませんね』
「……なるほど。となるとこの警報については、」
『知りません。お力になれず申し訳ありません……が、武装指示となると……できるだけ早めに外に出た方がいいかと』
最初の方は明らかに呑気であったが、次第に向こうの声にも真剣さが混じり始めた。恐らく途中で何かの情報を見たのであろう。
「外に……というと?」
『ゾンビものの映画とかには触れたことはないでしょうか』
「少しくらいならあるが……それと何の関係が?」
『……武装指示が出たとなると、そのDCOは数が多いか単純に強いかの2択になります。警報が鳴ってから40分は経ちますし……まだ鳴り止まないということは鎮圧できていないということになりますね』
「……」
『屋上は確かに一見安全ですが、ドアが破られると途端に危険地帯となります。また階下で事が起きているとなると、行動が遅れてしまえばヘリによる救援に頼るしかなくなる』
「……なるほど。飛び降りるにも無理な高さだからな。孤立するよりかは広い場所に居た方がいいわけか」
『今軽くそちらに収容されているDCOのリストを見ましたが……収容違反するとなると、●●か●●か、●●か……でもこの辺は正直脅威度が低いかと。あとは性質が判明していない赤い羊か●●か……って赤い羊はエフ博士の担当ですよね』
「今日やるように指示されてたんだ……」
嘘である。……だが、もし赤い羊となると、ひょっとしてこの放置が原因だったのでは?と思ってしまう。もしくは任せた職員の問題だろうか。正直素行が良いとは言えなかったのだ。
『……それはともかくとして、とりあえず一刻も早く脱出することをオススメします。無理そうならヘリを呼んだりして……』
「いやダメだ。ここには●●がいる。下手したら落とされる」
『……あぁ!それは……歩いて脱出するしかないですね』
「まあ何とかなるだろう。じゃあ」
『はい。……お疲れ様です』

……通話は終わった。さて──私には他の知り合いに電話をかけてみるという手もあったが、もう動き始めることにした。
佐野博士の助言のおかげである。彼女が居なければ、私はおそらく死んでいたであろう。……●●が収容されていたことにすら、脱出の話が出てくるまで思い当たらなかったのだから。




屋上のドアを開けると、早速どこか遠くから悲鳴が聞こえた気がした。だがそれ以外は、私が屋上へやって来た時と同じ無機質な階段があるだけである。どうやらDCOはまだここまでやって来ていないようだった。
階段を一段ずつ慎重に降りて廊下に出ると、そこは驚く程に何もなかった。……警報が鳴っていなければ、完全に静まり返っていたであろう。
少し遠くまで見渡してみても、ガラスが破られた形跡やドアが開いた様子はない。恐らくこの階層には収容違反したDCOは居ない筈だ。
しかし、ここが危険になることは十分に考えられる。念の為避難させた方が良いのではないか?と思った。……ものの、ひとまず私はひたすら下を目指すことにした。階段は危険かもしれないので、使うのはエレベーターである。
……幸いエレベーターまでは特に何も無くたどり着く事ができた。不思議と電気も生きている。……未だ鳴り響く警報と比べると、面白い程無事である。
とりあえず1階を押しておいて、……いや、どうせ人は居ないのだしそのまますぐに閉めてしまおう。そう思って私がボタンに手を伸ばしたところ、再び電話がかかってきた。
「佐野博士」
『はい佐野です!さのの……じゃなくて!脱走したDCOの詳細が回って来ました!』
「はあ。どのDCOだ?」
私がそう尋ねた時、ちょうどエレベーターのドアが閉まった。
『…… 赤い羊 です。性質が不明だったDCOですね』
「なるほど……」
『なるほどって。……そもそもどうして性質が不明なんですか。収容に関する注意点はだいたい保護時にわかる筈なのでは……?』
「アレなぁ……『麻酔銃のメイスティン』が確保したんだよ」
『麻酔銃の……?』
「知らないか。あの保護員はDCOを保護する時にはまず麻酔銃を対象に撃つんだよ。腕がいいから当たるし耐性がない限りは一発で眠る。……ただなぁ」
『あぁ……そういうことで……』
「……で、その赤い羊が何だって?」
私は脱線しかけた話を無理やり引き戻す。ちょうど階数表示が1を表示した。聞いておかないとまずい。
『そうです。赤い羊は何故かものすごく大量にいるそうでして……』
「保護した時は一匹だった筈だが」
『何らかの引き金でも引いたのでは?……ともかく攻撃性は高いみたいなので注意してくださいね。というかエフ博士、今……』
その時、ドアが開いた。
踏み出せば、一際大きく聞こえる警報。どこから聞こえるか分からない職員の声。猛獣のようななにかの声。所々に真紅に染まった羊と職員の死体が横たわる。血痕がない場所を見つけるのが難しい。……そんな、阿鼻叫喚の様相が目や耳に飛び込んでくる。
一歩歩く毎に、その傾向は強くなっていき────遂には。
「……!」
『……っ、……エフ博士、自分の身を守ること……そして脱出することを最優先にしてください。邪魔になるといけないので私はここで!』
私は既に携帯を白衣のポケットに押し込んでいた。
何故なら────私の眼前に、一匹の赤い羊が現れたからである。




初めて見た時と同じ、血のような色に染まった羊。それが、昏々と眠っていたあの時からは考えられない程に獰猛な表情をして、こちらを睨んでいる。
というか羊にあんな表情ができるとは思わなかった。……『野生』という二文字が、私の脳裏に浮かぶ。
奴は威嚇でもするかのように嘶いて、姿勢を落とす。一歩でも踏み込めば突っ込むぞ、と言わんばかりの様子だった。
羊の突進は食らったことがないので分からないが……あの尖った角が当たれば、ただでは済まないということはわかる。────動けなかった。
その時である。

何の前触れもなく、赤い羊が分裂した。分裂、と言うよりも『分身』と表現した方が正しいのだろうが、当時の私は衝撃でそのような事を考える暇がなかった。

背格好も、角の形も長さも、そして特徴的な毛の色も……全てが同一な個体が、もう一つ現れたのである。長いこと未知に触れる仕事をしてきたが、自分に明確な脅威が迫っている状態では気合いの入ろう筈もない。

二匹目も同じく私を威嚇するような体勢を取った。これでいよいよ前進するという選択肢がなくなってしまった。とりあえず、体をなるべく大きく見せるようにして……少しづつ後退していく。
本当にこれが効果的なのかは知らないが、熊と相対しても何とかなるらしい安心と信頼の逃走方法だ。どうにかエレベーターまで辿りつければ……との一心で足を動かす。外に脱出するという目標はその時既に頭から抜け落ちていた。


しかし、である。所詮は羊。『野生』とはいえ、人間を全て殲滅できる訳ではないようで、
「ひゃっはー!!!」
中には生き残って、そんな風に暴れ回る職員もいる。……というか、博士だった。
彼女はショットガンを振り回すようにして乱射し、赤い羊の顔面を的確に粉砕していく。まるで通り魔のようであった。
しかし実際に────私が気付いた時、前を塞いでいた赤い羊は二匹とも動かなくなっていたのである。
「……バニティ博士!?」
私は救世主の名前を叫んだ。……ちょっとした悲鳴になったかもしれない。
「おやその声はエフ博士。撃ってしまうところでしたよ」
「さすがに死ぬからやめて欲しい」
「じゃあこの拳銃で……」
「止め刺して欲しい訳じゃないんだよなぁ……」
「というのは冗談で。博士丸腰でしょう。とりあえず武器は持ってた方がいいです。バイオコードもないので遠慮なく」
「……どうも」
バニティ博士はいわゆる『変人』である。私が知る女性博士の中ではトップクラスだ。とはいえこういう時にも冗談混じりで的確な行動ができるくらい、彼女は有能な人物なのだ。
私は差し出された拳銃を受け取り、安全装置を確認して右手に握る。
「ところでバニティ博士。収容違反が起きた原因について何か知っていることは?」
「なんにも。……そういえばエフ博士が担当なんでしたね」
「早めに詳細な性質について調べておくべきだったか……」
「まあこの感じだと下手したらエフ博士が被害者10号以内に収まってたかと。ここで処分の口実が作れて良かったと思いますよ」
喋りながらも彼女はずんずん先へと進んでいく。私はそれに慌てて着いて行った。……妹くらいの年齢の女性に守られるというのも恥ずかしい話ではあるが、現状1人になったところで脱出できるとは思えない。
「ところで正面玄関は……閉まってるよなぁ」
「でしょうねぇ。放送の通りに非常口から出ましょう。最寄りはー……」
「あ、そうか……」
自分の事に精一杯だったため、警報の内容までは耳に入らなかった。……もしくは忘れていた。最初は武装指示だったが、いつの間にか武装指示+非常口からの脱出に変化している。
「一番近い非常口はあっちですね。80mくらいありますけど」
「わかった。……っと、新手だ!」
私はそう叫ぶなり、後ろからやってきた数匹の赤い羊に向けて銃弾を放つ。この建物はそれなりに入り組んだ構造をしている。省スペース設計らしいが、こんな非常事態の際にはそれが仇となる。……まあ、ある程度は対策されていたのだろう。それが、このような大規模な収容違反において何も意味を成さなかっただけである。
私が最低限撃ったらどこかには当たる程度の腕を持っていたおかげで、先頭にいた赤い羊に拳銃弾が命中する。そしてその群れが一瞬動きを緩めた隙に、
「はいはいっ!」
掛け声と共に、バニティ博士のショットガンが火を噴いた。────一匹に一発。至近距離に強い銃とはいえ、本人の腕も相当である事がわかる。
……そんな頼りになる博士が居るとはいえ、状況は刻一刻と、一歩を踏み出すごとに悪化していった。
上の階から、大量の羊の声が響いてくる。形容しがたい、いわゆる"死の匂い"が強くなってゆく。遂には警報も止んだ。放送室も破壊されたのだろうか。
状況の悪化は抽象的なものに留まらなかった。一方向から来るのみだった赤い羊は、いつしか前と後ろから、そして横の通路がある時は横からも来るようになった。
────他のDCOの収容室が閉ざされているのは幸いだった。上の階は知らないが、これ以上の収容違反は避けたいところである。




「……あと20m。ここまで来たらダッシュでもいけそうですね」
バニティ博士が肩で息をする。丁度今、もう何度目かも分からない赤い羊の襲撃を捌き終えたところだった。
時計を見る余裕はない。あれからどのくらい時間が経ったのだろうか。
「……数メートル進むのに何分かかってるんだ、という話だけどな……」
「とにかく今のうちに数歩でも進みましょう。もうちょっとで弾がなくなります」
「マジか……」
「私が先ほど渡した弾、あとどれくらい残ってます?」
「あと数十発くらいは。マガジン4つだな」
「それはそれは。……あ、また来ますよ……」
彼女の声にも疲労が色濃く滲んでいる。当然と言えば当然だが、ショットガンの反動を制御するのには相当な力と体力が必要である。普段から研究尽くしの日々を送る博士となっては、尚更。
なら何故わざわざショットガンを引っ提げているのか?……考えない方が良さそうだ。ともかく、彼女の歩調はまだまだ律動的である。
「……よし!後ろは────」
「もう片付きましたよ。……さて、これでこのショットガンは鈍器にしかならなくなりました」
チームワークとでも言うのだろうか、じわりじわりと赤い羊の数が増えているのに、対処にかかる時間はそれほど変化していない。だが、これ以上は明らかに危険な事は誰にでもわかる。遂にバニティ博士のショットガンが弾切れを起こしたのだ。
「了解。バニティ博士、他に武器は?」
「ないです。……走りますか?」
非常口はもう目と鼻の先であった。数秒だけ走れば、もはやこの惨劇とはおさらばである。
「そうだな。……私が先に行く。バニティ博士は後ろから」
「レディーファーストですよ?」
「こういう危険な任務は普通男がやるんだよなぁ……」
「いや真面目に考えてみましょう。武器を持ってるのはエフ博士です。もし赤い羊が居たとして、先に行けばかなりの確率で殺られるんですよ?そうしたら今度は私の番ですから」
「いや、拳銃を渡す。私よりは明らかに扱いが────」
私が言い終えないうちに、バニティ博士は非常口に向かって駆け出してゆく。
一体どこにそんな体力が残っていたのかは不思議だったが、ともかく私はそれに続こうとした。……しかし、

彼女がドアノブに手を掛けた瞬間、赤い波が殺到した。後ろから。────私から見て、横から。
「な……」
彼女の頭が、ドアへと強烈に激突するのが見えた。
それと同時に、非常口のドアが吹っ飛んだ。
……打ち付けられたバニティ博士の身体も、一緒になって吹っ飛んだに違いない。
外から赤い羊の悲鳴が聞こえてきた。
私は震える手足を無理やりに動かして、歩みを進める。
────そして、今度こそは何も来ない。バニティ博士に遅れること、数十秒。
私は脱出した。
職員の構えた火炎放射器と、黒焦げになった赤い羊の死体が、────まるで私を歓迎しているかのようであった。

後編

────あれから数日。
『●●の移動完了しました!これでこの棟には赤い羊以外何もいません』
「了解。怪我人は?」
『何人か軽傷は負いましたが死者は出ておりません!』
「はーい。……それじゃ、機関の皆さん」
「よし。……総員退避ー!」
私は今、あの赤い羊騒動が発生した建物が見える場所で、機関の武装職員に守られつつ、鎮圧の様子を見物している。
「……YoHey社って民間企業なんですよね……?」
「触れない方がいい」
「あっはい」
そして、その武装職員の輪の中には私含め数名の博士が居る。何故だかは分からないが、佐野博士もそこに居て────私の話し相手になっている。いや、逆に私が彼女の話し相手になっているのだろうか。
「……そういえば、バニティ博士の容態はどんな感じでした?」
「……正直、思わしくないらしい」
「……」
私は何とか脱出した。バニティ博士も同様だった。……しかし、彼女は寸前で赤い羊の波に襲われてしまい────重度の脳震盪と全身に大量の骨折、打撲。おまけに火炎放射が当たってしまい、重度の火傷も負っているというまさにてんこ盛りの状態だった。流石にあのDCO程は酷くないが、それにしても。
「……まあ、大丈夫だろう。なんだかんだで生命力高い人だからな」
「エフ博士の特性で打ち消されてそうなんですけど……」
「……」
そんな事を言っているうちに、建物の方では中から何人かの武装職員とYoHey社の社員が出てきた。追ってきたらしき赤い羊が群れを成して出てくるものの、機関のそれよりも明らかに威力が高い火炎放射器で次々に灰になってゆく。
『退避完了!いつでもどうぞ!』
「はーい。思う存分やっていいらしいからー……黒チーム!」
「了解。プラネットバスター、出力0.001%……チャージ完了ー。発射!」
なんだか気の抜けた掛け声と共に、とんでもなさそうな兵器が赤色の弾を撃ち出した。
YoHey社の偉い人から怒られそうなのでこれ以上の言及は避けるが、その瞬間、────周囲を引き裂くような風が吹き荒れた。私は目に手をやりながら飛ばされまいと必死で踏ん張る。……おそらく佐野博士であろうが、私を盾にするかのような気配を後ろに感じた。……とはいえ、それを気にしていられるような場合ではなかった。────薄目を開いた時、先程まで視界の向こうに聳えていた建物が、跡形もなく吹き飛んでいたのである。
「……」
「……」
風も落ち着いてきた時……やはり後ろにいた佐野博士と共に、私は呆然とした。
「き、消え……?」
やはり民間会社が持てる火力ではないと思う。あんなに苦労して脱出した建物が、等と色々思ったものだが……怒られそうなのでこれ以上色々書くのはやめることにする。

 
 

『任務完了。それじゃあこの辺りで』
「はーい。お疲れ様でした」
YoHey社員は長居しなかった。出来る狩人は痕跡を残さない、と言うが……似たような物だろうか。
「……これ、どの辺まで書いても良いんだろうな……」
思わず私がそう呟くと、佐野博士が少し呆れた様子でこう言ってくる。
「書く、って……赤い羊の収容違反だけじゃないんですか?」
「まだ終わっていないだろ。いくつか残ったサンプルから色々調べておかないとな」
「そういう話じゃないんですけど……」
実の所、あの騒動の翌日、私は佐野博士と機関にあるバーで酒を飲みながら色々と語り合ったのである。その時は冗談だったのだが、この収容違反記録を本にでもしようか、という話も出た。
……それがだ。機関の数千人の武装職員とYoHey社の黄チーム100人を投入した作戦でも倒しきれないとなれば……これを書かないでなんとする*1。結果的に黒チームで何とかなりはしたが。
サンプル云々は博士としての役目ではあるのだが、これは建前……とまでは行かなくとも、個人的には記述を残す理由として弱いのである。だいぶ意地悪かもしれないが、それ程酷い様相だった……ということで。
さて、YoHey社の面々が帰ってから数分後、次第に職員も博士も解散を始めていた。破壊された建物の再建に必要な金額を計算している上層部の姿が目に入る。少し遅い昼食の計画を立て始める職員の姿も目に入る。……平和だった。

 

「……私達もそろそろ行きましょうか。カフェテリアでお茶した後……バニティ博士のお見舞いにでも」
「そうだなぁ……少し時間が押してるが急げば大丈夫か」
佐野博士の提案に私が腕時計を見ながら応えると、何故だか彼女はややむっとした表情を浮かべる。
「……いや、本当に。別のDCOの実験予定が入ってるんだ」
「……そうですよねぇ。……はい。急ぎましょうか」
なんだか少しだけぶっきらぼうな気がする。何かやってしまったのだろうか?
……しかし。
「あ、いた……エフ博士!」
先程から視界の隅にきょろきょろしている職員が映っていたが、どうやら私を探していたらしい。
「どうした?」
あまり馴染みのない職員ではあったが普通に応じる。用があるのだろうか。……そんな私のぼんやりとした思考は、彼から手渡された物で粉砕されることになる。
「これを渡しておこうかと思いまして。……あの建物の女子トイレで拾った物です」
「これは……メモ帳?」
「はい。書いてあることは難しかったですが……何やらエフ博士の事が書いてありましたので」
「ふむ……」
小型のメモ帳だ。表面の名前が書かれているであろう部分に誰とも知れない血糊が付着しており、これだけでは誰の物か判別することはできない。
「自分はこれで。では」
私へメモを手渡した職員は、そのまま安堵したかのように離れていった。
「ラブレターじゃなさそうですね。……女子トイレ?」
佐野博士がメモ帳を覗き込んでくる。彼女の言葉を丁重に無視して、私は軽い気持ちでメモ帳を開いてみた。
「……"麻酔銃とは、その気になれば簡単に人や動物を殺せるのにわざとそうしない、極めて素晴らしい兵器。"……"特にDCO機関においてはその傾向が強い。一般社会では手に入らないような、標的を一瞬で昏倒させられるくらい強力な麻酔薬を使える。素晴らしい。"……これは……」
「随分と麻酔銃ジャンキーな方がいるようですね……」
麻酔銃、と言われれば、私の脳内に浮かんでくるのはたった一人である。佐野博士が言う通り……麻酔銃ジャンキーの……『麻酔銃のメイスティン』。
「メイスティン保護員か……逃げられなかったのか……」
「あぁ……赤い羊を保護した人でしたっけ」
「そう。腕前だけじゃなくて麻酔薬にも凝っていたみたいだな」
軽く彼女の冥福を祈りつつ、メモ帳をぱらぱらと捲っていく。麻酔銃のことが8割、それ以外のことが2割。これをセンスのある人間が熱意を持って読み込めば第二の『麻酔銃のメイスティン』が誕生するかもしれない、と思えるくらいにその記述は広く深かった。
「……これだけじゃないですよね」
「おそらく……」
ちょくちょく捲る手を止めて内容を確認している事もあるが、単純に見た目よりもページが多かった。だんだん適当に読み始めるようになってくる。しまいにはまともに確認もしないようになる。

と、そこで。メモ帳の最後の方になって、白紙。
これはもしや、と思い1ページ戻ってみると────
「……"こんにちは。この記録をあなたが見ているということは、多分収容違反は解決し、"……」
「えっ……と、"個体名 赤い羊 は、文字通り赤い羊です"……ってこれ、記録じゃないですか……?」
「……おそらく私が死んだ時の為に書いたのだろうな。もしくは楽をさせる為か……」
私はあの建物があった場所をちらりと見た。……おそらく、死体はおろか骨すら残っていないだろう。女子トイレに入ってまでこのメモを回収するくらいなら他にやる事があるのでは無いか、と最初は思っていたが……そうも言っていられなくなってきた。
「これは……この記録は……信憑性はさて置いて、随分と力が入ってますね……」
「……筆跡もメイスティン保護員のものと一致している。捏造という訳ではないだろうな……」
「……ど、どうします?これ……」
私も佐野博士も、もはや少し遅い昼食などと言っていられる場合ではなかった。
「決まってる。すぐに上に持ち込むぞ!……佐野博士も着いてきてくれると嬉しい」
「!……はい、喜んで!」
博士の服装は基本的に白衣である。私も佐野博士もその轍を外さないが……この時だけは、それが煩わしく感じた。

 
 
 
 

「……記録はこんなものでいいか」
また数日。私はタブレット端末を操作しながら呟いた。
「できましたか。チェックしてあげます」
「上から目線だなぁ……メイスティン保護員の記録を若干改良してあとは私の諸々を付け足すように記録員には言ってあったし……私の方でも今チェックしたからな」
当然のように佐野博士がいる。まあ本音を言えばありがたくはある。なんだかんだで一人では判断できない事も多い。
……そういえば、バニティ博士はどうなったのだろうか。私はその事を佐野博士に聞いてみる。
「あの後エフ博士が大変そうだったので一人でお見舞いしてきました。……医師によると、今日明日辺りが峠、らしくて」
「なるほどな……今日あたりちょっくら話聞きに行くか。身寄りもないらしいし」
「……」
私は一応孤児らしいが、親代わりのフィラデルフィア博士という人がいる。……バニティ博士には、親族の情報が完全にない。彼女からも明かされることはなかったので、真相は彼女の胸の中に、というわけである。
尚更、一人の辛さ、仲間がいることの有難さを理解しているに違いない。
「……えぇ、こんな感じでいいと思います。どっちを先にします?」
「どっちとは」
「お見舞いか、記録の提出か」
「それは流石に記録の提出だろ……」
今にも死にそうな訳でもあるまいし、この場合は私情よりも仕事である。
「じゃあ行ってくる。佐野博士は?」
「この後軽い実験があるんですよね……それが終わったら行くつもりです」
「分かった。それじゃ、また」
流石の佐野博士も今回ばかりは用事があったようである。私は何故だか軽い寂寥感を覚えつつ、本部へ向けて歩みを進めていくのだった。

 
 

提出した記録は無事に受理された。とりあえずの責務は果たしたので、私は敷地内を軽く散歩する。……と、電話がかかってきた。名前を見ると……フィラデルフィア博士である。
「はい」
『やあエフ君。災難だったようだね』
「……まぁ何とか生還できました」
毎回こんな調子である。フィラデルフィア博士から電話がかかってくる時は大抵何らかの騒動の後と決まっている。今回は少々遅かったが、テンプレじみた会話をするには十分だった。
『……それにしても今回のはだいぶ酷い騒動だったと聞いたよ。相変わらず悪運が強いな』
「はぁ……」
これもほとんど同じである。もしかしたらそろそろボケ始めているのではなかろうか?
『……悪運が強い、か。エフ君は自分でもそう思っているのかね?』
「え?……いや、そうでしょう。それ以外に考えられない」
『本当に?』
「…………?」
テンプレから逸脱した。……何故?
フィラデルフィア博士の謎かけも今に始まったことでは無いが……今回に限っては、不思議と抉り込むかのような錯覚すら感じてくる。とはいえ私は何も知らないのである。……自分の事ではあるが。
『……いや、変な事を聞いた。すまない』
「……何か知っているとしたら……、 私を拾った博士の方だとは思いますが」
『この話はやめよう。……エフ君も忙しいだろう?邪魔して悪かった』
電話は向こうから切られた。……一体何だったのだろうか。
電話が切れて、ふと耳を澄ませてみると、木々がそよ風で葉を揺らす音が聞こえる。建物に籠っていては決して見ることのできない景色。
……また建物に籠ることにはなるだろうが、そろそろ自分の出自について調べ始めてみてもいいかもしれない。

 
 

さて、赤い羊の話はどこいった……という 問題だが、まだまだ関係ない話が続く。フィラデルフィア博士との電話の後、少し間があって佐野博士から電話がかかってきた。なかなか出ない私に業を煮やした様子だったので、一体どうしたのだろうかと怪訝に思ったものだが、それも当然だった。バニティ博士が、亡くなったのである。
佐野博士がバニティ博士の病室に着いた時、既に病人は危篤状態だったらしい。それで医師を呼びに行くついでに私に電話したのだが……まあ、フィラデルフィア博士との電話の最中だから出られなかった。そして2回目、30秒おいてかけ直したらしいが私はまだ通話の途中であったようだ。3回目、バニティ博士の心臓が止まった頃────ようやく私が出た、という訳である。
機関直営の病院の威容が、夕方の日差しのせいか、どことなく翳って見える。
「赤い羊関連で亡くなった博士は……これで●人目らしいですね」
「とは言ってもほとんど死体すら確認出来てないだろう。……全く、また同僚を見送る事になるとはな……」
「……」
どうしても麻痺してしまうが、慣れてはならない。人の死は慣れている。だが、その悲しみに慣れてはならない。
例えそれが職員であろうと……極悪な死刑囚出身であろうと。
「合同葬儀には……出席しますよね」
「当たり前だ。……そこまでが収容違反だからな」
「対策会議はどうなるんです?」
「……そういえば私は出席確定か……」
折角良い話風に終わらせようと思ったのに、と私は少しだけ項垂れたのだった。

 
 
 
 

さて、この話はここで終わりだが……最後に。
メイスティン保護員が最期に記録したメモの原文を載せて、全ての犠牲者の弔いとしようと思う。
あえて原文としたのは、できうる限りの実験を行った上で判明した事実を基に記録は編集されているからである。彼女がどのような状況で書いたのか。どのくらいまで分かっていたのか。
……この項はここで筆を置く。

 
 
 
 
こんにちは。この記録をあなたが見ているということは、多分この収容違反は解決し、世界は無事なのでしょう。誰かに拾って欲しいです。記録員含め担当職員達がほぼ全滅したので私が記録します。最期まで間に合わない可能性もありますけど。そういえば担当博士はエフ博士です。……無事に逃げ延びているといいのですが……どうでしょうか。少し心配なので彼とその記録員方を真似て書くことにします。
個体名 赤い羊 は文字通り赤い羊です。●国の●の野原に居るところを保護されました。体長は1.5mほどで、まあ平均よりは少し大きめの部類に入りますね。角はそれなりに長く尖っています。突進でもされたらかなり危ないです。性質ですが、基本的には温和であり、刺激等しなければこちらを攻撃することはありません。真っ赤な見た目に反して、です。ただその代わり刺激に関してはかなり敏感な気がします。収容違反を起こしたのもそのせいかもしれません。連鎖反応、というやつでしょうか。バタフライエフェクト、とも言うのかな?
ええと……赤い羊は危険を感じると数分おきに2倍に増殖します。何の前触れもなく、同じ個体がそこにもう一体増えるのです。何故保護時に気づかなかったのかと言いますと、赤い羊をいきなり麻酔銃で眠らせてから保護したのです。私が。……つまり遠因的な原因は私なのでしょうか。……話を戻します。赤い羊が何故増殖を始めたのかまでは分かりませんが、ともかく2時間ほど前まで私は収容施設の廊下を歩いていました。すると、突然警報が鳴り響き、職員に対して武装するように指示が出されました。私は何が何やら分かりませんでしたが、その5分後、向こうから既に百数匹規模に膨れ上がっていた赤い羊の群れが殺到してきたのです。その時は周囲に数名の職員がいたお陰で対処できましたが、そこから15分おきにまた同じ規模の群れが突撃してくるようになりました。私はだいたい6回目くらいで逃げました。職員の死傷者も増えてきた頃でした。……で、今はトイレでこのメモを書いています。本当に見付けてくれる人がいるのでしょうか。でも今は1秒でも長く書かないと駄目かもしれません。
おそらくこれで情報は過不足なく伝えられたと思います。あとはこの記録を誰かが拾ってくれる事を祈るばかりですが……あぁ、もう時間みたいです。既にすごい音が扉から聞こえてきます。人の香りを認識しているのでしょうか……?それでは、どうか赤い羊が鎮圧されますように。そして、この記録がどなたかによって拾われますように。……そういえば赤い羊の肉って[血糊で判別不能]かなぁ?ちょっと勿体ない事をしたか[インクの跡][血糊で判別不能]し────[インクの跡][判別不能]
今日3
昨日1
合計410

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*1 機関注:その部分の記述もだいぶ力が入っていたようですがカットしました。